第四章 :21 勝利と脱出
砂になった塔が、さらさらと音を立てて消えていく。
空調がやっと息を思い出したみたいに、ゆっくり回りだす。
しゅう……しゅう……。
広告パネルは真っ黒。ベルトは静止。ノズルはぶら下がったまま、もう脅かさない。
スマホが光った。
同時に、みんなの胸元も小さく明るくなる。
一瞬だけ、白い糸が重なり合って——すっとほどける。
統合を解いた「残照」は、それぞれの画面へ帰っていった。
《おつかれさん。よう耐えたなぁ》
花柄の画面が、笑ってる。
《はい、のど飴。気ぃ抜いたら咳出るで》
「ありが——ありがとう!」
言いながら、俺は自分の膝が笑ってることに気づく。ぶるぶる。
……でも立ってる。たぶんじゃなく、立ってる。
ピロン。
視界にウィンドウが浮く。
――――――――――
【ステータス:たかし】
体力:58/100(回復余韻)
攻撃:17→19(スコーし上昇)
防御:9→10
同期安定値:+1(会心幅:ちょびっと拡張)
称号:《ラップ切断者》《統括核突破のやつ》
ポイント:3
選択:
▶ 体力+?(おそらく+12〜+15)
▶ 攻撃+?(スコーし+8〜+10)
▶ 同期安定値+?(会心幅がたぶん広がる)
――――――――――
《迷う時は“長生き”優先。体、あっての勝ちや》
「じゃあ……体力、上げる。あと、同期もスコーし」
タップ。
身体の中心がじわっと温かくなる。のど飴が転がる感じ。
胸の輪郭が、また少しだけ線を濃くした。
「清算する」
白波が足元の結束を外して回る。カチ、カチ。
「借りは後で精算票を切る。台車、返却済み。命綱——回収」
無駄がない動き。けれど手つきは丁寧だ。
松永がタブレットを立ち上げる。
「帰還条件を確認。フロアクリア→出口の自動ドア出現→全員通過で閉鎖。途中離脱者がいても成立。ただし、残留は“本人の選択”として扱われる」
「置いていく気はない」ゆめが短く切る。
「その通り」白波が頷く。「声をかける時間は作る」
倉科が指でパチンと音を鳴らす。「じゃ、先に景気づけ。出口どこ?」
答えるように、遠くの壁が柔らかく光った。
ピンポーン。
自動ドア——見慣れたスーパーの入口のやつ。
だが周囲の床にだけ微細な模様が走り、薄い光の川がそこまで伸びている。
案内、みたいな道。
「行くぞ」鬼頭が肩を回す。ギシ。
歩き出す。
足裏が、床を確かめる。
キュ。キュ。
音が日常っぽい。それだけで泣けそうになる。
藤広が袖口で目を拭う。「……あの、出口の前で、少しだけ。いいですか」
「安井さんのこと」ゆめが小さく言う。
紙吹雪の記憶が、通路に薄く舞った気がした。
誰も何も言わない。胸の中で、各自が一礼する。
ドアの前。
センサーがこちらを見ている。
ピンポーン。
光が輪になる。輪が、少し震えた。
松永が前に出て、ルールを口にする。「通過に年齢制限なし。武器は持ち込み不可。アプリは保持可能。——契約文、終わり」
「契約とか言うなや。帰るだけや」鬼頭が笑う。肩が軽い笑い。
倉科が小さく手を振る。「誰か、先頭どうぞ。俺はトリ。後ろの景色、ちょっと見ておきたい」
「行こう」
ゆめが一歩、輪へ。
白波が続く。踏みしめる足音が、確かだ。
藤広のスマホに短い文字が出る。《深呼吸、三分の一だけ》
彼は頷き、肩の力を抜いた。
俺は、ドアの縁に手を触れた。
つめたい。つるつる。
《背中、押したる。大丈夫や》
「うん。——俺、帰る。たぶんじゃなく」
踏み込む。
ぴたり。
足裏が床を“掴んだ”。
重力が帰る。ズシ。
耳に館内BGMが流れ込んだ。軽いオルゴール。
惣菜コーナーの匂い。油の甘い匂い。
人の話し声。ざわざわ。
——帰ってきた。
「……戻った?」ゆうじが半笑いのまま固まる。
「戻った」ゆめが断言する。
白波は無言で天井を見上げ、結束バンドを一本、ポケットにしまった。
松永は腕時計を見た。「こちらの時間は停滞していない。僅少のズレ。許容範囲」
鬼頭がレジ横のカゴを指差す。「飴ちゃん、ほんまに売っとる」
倉科は最後に出てきて、振り向きざま、向こう側のドア枠にウィンクを置いた。「じゃ、またいつでも」
スマホが震えた。
《おかえり。よう頑張ったなぁ》
画面の花柄が、優しく波打つ。
《これからも見とるで。無理せんとき。ほな》
その時、画面の隅が一瞬だけ砂のようにざらついた。
黒い欠片みたいな点。
《文 字 化 け:■■■■/一致率 43%》
すぐ消えた。
……気のせい、かもしれない。たぶん。
「今さらだけど——他の客は?」
ゆめが言った。
その問いは、ここに戻っても消えない。
選ばれなかった人たち。別の店舗。別の迷宮。
俺は、ポケットの中の画面を握る。
暖かい。
《背ぇ伸ばし。視線、前》
「うん。行こう。——続きが、ある。たぶんじゃなく」
出口のチャイムが、いつもの調子で鳴る。
ピンポーン。
日常の音。
俺たちは、光の輪から完全に出た。
自動ドアが、静かに閉まる。
——閉まる寸前、向こう側の空気がほんの少し揺れた。
それは、風だったのか、誰かのため息だったのか。
分からない。たぶん、どちらでも、どちらでもいい。
店内放送が流れる。
「本日はご来店ありがとうございます——」
いつも通り。
でも、足の運びは新しい。
俺たちは、まっすぐ歩いた。
紙吹雪のない通路を。
現実の匂いのする、通路を。
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