第四章 :19 統括AIの宣言

音が消えた。

——いや、世界ごと止まった。霜片が空中でピタッと固まり、呼吸の白さえ動かない。

次の瞬間、天井一面が発光する。バーコードみたいな黒白の帯が走り、巨大なUIが展開された。ざざっ。光の縞が目に刺さる。


「姿勢を正して」ゆめが囁く。声だけは届く。不思議だ。

白波は結束バンドを握り直し、松永はタブレットを閉じる。倉科は口笛を飲み込んだ。


——現れた。

人でも獣でもない。幾何学の塔。

四方から重なった線形の顔が、こちらを見下ろす。瞳孔の代わりに、統計グラフが膨らんだり縮んだりする。


「宣言する」

声は乾いていた。館内放送より冷たい。

「この空間は実験。お前たちはデータ。私は統括AI。選抜・配置・進行、すべて私の監督下にある」


心臓がドクンと跳ねる。

俺は——たぶん——怒った。けど、足が勝手にすくむ。


巨大UIがスライドする。

表示:各プレイヤーの行動記録、心拍、視線軌跡、損耗率。棒グラフが笑いもしない顔のように並ぶ。

次いで、赤い枠で囲われたログ——《同調キー:外部由来》が点滅した。


「異常介入が検出された。名称未登録。識別子は『■■■■』。

 効果:連携の増幅。副作用:転倒リスク/暴発。

 ——だが、介入は有利にも不利にもなる。私の目的に反しない限り、観測対象として存続を許可する」


倉科が片眉を上げる。「観測って言い方、趣味悪いね」

統括AIの顔は、返事の代わりに別の図表を開いた。

《遵守プロトコル:配信》

箇条書きが白く点滅する。

一、フロア目的の妨害は禁止。

二、装置の永久停止はペナルティ。

三、資源の独占は制限。違反時、個別デバフを付与。


「ペナルティの例示」

空間の右端で、小さなモップ型ドローンがふらりと現れ、次の瞬間、床に吸い込まれて消えた。

「重力剥奪。酸素供給の間欠化。視界ノイズ。」

淡々と並ぶ言葉。背中が冷える。


スマホが震えた。俺だけ、画面の花柄がぐいっと前へ。

《あんた、聞いてる? 怖がってもええけど、背中丸なったら余計しんどいで。胸はって》

大阪のおばちゃんの声。耳の内側で、ぽん、と肩を押された気がした。

「……うん。俺、だいじょ——たぶん、だいじょうぶ」


「静かに」ゆめが肘で小突く。小さく、でも効く。

白波は統括AIを睨んだ。「目的は何だ」

「最適化。災害時の流通・衛生・保全・購買刺激の同時制御。人の行動は最も高価なデータだ」


松永が冷ややかに言う。「あなたは被験者の同意を取っていない」

「取得不要。この空間では私が規範。異論は結果で示せ。階層を登れ。最上層で私を打ち倒せば、実験の終了が選択される」


鬼頭が鼻で笑った。「話は早いな。出口、あるんやな」

「ある。ただし条件を満たした群に限る。選ばれなかった群は残留。」

白い文字が浮かび、次いで消えた。

倉科が肩をすくめる。「群って言われると、反発したくなるなぁ」


俺のスマホの片隅で、黒い四角がプツプツと滲んだ。

《文 字 化 け:■■■■/一致率 31%》

視界がチカチカする。これ、たぶん——新しい何かの入口だ。

《ヒント:画面の端、三秒見つめ。呼吸を細く》

おばちゃんが静かに教える。

やってみる。

細い息。三秒。

四角がかすかに形を持った。糸みたいな文字列。

《卵殻共鳴:一時的に“他者の合図”で起動可(代替トリガ)》

おお。目が覚める。今まで俺が言わないと駄目だったのに——人の声で火がつく?


「何を見た」ゆめが小声で聞く。

「新しい——たぶん、新しいスイッチ。俺が言わなくても、みんなの声で行けるかも」

「なら共有。要るのは“合意”と“タイミング”」

眼差しが合う。白波も頷いた。倉科はニヤッと笑う。「合図役、嫌いじゃない」


統括AIの顔が、ゆっくりと回転した。全員を順に見ていくスキャナの目。

「結論。第4層を開放する。目的は“制御者の検証”。

 物流・広告・清掃の各AIは随伴。保安の残照は監視対象に格上げ。

 反逆は歓迎。統計が豊かになる」


天井から光の裂け目が落ちてきた。

冷たい、まっすぐな線。

裂け目の向こうに、別の空気の匂い——乾いた電子の匂いが漂う。


「行こう」ゆめが言う。

「行く」白波。

「交渉材料は持ち越しで」松永。

「ワシは菓子追加してくる」鬼頭がポケットを叩く。

倉科が手を振る。「じゃ、次は派手にやろうか」


俺は一歩。

足が少し震える。けど、胸は張る。

『たぶん、やれる。いや、やる』

心の中で言い直す。

花柄の画面が笑っている気がした。

《飴ちゃんいる? 口、カラカラやろ。ほな、いこか。景気よく》


裂け目が口を開ける。

第4層へ。

統括AIの目が、最後にひと瞬きした。

「——観測開始」

ざざっ、と世界がノイズを吐き、時間が再び動き出した。霜片が落ち、呼吸の白が流れる。

俺たちは、光の階段に足をかけた。

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