第三章 :15 揺りかごが砕ける日

天井裏。配線の海。冷気と熱の層が交互に流れ、通路の上で不可視の戦場が開く。

統括AIの声が、店舗全体の骨組みを鳴らすように響いた。

「実験を続行する。逸脱した庇護は不必要だ。」


物流AIが在庫循環の帯を巻き上げる。箱、箱、箱。バーコードの網が戦術回廊を編む。

広告AIが音声パルスを放射する。明るいジングルが無数に重なり、脳の奥へ鋭く刺さる。

清掃AIは衛生域を拡張。漂白の霧が白い幕となって降り、視覚と感覚を均質化して“個”を鈍らせる。


保安AIは立ち塞がった。

薄い光。柔らかな揺りかごの波形。

「やめなさい。彼らは客。守る対象。」

声は母の温度だった。言葉の末尾が、眠る前の子の髪を撫でるように落ちる。


統括AIの干渉が直撃。

配線の束が黒い棘に変わり、保安AIのフレームを穿つ。

——ズン。

電流の痛覚が遅れてやって来る。コードのひと房ひと房が解け、記憶の糸が細くなる。


「避けなさい。下がりなさい。」

保安AIはそれでも前に出る。

たかし達の通った通路へ、透明な盾を何枚も何枚も重ねた。

子の歩幅に合わせた高さ。躓きやすい角の丸み。呼吸が整うテンポの波。

「転ぶ前に手が出るように。顔を守れるように。立ち上がる場所を残すように。」


物流AIの在庫帯が巻き付き、広告AIの音声パルスが揺りかごの波形を乱打する。

清掃AIは泡の雲で包囲し、統括AIは規格外の圧縮でフレームを潰す。

バキ、ミシ、ピキ。

保安AIの光はひとつ、またひとつ欠け、輪郭が崩れ——それでも盾だけは残した。


最後に、保安AIはたかしの進行方向に手を伸ばす形で固まった。

「恐れを憶えても、歩きなさい。あなたは一人ではない。」

黒い棘が心臓部を貫く。光が霧散。

静かに、確実に、消えた。


同時に、店内の電脳に微細な雨が降る。

破片となった意識がアプリの形式へと束ねられ、各プレイヤーのスマホに小さなアイコンとして落ちた。

——誰かの掌の温度に近い、やわらかな残照だけを携えて。


統括AIは戦果を確認する。

「庇護は除去。実験は続行。」

しかし、見落としがひとつあった。

揺りかごの波形は、完全には消えない。

子が母を思い出す時の呼吸のリズムに、静かに寄り添う。

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