求められるもの sideー皇彩羽

「彩羽様、毎週の習い事について、連絡があります。」


「何?」


「来週から、フランス語のレッスンを忠様が追加されました。」


「え…次はフランス語?」


「こちら、初回のレッスンまでの宿題ですので、済ませておくようにと。では、失礼いたします。」


使用人が出て行き、私の目の前に残されたのは大量のプリント。日本語の問題文と英語でもない他の国の言葉が小さな文字でパンパンに印刷されている。


(はあ、またか…。)


もうすでにピアノ、バレエ、英会話のレッスンが週六日入っているのに、今度はフランス語。来月から英会話も週二回に増やされると言っていたし…。


「まだバレエの振りも覚えられてないのに、こんな大量の宿題、終わるかな…?」


(でも、頑張らないと。)


お勉強を頑張って、いい学校に進学して、将来は会社を継ぐような立派な大人になる。それが私の——いや、お父様の夢。幼いころから色々なことを経験させて、様々なことを身につけさせて、立派な人に育てる。

お父様だけじゃない。同じ業界の大人たち、親戚の人たち、うちの会社を知る世の中の人々、みんなの期待を背負ってるんだ。皇家に生まれたからには、その期待に応えなければ。それが、お父様の教え。だから、頑張らないと。

 幼い頃は、そんな教えを信じて、嫌でも頑張ってこれた。


*****


「ねえこの格好、動きにくいよ…。」


「我慢なさってください。今日は世界的に活躍されてる黒木竜司様のパーティーに呼んで頂いたんですから。ほら、背筋伸ばして!」


人前で歩くときは、背筋をのばして、笑顔を絶やさず、どんな言葉をかけられても決して動じない。これが皇家の娘としてあるべき姿。


「ほら、見て!あれ、皇社長とお嬢さんじゃない?」


「本当だわ。お嬢さんはまだ小さいのに、しっかりしているわよね。」


「学業においてもすごく優秀だと聞いたわ…。将来は会社を継ぐのかしら。」


体を刺すような鋭い、無数の視線。そこに込められたものは様々だ。嫉妬、哀れみ、期待。それでも、怖じてはいけない。胸を張って堂々と、皇の娘として恥ずかしくないように振舞わなければならない。


*****


「彩羽様!彩羽様!朝です!」


「んえ?」


「大変です!遅刻ですよ!」


「……んえ?ち、ちち遅刻!?」


(はっ!昨日英会話の課題をやっているうちに寝落ちしてしまった!)


「まずいわ!」


「とにかく急いでください!鞄の用意はできています!」


*****


「…今日、学校に遅刻したそうだね。」


「はい…。」


「習い事の宿題も、終わらなかったり忘れたりすることが多くなってきたみたいじゃないか。」


「はい…。」


中学あたりから、だんだん限界を迎えようとしているのか、遅刻や忘れものなども多くなって、たまにこうやってお父様に怒られることがあった。この時間は、まるで地獄のようだった。


「頑張るんじゃなかったのか?今のお前は皇家の娘としての自覚があるのか?自分がどういう人であるべきなのか、分かっているのか?自分がどれ程期待されている人間なのか、分かっているのか?」


「……。」


「最近、その期待に応えようとする姿勢が見えない。非常によくないことだ。お前はどういう考えだ。言ってみろ。少なくとも、今のままでは将来この会社を継ぐ人間に、ふさわしくない。」


「っ……知らないわよ。」


私の中で、何かがぷつりと切れた。

今まで必死に努力してきたのに。天才も秀才も溢れかえるような世界でももがいて、どんなに苦しいことでも、耐えてきたのに。


「は?」


「期待だとか、責任だとか、そんなの知らないわよ!!別に望んでこんなところに生まれた訳じゃないし、毎日毎日、自覚しろだの責任を感じろだのお父様の勝手な考えを押し付けられて、それでも今まで耐えてきたの!きっとそろそろ限界だった。何?私を一体何にしたいの?お父様に従って勉強も何でもできる完璧人間にしたいわけ?もう無理よ!」


言っちゃった。いままで溜めてきた来たもの、蓄積されてきたものが爆発した瞬間だった。


*****


 その日以来、お父様と話すことはほとんどなくなった。できないことを責められることも、これ以上を求められることもなくなった。私にあまり干渉してこなくなって、まるで他人のような関係になってしまったお父様をみて、全く寂しく思わなかったといえば嘘にはなるが、肩の荷が少し下りた気がして、楽になった。

 私の事、諦めてくれたかな。呆れたのかな。私は完璧に期待に応えられるほど、できる人間じゃない。ずっと止まらずに突っ走れるほどのスタミナもない。そう、分かってくれたかな。

もちろん世間からの期待はあると分かってはいた。まだまだ大勢の人からの期待を背負っていること、皇の娘という立場に変わりはないと分かっているとはいえ、お父様の関心がこちらに向かなくなったことは、多少悲しいことではあっても、やっぱり楽になったと思う自分がいた。

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