第14話 虚無の胎動
夜の街を覆っていた灰色の靄が引いていき、代わりに温かな灯がそこかしこに点っていた。
真理と翔太は並んで高台に座り、その光景を静かに見守っていた。
「みんな……少しずつ笑顔を取り戻してる」
真理の声は震えていたが、それは疲労ではなく安堵の証だった。
翔太は頷いた。「でも、まだ終わってない。あの灰色の力は消えていない」
その瞬間、夜空の遠くで低い唸り声のような音が響いた。空気が震え、地平線の向こうに巨大な黒雲が渦を巻いているのが見える。
「……来た」翔太が息を呑んだ。
黒雲の中心に、うっすらと人影のようなものが浮かんでいた。輪郭は曖昧で、しかし不気味なほど大きく、街全体を覆い隠すように広がっていく。
ユメの声が、真理と翔太の耳元に直接響いた。
『虚無の収集者です。希望を蒔いたことで、一時的に弱体化しました。でも……同時に目を覚まさせてしまった』
「じゃあ、私たちのやったことは……」真理が言いかけたとき、ユメは強い口調で遮った。
『いいえ! 必要なことでした。希望の種は確かに人々を救った。でも、それだけでは足りない。次は“絶望そのもの”と対峙しなければならないのです』
翔太は拳を握りしめた。「絶望そのもの……」
◆
翌日。
図書館に戻った二人は、アルキメデスの前に座っていた。
老司書の顔はさらに険しくなり、机の上には数十冊の古文書が積み上げられていた。
「虚無の収集者は、人々の心の闇を拠り所にして肥大化する」
アルキメデスは重い声で言った。
「お前たちが希望を広げたのは正しい。だが、それに抗うように、奴は“絶望の核”を作り始めている。街のどこかに、人々の負の感情が集まり、形を持つはずだ」
「その核を壊せば……?」真理が問う。
「一時的に弱まる。しかし根本的な解決にはならん。虚無は何度でも蘇る」
「じゃあ、どうすれば?」翔太の声には焦りが滲んでいた。
アルキメデスは二人を見据え、静かに言った。
「虚無を封じる方法はただ一つ。“未来を共に描く意思”を結晶化させることだ」
「意思を……結晶に?」
「人は一人では希望を保てない。だが、誰かと手を取り合い、未来を信じ合うとき、その力は虚無をも封じるほど強くなる。だが――」
アルキメデスの言葉に、部屋の空気が張り詰めた。
「その結晶は、代償として誰かの『未来』を代わりに差し出さねばならない」
「誰かの未来を……?」真理の心臓が凍りついた。
「つまり……希望の結晶を創るには、誰かが自分自身の未来を犠牲にする必要がある」
◆
その夜、真理は眠れなかった。ベッドの上で『未来の記録帳』を開く。
ページには、友人やパン屋の店主が再び立ち上がった光景が記されている。
――希望は確かに生まれた。
でも、その希望を守るために、誰かが未来を失わなければならない。
ページをめくるたび、心臓が重くなる。
「もし……私だったら」
ふと、自分の未来が真っ白になっていくイメージが頭をよぎった。
描いていた夢も、行きたかった場所も、誰かと過ごす日々も――全て消えていく。
怖くて涙がにじんだ。けれど、その奥底で不思議な決意の芽が生まれ始めていた。
◆
翌日。
翔太は屋上で真理を見つけ、声をかけた。
「真理、昨日……眠れなかっただろう?」
真理は驚いたが、すぐに微笑んだ。「翔太も、でしょ?」
二人はしばらく沈黙した後、同時に口を開いた。
「僕がやるよ」
「私がやる」
言葉が重なり、互いの瞳がぶつかる。
翔太は真剣な表情で言った。
「君には未来があるんだ。守られるべきだよ」
「翔太だって同じだよ!」真理の声が震える。「一緒に見たい未来が、まだたくさんあるはずでしょ!」
風が強く吹き抜け、二人の言葉をさらっていった。
そのとき、ポケットの中の『継承の灯火』がふっと灯った。炎は揺らぎながらも、二人の間に橋をかけるように光を伸ばした。
まるで――答えは二人の中に同時にある、と告げているようだった。
◆
街の中心。
灰色の霧が濃く渦巻き、人々の不安や絶望が吸い込まれていく場所が生まれていた。
そこに、巨大な影――虚無の収集者の本体がゆっくりと姿を現そうとしていた。
真理と翔太は、その光景を見上げながら拳を握る。
「決着をつけよう」
「うん。絶望なんかに、未来は奪わせない」
二人の胸の奥で、灯火が燃え盛った。
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