第14話 虚無の胎動

夜の街を覆っていた灰色の靄が引いていき、代わりに温かな灯がそこかしこに点っていた。

真理と翔太は並んで高台に座り、その光景を静かに見守っていた。


「みんな……少しずつ笑顔を取り戻してる」

真理の声は震えていたが、それは疲労ではなく安堵の証だった。


翔太は頷いた。「でも、まだ終わってない。あの灰色の力は消えていない」


その瞬間、夜空の遠くで低い唸り声のような音が響いた。空気が震え、地平線の向こうに巨大な黒雲が渦を巻いているのが見える。


「……来た」翔太が息を呑んだ。


黒雲の中心に、うっすらと人影のようなものが浮かんでいた。輪郭は曖昧で、しかし不気味なほど大きく、街全体を覆い隠すように広がっていく。


ユメの声が、真理と翔太の耳元に直接響いた。

『虚無の収集者です。希望を蒔いたことで、一時的に弱体化しました。でも……同時に目を覚まさせてしまった』


「じゃあ、私たちのやったことは……」真理が言いかけたとき、ユメは強い口調で遮った。

『いいえ! 必要なことでした。希望の種は確かに人々を救った。でも、それだけでは足りない。次は“絶望そのもの”と対峙しなければならないのです』


翔太は拳を握りしめた。「絶望そのもの……」



翌日。

図書館に戻った二人は、アルキメデスの前に座っていた。

老司書の顔はさらに険しくなり、机の上には数十冊の古文書が積み上げられていた。


「虚無の収集者は、人々の心の闇を拠り所にして肥大化する」

アルキメデスは重い声で言った。

「お前たちが希望を広げたのは正しい。だが、それに抗うように、奴は“絶望の核”を作り始めている。街のどこかに、人々の負の感情が集まり、形を持つはずだ」


「その核を壊せば……?」真理が問う。


「一時的に弱まる。しかし根本的な解決にはならん。虚無は何度でも蘇る」


「じゃあ、どうすれば?」翔太の声には焦りが滲んでいた。


アルキメデスは二人を見据え、静かに言った。

「虚無を封じる方法はただ一つ。“未来を共に描く意思”を結晶化させることだ」


「意思を……結晶に?」


「人は一人では希望を保てない。だが、誰かと手を取り合い、未来を信じ合うとき、その力は虚無をも封じるほど強くなる。だが――」


アルキメデスの言葉に、部屋の空気が張り詰めた。


「その結晶は、代償として誰かの『未来』を代わりに差し出さねばならない」


「誰かの未来を……?」真理の心臓が凍りついた。


「つまり……希望の結晶を創るには、誰かが自分自身の未来を犠牲にする必要がある」



その夜、真理は眠れなかった。ベッドの上で『未来の記録帳』を開く。

ページには、友人やパン屋の店主が再び立ち上がった光景が記されている。


――希望は確かに生まれた。

でも、その希望を守るために、誰かが未来を失わなければならない。


ページをめくるたび、心臓が重くなる。


「もし……私だったら」


ふと、自分の未来が真っ白になっていくイメージが頭をよぎった。

描いていた夢も、行きたかった場所も、誰かと過ごす日々も――全て消えていく。


怖くて涙がにじんだ。けれど、その奥底で不思議な決意の芽が生まれ始めていた。



翌日。

翔太は屋上で真理を見つけ、声をかけた。


「真理、昨日……眠れなかっただろう?」


真理は驚いたが、すぐに微笑んだ。「翔太も、でしょ?」


二人はしばらく沈黙した後、同時に口を開いた。


「僕がやるよ」

「私がやる」


言葉が重なり、互いの瞳がぶつかる。


翔太は真剣な表情で言った。

「君には未来があるんだ。守られるべきだよ」


「翔太だって同じだよ!」真理の声が震える。「一緒に見たい未来が、まだたくさんあるはずでしょ!」


風が強く吹き抜け、二人の言葉をさらっていった。


そのとき、ポケットの中の『継承の灯火』がふっと灯った。炎は揺らぎながらも、二人の間に橋をかけるように光を伸ばした。


まるで――答えは二人の中に同時にある、と告げているようだった。



街の中心。

灰色の霧が濃く渦巻き、人々の不安や絶望が吸い込まれていく場所が生まれていた。

そこに、巨大な影――虚無の収集者の本体がゆっくりと姿を現そうとしていた。


真理と翔太は、その光景を見上げながら拳を握る。


「決着をつけよう」

「うん。絶望なんかに、未来は奪わせない」


二人の胸の奥で、灯火が燃え盛った。

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