嵐のように三馬鹿、現れる


 シリウスの魔王城での1日は、皆の仕事を手伝うか、レイヴァンと過ごすかだった。


 レイヴァンには『お前は何もしなくていい』と言われているが、それでは肩身が狭すぎる。


 本心では、騎士としての仕事がしたい。だが、魔族と人間の自分では、戦闘力がかけ離れている。魔王軍の訓練に混ざることも、ましてや戦闘に加わることも、足手まといになるだけだと理解していた。

 だからせめて、自分ができることで城の役に立ちたかった。


 昼間はロガンたちに声をかけて、料理の下ごしらえを手伝ったり、食材を運んだり。もしくはクロヴィスの下で書類整理を手伝ったり。他にも、城内で困っている人を見かけたら、声をかけるようにしている。


 そうしていると、レイヴァンが転移で現れてちょっかいをかけてくるので――彼と話したり、部屋に移って、2人きりで過ごしたりする。


 それが最近のシリウスのルーティンだった。


 ――それなのに。


 レイヴァンと喧嘩けんかした。当然のように、今日はレイヴァンがまったくちょっかいをかけてこない。それどころか、顔を見せてくれない。


 それがこんなにつらいとは思わなかった。


 このままでは、フラれる前に死んでしまう……!


 しかし、どうケジメをつけたらいいか、わからない。

 自分のしたことを正当な理由なしに、「やっぱりなかったことにして!」とするのも、騎士としての意地が許さないのだった。


(寂しくて…………死ぬ)


 そう思いながら、ガゼボでぐったりしていた。


 その時だった。


 空気のゆらぎを察して、ハッとする。これはレイヴァンの空間転移の前触れだ。

 顔を上げると、そこにはレイヴァンが立っていた。


 ふてくされたような表情をしている。

 シリウスは緊張のあまり、体を固くする。


 レイヴァンはシリウスを睨むように見ていたが、やがて息を吐いた。


「…………俺が、悪かった」


 絞り出すような、不器用な口調だった。

 その一言を聞いた瞬間、胸の奥がじーんと熱くなった。


 ――わかってもらえたことが、こんなに嬉しいなんて。


 自分の意志を、こうして誰かに尊重してもらえたことは初めてだった。

 騎士としての誇りを守ることも、レイヴァンに愛されることも、両立していいのだと許された気がした。


 視界がぼやける。

 こみあげてくるものを抑えることはできなかった。


 シリウスは立ち上がると、レイヴァンに勢いよく抱きついた。


「俺の方こそごめん……! 君の愛が嫌なわけでは、決してないんだ」


 レイヴァンは少し驚いたように目を丸くする。


 それからシリウスの頭に手をぽんと置いて、抱き締め返した。


「意地っ張りなやつめ。そういうとこに惚れたんだ。ほら、その痕は消してやる」


 レイヴァンはそっと魔法を起動させた。その光が首筋だけでなく、全身に走った。


「全部、消したぞ。これで文句ねえだろ?」


 シリウスはレイヴァンから少し離れて、その顔を覗きこんだ。


「あ、いや……全部は消さなくてもよかったのに……」

「嫌じゃなかったのか?」

「嫌……じゃない」


 シリウスは頬を赤らめて答えた。


「ただ、節度を守りたいだけだ」


 その言葉を聞いたレイヴァンは、ふっと口元を緩めた。眼差しが愛しい者を見る雰囲気に変わる。


「……節度、な。お前の気持ちはわかった」


 シリウスの頬にキスを落として、にやりと笑った。


「じゃあ、今からつけ直すか?」


 からかうような言葉に、シリウスはますます赤くなる。

 しかし、本能が求める欲求に抗うすべはなかった。昼間からそんなことを、という常識はもう役に立たない。

 寂しさを埋めるだけの熱がすぐにでも欲しい。


「う……うん」


 レイヴァンの腕がシリウスを抱きしめる。その体にシリウスは完全に身を委ねた。

 転移魔法の光が2人を包みこむ。



 ◇



 ――そして、その日の夕食の席にて。


 シリウスはレイヴァンの隣の席に戻っていた。食事の間にも頻繁に熱い視線を交わして、ほほ笑み合っている。


「お前、ここ……ついてるぞ」

「ん……」


 口元を拭われて、シリウスは恥ずかしく思いつつも、はにかんだ。


「ありがとう」


 この人の隣に戻ってこれてよかった。その幸福感に浸りきる。

 ちなみに、朝より体のキスマークは増えたが、シリウスとしては、外から見えない位置なら何も問題はなかった。


「国の一大事かと思わせるほどの壮大な葛藤。しかし、内情はバカップルの痴話喧嘩。巻きこまれた私たちは、その熱さで燃焼しそうですね。さすがです、魔王様」

「く、クロヴィス……っ」


 そういえば、他にも人がいるのだった。視界が狭まって、意識できていなかった。


 ――今の、見られていた!?


 シリウスは慌てるが、レイヴァンは堂々としている。


「愛がない国は、やがて崩壊する。俺は王として身をもって、それを体現しているにすぎない。どうだ、理想的な王だろ?」

「はい、出ましたナチュラル傲慢……殴っても、いいですか?」


 シリウスは羞恥のあまり埋まりたい心境だったが、それでも食卓に流れた空気は幸せに満ちていた。


 その時だった。

 食堂に兵士が駆けこんで来る。


「魔王様! 三兵師団長が帰還されました!」


 その一言で食堂は静まり返る。次の瞬間、わっと皆が沸いた。

 シリウスは熱狂に乗れずに、首を傾げる。


「三兵師団長?」

「我が軍の有能な幹部たちだ。そうか、帰ったか!」


 レイヴァンは嬉しそうだが、その時、シリウスは気付いた。クロヴィスが紅茶を飲みながら、微妙に視線を逸らしていることに。


「クロヴィス……なぜ顔を引きつらせている?」

「ええ……せっかくの平穏な時が……」


 複雑そうに言い淀んでから、クロヴィスはシリウスを見て、にっこりとした。


「でも、今はあなたがいますからね。頼りにしてますよ、シリウス」

「……何を?」

「よし、シリウス! 兵師団長たちを出迎えに行くぞ。ついてこい」

「あ、ああ……。クロヴィス、君は来ないのか?」

「現在、多忙でして……。行ってらっしゃい」


 なぜか、やたらとにこやかなクロヴィスに見送られながら、シリウスはレイヴァンに続いた。

 ……何だろう、この妙な胸騒ぎ。


 気のせいであってほしい!



 ◇



 歩きながら、シリウスはこの軍の組織形態について聞いていた。


 魔王(レイヴァン)→参謀長(クロヴィス)→兵師団長(3人)→兵士長→一般兵


 という構造になっているらしい。


「その兵師団長たちは、ずっと城を空けていたのか? どこに行ってたんだ?」

「北の山岳地帯だ。魔物のスタンピードが起きてな。群れが雪崩のように押し寄せて、絶えず新しい魔物が湧いてくる――異常事態だった」


 レイヴァンは淡々と答える。


「そこで、あいつら3人をしばらく現地に駐留させて、鎮圧に当たらせていた」

「たった3人で……?」

「まあな。腕は確かだ」


 レイヴァンが認めているほどの実力者か。

 シリウスは内心で感心した。

 その上、魔王軍の幹部だ……さぞや、威厳と力に満ちあふれているにちがいない。


(失礼がないようにしなければ……いや、そもそも人間である俺のことを、認めてもらえるのか?)


 そこが問題である。

 クロヴィスだって、今では仲良くなれたが、当初はシリウスにいい感情を抱いていなかった。兵師団長たちにも同じような態度をとられる可能性はある。


 しかし、めげずに関わりを持ちたいと思う。

 レイヴァンのそばにいることを決めたのだから、城の皆とは仲良くやっていきたい。多少は邪険にされようとも、認めてもらえるように頑張ろう。


 2人がたどり着いたのは談話室だった。

 レイヴァンが扉を開けると、


「兄貴ィ~! 会いたかったぜ!!」


 突然、黄色い毛玉が飛びついてきた。

 シリウスは目を白黒させる。

 すごいもふもふ……そして、筋肉の塊に抱き潰されそうになっている。厚い胸板に顔を押し付けられ、窒息寸前となった。


「アホ、ベルク! 俺はこっちだ、間違えるな」


 レイヴァンが魔法を発動、筋肉の塊を吹き飛ばした。


「ぐはっ!! 久しぶりの兄貴の魔法だ!! 効く~!!」


 轟音と共に吹き飛ぶ、筋肉……。

 しかし、すかさず受け身をとって、立ち上がった。

 そして、懲りずにシリウスの前に立つ。怪訝そうな顔でシリウスを覗きこんだ。


「あれ、兄貴!? こんな顔だったか!?」

「俺はこっちだと言ってるだろ!? お前の頭には、筋肉しか詰まってねえのか」

「こっちだった! 兄貴ィ~!!」


 ベルクと呼ばれた筋肉は、レイヴァンを豪快に抱きしめた。

 レイヴァンよりも二回りも大きい。トラの獣人だ。

 先ほど触れた体は岩のように固かったのに、毛並みはふわふわと柔らかい。


 金色の体毛に、黒い縞模様が走っている。

 耳は丸く、尻尾は太くて長い。振り回されるたびに風圧を感じるほどだ。


 レイヴァンはベルクの体を押し返してから、シリウスを振り返った。


「獣人のベルクだ。見ての通りの筋肉だ」

「は……はあ……」


 シリウスはまだ状況に追いつけていない。

 唖然としてから、相手は軍の幹部だったことを思い出す。気をとり直して、きちんと挨拶をしようと背筋を伸ばした。


「初めまして……」


 しかし、シリウスが名乗ろうとしたその直前。

 べたべたの何かが頬に貼り付いた。


 ……冷たい。

 そして、磯臭い。

 何だこれ!?


「フフフ……お肌が、乾燥しているようですな。これで潤いチャージですぞ」

「え、何だ……磯臭い!! って、海藻じゃないか!」


 シリウスは愕然として、横を見た。

 突然、シリウスに海藻を貼り付けてきた、非常識の塊……それは魚人だった。


 全身がぬらりと濡れている。

 肌は深い藍色、ところどころに黄色い斑点模様が走っている。顔は深海魚のようで、口元には暗い笑みが浮かんでいた。笑みの奥には、鋭い牙がずらり。

 肩から腕にかけて、ヒレが生えている。


 何かこう……面白い感じの魚だった。


「フフフ……魚人健康法です。これで、濡れ濡れですぞ」


 魚人が更にシリウスに、海藻を貼り付けようとする。

 すかさずレイヴァンが魔法を起動させた。


「馬鹿やめろ!」


 一瞬で、頬の気色悪さが払拭される。ぬめりも臭みも綺麗に消えていた。


「俺のシリウスのもっちりほっぺに、余計なことをするな」


 そう言って、レイヴァンは横からシリウスを抱きしめる。

 ちゅ、ちゅ、と頬にキスをしてきた。

 シリウスは赤面して、レイヴァンを押し返す。


「馬鹿は君だ! 人前でそういうことはやめてくれ! あ、だが、海藻を消してくれたことはありがとう!!」


 慌てながらも、お礼は忘れない。あと、口には出せなかったが、海藻の不快な感触をキスで上書きしてくれたのも、本当は助かった。


 何とかレイヴァンを引きはがしてから、魚人と向き直った。


「魚人のギーゼだ。奇行が多い」


 目が合うと、ギーゼは怪しげな笑みを口元に湛える。


「……フフフ……」


 ……何か、正面から目を合わせちゃダメなタイプな気がする。

 騎士としての礼儀よりも、本能的な恐怖が勝って、シリウスは目を逸らした。


「最後に、竜人のミズチ……ん? いねえな」

「兄貴ィ! ソファの裏!」

「おお、そっちか」


 レイヴァンがソファの裏へと回る。シリウスも恐る恐る、そちらを覗いてみた。


 ソファに隠れて、床で大きな塊が寝ていた。


 竜人だ。


 全身が青銀色の鱗に覆われている。長い尾はソファの脚に巻きついており、呼吸のたびにゆるやかに揺れた。

 体から蒸気のようなものが立ちのぼっている。どうやら体温が高すぎて、空気を温めているらしい。翼を折りたたみ、丸くなっている。猫のような寝姿だった。

「ミズチ。またこんなところで寝てんのか」

「ん~……この声、まおーさま……? 会いたかったよう……」


 ふにゃふにゃの声で言いながらも、竜人は目を開けることはない。

 レイヴァンが魔法を使って、その体をソファの上に移動させた。


「俺も会いたかったぞ。だが、床で寝るな。体を冷やす」


 毛布をとり出して、ミズチにかけた。

 ミズチはむにゃむにゃと何かを言いながら、また体を丸めてしまう。


「ミズチだ。常に寝ぼけている」

「そ……そうか」


 シリウスは頷いてから、改めて3人を見渡した。


 獣人のベルク。筋肉。

 魚人のギーゼ。奇行種。

 竜人のミズチ。寝坊助。

 

 ――キャラが濃い!!


 しかし、変人……じゃなかった……奇行種……でもなかった、彼らは魔王軍の幹部である。失礼があってはいけない。

 動揺を押し隠して、


「初めまして。この城で世話になっている、シリウスだ」

「新しく軍に迎え入れた。俺直属の騎士だな」


 レイヴァンがさらりと言った言葉に、シリウスは胸をジーンとさせていた。


 ――騎士!? それも王直属の!?


 そんな名誉ある立場ってことでいいのか? シリウスにとって、最大の賛辞である。


 もうこの魔王に一生ついていく……!

 内心でレイヴァンへの忠誠と愛を、爆発させる。


 3人の反応はそれぞれだった。

 目を丸くするベルク。にやにやとしているギーゼ。目をぱちりと開けて、不思議そうにこちらを見るミズチ。


「兄貴……? 騎士って何だ? というか、そいつ、人間じゃねえか」

「だな! 俺が認めている。だから、お前らも認めろよ。こいつを傷付けることは、物理的にも、精神的にも、俺が許さねえ」

「んんー……そういう感じか?」


 ベルクは納得ができそうな顔で、首を傾げる。


「まあ、兄貴がそう言うなら、俺たちも従うけどよ」

「フフフ……閣下は、変わり者ですな」

「んー……まおーさまがいいなら、それで」


 受け入れてもらえそうではあるが、まだ信用はされていない。この段階では、彼らも「不信感はあるものの、王の命令には逆らえない」というだけだろう。

 彼らに本当に受け入れてもらえるかは、これからのシリウスの態度に関わっている。


 ……仲良くなれるように頑張ろう。


 シリウスはそう決意する。

 すると、レイヴァンがシリウスの肩を抱き寄せた。


「おお、そうだった。今後は、夜に俺を呼び出すなよ? シリウスと毎晩過ごすので忙しいんだ」


 3人は唖然として、シリウスを見る。

 その顔に「え、毎晩……?」と書かれていたので、シリウスは慌てた。


「ちが……、ちがわないが! 毎晩一緒でも、変な意味じゃないぞ!?」


 やはり嘘がつけないので、盛大に墓穴を掘るのだった。



+ + +


◇兵師団長たちの反応


ベルク「兄貴、マジか!? 毎晩って毎日……今日も明日もあさっても、ってことか!?」

ギーゼ「フフフ……ずいぶんと濃密な夜を過ごしているようで。騎士殿も大変ですな」

ミズチ「んー……? 人間って、毎日一緒に寝てあげないとダメなの?」



次回:魔王城でバーベキュー開催&3人の奇行に振り回される騎士


クロヴィス「騎士殿がいてくれて大助かりですね!!(心がこもっている)」

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