浮世風呂 前編 男湯の巻(上)①
今月五日は風が穏やかだったので早仕舞いの札を出すことはなかった。十日の雨は穏やかだったので傘を入れる樽は出さなかった。今月の休日は静穏に過ごすことができた。
12月13日はどんな人も神仏の恩恵を授かるために、煤払いのあとの汚れを落とすために煤湯を浴びて五塵の垢を落とし、翌日は六欲を克服しようと心を磨くために貰い湯に入る。1月2日は初湯に入るために朝湯に入ろうとする人が多いことは結構なことである。ああ、なんとありがたいかな。
こちらに「だぶだぶ(南無阿弥陀仏のこと)」と唱える僧侶がいれば、あっちに「ぶうぶう」と文句を垂れる者もいる。湯のことをタロクと言って通ぶる男がいれば、湯屋のことを『ゆーや』と伸ばす女もいる。薬屋の
女湯の湯舟に
男湯の隣には必ず女湯がある。湯屋の番台の亭主は、顔を洗う糠袋を貸す貸す間に、背中を流してほしい人の合図として拍子木をたたき、斜めに女湯を見ると薬湯を作るために薬を流す。江戸の銭湯は男湯と女湯で分かれているのだ。あれこれしているうちに女房が番台を変わるのであった。
番台は火鉢に水虫の薬をとって温めて柔らかくして、貸し手拭いはしっかり絞って水を切る。体を洗う糠袋はぷんぷんとした匂いをはなち、風呂の壁をとんとんと叩いて眠たそうな湯汲みの目を覚まさせる。あるいはぎゃあぎゃあと泣いて、あるいはがやがやと騒ぐ。客は湯が「熱い」と言えば「ぬるい」といい、「うめろ」といえば「うめるな」とわめく。どよめく風呂の中で、しんめりと長唄を歌えば、手足を振って力んで歩く丸裸もある。調子に乗って歌舞伎の
「ハイ出ます」と言って子供じみた江戸節をうなる爺さまは、いつも長湯で有名で、御免なさい田舎者は、端歌(三味線の伴奏で歌われる短い歌)の『めりやす』好きの江戸っ子で、ざっと一風呂手拭いを濡らすのみの烏の行水である。
頭を押さえてうめく者がいれば、尻を叩いて語るもの者といる。片足をあげて歌う者がいれば、足を大きく開いて怒鳴る者もいる。いろんな人がいる中に、湯舟の隅に屈んで戯言をいう者もいる。神道、仏教、恋、無常。みんな入り混じるのが浮世風呂である。場所は何処とはいわないが、九月のなかば頃のお話である。夜は明けているが、銭湯はまだ開いていない。
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