第6話 天使の過去

 部屋のランプが柔らかな橙色の光を投げかけ、ベッドのシーツに淡い影を落とす。


 使さんは膝を抱えたまま、窓辺の夜景をちらりと見やり、軽く息を吐いた。


 外では虫の声が静かに響き、夏の終わりの湿った空気がカーテンを微かに揺らす。


 俺の質問に、彼女の瞳が少し遠くを向く。


「特別……ってほどちゃうけどな。実は、ウチの生みの親はロシア人やねんな。両方とも。白髪とこの肌の色はそっから来てるんよ。生まれてすぐ、ウチを捨てて蒸発したらしいわ。そんでウチは孤児院みたいなとこに一時預けられて、そこから親戚の友達の日本人夫婦に引き取られたんよ。その夫婦が今のパパとママで、育ての親や」


 彼女の言葉が、静かな波のように広がる。

俺は息を潜め、彼女の横顔を見つめる。

白髪がランプの光を反射し、夏なのに雪の結晶のようにきらめく。


 使さんは膝を抱え直し、遠い記憶を辿るように続ける。


「パパとママは元々関西出身やってん。けど、仕事の関係で北海道に来て、今に至るって感じ。ちなみにパパは大阪の商社マンで、ママは京都の商家の娘。2人ともコテコテの関西弁で話すから、ウチも小さい頃から自然と染みついたわ。パパとママにはほんまに感謝してる」


 くすっと笑う彼女の声に、温かな家族の絵が浮かぶ。


「そっか。そういう事情があったんだ」


 こんな過去があったなんて、自分の告白が軽すぎて恥ずかしくなってくる。


「日本での名前に『使』って付けてくれたんは、まさに白髪で天使のようなそんなイメージからやて。でも、関西弁で育てられたから、ウチの見た目と喋り方のギャップがエグいんやんん?小学校入る頃まではクラスで『白人が関西弁ww』ってよくいじられていじめられて泣いて帰ったなー。まぁ、小さい頃はそういう異端に厳しいのは仕方ないとは今では理解してるけど、当時は本当に死にたいって思うくらいには病んでたんや。なんで周りと違うんやって。そのことをママに相談したら、『そんなアホなガキの言うこと気にせんでええ。いつかアンタを理解してくれる子が必ず現れるから』って、よくたこ焼き焼いて慰めてくれたんよ」


 使さんの指が、膝の上で軽く震える。

小学生の頃の苦労が、声の端々ににじむ。


「なんか…さっきあんなことで泣いてたのが馬鹿馬鹿しくなってくる…」

「そういうのは重い軽いとかちゃうやろ。そんなこと言ったら世界にはウチより不幸な子がどんだけいると思うねん。大事なのは誰かと比べてどうかではなく、自分がどう感じてどう向き合うかって話。それに今は笑い話やし。あの頃の経験が、ウチを強くしたわ」

「…強いんだね」

「せやね。小学校高学年になると、からかいも減って、『使の関西弁、ウケる〜!』って少しずつ友達が増えたし。中学入ったら、もう完全に逆転。白髪の天使がコテコテ弁でツッコむんが、どんどん可愛くもなったし、いつの間にか人気者になってた。ちなみに、ウチが北条を嫌いなんはそのいじめっ子の筆頭があいつやったからやねん。向こうはからかっていたっていう都合のいい記憶にすり替わってるやろうがな」


 彼女の瞳が輝きを取り戻し、笑顔が部屋を明るくする。

苦労の向こう側に、強い絆が見える。


「すごいな……使さん」

「そんなことないで。たまたま周りの人間に恵まれていただけやし。それに今は圭くんがいるから」

「…//」


 思わず目を逸らすと「可愛いな〜」と、俺の頭を撫でてきた。


 そのタイミングで一通のLINEが届く。

それは…雪乃からのLINE。


『何で既読してくれないの?』


 スマホの通知画面をチラッて見てから、俺は使さんにこう言った。


「…ごめん。いろんな話を聞かせてもらったけど…その…今すぐはその…付き合おうとは言えない。ちゃんと…雪乃と向き合って、この気持ちを終わらせてから…考えたい」

「真面目やね。分かってるで、そんなことは。今はそばにいれるならそれでええねん」


 使さんはベッドから立ち上がり、制服の裾を軽く整える。


「じゃあ、今日はこの辺で帰ることにするわ。無理せんでからね?圭くん。ウチはいつでもそばにおるから」

「…うん。今日は、ありがとう」


 彼女の瞳が優しく細まり、ドアの方へ向かう。


 玄関まで見送り、ドアが静かに閉まる音を聞くと、一人になった。


 階段を上がり、ベッドに腰を下ろす。

スマホの画面が、通知の光で微かに点滅している。


 雪乃からのLINE——『何で既読してくれないの?』。


 胸がざわつき、指が自然と電話アイコンをタップする。

呼び出し音が部屋に響き、息を潜めて待つ。


 数回のコール後、繋がった。

雪乃の声が、いつもより暗いトーンで聞こえてくる。

背景に微かなテレビの音が混じり、彼女の部屋の日常が想像できる。


「もしもし? 圭くん、どうしたの? 急に電話なんて珍しいね」

「…あ、うん。なんか、声聞きたくなってさ。最近話していない気がしたから」


 当たり障りのない言葉を並べる。

心臓の鼓動が少し速くなり、喉が乾く。

最初は学校の話から。


 クラスの出来事の話とか、明日のテストの愚痴とか。

普段と変わりないように装って話すと、雪乃の笑い声が、電話越しに軽やかに響く。

彼女の声は変わらず優しく、まるで何もなかったかのように。

それが…余計に辛くなってくる。


「今日の昼休み、みんなでカフェ行ったんだけどさ、幸也がまた変な話してさw」

「へえ、そうなんだ。楽しそうでよかったよ」


 北条の名前が当たり前に出て、視界が少し揺れる。でも、抑え込む。


 それから会話が少し間延びし、沈黙が訪れる。

俺は息を深く吸い、意を決して口を開く。


「…雪乃は俺のこと好き?」


 電話の向こうで、息を飲む音が聞こえた。

間が空く。

時計の秒針が、部屋の静寂を刻むように響く。彼女の声が、ようやくゆっくりと返ってくる。


「…うん、好きだよ」


 その言葉が、俺の胸を鋭く刺す。

一番望んでいない答えだった。


 嘘でも本当の告白でもなく、ただ曖昧に繋ぎ止めるための、生ぬるくて気持ちの悪い感覚。


 彼女の声に、微かなためらいが混じるのに、俺の感情が一気に溢れ出しそうになる。


 怒り、悲しみ、虚しさ——すべてが喉元までせり上がる。

拳を握りしめ、ベッドのシーツを掴むように体を固くする。


 それを抑え込み、平静を装って返す。


「…そっか。ありがとう」


 声が掠れそうになるのを、かろうじて飲み込む。

雪乃が何か言おうとする前に、俺はそっと通話を切った。


 スマホをベッドに投げ出し、そのまま体を沈める。


 シーツの冷たい感触が背中に広がり、天井の模様がぼんやりと視界に広がる。

胸の奥で、感情の渦がゆっくりと回り始める。


 好きだよ——その言葉が、愛情の残骸のように心を蝕む。


 なぜ今、そんなことを言うんだ。

なぜ、すべてを終わらせてくれないんだ。


 涙が一筋、頰を伝う。

拭う気力もなく、ただ天井を見つめる。

使さんの膝枕の温もり、彼女の過去の告白が、遠い記憶のように浮かぶ。

あの強さが、少し羨ましい。


 俺は弱い。

感情の波が引くのを待ち、ようやく目を閉じる。


 夜の闇が体を包み、疲れが眠りを誘う。

明日、何をすべきか——考えを振り払い、ただ静かに、眠りについた。



 ◇


 家に帰ってから、リビングでいつも通り過ごしているつもりだったのだが…。


「なんや〜?使、なんかいいことでもあったん?」と、パパにそう聞かれる。


「え?なんで?」

「顔にそう書いてんねん。もしかして…恋なんか?」と言われた瞬間、顔が赤くなるのが自分でも分かった。


「ちゃ、ちゃうわ!」

「犬の犬種?」

「それはチャウチャウや!」

「おぉ、いいツッコミやな。へぇー、そっかー。恋かー。今度パパにも紹介してなー」

「そ、そんなんちゃう言うてんねん!!」

【挿絵】

https://kakuyomu.jp/users/tanakamatao01/news/7667601420068012650

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