星降る島のタイムカプセル
はるさき
星と、すれ違う二人
東京から南へ、定期船に揺られて数時間。太平洋にぽつんと浮かぶ星見島(ほしみじま)が、私の故郷だ。その名の通り、この島の一番の自慢は、夜になれば手が届きそうなほど近くに、満天の星が降ってくること。
私の名前は海野美月(うみの みつき)、28歳。島の観光協会で働き、この島で生まれ、この島で育った。高校卒業と同時に一度は島を出たものの、都会の喧騒に馴染めず、結局は島の穏やかな空気に引き寄せられるように帰ってきた。
「やっぱり、この島の空が一番好きだから」
Uターンした理由を友人に話すと、呆れたように笑われた。確かに、島での暮らしは不便なことばかりだ。コンビニはないし、最終のバスは夕方の五時。若者はどんどん島を出ていき、賑やかだった商店街も、今ではシャッターが下りた店の方が多いくらいだ。このままでは、大好きな故郷が地図から消えてしまうかもしれない。そんな漠然とした不安が、凪いだ海のように心の底に広がっている。
そんな状況を打破しようと、観光協会が企画したのが、島おこしの一大イベント『星見島タイムカプセル掘り起こし大作戦』だった。十年前に、当時の小中学生が未来の自分へ宛てた手紙や宝物を埋めたタイムカプセル。それを島の新たな観光の目玉にしようというのだ。そして、あろうことか、その一大プロジェクトの担当者に、私、海野美月が任命されてしまった。
「美月、頼んだぞ!このイベントの成否は、お前の双肩にかかっている!」
熱く語る課長の前で、私は「はい!」と威勢よく返事をするしかなかった。
プレッシャーに胃が痛みながらも、企画書作りに没頭する日々が始まった。ただタイムカプセルを掘り起こすだけではインパクトが弱い。何か、この島ならではの魅力を掛け合わせられないだろうか。
企画書を睨みながら、私はふと観光協会の窓から外を見た。夕暮れの空が茜色に染まり、一番星が瞬き始めている。
――そうだ、星だ。
この島が誇る、最高の宝物。タイムカプセルを開封する日の夜に、満天の星の下で盛大な星空観賞会を開く。過去と未来、そして星空を繋ぐイベント。我ながら完璧なアイデアに思えた。
問題は、本格的な星空観賞会を開くには、専門家の協力が不可欠だということ。幸いにも、この島にはうってつけの人物がいた。島の南端、灯台が立つ岬の高台に、半年前、新しく観測所ができた。そして、そこには東京の大学から赴任してきた、一人の天文学者がいるという。
「月島朔(つきしま さく)さん、ですか」
「ああ。なんでも、天文学の世界じゃ若手のホープらしいぞ。ただ、ちょっと気難しいっていう噂だが…」
課長の言葉に少し不安を覚えながらも、私はアポイントを取り、島の細い山道を車で登っていった。
白亜のドームが青空に映える、こぢんまりとした観測所。その扉を開けると、ひんやりとした静かな空気が私を迎えた。奥から現れたのは、白衣を羽織った、細身の男性だった。色素の薄い髪に、フレームの細い眼鏡。その奥の瞳は、まるで夜空のように静かで、どこか人を寄せ付けない空気をまとっていた。彼が、月島朔さん。
「観光協会の海野です。今日はイベントの件でご相談に…」
「話は聞いています。資料、そこに置いてください」
彼は、私が差し出した企画書にちらりと目をやっただけで、すぐに手元のパソコン画面に視線を戻してしまった。予想以上の素っ気ない態度に、私の心は早くもくじけそうになる。
「あの、それで、星空観賞会の解説を…」
「仕事なので協力はします。ですが、余計なことはしないでください。観測の邪魔になるような、騒がしいだけのイベントはご免です」
冷たい声だった。まるで、島の人間も、島おこしイベントも、すべてが彼の研究の邪魔でしかないとでも言いたげな口ぶりに、私の中で何かがカチンと音を立てた。
「騒がしいだけ、ですって?私たちは、この島の未来のために真剣なんです!都会から来た月島さんには、私たちの気持ちなんて分からないでしょうけど!」
気づけば、私は声を荒らげていた。しまった、と思ったがもう遅い。彼は静かな目で私を一瞥すると、ふいと顔を背けた。
「…分かりませんね。感情論で島の未来がどうにかなるとは思えません」
それが、私と月島朔の最悪な出会いだった。
それからというもの、イベントの打ち合わせは常に険悪なムードだった。私が島の伝説や昔ながらの風習を絡めた企画を提案すれば、彼は「非科学的だ」と一蹴する。彼が効率やデータばかりを重視する提案をすれば、私が「それでは人の心に響きません」と反論する。私たちは、水と油のようだった。
そんな関係が少しだけ変わったのは、イベント開催の一ヶ月ほど前のことだ。その夜、私は追加の資料を届けるために、再び観測所を訪れた。彼は不在で、扉には『海岸へ』という書き置きが残されているだけだった。
どうしようか、と迷いながら浜辺の方へ歩いていくと、波打ち際に三脚を立て、一心不乱に夜空を見上げている彼の姿があった。昼間の、人を寄せ付けない雰囲気とは違う。その横顔は、まるで無垢な子供のように、ただひたむきに星への愛情に満ちていた。邪魔をしてはいけない。そう思って引き返そうとした私に、彼が気づいた。
「…海野さん」
「すみません、お邪魔して…」
「いえ。…見ますか、ペルセウス座流星群。今夜が極大なんです」
そう言って、彼は自分の隣を無言で指し示した。気まずいまま隣に座ると、彼は昼間の冷たさが嘘のように、星の話をぽつりぽつりと語り始めた。あの星はなんという名前で、地球からどれくらい離れていて、どんな物語があるのか。その声は穏やかで、心地よかった。
すぅっと、空を切り裂くように、一つの光の筋が流れた。
「あ…!」
「…願い事は?」
「え?…忘れました」
そう答えると、彼は小さく笑った。初めて見る、彼の笑顔だった。その瞬間、夜空の流れ星よりもずっと強く、私の心に光が走った。
それからも、私たちは事あるごとに対立した。けれど、以前のようなトゲトゲしさは消え、互いの意見の奥にある「想い」を、少しだけ理解できるようになっていた。
ある夜、観測所のメインシステムに原因不明のトラブルが発生した。専門業者を呼べば数日はかかる。イベントに使う予定の、プラネタリウム用のデータも取り出せない。途方に暮れる彼の元へ、私が「ちょっと待っててください!」と連れてきたのは、島の電気屋である私の父だった。
「どれどれ。ほう、こりゃややこしい配線だなぁ」
父はぶつぶつ言いながらも、慣れた手つきで機械をいじり、ものの二時間ほどでシステムを復旧させてしまった。呆然とする彼に、父は「困ったときはお互い様だろ、先生」と豪快に笑いかけた。帰り道、彼はぽつりと呟いた。
「すごいですね、島の人たちは」
「みんな、家族みたいなものですから」
都会では、すべてがお金や契約で動くのかもしれない。でも、この島には、まだ人の温かさが残っている。彼が初めて、島のそういう部分に触れた夜だった。
その日を境に、彼は少しずつ心を開いてくれるようになった。私を観測所の巨大な望遠鏡の前に案内し、レンズの向こうに広がる宇宙を見せてくれたこともあった。
「見てください。土星です」
彼の指差すレンズを覗き込むと、くっきりと美しい環をまとった、神秘的な星が浮かんでいた。
「すごい…綺麗…」
吐息のように漏れた私の言葉に、彼が優しく微笑んだ。
「ええ。僕が、天文学者になろうと思ったきっかけの星です」
子供の頃、喘息持ちで外で遊べなかった彼は、いつも部屋から星を眺めていたという。初めて父親に買ってもらった望遠鏡で土星の環を見たときの衝撃が、今の彼を作っているのだと。私も、子供の頃に祖父と二人、この島の浜辺で寝転んで星を見た思い出を話した。私たちは、違う場所で、同じ星空に夢を見ていた。共通の想いが、私たちの距離をぐっと縮めていくのを感じた。心臓が、トクン、と大きく鳴った。この気持ちは、一体なんなのだろう。
イベントの準備もいよいよ大詰めを迎えたある日。私は実家の自分の部屋を片付けていて、一枚の色褪せた作文用紙を見つけた。それは、十年前の私が、タイムカプセルに入れるために書いた手紙の下書きだった。
『十年後の私へ。元気ですか?星見島は変わりましたか?私は、今もこの島で、大好きな人と一緒に星を見ていますか?』
拙い文字で書かれた、未来の私への問いかけ。その瞬間、私の脳裏に浮かんだのは、月島朔の笑顔だった。
――大好きな人。
まさか。でも、この高鳴る胸は、どうしようもなく彼を求めている。イベントの日、彼と一緒に星を見上げられたら。そして、この想いを伝えられたら…。そんな淡い期待が、胸いっぱいに広がった。
幸せな気持ちで翌日出勤した私を待っていたのは、残酷な現実だった。
「月島先生、来月には東京に帰っちゃうんだってねぇ。寂しくなるわねぇ」
休憩中、同僚のおばさんが何気なく言った言葉が、私の耳に突き刺さった。
「え…?」
「あら、知らなかったの?先生の赴任、もともとこのイベントが終わるまでの期間限定だって話よ。大学に戻って、もっと大きなプロジェクトに参加するんですって」
頭を、鈍器で殴られたような衝撃だった。そうだったんだ。彼は、いつかこの島からいなくなる人だったんだ。勝手に舞い上がって、勝手に未来を夢見ていた自分が、ひどく滑稽に思えた。
その日の午後、打ち合わせで顔を合わせた彼は、いつもと何も変わらない様子だった。私の心の中の嵐など、知る由もない。私は、込み上げてくる想いを必死で押し殺し、いつも通りに明るく振る舞った。
「月島さん!この看板のデザイン、どう思います?可愛くないですか?」
「…まあ、悪くないんじゃないですか」
彼の声が、ひどく遠くに聞こえる。伝えたい気持ちは、言葉になる前に、冷たく重い塊になって胸の奥深くへと沈んでいった。
イベントまで、あと二週間。島には、夏の終わりの少し寂しい風が吹き始めていた。
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