エロス・タナトス

邦なおや

グロテスク・ラブ

 いつしか彼女に対し、恋心を抱いていた。


 二人が出会った大学の医学部は男子が約八割、女子が約二割。


 その男女比の数値からみても彼女が特別な存在であることは明らかである。


 その上、小中高の十二年間を勉学だけに費やし、『友人』や『恋』などを経験したことのない者にとってはさらに新鮮な存在であったのだ。


 初めに話しかけたのは彼女の方である。


 「どこの高校から来たの?」という質問に答えると、彼女のものと一致した。


 ここで出会う以前から顔を合わせていたのかもしれないということである。


 こんなことさえ『運命』と言わざるを得ないのだ。


 彼女と出会った日、早速昼食に誘ってみることにした。


 初めは「ごめんなさい、今日はお母さんと食事に行くの。」と断られてしまった。


 第一印象から引かれたと言うのだろうか。


 そう思った傍ら、すぐに「また今度ゆっくり話しながら食事しよう。」と笑顔を見せられた。


 大きく切長で二重の美麗な目が細くなり、かわいらしかった。


 本格的に彼女に対して恋を意識しだしたのはこの時である。


 積極的に話しかけ、好意が伝わることを願った。


 ある日、昼食に誘った。「ゆっくり話しがしたい」ということを添えて。


 彼女はすぐに「もちろん!」と笑顔を見せながら答えた。「私もゆっくり話したかった」とも。


 学食ではなく、前日に調べておいた喫茶店とも取れる大学近辺の洒落たレストランに入った。


 向かい合わせになれる二人席に着く。


 彼女はメニュー表を取り、テーブルの上に開いてみせた。


 メニュー名の横にそれを撮った写真が添えられている。 


 森を連想させる洒落た店内も相まって、どの料理も魅力的に見える。


 彼女は表を見ながら「うーん」と首を傾げたが、『季節仕立てのハンバーグ』に決めたようだった。


 自身も彼女と同じものを注文することに決めた。


 彼女が店員を呼ぶために「すみませーん」と手を挙げる。


 挙げた手は白く華奢であった。掌側の手首に淡く浮かぶ、緑や青の血管は蝶の翅脈を連想させる。


 彼女がもつ肌色の白に対する美しいコントラストがそこにはあった。


 料理を待っていると、彼女が話しかけた。


 「好きな人はできた?」


 その質問に思わずたじろぎする。


 本当にお互いが好きあっているのではないか?とさえ思えた。


 彼女もこちらの気持ちを探ろうとしているのだろうか。――そうに違いない。


 質問には「うん。今すぐにでも結ばれたいよ」と答えた。大きく責めたアプローチのつもりである。


 料理が届くと、彼女は「頂きます」と掌を合わせる。育ちの良さの表れであろう。


 それに続いて掌を合わせた。


 届いた料理はハンバーグの上には桜の花弁が、皿の端っこにはじゃがいもや筍などといった春の食べ物が添えられていた。


 『季節仕立て』である。

 しかし、料理よりも彼女に注目した。


 ――どんな食べ方をするの?

 ――舌の形は?色は?


 そんなところに興味が湧いた。これも恋の作用なのだろうか。


 彼女はフォークに刺したハンバーグの一欠片を口に運ぶ。


 紅色の唇を開くと、その隙間から艶やかな赤い舌が姿を見せる。


 舌は口の中に運ばれたハンバーグを絡めながら喉の奥へと追いやる。


 その時、彼女の喉元が小さく上下する。その様子は爬虫類の腹を連想させ、ひどく蠱惑的に思えた。


 いくらでも見ていられる。そう思ったのだ。


 「食べないの?」


 彼女がそう聞いた時、胸の辺りがどきりとした。


 変に思われたのかもしれない。そう考えたからだ。


 「いいや、少し考え事をしてたんだ」


 そう言って誤魔化せたのだろうか。


 彼女は世間話を始めた。「〜くんかっこいいよね」やら、俳優の誰とかが好みだの、そんなことである。


 嫉妬させたいのか?そうとも思える口ぶりである。


 彼女がいくら男の話をしようと関係ない。


 今彼女の目の前にいるのは自分なのだから。そんな周囲への優越感があった。


 気づいた時には世間話は頭で考えずとも成り立っていたようだ。


 「この前推しの握手会に行って来たの!」

 「最近、トイレでカメラが発見されたんだって。こわいこわい」

 「私も小説を読むことがよくあるの!」

 「ほんとに税金増えすぎよね」

 「私もアイドルみたいに可愛い顔で産まれてたらなぁ」


 視界の中央に置き、頭で考えていたのは彼女の口元や喉、掌などである。


 所作にも注目した。彼女は質問に答えるとき、目だけを上に向ける。


 その時に見える白目に浮かんだ細い血管が実にエロティックに感じた。


 それを見るために多くの質問を繰り返した。


 質問の内容や彼女の答えは覚えていない。


 やがて、二人の前に置かれた皿は空になった。


 彼女の全てを知るため、今後も食事に誘うことを決めた。


 何度か食事を重ねたある日、彼女は報告があるといって、あの笑顔を見せた。


 「彼氏ができました!」


 彼氏ができた?ではなぜ、今こうして二人でいる?


 「実は二週間前からなの。いつ言おうか迷ってたんだけど、あなたには早めに言った方がいいかなと思って今日伝えることに決めたんだ」


 なんだそれ。そんなことを聞いて喜ばしいわけがないだろう。


 どう反応すれば良いのか分からず、「そうなんだ」とだけ答えた。


 「うん!そうなの。あなたは恋人作らないの?前言ってた人は?」


 前言ってた人――それは君のことだ。そう伝えようとも考えたが、今は自身の気持ちを伝えるよりもこの関係が終わることを恐れたために言わないでおいた。


 この日、彼女と別れた時には「しばらく会わないでおこう」と心に決めた。


 それからの日々は憂鬱で、大学の授業にも気が向かなかったがそれでも彼女の顔は見たいと思い、そのために授業へと赴いた。


 これまでにも増して彼女を思う気持ちが強くなり、さらに気分が落ち込んだ毎日となった。


 一日の長さはこれまでの数倍に感じられた。

 

 あれから――彼女に恋人ができてから数ヶ月後、彼女から電話があった。


 「お昼に少し会ってくれない?話し相手が欲しいの」


 その声は震えており、すぐに泣いているのだと分かった。


 今思えば、ただの一度すら彼女の涙を見ていないことにも気がついた。


 この際にそれを見ることができるかもしれない。


 「いいよ。会おう」


 伝えられた場所は二人で初めて食事をした、あのレストランである。


 店内に入ると、入口から一番遠い所にある二人席にワンピースを着た彼女の後ろ姿を見た。


 彼女の正面に座ると、俯いてグラスに入ったジンジャーエールを飲む顔が見える。


 目が赤らみ、時々鼻を啜っている。


 「どうしたの?」


 思い切って尋ねてみた。無論、彼女の答えは予想している。


 をしたのに目を上に向けずに答える。


 「彼氏と別れたの」


 そういうと、赤らんだ目はさらに赤くなり、やがて大粒の涙が零れだした。――これだ。見たかった物は。


 妖艶さと活力を失ったその目から零れた物は『涙』などではなかったのかもしれない。


 己にとってそれは、砂漠の中のオアシスそのものであった。


 富士の頂上に漂う空気の如く透き通り、ダイヤモンドのような光沢を持つの物。


 しかし、零れ出た物はなにやら濁っていたのだ。――化粧をしていたというのか?涙を見せるために会いに来たのに。


 それだけ、手間をかける程こちらに気が変わったということだろうか。


 濁った水が頬や輪郭を伝ってテーブルに落ちる。薄紅色になぞりながら。


 きっと、薄塩辛いであろうそれの味を感じたくなった。が、この際どうだっていい。


 彼女が恋人と別れたというのだ。


 共感し、悲しむ様子を彼女に見せながらも内心、大きくガッツポーズをした。


 「そっか、今は悲しいね。でも、その人とは合わなかっただけ。また次の恋があるんだよ」


 経験がないながらもインターネットで得た知識と彼女への共感から絞り出した言葉を紡ぐ。


 「ありがとう。でもいいの。親友に会えただけでも悲しみが和らいだから」


 親友?その言葉は心外である。彼女との恋仲を目指しているのに。


 親友というものが何なのかは分からないが、そこから恋仲になることが珍しいということは、なぜだかよく分かる。


 こうなったらアクションを起こすしかない。言葉と態度だけでは彼女を自分の物にはできない。


 夕食に彼女を家に誘うことに決めた。「夏も終わって涼しくなったから家で鍋パーティでもしよう」と。


 ここでアクションを起こすのだ。性行為、――あるいはその先へ。


 インターネットで調べたところでは、異性を家へ誘う事自体が性交渉の誘いであり、了承を得ればセックスをしても良いという許諾であるという。


 彼女の答えは「楽しみ!」である。再度、心の中でガッツポーズをした。


 しかし、一つ不安な事がある。


 自宅の壁に貼られた無数の、彼女の裸体を描いた絵画である。


 それは己が作り上げたでもあるのだ。


 彼女本人に見せるのには気が引けるものの、わざわざ片付けるのも、「人様に見せるものではない。」とでも言ってるようでなんだか違う気がする。


 ――そうだ、家に招き入れる前に行為に及べばいいのだ。


 そのためにはどうする?


 彼女を眠らせてしまうのはどうだろうか。――名案だ。


 ――麻酔科にそれはあったはず。


 彼女と別れ、大学付近の公園で一度会うことにした。


 綺麗に作り上げるためにも、一本が数万円もする刃物屋へと赴く。


   *


  彼女は叫ばなかった。抵抗する素振りすら見せなかった。


 ただ冷たい黒のタイルに膝をつき、殺されるのを待っている。


 刃物の先端は彼女の首に向かって、まっすぐと突き立てられている。


 厚い皮膚にそれを押し込むと同時に、鮮血がぶじゅぶじゅと音を立てて溢れ出す。


 ただ、これ以上深く刺さる様子は見られない。


 今度は、先端で切れ目を入れた箇所に刃先を押し当て前後にスライドさせると、切れ目は口を開け、噴き出る血液の量はさらに増す。


 天井の薄暗い照明に照らされたそれは、紅葉の木の如く、紅く美しい。


 すると、ついに彼女は唸り声を漏らし始める。


 それは死に対する恐怖から来ているものではなく、この瞬間の皮膚と肉が切り裂かれる違和感によって生じているものであった。


 微かな喉の振動が伝わる刃物はさらに肉の深いところまで切り進んでいる。


 肉の繊維が千切れるぷつぷつという感覚があった。


 いつの間にか彼女の唸り声は聞こえなくなったが、構わずを続けている。


 すでに彼女が絶命しているのか、まだ命があるのかは分からなかった。


 首の半分ほどに刃が入った時、女の身体からだが一瞬の痙攣を起こした。


 その瞬間に死んだと思った。


 刃物を抜くと、屍をタイルに寝かせる。


 刃先は満遍なく、血液で真っ赤に染められている。


 それから、作業を終えた洋式トイレを囲う個室の壁やその周囲も同様。もはや鮮やかであった。

 

 ただの肉塊と化した彼女のボディラインは美しかった。


 優美な胸の膨らみは、ワンピースの上からでもエロスを感じさせる。


 彼女を覆っている数枚の布が忌々しく思えた。


 真紅一色となった刃物で、胸部の布を破くと、血の深紅が滲む白のブラジャーが立ちはだかった。


 早く彼女を解放して自由の身にしてあげねばならない。


 身体がよく見えるよう、破れたワンピースをさらに開いた。


 ブラのホックは前に付いていた。


 刃物を逆の手に持ち替え、器用な指使いでそれを外すと、白く艶やかでエロティックな乳房があらわになった。


 重力によって横に広がり垂れた乳房は、今にも溶けてなくなってしまいそうな風貌である。


 頂にある乳頭は薄いピンク色をしている。


 堪らず、両の手で揉みしだく。けがさぬよう、優しく柔らかい手つきで。


 自身の股間はすでにびしょ濡れになっていた。


 元の色が分からぬほど赤くなった頭部に目をやると、死んでもなお艶やかな唇に心を奪われる。


 接吻キッスがしたいと思った。しかし、切りっぱなしの首周りが哀れだった。


 切りかけの真紅の溝からぶよぶよとした物体が爛れている。


 床に置いた刃物をもう一度手に取り、切り口に刃先を入れる。


 ぐちゅぐちゅと音を立てながら徐々に割れていく首の切断面を見ると、ついさっきまで生きていた彼女の秘密を知れたような感覚を覚え、興奮はさらに高まっていった。


 刃先が固いものに当たる感覚があった。


 頸椎と思われるそれを、刃物に全体重をかけ粉砕すると、人間から発生するものとは思えない、鈍く乾いた音が震える鼓膜を通して脳を刺激する。


 最後はうなじの皮膚一枚で胴と頭部は繋がっていた。


 弾力のある分厚い皮膚を、ありったけの握力を込めて素手で引き千切る。


 ついに、胴と頭が切り離されると、胴体側の切断面からは少量の鮮血が心臓の鼓動に合わせてドプドプと零れている。


 彼女の頭を両手で抱え、目を瞑り唇と自身の唇を合わせる。


 微かに鉄分の味が感じられた。


 さらに舌をまだ暖かい彼女の口内へ強引に押し入れ、一人で動かしてみる。


 勿論彼女のものは動かない。


 既に、自身の物は硬く勃起していた。


 彼女からの愛に飢えていたのだと気づいた。

 こんなにも愛しているのに、愛を返してくれなかった。


 抱えた頭部を乱暴に投げつける。


 タイルと頭蓋骨が激しくぶつかる重低音がした。


 頭部を失った彼女の首元から下を見やる。


 ゆっくり舐めるように視線を下の方へと移動させる。


 腰から下を隠すワンピースを、胸部の布と同様に刃物で破くと、薄ピンクのパンティが姿を見せた。


 それを脱がすと、濡れた自分のものを乾いた彼女のものに擦り付ける。


 幾度か動いていると、彼女が段々と冷たくなっていくのが分かった。


 それでも快楽は続いた。むしろ、屍となり生の象徴とも言える体温を失っていく彼女に興奮を覚えたものだ。


 ――生という束縛から解放された彼女は自分だけのものである。


 一人で絶頂を迎えるが、一向にこの興奮は収まらない。


 彼女の上で腰を振る。


 手の届かないところへ転がった彼女の頭には、愛しき艶やかなボブヘアが垂れていた。


 髪の毛先は零れる赤黒い血液によって、海藻のように床に張り付いていた。

 

 全てが彼女でできている、ただの肉塊。それを見る見るうちに自らの心底に鎮座するが再び動き出そうとしていた。


 同時に、意識の中で女であったそれが完全な肉塊へと変貌している。


 この上もなければ下もない、完全な肉塊である。――彼女ではあるのだろうか。


 恋心は、肉と骨、臓器によって造形された女体ではなく、彼女へ向けられたものだとするならば――最後までいける。


 ただひたすらに腰を振り、腰を振り、腰を振る。


 そうやっていつしか自身の中に揺れ動く何かが溢れそうになった。


 二度目の絶頂に達した時、同時に股間から体液を吹いた。薄ら白く濁った体液は、傍に置かれた刃物に付着している血液を流す量と勢いであった。


 その柄は自身の方を向き、まるで「もっと彼女を知れるはずだ。もっと、もっと奥へ、もっと深く知れるはずだ。」とでも言っているようだ。


 性器と性器を繋げ合わせるよりももっと、もっと強烈なエロスが存在するということを望んだ。


 彼女の豊満な乳房、それから薔薇にも似た性器に目を走らせる。


 再び刃物の柄を握る。それに蟠るぬらぬらとした物は、彼女が出すことを許した己の体液である。


  *


 後日、近隣に住まう小学生の少年が、公園に設置された公衆トイレにて二つの死体を発見した。


 一つは冷たいタイルの上で仰向けになり、頭部と両の乳房、膣口から子宮までを刃物で器用に切り取られたものである。


 その傍らに切り取られた頭部が転がり落ちていた。


 もう一つは腹を裂かれ、腸が大きく零れ出ていた。


 零れた腸の代わりにもう一方の死体から切り取られた乳房と子宮が詰められている。


 その死体は右手に刃物を握っていたため、この人物こそが二つの亡骸を完成させた本人であると見られる。






 後の調べにて確かだったのは、二つの死体はいずれも女性であったという。

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エロス・タナトス 邦なおや @Bshuuuq

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