第十八話 塔と加護 その二

 桜木教官による塔にまつわる興味深い講義が終わり、いよいよ四班の順番が回ってきた。


「では、私たちも門をくぐりましょう。皆さん、意識を強く持ち、前方だけを見据えて進んでください」


 教官の合図で歩み出す。門の暗がりが目前に迫った瞬間、心臓が激しく高鳴る。隣で舞さんがかすかに息を飲む。

 ここまできて、もはや後戻りできない。境界線を一歩踏み越えた瞬間、僕らは闇に呑み込まれた。


「――ッ⁉」


 一瞬、すべての感覚が遮断されたような状態に陥った。視界は真っ暗に包まれ、足元の感触すら曖昧。硬い洞窟なのか、雲の中を歩いているのかすら判断できない。


 すると、僕の右手が温かな何かに包まれる。これは…手?誰かが僕の手を握っている。もしや舞さんが?


 数秒後、目の前に薄明かりが広がり、清涼な空気が一気に肺を満たした。


「これは…!」


 いきなり視界が開け、周りの景色が一変した。現実離れした光景に僕は息を呑む。

 

高台から見下ろす街並みは、まるで時代劇から飛び出したような平安京を思わせる街並み。木造の建物が整然と並び、瓦屋根が薄暗い光の中で鈍く輝いている。窓には格子がはめ込まれ、その奥にかかる簾が神秘的な影を落としている。


 碁盤の目状に整然と直交するように設けられた道端には無数の灯籠が立ち並び、柔らかな光を放っている。昼間であるはずなのに、その光は街に独特の陰影を作り出し、まるで時間が止まったかのような静けさを感じさせる。

 

風が吹けば灯籠の火が揺らめき、その影が石畳の上をゆっくりと這う。


 頭上には青空が広がり、燦々とした黄金の陽光が白雲を照らし出す。塔の中とは思えぬ光景に、訓練生たちから驚嘆の声が上がる。


 否が応でも目に入る街の中央には金色に輝く大噴水が聳え立つ。噴水の背後には御所と思しき威厳ある建築が遠望できる。道行く人々は皆、武具を身に着け、忙しげに行き交っている。


 眼下の坂道では、先に到着した一班から三班までの仲間たちが、同じくこの絶景に目を輝かせている。


「えっ、何だこれ…塔の中に、空が…ある?」


 背後から聞こえる江口君の声は、呆然としていた。その気持ち、よく分かる。


「(これ…どうしよう)」


 心の中で呟きながら、そっと舞さんの様子を窺う。普段は冷静な彼女も、今は珍しく目を見開き、きょろきょろと周囲を見回している。その様子が何とも愛らしく、思わず微笑みが零れた。


 ふと視線を落とすと、彼女の透き通るような白い手に包まれた僕の手が目に入る。


「舞さん、大丈夫?」


 声をかけると、彼女はゆっくりと顔を上げ、少し戸惑ったように頷いた。そして…ようやく、お互いの手が重なっていることに気づく。


「あっ…ご、ごめん!急に真っ暗になって、少し混乱してたみたいなの。私、暗闇が苦手で」


 少し照れくさそうに手を離す舞さん。彼女の頬は微かに赤みを帯び、俯き加減で僕から視線を逸らした。その仕草が妙に愛らしく、つい見とれてしまう。


 僕は慌てて首を振った。


「い、いいよ!全然平気だから。……それに僕も少し混乱してたし、おあいこさ。手を握ることくらい、いつだって歓迎だよ!」


 僕の言葉に、彼女の表情がほんのり和らぐ。その笑顔は、普段の凛とした佇まいとはまた違う、可愛らしい輝きを帯びていて、胸の奥がじんと熱くなる。


「ありがとう、純君。……ふふ、『手くらい』って、随分と太っ腹な発言ね。でも、そう言ってもらえると、これから暗闇が来ても少しは平気かも」


 照れくさそうにそう呟く舞さん。何だか今日の彼女は、いつもよりずっと女の子らしい。気高さの中にちらりと覗く無邪気さが僕の心をくすぐる。このままではますます恥ずかしくなりそうで、僕は慌てて話題を変えようと考えた。


「あ~、そ、それより…なんで塔の中に空があるんだろう?」


 僕が必死に話題を変えながら周囲を見渡すと、舞さんは少し考え込むような表情を浮かべた。彼女は記憶の中の知識を辿りながら、ゆっくりと口を開いた。


「四次元空間の影響かもしれないわ。座学で習ったでしょう?塔は三次元の常識を超越しているって」


 その言葉に、僕は改めてこの場所の異質さを思い知らされた。


「四次元空間……確かに、そんな話も聞いた覚えがある」


 舞さんの説明を噛みしめながら、もう一度頭上を見上げる。

 

幻影と思えない流れゆく雲、降り注ぐ陽光。すべてがあまりにも現実味のある、これが塔の内部だと言われると信じがたい思い心を交差する。


 その時、前方で歩いていた桜木教官が振り返り、声を張り上げた。眼鏡越しに見える彼女の目は面白可笑しく混乱の渦に入る僕らを愉快な目で眺めている。


「皆さん、ようこそ塔へ。ここが『神の塔』第一階層…否、正確には第零階層、別名『世界の中心』と呼ばれる場所です」


 教官の声が響き渡ると、訓練生たちの視線が一斉に集まった。彼女は眼鏡の奥から鋭い視線を投げかけながら、少し楽しそうに口角を上げている。教官は楽しげに言葉を続けた。


「では、落ち着いた方から、軍服の胸ポケットの中を確認してください」


 桜木教官の指示に、訓練生たちは一瞬戸惑いを見せたが、それぞれ胸ポケットに手を伸ばした。指先に、確かに何か丸みを帯びた紙のようなものが触れる。

 いつの間にか入れられたのか、全く気づかなかった。周囲からも「なんだこれ?」「紙が入ってる」といった驚きの声が上がる。


 それを取り出してみると、手のひらに収まる小さな紙片がポツン。表面には微細な文字がびっしりと記され、どこか神秘的な雰囲気を漂わせている。


「これは……おみくじ?」


 僕は呟くと、そっとそれを広げた。


 古びた紙には、墨のような深い黒で言葉が綴られている。平安京を思わせるこの街並みにふさわしい、古雅な筆跡。


 そこには、こう記されていた。



『加護:流れ星』


星々の導きを道標とし、光の力を身に宿す者。

暗闇のただ中にあっても進むべき道を見失わず。

星の輝きは己が力となり、やがて敵を打ち破る光とならん。

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