第3話「医療の壁、社会の壁」
手術の日が近づくにつれ、豪志の表情には少しずつ緊張が滲み始めていた。普段は明るくて、職場でも誰よりも頼れる存在だった彼女が、ふとした瞬間に不安げな顔を見せるようになった。
「太郎ちゃん、病院に行くのって、実はすごく怖いの。」
太郎は驚いた。豪志ほどしっかりしている人が、病院に行くことを怖がるなんて。
「どうしてですか? 手術のこと……ですか?」
豪志は首を振った。「それもあるけど、もっと根本的なこと。受付で保険証を出すと、必ずと言っていいほど、職員が戸惑うの。見た目は女性なのに、保険証には『男性』って書いてあるから。」
太郎は言葉を失った。豪志の話は、PRISM調査で見た数字を思い出させた。性的マイノリティの約三人に一人が、医療サービスの利用に困難を感じているという現実。それは、豪志のようなトランスジェンダーの人々が、日常的に直面している問題だった。
「問診票も男女二択しかないし、異性愛前提の質問ばかり。プライバシーも守られない。カミングアウトを強いられることもあるのよ。」
豪志の声には、長年積み重なった痛みが滲んでいた。太郎は胸が締め付けられるような思いだった。
「そんなこと……普通の人は気づかないですよね。ボクも、豪志さんに言われるまで、考えたこともなかった。」
「そうなの。だから、医療を受ける必要があっても、ためらってしまう人が多いの。私も、何度もそうだった。病院に行くたびに、自分の存在を否定されるような気持ちになる。」
太郎は、豪志の手をそっと握った。「豪志さん、ボクがついてます。ボクが一緒に行きます。何があっても、豪志さんの味方です。」
豪志は、少しだけ涙を浮かべて微笑んだ。「ありがとう、太郎ちゃん。そう言ってもらえるだけで、少し勇気が出る。」
手術当日、太郎は豪志と一緒に病院へ向かった。受付で保険証を出すと、案の定、職員が戸惑った。「あの……性別が……」と口ごもる。豪志は慣れた様子で、「はい、戸籍上は男性ですが、性別適合手術を受けるために来ました」と説明した。
太郎は、その姿を見て胸が熱くなった。豪志は、何度もこうして自分を説明しなければならなかったのだ。自分の存在を、言葉で証明しなければならない現実。それは、想像以上に過酷なものだった。
診察室では、医師が淡々と説明を始めた。けれど、途中で「男性器の処置について」と言った瞬間、豪志の表情が曇った。太郎はすぐに察して、医師に声をかけた。
「すみません、豪志は女性として生きています。できれば、配慮していただけませんか?」
医師は少し驚いたようだったが、「失礼しました」と言い言葉を改めた。
その後の診察は、少しだけ穏やかな空気になった。豪志は、太郎の隣で静かに頷いていた。
病院を出た後、豪志は太郎に言った。「太郎ちゃんがいてくれて、本当に良かった。今日は、初めて『守られている』って感じた。」
太郎は照れくさそうに笑った。「ボクは、豪志さんの盾になります。どんな壁があっても、一緒に乗り越えましょう。」
その言葉に、豪志は涙をこぼした。「ありがとう。太郎ちゃんがいてくれるなら、どんな未来でも怖くないよね。」
その夜、太郎は豪志の手を握りながら、心の中で強く誓った。豪志が安心して生きられる社会を、必ず一緒に作っていく。愛する人が、誰にも傷つけられないように。
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます