第5話 「忘れていた物」

 魔術行使に気付いたのはもちろん葵だけではない。その会場にいた魔族全員がそれを感知していたが、行動を起こしたのはムスカリだった。


 『ゼーラはここで他の方の様子を!』


 万が一聞かれてはいけないと、向こうの世界での言語で話す。魔力の反応を追って男子トイレの方に躊躇いなく入る。


 転移魔術が既に行使され、その扉が閉じようとしている。今から飛び込んでも間に合わない。


 「このままでは…緑の甲の者が…」


 ムスリカは自分の言動を止めるように口を抑える。


 「ダメです。貴方も魔王様から名を貰いし者…、絶対に失わせません!」


 ムスリカは転移魔術が展開された空間に手を置いて、その移動した場所を探る。

 自分には止められないと理解していながら、その行方を追うために。





 周囲は魔力で満ちていて、空気が重い。改めて自分が剣の性能に助けられていたのだと実感する。


 魔族の拳や、生成された岩を自らの力で防いでいく。剣があればより緻密で繊細な操作を出来るが、今は我がままを言っている場合ではない。


 体を動かす度に大きく息を吐いてもう一度吸う。さながら潜水をしているようだ。あの魔族の魔術だろう、とてもやりづらい。魔王直属ではないにしても配下として十分な強さだ。


 「だが…鈍い!」


 おそらくこの空気の重さを自身にも課しているのだろう、むしろ戦闘が始まる前の方が早く動いていたまである。


 攻撃の一つ一つが大きく、隙だらけだ。これならそう時間はかからないだろう。そう思い、宙返りしながら攻撃を避け、着地。


 「な?!」


 出来なかった。先ほどよりその空気が重く、体に圧し掛かかってくる。


 なんとか立ち上がろうとするが、魔族が生成した岩で吹き飛ぶ。なんとか防御出来たが、自身の力も上手く操作できない。


 「ま、まさか…この感じ…」


 魔王の、力。


 本来、魔力は対外だと消えるその性質上、魔術を駆使して魔力以外の別の形にしてやるのが普通らしい。だが俺の力は消える事無く自由に形を与えて生成でき、特に魔力対して高い防御を発揮できる。抗魔力、そう呼ばれていたがこれに対して魔王は魔力そのものを打ち消す。魔術も、俺の抗魔力もその例外ではなく魔力と近しい物質や気は魔王の前だと全て無意味だった。


 滅魔力。魔力そのものを消滅させる力。


 「あれは、魔王以外は使えない…のに!」


 魔王の側近やその配下が使った記憶はない。そんなもの使えば同じ魔力で構成された自身の体を打ち消しかねない。


 現に目の前の魔族の体は少し薄くなっていた。間違いない、魔王の力で消えかかってる。


 けれど、その魔族は躊躇うことなく岩を生成、こちらに撃ち込んでくる。


 体が重いため、抗魔力を駆使して体を跳ねさせるように回避する。コントロールの悪さに救われながら、手で刃を形成して直撃の岩を叩き砕く。


 魔族も足をゆっくりと動かしてこちらに近づいてくる。その一歩毎に自らの体を薄めながら。


 派手に動けないのなら、ここで持久戦して消えるのを待つか。そう考えていた時だった。


 『ス…フェンダ、サマ…』

 「スフェンダ…?」


 誰かの名前だろうか。…いや、何故か聞き覚えがある?だが誰の名前だろうか。よく知っている名前のような気もする。


考えているうちに魔族が岩を掴んで自分で放り投げてきた。もう岩を飛ばす力もないらしく、虚しくそれは明後日の方向に飛んでいく。もうこれ以上は相手も戦えないだろう。


 少し軽くなった体で距離を適度に保ちながら無駄だと分かっていながら問いかけた。


 「なぜここに来た。お前たちの目的はなんだ!」


 返答を期待していたわけではないし、仮にその知性が無い様子からまともな言葉も喋れないだろうと考えていた。


 『ドウシテ、シンデシマッタノデスカ…ワタシタチハ、アナタヲ…』


 泣いている。それに意味のある発言。こちらの答えを言っているわけではないのだろうが、それでもはっきりと喋っている。


 「魔王の事か?」


 ムスリカと呼ばれていた魔族も同じ事を言っていた。一体、魔王の奴は何を考えていたんだ。


 「そんな…」


 いつから居たのか、ムスリカがそこに立っていた。俺と、その魔族を交互に見ながら、ただ状況を飲み込み切れないのか首を横に振る。


 「遅かったな、もうとっくに」

 「ダメ!」


 魔族に駆け寄るムスリカ。


 「ダメ!思い出して!貴方の名前を!大切な物でしょう?!私たちは魔王様から…!」


 『スフ、ェンダ、サマ』


 あの名前だ。スフェンダ、消えかける体から、薄れる知性から、その名前だけを振り絞るように今は連呼し続けている。


 そして、それを聞いたムスリカは。


 「魔王様…、スフェンダ…さま?ああ、嘘そんなそんなそんな?!」


 こちらの事など気にも止めずに顔が絶望に歪んでいく。


 俺も思い出した。いや、なんで忘れていた?そうだ。


 魔王、スフェンダ。俺が殺した、倒した奴の名前じゃないか。何故だ?


 「しっかりしてちゃんとこっちを見て自分の名前を言いなさい!貴方がスフェン…魔王様に与えられた名前でしょ!」


 『スフェン…サ…』


 もう目から光も消え、呆然と立ちつして口だけを動かしている。その魔王自身の名前を。


 ムスリカは手から魔力を送っているようだったが、その魔族は


 消えた。


 そこには戦闘の跡と、座り込んで泣くムスリカ。そして目の前の状況と魔王の名前、スフェンダを忘れていたという事実に困惑をする俺だけが居た。

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