第23話 この痣は、一体なんなのです

 まずい。非常にまずい。


 例え町の人たちに無視されようが、嫌がらせをされようが、悪口を言われようが、今まではどんな事があっても冷静に、表情に出さずにいた私であったが、この状況はそんな私でも戸惑い、どうしたらいいか分からなくなる程困惑していた。


 霞様の計らいにより、このカフェでウェイトレスとして今日1日限定で働く私の元へ現れた、黒馬様一行。その反応は様々で、私の姿を褒めてくれる優しい一言があった白鹿様と青兎様。そして、1度もこちらを見ようとしない初心な反応を見せる紫狐様。しかしその中でも、私にとって1番気がかりな反応を見せたのは、黒馬様だった。彼は特に何か言葉を発することもなく、ただ静かに珈琲を嗜んでいたのだ。その様子は、どこか怒っているようにも感じて、一体どうしたらいいか分からず動揺していた最中。更に私を混乱させるような行動を、彼はとったのだ。


「く………っ、くろまさま………!?」


 私の腕を掴み、引っ張り上げた挙句、己の膝の上に乗せた黒馬様。私の腰をしっかりと掴み、逃がさないとでも言うかのような姿勢だ。思わず目を丸くし、一気に逆上せる私を、黒馬様は鋭く見つめている。まるで私のその様子を見定めているかのように。


「や、やめてください………!」

「なんで」

「な、なんでって………。こんなの恥ずかしいじゃないですか………」

「あの男には触らせた癖に?」


 ふい、と背けられた黒馬様の視線は、先程私のお尻を撫でた男性客の姿がある。カウンターに座るその男性は、既に他のウェイトレスを呼びつけ、すっかり楽しそうだ。決して私個人に対して何か感情があった訳ではなく、たまたま私が近くにいたから取った行動だろう。しかし黒馬様は、どうやらそれが気に入らないらしい。


「何か気に障ったのならごめんなさい………、私の不注意で………」

「いや?別に気に障ったことなんて何も?」

「で、でも、黒馬様、さっきから怒っているような気が………」

「怒ってるというよりは、驚いてるだけだ」

「驚いてる?」

「堅物だと思ってた巫女さんが、本当はこんな大胆だったんだなって」


 クイ、と黒馬様の人差し指が、私の胸元の襟を引っ掛けた。元々大きく開けた制服は、黒馬様の指に引っ張られてより大きく開け、胸元の巫女の痣が露わになる。黒馬様は、どちらかというとその痣を確認しているようにも思えた。私は恥ずかしさのあまり咄嗟に胸元を押さえ、黒馬様の手を払った。


「何をするのです、変態!」

「客を変態呼ばわりとは、失礼な奴だな」

「………っ!」

「ここはそういう店なんだろ?」


 黒馬様が後ろの方を顎で指すものだから、私はそちらをゆっくりと振り返る。他の客席でも、私たちと同じように、膝にウェイトレスを乗せた男性客たちが大盛り上がりを見せていた。霞様もその内の1つのテーブルに着き、払いの良さそうなおじ様を相手にしている。経験したことのない雰囲気に、私はただ言葉を失って茫然としていた。あんな事、私には到底真似できない。


「ほら菖蒲ちゃん。黒馬ばっかりサービスしてないで、こっちおいで」


 にっこりと笑いながら両手を広げて、まるで子供を呼ぶように私を呼ぶ白鹿様は、きっとまた私のことを揶揄っているのだろう。ぽんぽんと自分の膝を叩いて私を誘き寄せようとするが、行ける筈がない。フルフルと真っ赤な顔を必死で左右に振って、それを拒否する。断固拒否する。すると、


「チッ………」

「えっ」


 お手本のような綺麗な舌打ちがされて、思わず声が出る。目の前の白鹿様は笑顔のままで、人というのはこんなにも笑顔でこんなにも綺麗な舌打ちができるものなのか、と逆に関心してしまう程だ。私は、白鹿様という人間を何となく理解し始めてきたかもしれない。


「菖蒲様」


 ふと後ろから手が伸びてきて、私の鎖骨辺りに触れた。優しく撫でるその指先が擽ったくて、身を捩りながらその手の持ち主を見つめる。テーブルの向かいに座っていた青兎様が、いつの間にか立ち上がり私と黒馬様のいる座席の横へ立っていた。彼は相変わらず、大胆にも私の胸元に指を滑らせていて、熱い瞳をこちらに向けている。いつも紳士的な振る舞いや、私の身を気遣った言動が多い青兎様だけに、この行動には驚き固まる他なかった。


「あまりこういう恰好はしてほしくないなあ」

「あ、あおとさま………」

「他の男の前で、無防備に肌を晒すなんて」


 そして、私の胸元を撫でていた指は、ぐっと襟を掴み、まるでその開けた肌を隠すように上へと引っ張り上げられた。そこで私はようやく、青兎様は私のこの胸元を隠したくてこんなことをしているのだと理解した。何をされるのかと変な想像をしてしまった自分を恥じ、そして青兎様に指摘されたことも受け止め、私は引き上げられた襟を自分で掴んで胸元を隠し込んだ。そうだ、私はなんて恰好をしているのだろう。霞様にこの制服を渡された時、彼女の勢いに押し切られてしまった部分もあったが、ちゃんと断れた筈だ。巫女服しか着た事が無かった私にとって、こうした流行りを取り入れた女性らしい制服は、少し憧れだったのもあったかもしれない。


「………お前、その痣」

「え?」


 ここでようやく口を開いた紫狐様は、真っ直ぐ私を見つめていた。それは真剣な表情で、まるでその言葉の裏に何か別の………、特別な意味を含めているような、そんな雰囲気すら感じる。


「あんまり他の奴に見せるな」

「え………。この痣を、ですか?」


 改めて自分で見下ろすと、そこには産まれた時から変わらずの痣がある。花のような模様を描く、不思議な痣。和尚様からは、これが巫女の証であり、代々の巫女様の胸元にも同じ痣があったとしか聞かされていない。けど、そもそもこんな所なんて人様に晒すような場所ではないし、痣がある事なんて、代々の巫女と、和尚様くらいしかいない。


(そういえば黒馬様たちは………、何故か最初からこの痣の存在を知っているような口ぶりだった………)


 そして今も。紫狐様は、この痣を気にしている。思えば青兎様が胸元を隠すように言ってきたのも、この痣を他の人に見られたくなかったから?黒馬様が突然私を呼びつけ、こんな事をしたのも、そもそもは私が見知らぬ男性客に痣を見られた時だった。


(………この痣に、何かあるの………?)


 私の知らない何かを、黒馬様たちは知っている。何故か、そんな気がして私は胸騒ぎを覚えた。訝し気に、目の前の黒馬様を見つめる。しかし彼は、そんな私の視線を受け止めても尚、この気持ちを知ってか知らずか、決して口を割ろうとはしなかった。ただ黙って、私を真剣な瞳で見つめ返している。


「………貴方たちは、一体何を知っているのですか?」

「………………」


 ふと蘇る、霞様の何気ない言葉。


『儀式の相手、どうして軍人なの?』

『え………?』

『だって、わざわざ軍が相手を派遣してくるって、何か不自然じゃない?こんな田舎町の巫女の為にさぁ』

『た………、確かに………』

『ほんとに子供作るだけなら、町の適当な男だって良い訳でしょ?なのに、わざわざ軍からって』


 この痣。そして、痣の何かを知る、軍人4人。きっとこの儀式には、“ただ巫女の跡継ぎを作る”だけではない、何かがある。もっと何か、別の意味が………。


 しかしそう思っても、今の私にはこれ以上、彼らの口から何かを聞き出すことは不可能であった。

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2025年12月13日 20:00

嫌われ巫女様の婚約者は4人もいる 名無し @watanuki_zzz

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