第22話 ご機嫌を取らなくては

 この時代のカフェというのは、ただお客様に珈琲や紅茶をお出しする店という訳ではない。客層の9割は、男性。その意味こそが、このカフェという店がどういう役割を持っているのかを示している。


「こりゃ上玉だねぇ。新人かい?」


 色んなテーブルからの注文を受ける最中、私は、ニヤニヤと厭らしい視線を浴びながら、声を掛けて来たお客様の対応をしなければならなかった。チラリと他所を見れば、他のテーブルにもちらほらとウェイトレスが付いていて、客の手は悪戯にも店員たちの体に触れたり、下世話な話で盛り上がっている。この光景こそが、客層9割が男性であることの理由だ。確かにこれなら給料の払いがいいのも納得できる。店側は、顔の良い女の子を採用してウェイトレスとして雇い、このカフェを繁盛させているようだった。


「霞ちゃん、ほんとによく似合ってるよー!」

「ふふ、嬉しい!ありがとうおじ様」


 霞様の接客術は、それはもう圧巻であった。この仕事が楽しいと言っていたのは嘘では無いようで、客に無防備にも尻を触らせては、チップを受け取っている。その行為を初めて見た時には、つい「大丈夫ですか。あの客、投げ飛ばしましょうか」と問いかけたものの、「減るもんじゃないし、これでお金が貰えるならむしろ美味しい」と、あっけらかんとしていた。確かに、霞様はこの仕事が向いているようだ。


 しかし、私は………。


「初心な新人ちゃんは、何色の下着を着ているのかな〜?」

「ひっ………!?」


 考え込む私のスカートの裾が、不意打ちにもペロンと捲られて、太腿が顕になった。咄嗟に手で抑えたので下着までは行かなかったが、それでも十分恥ずかしい。私が顔を真っ赤にして固まると、客の男たちは嬉しそうに手を叩いて笑った。私のこの反応が、他の手慣れたウェイトレスには無い反応で新鮮らしく、先程からこういった行為を受けては、何とか間一髪の所で逃げる、というのを繰り返していた。


「や、やめて下さい………!」

「いやー、いいねその反応!可愛いなぁ」


 お客様は、黒馬様たち以外、誰一人として、私のことを町の巫女だと気付いていないようだった。この店に1日だけ働きたいと店長にお願いしに行く時も、服や化粧を霞様に施して貰ってから行ったので、店長すら私の正体に気付いてはいない。もし気付いていたら、きっと「嫌われ者なんて雇ったら客足が減る!」と断られるだろうという、霞様の予想による、ちょっとした変装でもあったのだ。


(ウェイトレスがこんな仕事だなんて知りませんでした………。断れば良かった………)


 元々そんなに乗り気では無かったが、給支係という事なら、頑張れば私にもできるのでは無いかと、強く断らなかったのが悪い。今日1日分の給料も、日払いでちゃんと払って貰えると約束してくれているし、受けたからにはキチンと働かなければならない。


(我慢です………、我慢………)


 我慢、の二文字を自分に言い聞かせるのは、これで何度目か。私は何か嫌な事がある度に、合言葉のようにその言葉を反芻していた。心を無にして仕事をこなせば、きっと気付いた時には終わっている。そうだ。こんなの、町の人たちに睨まれながら行う巫女神楽の奉納よりも、ずっとずっと………、


「いいお尻してるね〜お姉さん」

「!?!?」


 すりすり、と臀部に違和感。スカートの上から私のお尻を摩る男の手は、近くのカウンターで珈琲を嗜んでいた、若い男の人のものだ。うっとりとした表情でこちらを見る瞳に、私はただ氷のように固まって、動けぬまま、されるがままになっている。


「あれ、お姉さん………。胸元のその痣………」


 何も言わないのを良いことに、男の視線が私の胸元へと移ると、ガッツリと開けた制服から見え隠れする、私の巫女の紋章に気付いたようだった。無防備な白い胸元に吸い寄せられるように、その紋章に釘付けになる男。その痣に触れようと、手が尻から胸へと伸びたその瞬間。


 バン!!!!!!!!!


 と、店中に響き渡ったのではないかと思う程の、大きな音に意識を弾かれた。それぞれ楽しんでいたお客たちも、みんな音に釣られてその方向へと視線を移す。シン、と水を差したように静まり返る店内で、その大きな物音を立てたのは、紛れも無く黒馬様であった。飲んでいた珈琲のカップを、思い切り机に叩き付けたようだ。それには、同じテーブルにいた白鹿様、紫狐様、青兎様も驚いたようで、みんな目を丸くして黒馬様を凝視している。


「………店員さん。珈琲、おかわり貰っても良いですか」


 そんなの知ってか知らずか。ニッコリと笑みを浮かべた黒馬様は、間違いなく私の方を見て、そう注文した。意識を手繰り寄せた私は、やっとの思いでコクコクと頷くと、慌ててカウンターの奥へと引っ込む。………やっぱり、黒馬様は何か怒っている。私が似合わない服を着ているからか。身の程を弁えず、男性客に持て囃されているのが気に入らないのか。それともそもそも、こんな下品なお店に連れて来られたことが不服なのか。


「あ、菖蒲さん!珈琲淹れすぎ!溢れてる!」

「あっ………、すすす、すいません!」


 黒馬様が怒っている理由を必死に考えていたら、カップから黒くて苦い液体が並々と溢れ出していた。慌てて手を止めて、溢れた分を拭き取る。とりあえず黒馬様の機嫌を取ることが先決。この珈琲をお出ししたついでに、黒馬様の腹を探らなくては。


「あーあ。黒馬の悪いとこが出てるよ」


 一方でニヤニヤと楽しそうなのは白鹿様で、珍しい態度を取る黒馬様を、頬杖を付きながら眺めていた。














「お待たせしました、黒馬様」


 そっと音を立てぬよう、差し出した珈琲を、黒馬様は無言で受け取った。他の皆様も、直接注文があった訳ではないが、黒馬様の分を淹れたついでに、しっかりと人数分の新しい珈琲を用意して、皆様の前に差し出す。


「その格好で様付けされると、唆るなぁ」

「か………、揶揄わないで下さい」


 冗談のように笑う白鹿様の視線から隠すように、手に持っていた銀のお盆を胸元で抱き締める。霞様はああ言っていたが、似合ってない事など百も承知なのだ。しかし白鹿様は何故か私を真っ直ぐ見て目を逸らさぬまま、


「揶揄ってないよ。………可愛い」

「……………っ」


 なんて、そんな事をサラリと口にするのであった。全身が赤く染まり、湯気が出そうだ。お風呂で逆上せた時のような、そんな感覚で、足元がふわふわと覚束無い。


(私…………、なんで…………)


 何でだろう。他の男性のお客様に見られるよりも、黒馬様たちに見られる方が何倍も恥ずかしく、何倍も穴が有ったら入りたい感覚に襲われるのであった。


「本当に可愛いよ、菖蒲様。他の男の目に映したくないくらい」

「あ………、青兎様まで………!」


 こんな時に限って、いつもの優しげな微笑みはなく、どこか妖艶な表情でそんな事を言う青兎様に、すっかり調子を狂わされる。お世辞だ。本気な訳がないんだ。真に受けて喜ぶんじゃない。そう必死に、踊り出しそうな心を抑える。


「嫁入り前がそんな格好してんじゃねえ!何で断らなかったんだ!」

「し、紫狐様………、それは…………」

「さっきも、よく分からん男に触れさせて………!」


 紫狐様は紫狐様で、白鹿様と青兎様とはまた違った反応であったが、私の身を案じてくれているようにも思えた。彼はぶっきらぼうで、言葉遣いも粗暴で怖い印象を与え易いが、本当は優しくて素直になれないだけなのだと、最近分かるようになってきた。相変わらず紫狐様は私の方を一切見ようとしておらず、真っ赤な顔を窓側へと向けている。しかし、窓に反射する私の姿をしっかりと見て確認していて、白鹿様にそれを揶揄われていた。


「紫狐は本当にムッツリスケベだね」

「誰がムッツリスケベだ!!!」


 そしてこの場でも、相変わらず口数の少ない黒馬様へと、視線を移した。私が運んできた珈琲を、静かに口へと運んでいる。心なしか、珈琲を飲むペースが早いように感じるし、カップを持っていない手は、トントンと人差し指で机を叩いていて、イライラしている様を前面に醸し出している。私は居た堪れなくなって、恐る恐る声を掛けた。


「あ、あの………黒馬様」

「…………………」

「ごめんなさい。こんな所に無理矢理連れてきて。私も身の程を弁えず、こんな格好を………。軽率でした」


 そうやって謝っても、黒馬様は一向に私を見ようとしない。いつもより深く被った軍帽のせいで、彼が今どんな表情をしているのかも分からない。私なりに勇気を振り絞った謝罪だったが、特に何の返答も反応もなく、しょんぼりと肩を落とした、その時だ。


「ひゃっ…………!?」


 急にすごい力で腰を抱き寄せられ、私は抵抗する術も無いままに体のバランスを崩した。もつれ込むように倒れたその先は、黒馬様の膝の上。私の腰を抱き寄せたのは、紛れも無く黒馬様だった。


「な…………、なにを………っ!」

「知らん男に触られても平気なら、俺に何をされても平気だろ?」


 思いがけず黒馬様の膝の上を跨ぎ、向かい合うような形になった私は、至近距離で見る黒馬様の金色の目から逃げられなくなった。


 店はいよいよお楽しみ時間へと突入し、各テーブルでは、お気に入りのウェイトレスを呼びつけて、先程よりも更に過激なサービスを提供し始めている。奇しくも私は、この店に則って、そんないかがわしいサービスを彼らに提供しなければならない状況へと陥っていた。

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