第14話 私ではありません

 ………足らない。


 こんなんじゃ、全然足らない………!


 私をこけにして、笑い物にした罰は、こんなんじゃ足らないわ!




 月明かり眩しい、静かな深夜に、どこか感情的な様子で姿を現した女は、辺りに人影が無いかを念入りに確認した。その名は、霞という。彼女は何故かこんな時間に、とある畑へとやって来たのだった。


 もう町の人たちはみな寝静まっている時間だ。周囲には人の気配など皆無で、霞はその静けさを確認すると、持っていた風呂敷包みを広げた。そして、誰のかも分からないその畑へと忍び込むと、なりふり構わず実っている野菜たちを毟り取り始めた。それだけではない。まだやっと芽が出始めた位のものも容赦無く踏み荒らし始める。それは、野菜泥棒の為に忍び込んだというよりは、本当に畑を荒らす事だけを目的としているようだ。


 そして霞は、一通り満足するまで畑を荒らすと、敢えて土に自分の足跡をくっきりと残した。女物の草履の跡。それでは自分がやったことがバレてしまうのではないかと思うが、彼女には考えがあるようである。そうして霞は、ものの5分10分で目的を果たすと、さっさとそこから立ち去り姿を消したのだ。


 当然、その畑の持ち主は、明日の朝自分の畑を見て驚き騒ぎ立てるだろう。畑荒らしが入ったと。そしてそれこそが霞の狙いであった。


 翌朝、霞の狙い通り、町では一騒動が起こることとなる。











「一体どういうことか説明して貰おうか、巫女さんよ」


 朝からワーワーと騒がしい寺の境内に目を覚ました黒馬は、普段ならまだもう少し寝ている時間に居間へと姿を現した。既にそこには青兎の姿があり、窓から事の様子を窺っている。


「白鹿と紫狐はまだ寝てんのか」

「ああ、おはよう黒馬。俺も今起きたばかりで、何が起こってるのかサッパリ」

「………まああの様子を見るからに、あんま良いことじゃなさそうだな」


 窓越しからでも分かる、憤った様子の町の人たちと、その怒鳴り声。何かに対して一方的に怒っているようだ。対して、その対応に追われているのは和尚と菖蒲である。菖蒲はとっくに起き出して、すっかりその問題の中心に立たされているようだ。町の人の中には、竹刀や木の棒といった物騒なものまで握り締められている。これは只事じゃなさそうである。


「行こう、黒馬。菖蒲様たちが危ない」

「よくもまあ次から次へと………」


 とにかく、行ってみなければ状況は把握できまい。次から次へと目まぐるしく起こる問題に、改めて菖蒲がこの町で置かれている立場、状況というのを、嫌でも再認識させられたのだった。












「皆さん、とにかく落ち着いて下さい」

「誤解なんです。私の話を聞いて下さい」


 目の前で冷静さを失っている町の人たちは、私や和尚様がそう口を開く度、余計に熱くなっていくように思えた。何を言っても聞く耳持たずで、各々が感情的に何かを訴えている。聖徳太子でもこの中で全員の話を聞くのは難しいのではないだろうか。


 事の始まりは、今朝。突然の事だ。まだ日がやっと昇ったか位の早朝に、町の人たち数人が寺に押し掛けてきて、何を説明するでもなくいきなり、「巫女はいるか」と和尚様が住む建物へと怒鳴り付けたのだ。私はそんな和尚様に呼ばれるまでもなく、お寺の方が何か騒がしい事に気が付いて目を覚ました。窓から外を窺うと、どう見ても只事ではない様子の町の人たちが、数人で和尚様を囲って何か詰め寄っている。私は慌てて身なりを整えて飛び出した。


「一体何の騒ぎですか」


 現れた私に、町の人たちの敵意が一斉に向けられて、同時に困惑した様子の和尚様がこちらを見つめた。そして、窓から見た時は気付かなかったが、何故か寺の境内に覚えの無い野菜たちが、無造作に捨てられていることにも気付いた。町の人たちを観察してみると、その出立ちから恐らく畑仕事をしている農家の人たちだと思われる。何となく嫌な予感がして、私は改めて町の人たちに説明するよう促した。


「アンタ………、昨晩俺の畑を荒らしただろう!」


 そこで言われたのは、全くもって身に覚えのない、事実無根の出来事であった。ある1人の農家の男の畑が、昨晩無惨に荒らされていたのだという。そして、そこに残されていた証拠を元に、同じ農家仲間を引き連れてここへやって来た………、と、そんな所だ。境内の様子と町の人たちの様子を見て薄々感じていた嫌な予感が見事に的中してしまい、これはまずい事になりそうだという事を察した。


 何度もしつこく言うようだが、私の町での心象は最悪だ。嫌われているので、まず何を言っても信じて貰えないし、それどころか裏目に出る場合も多々ある。それは今も例外では無く、どんなに畑荒らしなんてしていないと主張しても、町の人たちは私が犯人であると信じて疑わないようだった。


「待って下さい。まず私だと思う根拠はあるのですか?」

「根拠なら当然ある。こっちだって悪戯にアンタを疑ってる訳じゃない。犯人は、随分と間抜けなことに、荒らされた畑に足跡をいくつも残してったんだ。クッキリと、何個もな!」


 荒らされた畑の持ち主曰く、女物の草履の跡がいくつも残されていたとの事。そして、今の時代、段々と服装も洋装へと変わっていっている時代だ。今時こんな履き物をしているのは、巫女服を着ている私………という流れらしい。ツッコミどころの多いガバガバの推理に、私は思わず声を失ってしまった。


 まず、いくら洋装やお洒落な装いが流行り出しているとはいえ、年配の方々や大人の人たちなど、まだまだ昔ながらの服装を好む人も多い。私だけが、というのはいささか乱暴な推理な気がする。また、そもそもがどうして犯人は特定に繋がりかねない重大な証拠、足跡をそんなにクッキリと残していったのか。いくらなんでも不自然過ぎて、その犯人が間抜けでそこまで気が回らなかったと説明付けても無理がある。


 そして、何よりも私が犯人だという決定的な証拠。


「根拠も何も、そこに俺たちから盗んだ野菜があるじゃないか!」


 そう、そこなのだ。境内に雑に捨てられた、覚えの無い野菜たち。少なくとも昨日寝る前までは無かった筈。これらの様子から見るに、恐らく犯人は畑を荒らす事が目的なのではなく、私を嵌める事が目的なのだ。だから分かりやすい証拠を残し、極め付けに盗んだ野菜をここに捨てて行った。仮にこれが本当に私の犯行だったとしたならあまりにも杜撰で不自然だが、町の人たちからすれば、元々信用のない巫女の疑惑。怪しい、と思うよりも、あの巫女ならやりそうだ、という感情の方が、圧倒的に勝っているのだろう。


「冷静に考えて下さい。私が貴方の畑を荒らして、何の得があるのです」

「それは、日頃の仕返しだろ?自分が普段町でいい扱い受けてないからって、嫌がらせのつもりでやったに決まってる!」

「私は………、そんなに暇じゃありません」


 自分たちが私に恨まれるような事をしている自覚はあるんだ………。謎に感心しながらも、その線もきっちり否定しておく。例え私が町の人たちを嫌っていたとしても、嫌いな人なんかの為に嫌がらせをする労力を割く方が勿体無い。


「それか、献上分じゃ食べ物が足りないから盗んだとか」

「だとしたら、あんなところに捨てたりしません。あれではもう食べられないでしょう」


 境内に捨てられた野菜たちは、既に野生の動物や鳥たちに食い荒らされ、所々ぐちゃぐちゃに潰れている。もう食べられる状態ではないだろう。食べる為に盗んだのならば、あんな風に外に捨てたりしない。やはり話せば話すほど、私が犯人だとするには次々と不自然な点が出てくる。


 しかし、町の人たちはもう、引くに引けなくなっているのか。それとも私に言いくるめられていることが悔しいのか。一向に認めようとせず、尚も私が犯人だと言い張った。


「とにかく謝れ!!」

「土下座しろ!!」

「いつまでもみっともなく言い訳して認めようとしないで………、最低だ!」

「泥棒が町の神職を務めてるなんて」

「町から出て行け!!」

「野菜の分と畑の分の弁償しろ!金払え!」


 そんな………、と小さく項垂れる私の横で、和尚様が耳打ちをする。


「謝りなさい、菖蒲。そうしないと町の人たちの怒りは収まらなさそうだ」

「で、でも…………」

「私もお前がやったとは思っていない。だが町の人たちはお前が謝らない限り納得してくれないだろう。ここは我慢して謝るしかない」

「………………」


 ………和尚様は、いつもこうだ。親が居ない私を育ててくれた、親代わりの和尚様。この人自身は私に差別的な態度や言動を取らないし、育ててくれた事に大しては感謝している。だが和尚様はなんというか、事勿れ主義というか、長いものに巻かれろ姿勢というか。町の人たちの理不尽な言葉や行動から、私を守ってくれたことは一度も無い。いつも私側に我慢するように説得してくる。私が我慢する方が、何事も無く丸く収まるから。それに、変に私を庇えば、和尚様まで町での立場が危うくなるかもしれない。


 私はぐっと拳を握り締め、項垂れた。今までこうなると、結局私が飲み込むしかなかった。………謝るしかない。やってもない罪を認めて、謝るしか………。


 私が土下座しようと地面に向けて手を伸ばした瞬間。その腕は、何者かによって掴まれ、無理矢理上に引っ張り上げられた。そこには、私を見下ろす黒馬様と青兎様がいて、黒馬様がギリギリのところで私の土下座を阻止してくれたようだった。


「やってないんだろ、菖蒲」

「…………は、はい………」

「じゃあ簡単に土下座なんかすんな」


 今までは無かった救いの手が、またしても私の腕を引っ張り上げてくれる。黒馬様たちの突然の登場には、私だけで無く、和尚様も町の人たちもポカンと固まっていた。


「お前らなぁ………。どう考えたって菖蒲が犯人だったらおかしいだろ」

「こんな女性に寄って集って無理矢理土下座させようなんて………。畑荒らしよりも人手無しだね」


 煽る様な黒馬様と青兎様の言葉に、町の人たちは面白いように憤る。そして誰よりも焦った様子でそれを見ているのが、私の隣にいる和尚様だ。


「お前たち………!それ以上皆さんを刺激するんじゃない!こっちが我慢すれば丸く収まるんだぞ………!」


 和尚様の説得に対して、もしかしたら町の人たちに対してよりも怒っているのではないか?と思う程、殺気立った黒馬様が反応した。


「こっちが我慢すれば………?」

「………な、何だね………」

「まるで自分も我慢しているかのような口振りじゃないですか、和尚様」

「な…………っ」

「ここで謝る事によって我慢を強いられているのは、菖蒲1人でしょう」


 私の名前が出てきて、思わず黒馬様の横顔を見つめる。彼は間違いなく、私の為に怒ってくれていた。


「貴方は本来、菖蒲ちゃんを守るべき立場なのではないですか」

「そ、それは…………」

「ずっと心を殺してきた菖蒲ちゃんが、珍しくこんなにもやってないと必死に訴えていたのに」


 続けて青兎様に責められる和尚様は、いよいよ何も言い返せなくなり、居心地が悪そうに俯いていた。私も私で、青兎様の言葉によって今更ながら、先程の自分自身の言動に驚いていた。確かに、これが少し前の私だったら、「私じゃない」と否定すらせず、謝れば終わるんだと考えて直ぐに頭を下げていたかもしれない。それが今は、自然と、条件反射の様に町の人たちに「私ではない」と反論していた。


 ………私の中で、少しずつ何かが変わってきているのかも。


「だがそこに俺の畑の野菜が捨てられてる!それが何よりの証拠だ!巫女じゃないと言われたって簡単に納得できる訳がない!」

「なら」


 未だに納得できない様子の町の人たちの声を遮り、黒馬様はハッキリと宣言した。


「俺たちが真犯人を見つけて、お前らの前に突き出す。それなら納得できるだろ」


 そうだ。当然だが、畑荒らしの犯人が私でないのなら、本当の犯人がこの町にいる。私に罪を擦り付け、社会的に殺そうとしたその犯人が。そして、私と黒馬様たちには、その心当たりがある。証拠がない今ははっきりとは言えないが、疑い深い人物がいる。


 そうして私は、自分の冤罪を晴らす為。巫女でありながら探偵のような仕事をする事になった。………必ず犯人を見つけ出す。黒馬様たちと一緒に。

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