第1章:変わりゆくもの

第1話:目覚めと出会い

 意識を取り戻したユキは、知らない天井を見上げていた。


(あれ? ここどこ?)


 最初は思考がはっきりとしなかったが、次第にベッドで横になっていることに気がつき、病院にいることがわかった。


「ユッキー! 目が覚めたんだね!」


「ユキちゃん、良かった……」


 マリンとチエがユキの顔を覗き込む。

 しかし、二人の顔は喜びに満ちてはいなかった。


「でもこれは……」


「うん、すぐには受け入れられないよね……」


 少し懐疑的な表情だ。

(どうしたんだろう?)とユキは不思議に思った。


(っていうか、さっきから顔がムズムズするし、鼻や耳に違和感があるんだよなぁ)


 熱や目眩は治まったが、顔周りが気になってどうしようもない。そこでユキは、試しに頬を触ってみる。


 ――フサァ


(!?)


 なんとも言えない感触がユキの手から脳へと駆け巡る。


(え? 何これ? 毛??)


 そう不思議に思いながらも、今度は鼻を触る。


(なんか硬い…それに湿っぽい……)


 意を決して耳を触る。


(ふぇっ!? なんか形が違う!? それにちょっと位置が違うような…)


 マリンとチエはもの言いづらそうに黙り込んでいる。

 そこでユキは、思い切って二人に尋ねてみた。


「ねぇ? マリン、チエ。私の顔、どうなってる? ちょっとムズムズするんだよね。それに触った感じ……フサフサするというか? ゴワゴワするというか? うん。そんな感じがする」


 マリンとチエは、その質問に顔を見合わせて、困惑した。


「『どうなってる』って言われてもなぁ〜」


 ユキの問いに頭を掻きながら悩むマリン。


「とりあえず、鏡見てもらった方が早いと思う」


 そう言いながら、チエはカバンから手鏡を探し始めた。

 その間、ユキはマリンに手を貸してもらい、身体を起こす。


「ちょっとショックかもしれないけど……」


 そう前置きを置いてから、チエは手鏡をユキに渡した。


「何よ……これ……」


 自分の顔を見たユキは一瞬にして青ざめた。


 ユキの白い肌は白と黒、そして灰色の毛に覆われていた。

 上側は灰色の毛、下側は白い毛。それらをベースに黒い点々が見られる。


「これじゃあまるでユキヒョウじゃない!」


「目を疑ったよ。搬送中にユッキーが苦しみだしたと思ったら毛がブワーッと生えてきたんだからよぉ」


 マリンは「今でも信じられない」とでも続けそうな口調でそう告げた。


 見られる変化は毛だけではない。

 黒く変色し、少し硬くなった鼻先。

 形が丸みを帯びつつ、少し上にズレた耳。


 人間の顔としての面影はまだ十分に残っているが、言われないと高峰ユキとは分からないかもしれない。そんな顔になっていた。


 そして、その顔を見たユキは意識を失う直前、朧気に聞いた言葉を思い出した。


「獣化症……」


「「!!」」


 ユキの呟きにハッとする二人。


差別してはいけない。

否定してはいけない。


 講演で教授が言っていたことはわかっていても、どう声をかけるべきかわからない。


 そしてユキも戸惑いからか何も言い出せない。


 しばらくの間、三人は黙り込んでしまった



 トントントン



 その静寂を破るかのように、ノック音が病室に響いた。


「失礼しますよー」


 30代手前と思われる男が、パンパンにものが詰められたビニール袋を持って入ってきた。


「あっ、さっきはありがとな!」


「先ほどは声を荒げて、すみません…」


 ユキに覚えは無かったが、どうやらマリンとチエは見知った顔らしい。


「仕方ないさチエさん。緊急事態だったんだし。それにマリンさん。咄嗟に救急車を呼んだのはナイスだったぞ。」


 男はマリンとチエにそう言うと、マリンは鼻の下を擦ってわかりやすく照れる一方で、チエは必死に頭を下げていた。


 すると今度は、ユキの方を向いて男はこう言った。


「何より、ユキさん。無事でよかった」


 その言葉に対してユキは首を傾げる。


「あぁ、君は意識を失う直前だったんだ。覚えてないのも無理ないか」


「この方が、ユキを助けてくれたのよ」


 男の一言に、チエがフォローを入れた。


「それならまずは自己紹介だ。僕は百星ももせカズキ。よろしく、ユキさん」


 カズキは自身の名を明かすと、自己紹介をする前に軽い謝罪を挟む。


「君の事は事前に二人から聞いておいたんだ。不安にさせてしまったらゴメンね」


 その瞬間ときであった。


「え!?あの新しくできた動物園『ズーパーク』の園長さんですか!?!?」


 ユキは途端に興奮しだした。

 動物好きのユキにとって、動物園に関わる人は皆憧れの対象であるのだから無理もない。


「こちらこそごめんなさい!言われるまで気が付かないなんて一生の不覚!!」


「気持ちはありがたいけど、興奮するのもほどほどにね。君、一応なんだし」


 カズキに釘を刺され、ユキは「すみません」と落ち着きを取り戻した。


 それと同時に、ユキはある疑問が頭をよぎる。


「ところで、ズーパークの園長さんがどうして私を助けてくれたんですか?」


「実は、ユキさんが通う高校で講演を行った教授・山田ユウジ名誉教授は僕の恩師でね。その関係で僕も手伝いに来ていたんだ。んで、教授と一緒に帰ろうとした際に突発性異種化症候群。即ち、獣化症を発症したユキさんを見つけて介抱したってわけ」


 カズキの回答にユキは「なるほど」と相槌を打ちつつも、さらに質問を続ける。


「それならば、どうして今もここにいらっしゃるんですか?」


「あぁ、僕はズーパークの園長だけでなく、突発性異種化症候群の研究チームの一員でもあるんだ。それに、ユキさんが搬送されたこの病院。城南大学医学部付属病院と、僕が所属する研究チームは協力関係にあるんだよ。」


「協力関係?」


 カズキの説明にユキは首を傾げた。


「実は、現状では医師だけでこの奇病に対処することができないんだ。だから、専門の研究チームが医師と共にこの奇病を患った人々を診ているんだよ」


 カズキの説明に納得したユキはあることに気がついた。


「それならお尋ねしたいのですが、私の友人たちは一緒にいても大丈夫なのでしょうか? それに、お母さんへの連絡は……」


「あぁ、それなら大丈夫。『突発性異種化症候群が患者から健常者に感染した』という事例は確認されていない。だから、マリンさんやチエさんへ感染することはないから安心してほしい。」


 その言葉にユキは安堵した。


「っていうか、先生——山田教授が講演会でその話してなかったかい?」


(あれ?そんな話してなかったような?)


 カズキの言葉にふと疑問を感じたユキは、チエに自分のカバンからメモ帳を取ってもらう。

 記録した部分を一通り確認したが、メモ帳にそのようなことは書かれていなかった。


「お話……されてませんでしたね……」


 ユキの言葉に、カズキは眉間を押さえる。


「先生ってば、肝心な所を端折ったな……やっぱり傍で聞いておくべきだった」


「それでカズキさん、私のお母さんは?」


 後悔の念に押されているカズキに対して、ユキは申し訳なさそうに尋ね直した。


「おっとすまない。そっちの方が大事だよね」


 それに対して、カズキはすぐに平静を取り戻す。


「ユキさんのお母様には連絡が着いている。なんだったら、もう既にこの病院へ来ているよ」


 その言葉に安堵するユキ。だが、カズキは少し険しい顔になって話を続ける。


「なんだけど……今のユキさんの様子を見てちょっと取り乱してしまってね。別の部屋で山田教授と主治医の先生とで話をしている最中だ」


「そうですか……」


 母親がすぐ傍にいてくれない事実にユキは落ち込む。


「それにしても、ユキさんはやさしいんだね」


「え?」


 突然のカズキの言葉にユキは驚いた。

 そして、カズキは話を続ける。


「だって、自分が原因不明の奇病を患ったというのに、自分よりも友達や家族の方を心配するんだもの。君はとってもやさしいよ」


「あっ、ありがとうございます」


 ユキはカズキの言葉に少しだけ口角があがり、なんだか元気を貰えたような気がした。


 そして、カズキは椅子に座ると三人に向けて話始めた。


「先にも話をした通り、主治医の先生は教授と一緒に別室でユキさんのお母様と話をしている。だから、僕が代わりに君たちに知ってもらいたいことを話そう。」


 それを聞いたマリンは口を開く。


「いやぁ、ここまで黙って聞いててなんだけどさ……それって本当に私たちも聞いて良いんっすか?」


 そう話すマリンの隣でチエが同じことを言いたそうに頷いていた。


「本当だったら患者とそのご家族にだけ話をするんだけど、今回は状況も状況だ。君たちにも知る権利がある。それに今後、ユキさんのためにもなるからね。」


 カズキの言葉を耳にしたマリンとチエは互いに目を合わせた後、カズキに対して口を開く。


「それなら、ちゃんと聞かせてもらうぜ!」


「ユキちゃんのためになるなら、是非とも聞かせてください!」


 そんな二人の姿はいつもより頼もしく見えた。


(あぁ……この二人が親友で良かったな……)


 ユキは心の中でそう呟きながら、話を聞く姿勢に入る。


 だが、そんな三人とは裏腹に、カズキはビニール袋をあさり始めた。


「でも、今の君たちを見るに、まだ気持ちの整理が完全についてないと思うんだ。だから、心を落ち着かせるためにも、これを食べながら話そうじゃないか」


 そう言いながらカズキはビニール袋から中華まんを取り出した。

 まだ冷めていないのか、湯気が立っている。


「さっき下で買ってきたんだ。病院の売店といえば、やっぱり中華まんだよねぇ。」


 三人は、急に楽観的になるカズキにポカンと困惑するのと同時に、「そうだっけ?」とお互いに視線を向けていた。

「え!?」と困惑するカズキを余所目に、チエは口を開く。


「お言葉ですが、さっきユキちゃんに対してって言ってましたよね? それなのに勝手に食べ物を差し入れるのは如何なものかと思います」


 至極真っ当な意見である。一般には、病人が食べられないものは差し入れてはならない。


「確かにチエっちの言う通りだわ。ユッキー食べられないじゃん」


 マリンも続けて言った。

 しかし、カズキはこう答える。


「大丈夫。主治医の先生には許可を貰ってある。それに、今のうちに食べておかないと、当分食べられないからね」


「『今のうちに』?」


「『食べておかないと』……ですか……」


 困惑を深めるマリンと、何かを察したチエに対してカズキは話を続ける。


「その点も含めて話をするよ」


 そう言うと、カズキはそのままユキに目を向ける。


「だから今の主役は君だ。好きな味を選んでくれ。」


 そして、カズキはユキに肉まん、あんまん、ピザまん、カレーまんの四つを差し出す。


 湯気にのって漂う香り。全部と言いたいところであったが、ユキは一つを指さした。


「じゃ、じゃあ……あんまんで。」


「了解。まだ熱いと思うから、気をつけて食べてな。」


 そう言ってユキにあんまんを渡した後、カズキは二人に残りの三つを差し出す。


「だと思ったぜ。ユッキーは甘いの大好きだからな」


 そう言ったマリンはすかさず手を伸ばす。


「んじゃ、あたしはカレーまんいっただき~」


「あっ!マリンちゃんズルいよー!」


 先駆けたチエに文句を言いつつも、残された中華まんを見る。


「それじゃあ、私はピザまんをいただきますね」


そして、カズキは呟く。


「おっ、残り物には福がある。僕の手元には一番好きな肉まん。これはラッキー」


 各々の手に、カズキからの差し入れが行き渡った。


「喉乾いたら冷たいお茶もあるから、欲しい人は言ってね」


「「「はーい」」」


 こうして三人は、カズキの機転によって、重苦しい雰囲気の中から明るさと落ち着きを少し取り戻した。


 そんな中で、カズキの口から語られたのは特発性異種化症候群による、ユキを待ち受ける運命さだめについてだった。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る