第2話:待ち受ける運命
「突発性異種化症候群。すなわち獣化症については、みんなは知っているね?」
「はい。以前よりそういう奇病があると知ってはいましたが、今日の講演会で知見を深めることができました。」
カズキの問いにチエはハッキリと答えた。
「その講演会の後で、まさか私がかかるとは思いもしなかったけどね……」
それに続くように、ユキは「ハァ」と大きなため息をつく。
その一方で、マリンからの返事がない。
気になったユキは視線をズラす。そこには、手に持つお茶とカレーまんを震わせながら目がうつろになっているマリンの姿があった。
それに気がついたカズキは、意地悪そうにマリンへ話しかける。
「おや? マリンさん、世界中で話題になったこの奇病をまさか知らないとは——」
「いやいやいやいや知ってますよぉカズキ=サン。アレですよね。アレ」
カズキの話を遮るように、マリンは早口で答える。
「なんかぁ、原因がハッキリわかってなくてぇ。人間が動物になっちゃう病気ですよね!」
(マリンってば、口調が完全に慌ててるわね)
(だって講演会寝てたもんね。マリンちゃん)
「はい! そこぉ!」
マリンは内緒話をするユキとチエに声を荒らげようとしたが
「ヒソヒソ話しないで……」
ここが病院であることを咄嗟に思い出し、その声は次第に小さくなった。ユキとチエはその様子にさらに笑いを堪えきれない。
やれやれと首を振りながら、カズキは口を開く。
「そう笑いあえるのも今の内さ。周りの迷惑にならない程度に、笑っておくといい」
カズキはそう言うと「まあ、ここ隔離病棟だからあんまり人がいないんだけどね」と続けて呟いた。
しかし、そんな楽観的なカズキとは裏腹に、三人は「自分(友人)が大変な時に笑っている場合ではない」と口をつぐんでしまう。
「あぁいや、悪い意味で言ったわけじゃないよ?」
カズキは訂正を入れるが、3人はジッと、カズキの方へ向けている。
その中でも、ユキからの眼差しは特段力強い。彼女の中ですでに決心がついているのだろう。
「まあそれなら、さっそく真面目な話をしよう。どうか落ち着いて聞いてほしい」
ユキは真剣な眼差しを変えず、ハッキリと返事をした。
「ユキさん、今から君の
「はい」
ユキは真剣な眼差しでそう答えた。
「改めて宣言する。君は突発性異種化症候群を発症した。他の症例と同じように原因はわからない。」
(やっぱり、そうだよね)
ユキは現実であることを再度認識し、肩を落とす。
「ちなみに、君がどんな動物になるのかというと——」
「ユキヒョウ。ですよね? さっき鏡を見た時そう確信しました」
カズキの説明に先行するようにユキは言った。
「おぉ、自分が何になるかもう気づいていたとは。これは驚いたなぁ」
そんなユキに対して、カズキは目を丸くしている。
「良い観察眼を持っているね。さっきの私が動物園の園長と気がついた様子も顧みると……さては君、動物好きかい?」
「そうなんです。私は——」
「そうそう! ユッキーは超がつくほどの動物オタクなんだぜ!」
カズキとユキの会話に、マリンが首を突っ込む。
「ちょっ、やめてよマリン!」
「そんなに慌てることか? 学校のみんな知ってるよ?」
「いや確かにそうだけど!」
ユキは「今言うことじゃないでしょ!」とマリンへ突っ込んだ。
「ユキちゃんは動物のことになると凄いんですよ。『動物に携わる職に就く!』って将来設計も明確でして」
そんなユキを他所に、チエはカズキへ淡々と説明をしていた。
「ほう、それは将来有望だな。うちの園にスカウトしたいぐらいだ」
「もう……やめて……」
チエの説明にカズキが感想を残す光景を見て、ユキは恥ずかしさのあまり顔を伏せてしまう。
(どうしよう。園長に『スカウトしたい』って言われるのはすっごく嬉しいけど……タイミング!!)
動物が好きというだけでこんなに褒められたことがなかったユキの心は、キャパオーバーしかけていた。
「あぁ、そろそろ話戻してもいいかな?」
そんなユキの状況に気がついたのか、カズキは話の軌道修正を試みる。
(そうね! 今は真剣な話……真剣な話……)
ユキは自分の頭にそう言い聞かせると、隠していた顔を起こし、自分の状況と真摯に向き合う。
そして、カズキは説明を再開した。
「今のユキさんは、顔が変わってしまったこと以外はほぼ健常者と同じ状態と言っていい。だけど、君を先ほど襲った発熱や眩暈、過呼吸といった症状が不定期に現れるんだ。それと同時に君の体は次第にユキヒョウへとどんどん近づいていく」
カズキの言葉に、病室の空気が張り詰めていく。
「そして、私たちはこれを『変異発作』と呼んでいる。それに対処するために、君には入院してもらう必要がある。つらいことだけど、どうか理解してほしい」
「わかりました」
ユキは冷静に返事をすると、学校で倒れたことの時を思い出しながら、カズキの言葉を復唱する。
「つまり、私の体に何かしらの変化が起きる時、またあんな感じに苦しむんですね」
「その通りだ」
その言葉に対し、静かに頷くユキ。その一方で、恐怖心からかその手は小刻みに震えている。
今までユキは、「本当に高校生か?」と疑問に思うほど気丈に振舞っていた。だがそれでも、ユキもやはり普通の女の子であることに違いはない。
そんな彼女の様子に気がついたカズキは、ユキに優しく語りかける。
「自分が自分ではなくなるんだ。怖いのも無理ないよ。でもね、この変異発作は『患者の精神状態と関連性がある』ことがわかっているんだ」
「精神状態……ですか?」
ユキはすぐには理解できなかった。残る2人も首を傾げている。
「『精神状態が安定している』。即ち、強いストレスや心理的不安を長期間抱え込まない限りは、変異発作の症状や発生頻度を抑えることができるんだ。その分、君は人間性を残した状態を長く保つことができる。そうすれば、完全にユキヒョウになってしまう前に、治療法が見つかる可能性だってあるんだよ。事実、未だに完全な異種化に至っていない患者もいるからね。」
「そのような症例もあるんですね。」
「そいつは驚いたなぁ」
チエとマリンは口を揃えて言った。
そしてユキは、その言葉に少しだけ希望を見出す。しかし、恐怖心は払拭できない。
そこで、あることをカズキに恐る恐る尋ねた。
「では、完全に異種化……私がユキヒョウになってしまったら、いったいどうなるのでしょうか?」
その問いに対して、カズキは答える。
「その場合、身体の殆どの機能はその動物種のものに置き換わる。五感だけでなく、運動能力や消化機能もその動物種のものになるんだ。でも不思議なことに、これまでの患者全員が、人間としての記憶や意識、そして色彩の認識能力は残っている。」
その回答に対し、ユキは続けて問う。
「では、私がみんなを襲ってしまうなんてことはないんですね?」
「ユキさん、その点は安心してほしい。僕が保障する」
カズキの言葉に、ユキは安堵した。その証拠に、手の震えが少し治まりつつあった。
「やっぱり『今のうちに食べておけ』ってそういうことだったんだ……」
そんなユキを後目に、手に持つピザまんを見ながらチエはそう呟いた。
「え?どういうことだよチエっち」
突然のチエの発言に、理解が追い付かないマリン。
「さっき、カズキさんが私たちにこの差し入れをくださった時、『今のうちにたべておかないと』って言ってたよね。消化機能が変わるってことは、ユキちゃんは将来的に人間の食べ物が食べられなくなるってことなんだよ!」
「そ、そいつはまたきっついなぁ」
チエとマリンの会話を聞いて、ユキは天を仰ぐ。
「そっかぁ、そのうち生肉しか食べられなくなるのかぁ」
そして、一旦テーブルに置いたあんまんを眺める。
(そうなったら、甘いものはしばらくお預けかぁ……)
甘党のユキにとってはつらいものがあった。
そう物思いにふけていると、カズキが更に説明を入れる。
「消化器官の変異がいつ来るかはわからないけど……ユキさんに多大なストレスがかかるといったことがない限り、変異発作の頻度も減って、君の症状の進行は緩やかになる。だから、その間に許される限り食べたいものを味わっておいてほしい。健全な食事は、精神状態を安定させる要因にもなるからね」
そしてカズキは続ける。
「どれくらい人間性を保てるかは君の精神状態にかかっている。『病は気から』だよ、ユキさん。何はともあれ、一緒に頑張ろう」
「はい!わかりました!」
カズキの言葉に、ユキは元気よく返事をした。
だが、カズキはあることに気がついたのか、ハッとした表情をしている。
「しまった。僕としたことが一番大切なことを後回しにしてしまった」
カズキは額に手を当てながらそう言うと、“一番大切なこと”についてユキに打ち明ける。
「確認だけど、僕が研究チームに所属していて、この病院とも協力関係にあること。そして、医師と研究チームが一丸になって君を診ること。そして、君が日本で初めての症例であることはわかっているね」
「はい、わかっています」
「そこでユキさんに改めてお願いしたいことがある」
カズキの言葉に、ユキは固唾を飲む。
「ユキさん、突発性異種化症候群の原因究明と治療法確立のために、どうか僕たちの研究に協力していただけないだろうか」
「それは私を『被検体』にするという意味ですね」
ユキの問いに対して、カズキは静かに頷いた。
少しの静寂の後、ユキは口を開く。
「正直に言ってしまうと、怖いです。だって、いきなり獣化症になって、気がついたら顔が変わってて、そしたら『将来的にはユキヒョウになっちゃうぞ』なんてことになって——」
ユキの目が少しずつ潤んでいく。
「——そして、病気の治療法のために研究対象になってほしいなんて頼まれちゃって……」
ここまで溜め込んでいた負の感情が、一気に流れ出す。
「混乱する自分を必死に落ち着かせて、いつも通りに振舞ってました。もうバレているでしょうけど」
だが、それでもユキは力を振り絞って前へ歩もうとする意思を伝える。
「でも、話を聞いていく中で、私思ったんです。私よりも長く、この病気で苦しんでる人がいる。そして、これからも苦しむ人がいるかもしれないって。さっき話題に出た通り、私の夢は『動物に携わること』。ちょっと思ってたのと違うけど、これもまた
ユキは力強い眼差しでカズキの目を見て、ハッキリと言った。
「ぜひ協力させてください! カズキさん!」
「ありがとう。ユキさん。全力をもって君を救うと約束するよ」
カズキは静かに礼を言う。
そしてユキは2人へ声をかけた。
「マリン、チエ、今日はありがとうね。でももう無理しなくていいんだよ。本当は私みたいにつらいよね。ごめんね、2人とも」
「ユッキー……!」
「ユキちゃん……!」
2人は彼女のもとへ駆け寄る。ユキは両脇に抱えるように抱きしめる。
「やっぱりあたしも怖かったんだよ!ユキがユキじゃなくなっちゃうんじゃないかって!」
「私も普通に振舞ってみたけど、やっぱりもうダメ。限界」
マリンもチエも気持ちは同じだった。
ユキを心配させまいと、彼女たちも気丈に振舞っていたのだ。
「ありがとね。マリン……チエ……」
3人は無意識に涙を流す中、ユキは2人に聞こえるかどうかわからない声量でもう一度お礼を言う。
カズキは目を細め、暖かい眼差しで見守っていた。
———
それからしばらくして、三人は涙が止まり、本当の意味で気持ちの整理がついた。
そこを見計らい、カズキは二人に話をする。
「マリンさん、チエさん。ユキさんの精神状態を安定させるためにも、君たちの協力が必要不可欠だ。特例として面会できるようにしておくから、なるべく会いに来てあげてほしい」
「オッケー! 任せておいて!」
「私たちにもできることがあるなら、協力は惜しみません」
「あぁ、頼んだよ。二人とも」
カズキはそう言うと、あることに気がついたのか、少し慌てた様子で改めて口を開きなおす。
「おっと、話が長くなってしまった。このままでは中華まんが冷めきってしまう。ほら! はやく食べっちゃって食べちゃって!」
そう言われて、ユキはあんまんに手を触れる。幸いなことに、まだほんのりと暖かい。
「そんじゃあ、いただきまーす」とカレーまんを頬張るマリン。
いつの間にかピザまんを食べ終えていたチエ。
「一番大人しそうな子が一番食い意地が良いなんて意外だな」と言いたげな目線でチエを見ながら肉まんを食べ進めるカズキ。
(どうしよう。大好きな甘いもののはずなのに手が出ない……)
そんな中、ユキはあんまんに中々手を出せないでいた。
「ユッキーどうした? 甘党の名が廃るぞ?」
「そうだよユキちゃん。さっき話してた通り、今食べておかないと損だよ」
「いや、食べたいのは山々なんだけど、なんか嫌な予感がして……」
マリンとチエも食べるように促すが、ユキの様子はどこかおかしい。
「君が意識を失っている間に行った検査では、消化器系はまだ人間のものだから大丈夫だよ」
カズキの言葉に「しれっととんでもないことを言っている気がしなくもない」とユキは感じつつも、意を決してあんまんと向き合う。
夕飯を食べていないのもあってか、その香りはここまで湧いていなかった食欲を一気にそそる。
(いま食べておかないと後々損するんだ。えーい!!)
その勢いで、ユキはあんまんを噛みしめる。
冷めてもまだ柔らかい生地、そして、大好きな甘いあんこ……
あん……こ……
「あっつーい!!」
その言葉に三人は耳を疑った。人間であればそこまで熱さを感じない温度になっていただろうと思っていたからだ。それが例え、冷めにくいあんこだったとしても。
「お二人さん……ユキさんって、元から猫舌?」
「いや、猫舌じゃねぇぞ。学食で温かいの頼んでも、すぐに食べ始める」
マリンの言葉に激しく同意するかのように、チエは小刻みに首を縦に振る。
「「ってことはまさか……」」
顔を合わせるマリンとチエ。
「私、猫舌になってるー!?」
「なるほど、初期の変異にはこういう例もあるのか」
「いや冷静に分析してないで、お茶くださーい!!」
ユキはショックを受けながらも、淡々と記録を残すカズキに突っ込む。
こうして、紆余曲折ありながらも、ユキの闘病生活が始まった。
だがそんな中、別室で説明を受けていたはずのユキの母親は——
——病室に姿を現さなかった。
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