遺物
あくあは裸だ。なにより、平凡な住宅地に建つ平凡な一軒家の玄関先は、尋問の場にはふさわしくない。多少なりとも強引に秘匿事項を訊き出すなら、密室に限る。
というわけで、ひとまずあくあを無理やり立たせて、両サイドから肩を貸すスタイルで家の中に入る。
「もっとしっかり支えろよ。こっちは怪我人だぜ」
あくあは減らず口を叩いたし、体の預けかたや歩きかたは従順とはいえなかったが、本格的な抵抗はしなかった。
拍子抜けでもあったし、物悲しくもあった。
「二階に行こう。あたしの部屋がある」
靴を脱いで家に上がった直後のここあの発言だ。
階段に向かう道中に見たリビングと思われる空間は、ごみであふれ返っていた。ごみ袋の山ではなくて、ごみの山。薄い透明の袋一枚を隔てているか否かの違いなのに、覆うものがないだけで妙に生々しい。腐敗が始まった生ごみの臭いと饐えた臭いが混ざり合ったような臭気も感じる。
「なにじろじろ見てんだ。さっさと歩け。クソしたいのか? てめえが座る便器はないから、てめえのパンツの中で排泄しやがれ」
僕がなにを見ているかに気がついたあくあが罵言を吐いた。威勢がいいのは言葉ばかりで、声からは覇気が感じられない。
ここあの促す視線に首肯で応じ、僕たちは階段を上がる。
二階の突き当たりにドアが閉ざされた部屋があり、その手前の一室がここあの自室だ。
内装はピンクの主張が強めで、年齢相応の女の子らしさが感じられる。少し意外に思ったが、そういえば昨日のキャミソールも今日のシャツもピンクだ。ベッドの枕元には、子ども時代から大切にしているものだろう、少しくたびれた動物のぬいぐるみが五・六体並べられている。本棚に陳列された書籍は少女向けのマンガが多い。
ごみだらけのリビングを見たあとだからなのかもしれないが、印象としては普通も普通。ごく普通の女の子の部屋だ。
普通に遊びに来たのであれば、僕の鼓動は高一男子らしく高鳴っただろうが、今は状況が状況だ。
あくあは突き飛ばされるようにして椅子に座らされた。内装に調和した、白を基調にピンクも入ったカラーリングの回転椅子。
浅く腰かける形となり、ずるずると滑り落ちていく体を、あくあはアームの先端を軽く掴んで繋ぎ止めた。座り直して姿勢を楽にしようとはしない。うつむいた顔は疲れているようにも、ふてくされているようにも見える。
尋問ってどういう要領で進めるんだろう、と思いながらここあに視線を転じると、
「縛るもの、とってくる。大丈夫だと思うけど、見張ってて」
そう言い残してさっさと部屋を出て行った。
あくあは俯いたままじっとしている。話しかけてくるどころか顔を上げることすらない。
怪物感、ゼロ。
あくあは負けた。
そして、これから尋問が待っている。隠していた秘密を強制的に打ち明けさせられる。
今、あくあはなにを思っているのだろう。
「おまたせー」
ビニール紐を手にここあが戻ってきた。
やけに手際よくあくあを椅子に縛っていく。肌への食い込み具合を見たかぎり、緊縛といってもいい厳重さ。
もう縛る必要はないのではと思ったが、僕は黙っていた。なんとなく、ここあもそれは承知の上での措置のようだったから。
「ねえここあ、あくあに服を着てもらわなくてもいいの?」
「なによ、見物係。急に紳士ぶっちゃって」
「係ではないから」
「ツッコミを入れる余裕が出てきたのはいいことね。あたしだってあいつの裸なんて見たくないけど、非協力的だから着せるのも面倒じゃん。さっさと始めてさっさと終わらせたほうがいい」
あくあの前にしゃがみ、太ももを遠慮会釈なく平手で打つ。電流が通ったかのようにあくあの体が震え、強張る。
姉妹の斜め後ろに佇む僕を肩越しに一瞥し、ここあは険しい表情で姉に言う。
「佐伯への説明も兼ねて確認するよ。ちゃんと受け答えしないとぶっ飛ばすから。尋問されている立場なのを忘れないでね、クソったれなお姉ちゃん」
あくあの双眸がようやく妹の顔を捉えた。
「昨日の朝、りりあは校舎の屋上から飛び降りて死んだ。あたしのスマホに連絡があったから、病院まで駆けつけて死亡を確認したあと、親戚に対応を任せてあたしは家に帰った。あくあが日常的にりりあにしていたことを考えれば、原因はあくあとしか考えられない。でも、つらい思いを日々味わいながらも生きてきたりりあなのに、なぜ急に死を選んだのか。あくあがなにかいつもとは違う、いつもよりももっと酷い、死にたくなるようなことをりりあにしたのか。それとも、耐え忍ぶ限界が来たのが昨日の朝だったのか。遺書は遺されていなかったから、そこのところが不明で――」
「お前が行動を起こしていれば、こんなことにはならなかったのにな。オレに責任転嫁してんじゃねーよ」
あくあが悪態をついた。力なく縛られているのが嘘のような、芯に力がこもった声。口角にはにやにや笑いが浮かんでいる。びびりまくる僕と相対していたときに常に浮かんでいたのと同じ笑み。一之瀬あくあの代名詞のような笑みが。
僕ははっとしてここあの顔を見た。
ここあの顔は怒りに染まっていた。瞳に宿る光は現在進行形で強まっていく。閉ざされた唇の内側では、上下の歯がきつく食いしばられているに違いない。
ここあの両手が無意識のようにゆっくりと動いて握りしめられ、さらには震え出した。怒りによる震え。爆発する寸前の震え。
しかし、噴火には至らなかった。
突然、肩の力を抜いたかと思うと、聞こえよがしにため息をついたのだ。
僕の視線に気づいたらしく、ここあはこちらを向く。その顔から怒りは消えている。厳密には、その感情の残滓が観測できるものの、ちょっとした弾みで再燃するような危うさは皆無。
ここあは姉に向き直る。
「あたしのせいにしたいならそれで構わないから、真実を話して。ただし、事実をありのままに、くだらない偏見は交えずに。そうすれば、誰が悪いのか、なにが悪いのか、あんたも含めたみんなで意見を出し合えるからね。諸悪の根源が明らかになったとして、それからどうすればいいのかはまだ分からないけど、とにかく話せ。そうしないとなにも始まらないから」
「ずいぶん理性的な物言いじゃないか、ここあ。馬鹿みたいにうわーって叫びながら殴りかかってきてくれたほうが、オレとしては断然面白かったんだけど」
「佐伯があんたを叩きのめした時点で、怒りの大半は消えたからね。自分の手で復讐を果たすんじゃなくて、誰かの手で果たしても気が晴れるとは思いもよらなかったな。十六年生きてきて初めて知ったよ」
「あたしをぶっ倒すのも人任せで、りりあの命も救うこともできない。そして、オレの口から真相を引き出せずにいる。ここあ、お前は本当に無能だな。一族の恥さらしだ」
「『恥さらしはあんたでしょ』って言ってほしいの? 挑発しても時間の無駄だから、さっさと答えちゃって」
「おっ、いらついてるね。効いてるじゃん、挑発」
「効いてはいるかもしれないけど、乗ってはいないから。……一つ訊くけど」
ここあは重心をかける脚を右から左に替えた。
ほんの少し、雰囲気が変わった。
そう感じたのはあくあも同じらしく、口元を少し引きしめた。
「あんたはどうして真相を話すのを嫌がるの? 今までのあんただったら、今あたしに対してさんざんやっているみたいに堂々と言ったはずだろ。りりあにどんな酷いことを言ったりしたりしたかとか、りりあに生きる価値はないとか、死んで当然だとか、死んでくれてせいせいしたとか、自殺する人間は心が弱いとか卑怯な行為だとか家族に対する裏切りとか扶養家族が一人減って両親も喜んでいるとか――そういう反吐が出るようなことを」
少し声が震えている。拳も震えている。
震わせている感情は、怒りよりも悲しみの成分が濃いように僕には感じられる。
これまでさんざん、似たようなことをあくあから言われてきたのだろう。悔しい思いをしてきたのだろう。ときには涙したことだってあったはずだ。
ここあはきっと、いや絶対に、今日でそれに終止符を打ちたいと願っている。
りりあの死という最大級の不幸を、せめて無駄にしないためにも。
「だけど昨日の朝、りりあのことを感情的に問い質したあたしに対して、あんたは知らぬ存ぜぬの一点張りだった。どんな言い回しを使っても、屈辱感を押し殺して下手に出るように方針を転換しても、決して口を割ろうとはしなかった。なぜなの? なぜそう頑なに隠し通そうとするの? 姉妹であるあたしにすら打ち明けられない理由って、いったいなんなの?」
姉妹は無言で睨み合う。
一触即発の雰囲気はない。冷静に、真剣に、腹を探り合っている。
こんなときこそ、関係が遠い僕のような人間の出番ではないかとも思うのだが、場を支配する雰囲気が断乎としてそれを許さない。お前は黙って成り行きを見守っていろ、軽率な真似をしたらただでは済まないぞと、暗に警告を発している。
先に痺れを切らしたのは、尋問する側だった。
「くり返しになるけど、あんたは負けた。負けたんだから、意地を張るのはもうやめて秘密を打ち明けて。そうすれば楽になれるかもしれないし。あんたがいったいどんな罪を犯したのかは知らないけど、背負ってあげられる妹があんたの目の前にいる。あたしがキレてあんたに殴りかかったとしても、あんたが撲殺される前に止めに入ってくれる男が隣にいる。あたしも、あんたがなにを言っても理性的に振る舞うってこの場で固く誓う。
ここまでの条件が整っているのに話さないって、あんたにとって損な選択だと思うんだけど、あんたはどう思う?」
「嫌だね。なにを言われようが話す気はない。死んでも口を割るつもりはないぜ」
「……冷静になっているからかな。いつもよりもずっとあんたの考えていることが分かる。『だったら死ねよ』ってあたしに言わせて、殴らせようとしているんでしょ。でも無駄だよ。何度も言うように、あたしは挑発には乗らない。いい加減素直になったら?」
「オレが考えていることはなんでもお見通し、無駄な抵抗はやめろってか。偉そうに」
「キレがなくなってきたね。挑発のキレが。あくあ、あんた、本当は打ち明けたくて、打ち明けたくて仕方ないんじゃないの?」
「……話せるかよ。話せるわけがない」
「じゃあ、話せない理由を教えてよ。さっき言ったように、あんたが話しやすい条件は整っていると思うけど、まだだめなの? なにが不満だっていうの?」
「まだ知らないし、怖いからだよ」
僕は愕然としてあくあの顔を見返した。ここあも同じようなリアクションを示した。
知らない。怖い。
あのあくあが、自分の弱みを自らさらけ出し、認めるような発言をした。
「知らない? 怖い? ……どういうこと?」
「復唱すんなよ、恥ずかしいな。まだ見ていないからだよ。だから、知らない。まだ知らない段階で予想したかぎりだと、オレにとって不都合な真実が白日の下にさらされそうだから、怖い。そういうことだよ。相変わらず理解力がないな、お前は」
「理解力がないあたしにも分かるように、もっとちゃんと説明して。持って回った言いかたをしないで、単刀直入に。どういうことなの?」
「遺書だよ」
その言葉には、いら立つここあを瞬時に黙らせるだけの力があった。
遺書。
死にゆく者が、生者に遺したメッセージ。
でも、僕の記憶がたしかなら――。
「遺書は現場には残されていなかったって聞いたけど、どういうこと?」
「あくまでも現場にはな。でも、存在しないわけじゃない」
「それって……」
「理解力ゼロのお前でももう分かっただろ。オレ宛だよ。りりあはオレに宛てて遺書を遺して、校舎から飛び降りたんだ」
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