シーン14 オディル

 陣地に着くなり、土壁にもたれかかった僕を見て獣人たちは笑った。

 きっと僕だけ戦っていないのに誰より疲れ切っていたからだ。

 こんなにも長く『予兆』に向き合っていたのは初めてだった。精神的な疲れは肉体的なそれよりもずっと大きかった。その癖、目は冴えて眠れない。

 斥候に始まり、暗殺者から逃げ、グラニを説得した。

 これをたった一晩でこなしたのだ。

 しばらくは何も起こって欲しくない。

「オディル、ファルナ様が呼んでるわよ。聞きたいことがあるんだって」

 ミラだ。

 とても同じ任務をこなしたとは思えないくらい活力にあふれて見える。そういえば、彼女は夜型だったか。小さく見えてもベテランで慣れもある。魔術の使い方も上手かった。魔力が少なくても地形を利用して攻撃を防いだのは流石の技術と判断力だ。

「ミラ先輩」

「何よ」

「魔術から守ってくれてありがとうございました」

「はあ? 同じ部隊なんだから当然でしょ。気持ち悪いわね」

「こういうのは言えるときに言っておいた方がいいなって思ったんです。なんというか、お互いいつ死ぬかわからないので」

 これはサリートが復帰したときの真似だ。おそらくサリートもこういう気持ちだったんだろう。クグズットの全滅を経験したこともあって自分がここまで生きてこられたのが奇跡のように感じている部分がある。だから、助けてくれたことに感謝した。

「縁起悪っ。それ、ウルガルにはやめときなさいよ」

 しかし、ミラには不評だった。

 理解できない生き物を見る目をしている。

「早く行きなさい。怒られるのは私なんだからね」

 両手を振り上げたミラに追い払われるようにしてその場を後にした。

 いつも幹部が集まっている天幕に行く。見張りがいつもファルナを守っている甲冑の女兵士ではない。大きな弓を背負ったケンタウルスの女性だ。昼と夜とで担当が違うのか、あるいは女兵士には別の任務があるのか。なにかいつもとは違う予感がする。

 中にいるのはファルナひとりだった。

 複数のろうそくを贅沢に使っているおかげで暖かな光に満たされている。

 彼女は隅のテーブルに並べた植物の葉や種、土や水の入った瓶を見ていた。それらはここにあるのは少し場違いな気がする。

 僕に気づくとパッと明るく微笑んだ。

「聞きましたよ、オディル。罠を見破り、敵の奇襲を躱したそうではないですか。やはり、あなたの『直観』は本物かもしれませんね」

「ええと。……どうも」

「報酬は何がいいでしょう? お金や武具がいいかしら。あるいは、あなたが望むのであれば取り立ててそれなりの職を与えても良いでしょう」

「待ってください。僕はそんな活躍なんてしていません。夜襲を成功させたのも追手を追い返したのも僕じゃないんです。斥候だってミラ先輩がいたから上手くいっただけ。小隊の他の人たちの方がずっとすごいことをしました」

「謙虚なのですね」

「謙虚というか……事実なので」

「そんなことはありません。私はあなたの力がこの成功を導いたと確信しているのです。オディルも気づいているのではないですか? 本来失敗するはずだったこの任務がオディルの『直観』によって成功したということが」

「まさか」

 確かに僕は行きは罠を見つけ、ルートを誘導して危険を回避した。そのときにあの仮面の男に見つかっていれば夜襲は失敗に終わっていただろう。でも、ミラも斥候としては有能だ。僕がいなくとも十分に成功させられた。

「『直観』を使ったのですか?」

「ええ。使いました」

「では、それがどんなものかもわかっているのではないですか? どんな風に使ったのか、何がわかるのかを教えて貰えませんか?」

「それは……」

 グラニの忠告を思い出す。

 彼は詳細を誰にも言うなと言った。たとえ、ファルナであっても、と。だが、あれは例としてファルナを挙げたのではなく、ファルナには伝えるなという意味だったのではないのか。そう思ってしまうくらいに話が早い。グラニはこの状況を予測したいのだろうか。

 ファルナは僕の能力を買っている。だが、これはあまりに不自然だ。先程も言った通り、ウルガル小隊には僕より活躍している人はいっぱいいる。

 この執着には良くない予感がする。

 それに、彼女は笑い方が僕に似ている。彼女も王女としての立場から表に出せない感情があって、それを隠すために空虚な微笑みを浮かべているのではないか。僕が言うのもなんだが、すぐ信じてはいけないタイプだ。

「よくわからないんですよね。危ないときに自然と体が動く感じで。理屈もわからないし、僕の思ってもみないところで発動しますから」

「そうですか……」

 ファルナは考え込むようにあごに手を当ててうつむいた。

 そして、顔を開けた彼女は部屋の隅にあった金属製の箱から赤黒い表紙の本を取り出した。管理の仕方もその本自体も何か物々しい。

「ここから話すことは軍事機密です。絶対に他言してはいけません」

「はい」

「クルスミアについては知っていますか?」

「少しだけ聞いたことがあります。かつてこの地にあったという禁じられた技術に手を出して滅ぼされた国ですよね」

「なら、話は早いです。これはクルスミアで作られた伝説の魔道具『明日の書』の模造品です。この本はただの本ではありません。所有者の未来を記述する力を持っています。これがどれだけ役に立つかわかりますか?」

「それは……もちろん」

 『予兆』で死がわかるだけでも十分役に立っている。これが生活全般にわたって、人生のすべてを教えてくれるならどんなにやりやすくなるか。やっと『予兆』の文字が少し読めるようになった僕からすれば、その本は僕の上位互換だ。強国として知られるエイドとの戦いを有利に進めていたのも明日の書のおかげなのだろう。

 しかし、気になる。

 僕の『予兆』は文字で死の未来を教えてくれる。

 明日の書も本であるのなら、きっと文字で未来を教えてくれるはず。この共通点は偶然とは思えない。そういえば、サリートは僕自身が明日の書かもしれないと言っていたっけか。模造品が本なのだから、本物もきっと本だろう。この仮説はハズレにしても何かしらの関係がありそうではある。

 明日の書を調べれば僕の『予兆』についても何かわかるんじゃないだろうか。

「あなたにはこの本の記述を覆す力があります」

「えっと、それはどういう意味ですか?」

「本来、明日の書で見た未来は不変です。所有者や内容を教えた誰かが未来を変えようと思えば変えることはできますが、それ以外の方法では変わることはありません。しかし」

 ファルナは言葉を区切って、僕をじっと見つめた。

「あなたなら変えられる」

「まさか」

「変えましたよ。私はそれを見ました。大規模魔術から生き残り、ウルガル小隊を救い、そして、夜襲を成功させました。偶然とは思えません」

 つまり、『予兆』も明日の書も未来を予測していてる。僕が未来を変えられるのなら、それは明日の書に近い効果を持っているということだ。

 だが、解せないことがひとつある。

「僕が明日の書に干渉できるらしいことはわかりました。でも、それがファルナ様の役に立つとは思えません。内容を教えられた人も未来を変えられるのならファルナ様がもっと優秀な人に教えてその情報を役立てるべきです」

「明日の書がひとつであればそれもいいでしょう」

「まさか」

「敵にも明日の書があるのですよ」

 話が見えてきた。この戦争は明日の書を持つ者同士が裏をかき合っている。一方だけがもっているなら作戦はすべて成功しそうなのだが、敵も同じなら話は変わる。未来がわかっていてもクグズット軍が全滅したような失敗が起きてしまう。

 いや、それも妙な……。

「ザラメルギスには魔素の豊富な土地が必要です。肥沃な土壌もあればあるほどいい。そして、ここはそれらを見た満たしています。近くには鉱石も多く眠っていると言われています。この地でクルスミアという国家が発展したのは地理的にも優れていたからなんですよ」

 ファルナはテーブルの上の種子の瓶を手に取るとろうそくの光に当てた。

「この戦争に勝利した後、私はこのクルスミアの地に新しい街を作りたいと思っています。そうすれば、ザラメルギスはより豊かになります」

「素晴らしいことだと思います」

「これは汎用的な回復薬の原料となる薬草の種です。ザラメルギスでは植生が合わず、栽培が難しいものです。それがここでは自生しています。この丘に薬草畑を作るだけでザラメルギスの多くの人が救われるでしょう」

 種子のいくつかはすでに発芽し、紫色の葉を伸ばしている。

「勝たなければなりません」

 その声に先程までの柔らかさはない。強い意志の込められた一言だった。

 先程までの優し気なファルナよりもずっと魅力的に映る。

 彼女はすっと手を差し出した。

「あなたの力が必要です。エイドに勝利するために、そして、私の作る街を守るために。どうか共に戦っていただけますか?」

 命令ではなかった。

 彼女が命令すればきっと僕は逆らわない。それをわかっているのだ。

 僕を引き抜くならクグズットの頭を飛び越えて交渉するのはあまり良くないことだ。けれど、もう領主様はいない。クグズットにいる領主様の子息たちも僕には興味がないだろう。ああ、こういう思考は良くないな。僕は僕の意志で決めることを求めらているのに。

「よろしくお願いします」

 ファルナの手を握る。

 冷たいが、柔らかできめの細かい肌をしていた。

「ところで、ファルナ様」

「はい」

「明日の書を読ませて貰うことはできますか?」

 種子の瓶が置かれていた場所には入れ替わりで赤黒い表紙の本がある。

 もしかすると、これにもクルスミア語が書かれているかもしれない。そうなると、僕と明日の書の関係はより疑いの深いものになる。

 しかし、ファルナは困ったように眉尻を下げた。

「申し訳ありません。今は開くことができないのです」

「それは、何故です?」

「明日の書は夜に書き換えが行われます。一晩かけて記述が更新され、その更新が終わる明け方までは私であっても中を読むことはできません。それはエイドも同じです」

「なるほど」

 便利だと思っていたけど、日に一回しか更新できないわけか。

 一方で僕の『予兆』は違う。『予兆』は僕の最も近い死だけを示し、僕自身の行動によって死を回避すれば瞬時に変わる。あまりにころころ変わるから鬱陶しいときすらある。その即効性が明日の書を上回る唯一の利点だ。

「だからこそ、あなたが切り札になり得るのです」

 ファルナの声に力がこもる。

 どうやら、この戦争は両者ともに明日の書に依存している。

 数日かかる大がかりな作戦を実行しようとすれば敵に知られる。互いに未来が読めればすぐに対策を取られてしまう。

 それを打破するには明日の書が書き換わってから立案した一日で完結する小規模な攻撃で削るのが効果的。おそらく最初の丘への攻撃や今晩の夜襲がそれだ。あるいは、この丘の取り合い自体が明日の書から逸脱することを目的にしているのかもしれない。

 結局は局地戦で地道に有利を取り合って、勝利が確信できたところで大きく動くのが定石のように思える。

 ただ、どちらもそんなことをわかっているはず。

 エイドは攻撃を準備して、ザラメルギスはそれを潰した。けれど、それもただの小競り合い。明日の書があるなら、お互いにもっと深く読みあっているに違いない。

 次はどんな手を打つのか。どちらが勝ちに近いのか。

 僕の頭では想像もつかなかった。

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