シーン13 ロミアス
ロミアス・グランベールは自他ともに認める賭博狂いの貴族である。
エイドの首都ルミナスの賭場では毎日のように彼の姿を見ることができるだろう。もしも、いないなら、それは仕事で出張しているか、裏のギャンブルに手を出しているときだ。社交場でも口を開けば賭けを持ちかけ、勝てば豪快に笑う。
学生だった頃からロミアスは優秀だった。
その能力と情熱をギャンブルではなく、もっと別のところに傾けていれば四十にもなって軍部でくすぶっていることもなかっただろう。ギャンブルにさえハマらなければエイドの賢人会にも入れたと彼の姉はいつも嘆いている。
彼は勝利を愛する。勝つためなら面倒なデータの収集も難解な数式の解読もやってのけ、卑劣な手段にも手を染めてきた。ときには得意の魔術をイカサマに使うこともあったという。
それでもロミアスが大勝ちしたという噂が流れることはあまりなかった。勝ちすぎると勝負を避けられるし、敗北が勝利の価値を高めるスパイスであることも理解していたからだ。よくも悪くも勝ち負けを楽しむ気質があった。
だが、今日の負けは違う。
まだ真夜中のことだった。
獣人に魔術を見舞って森から帰還した彼を待っていたのは焼けた食料庫の被害報告だった。兵長が数字を読み上げる。みるみるうちに仏頂面が険しくなっていく。
「後続が到着すれば確実に食料は不足します。川の増水が収まるまでは到底持ちません。早急に本隊に支援を求めることを提案します。鹿の群れを近くに発見したので狩猟によって補う案も出てはいますが――」
「もういい」
「しかし、まだ報告が」
「エイドはリスクを取らない。負けた我々に物資を回すことは絶対にない。本隊のみでの勝利に舵を切るだろう」
「では、本隊に合流を?」
「それを今から考える」
もうロミアスは兵長の方を見ていなかった。
「少しひとりにしてくれ」
使い古されたカードをテーブルの上に並べては戻すことを繰り返している。これはロミアスが戦術を考えるときの癖だった。
兵長は気まずそうに小屋を出ていく。
開戦当初、エイドは自身の勝利を疑わなかった。他の国々も同じ考えだっただろう。エイドの持つ技術と魔術は大陸でも群を抜いており、兵力も大国に相応しいものだ。ザラメルギスのような未開の国家がいかに大軍を集めようとすぐに蹴散らせるはずだった。
その自信は緒戦でいともたやすく打ち砕かれた。
勝てるはずの戦いに負け、現在も三方面からの攻撃に対処を強いられている。ロミアスのような出世街道を外れた人間にまでそれなりの役目が回ってきた。このことからもエイドにとって敗北は予想外のことだったのだろう。
異常だ。
ロミアスはそれをよく知っている。
エイドには未来を記す『写本』がある。賢人会はそれを元に戦略を立ててきた。この敗北も今夜の襲撃も予測できていたはずだ。
しかし、エイドは何もしない。賢人会は何も言わない。
あの『写本』があるのだから、知らないわけがないではないか。
では、何故……。
気配を感じて顔を上げると仮面をつけた男が近くに立っていた。
「カニングか。よく顔を出せたもんだな」
その男は最初の敗北に違和感を感じたロミアスが個人的に雇った人材だ。私的な恨みと公的な任務を兼ねて違法な賭場を潰すときに出会ったのがきっかけだった。見た目は異様だが、カニングには他の兵士や魔術士とは違う能力があった。
「大損だ。乾坤一擲の作戦は露見し、飯は炭に変わった。日が昇ればここを後にしなけりゃならん。それもこれもお前が敵を見過ごしたせいだ」
「今夜も三人の鼠を駆除したので役目は果たしているかと」
「何匹鼠を殺そうが熊に侵入されたら意味がない。敵は結構な大所帯だったぞ」
「私も万能ではありません。失礼ですが旦那様も警戒を怠っていたのではないですか。たったひとりに森の監視を任せて安全を信じるのは不用心が過ぎます」
流石にロミアスもカニングが正論と思ったか、反論できずに唸った。
テーブルから一枚だけあった漆黒のカードを取り上げる。
「まったくその通りだが、お前は俺の切り札だったんだ」
「敵が一枚上手でしたね」
「どんなイカサマを使ったんだろうな?」
カニングの索敵能力は秀でているが、完璧ではない。どんな索敵方法でも敵から離れれば離れるほど見つけることは難しくなる。複数の方向からバラバラに敵が来た場合、対処に向かった方角と反対側にいる敵を見つけることはできない。
言葉にすれば単純だが、これを実現するには敵の場所と感知範囲を知らなければならない。
ロミアス自身、兵を率いてカニングのいる森を感知されずに抜けるのは不可能だと思っていた。少なくとも自分にはできない、と。
「罠も無力化されていました」
「バカな。俺が仕掛けたんだぞ。見破れるはずがない」
「見破ったわけではないと思いますよ。罠の核としていた魔石を所持していたのは何の変哲もない若い純人でした」
「原因はなんだと考える?」
「あれしかないでしょう」
「あれとはなんだ?」
「明日の書」
カニングの言葉にロミアスは体を起こした。
「あれは模造品がいくつ作られたのかも定かではない品。エイドにあるのですからザラメルギスにあってもおかしくはない。未来を記述するかの魔道具であれば私の感知をすり抜け、罠を解除し、夜襲を成功させられるかと」
「何故それを知っている?」
睨みつけるようにカニングを見た。
しかし、無表情の仮面の下にある表情を読むことはできない。
「エイド王が国中から優れた頭脳を集めて組織した賢人会。その賢人会がただの政策決定のための組織ではないことは裏の世界ではよく知られた話です。王の持つ明日の書の記述を吟味し、どう未来を書き換えるかを決めるために作られたのでしょう?」
「……まあいい。だが、その名では呼ぶな。うちでは『写本』で通している」
「了承しました」
「そこまで知っているのなら、現状の問題点も理解しているな? エイドとザラメルギスでは『写本』の運用方法に大きな違いがあり、それが現状に繋がっている」
「わかりますとも」
それは距離と早さだ。
『写本』のあるエイドの首都と戦場が離れるほど情報は粗くなり、量も少なくなる。また書き換わった記述を伝えるのにも時間が必要だ。しかも、エイドでは賢人会で会議にかけてからでなければ情報を持ち出すことができない。
一方でザラメルギスは『写本』の破壊を恐れずに戦場へと持ち出している可能性が高かった。これならば正確で素早く情報を手に入れることができる。
ロミアスはこの二点のせいで劣勢なのだと考えていた。
「赤錆の丘の部隊は少数にも関わらず、ザラメルギスの若い王女が指揮している。妙だとは思っていたが、身内に『写本』を預けているのかもしれん。いくら張っても未来が読まれているのでは勝負にならん。負けが決まったギャンブルほど面白くないものはない」
いっそエイド王も戦場に出ればいい、とは思っていても言葉にはできない。
ロミアスは以前より賢人会の在り方に疑念を抱いていた。形式的で閉鎖的な議論はいつも堅実で臆病な結論を導き出す。それではつまらない。面白くない。
「しかし、旦那様はまだ勝負を降りてはいらっしゃらない」
「……そう見えるか?」
テーブルに並べられたカードは無造作なようでいて、赤と白のカードが二手に別れて向き合っている。赤のカードは数字が少なく、白いカードは半数が裏返されている。現在のエイド軍とザラメルギス軍の状況を表しているかのようだった。
「ええ。現状を考えれば撤退しか選択肢はないように思えます。ですが、旦那様は聡明であられる。別の選択肢が見えておられるではないですか。今から朝が明けるまでは『写本』は効果を発揮しない。そうですよね?」
カニングはささやく。
「ならば未来を読んでも覆せない盤面を作りましょう」
そして、ロミアスの手から黒いカードを抜き取り、白の上に落とした。
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