第14話:水浴び

 血に濡れたエリアスの姿を認めた瞬間、ローワンは反射的に立ち上がろうとした。

 だが一晩中張り詰めていた体は言うことをきかず、足がもつれて前のめりに倒れ込む。


「……っ!」

 地面に手をつく寸前、背中の布をぐいと引かれた。

 振り返れば、アルシュタインがローワンの外套をはみはみと咥えている。

 まるで「落ち着け」と言い聞かせるように。


 その仕草に、血まみれの男が快活に笑った。

「……はは、いい相棒になったな」


 ふらつきながらも近づいたエリアスは、力強くアルシュタインの首筋を撫でる。

「よくやった、アルシュタイン」

 誇らしげに響いた嘶きが、白み始めた朝の空に溶けていく。


 そして差し出された大きな手に、ローワンは一瞬ためらいながらも、自分の義手を重ねた。

 ぐっと引き起こされると、間近に迫ったのは血と鉄の匂いをまとった体温。


「──フォレイン・フォックスは無事か?」

 低く問う声に、ローワンは息を整え、強く頷いた。

「……当然だ」


◇◇


 外套に染みついた血が目に入り、ローワンは思わず口を開いた。

「……服を洗った方がいい」


 だがエリアスは涼しい顔で肩をすくめる。

「必要ねぇよ。ガルウルフの血の匂いはいい獣除けになる」


「……そんなの、信じられない」

 思わず吐き捨てるように言った。

 ──そもそも“血にまみれたまま歩く”なんて我慢できない。


「気にしすぎだ」

「でも……せめて水浴びくらいはしたい」


 強い調子で言い返すローワンに、エリアスは少し驚いたように目を瞬かせ、やがて諦めたように頷いた。

「……分かった。宿場で汗を流そう」


◇◇


 湯気の立つ桶に手を浸した瞬間、ローワンは安堵の息をもらした。

 血と汗と埃にまみれた体が洗い流されていく。

 石鹸の香りと水の冷たさが、張り詰めていた心をゆっくりほどいていくようだった。


 一方その頃──

 宿場町の通りでは、アルシュタインが鼻をひくつかせていた。

 袋を片手に戻ってきたエリアスが、にんじんを取り出して差し出す。


「ほら、ご褒美だ」


 カリッ、カリッ、と音を立てて甘い根を噛み砕く。

 栗毛の耳が心地よさそうに揺れ、潤んだ瞳が細められる。

 その様子は、戦場を駆け抜けてきた勇馬とは思えないほど、どこか子どもじみて愛らしかった。


 ご機嫌な相棒に、エリアスの頬も自然と緩む。

「……お前がいたから、ここまで来れたんだ」

 誰に聞かせるでもなく呟かれた言葉に、アルシュタインはブルルと短く鳴いて応えた。

 

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