第2話 見世物小屋火災事件.1

 遠くから響く鈍い鐘の音に意識が覚醒していく。


 微睡みの中、最初に感じたのはひんやりと冷たい空気と、対照的に暖かい布団の中の温度。

ずり落ちた毛布を首元まで上げて、しばしの間布団の温もりを楽しむ。


 そうこうしているうちに、動き始めた街の喧騒が耳に忍び寄ってきた。

馬車のタイヤと蹄が道路と奏でる硬い音。

行き交う人々の朝の挨拶。


 ぐっと伸びをして布団から抜け出し、窓を開けた。

途端に、部屋の空気よりも更に冷たい風に頬を撫でられ、思わず身震いする。


 春になっても、朝の風はまだまだ冬の気配がする。

霧と煤でほのかに霞んだ街並みからは、石炭の匂いと焼きたてのパンの香りが漂ってくる。


 窓を開けたままベッドに腰掛け、私、ルーシー・アシュフォードは一つ欠伸をしてから思案する。


 美食家殺人事件と名付けた事件から一週間がたった。

事件を解決しても、特に私の生活に変化は無い。

日がな一日、本を読んだり散歩したりして時間を潰している。


 当然ながら探偵の仕事はない。

それはもう、悲しいほど音沙汰がない。

事件を一つ解決したとて、結局は犯人による自供としか報道されないのだから、生活が激変したりはしないのだ。


 つまりは、ずっと暇を持て余している。


「今日は何をしようかな……」


 呟いて、ぼんやりと天井を眺める。


 アーロンさんに引き取られてからずっとこんな生活を繰り返している。

気楽は気楽だが、その間一銭も稼がない居候の生活費はアーロンさんが負担しているのだ。

そこで居直ることができるほど、私の神経は図太くない。


 何とか役に立てないかと家事を担当すると申し出たこともあったが、一度料理に挑戦してキッチンを惨劇の舞台にした日から、アーロンさんに一切何もするなと言いつけられている。


 せめてこの件についてアーロンさんのお小言の一つでもあればいっそ気が楽なのだが、こういう時に限ってあの意地悪な美丈夫は文句を言わない。

ただ意地の悪い笑みを薄らと浮かべて


「君がこの街で一番の名探偵になってくれさえすれば、それで満足だよ」


などと、無理難題を宣うのだ。


「一番って、何をもってして一番なのよ」


 ぶつぶつと小言を呟いているうちに、階下から紅茶の香りが漂ってくる。

アーロンさんが淹れる朝の紅茶の香りだ。

私の分はいつも通り、砂糖とミルクをたっぷり入れたロイヤルミルクティーにしてくれているに違いない。


 ぐうと鳴ったお腹を擦りながら、私は考え事など忘れて階下へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る