第16話 絵本の中の騎士

 (僕は一体、ここでなにをしてるんだろう……)


 逃げてきた僕は……惰性で手にしていた杖を引きずりながら、とぼとぼと王都をあてもなくさまよよっていた。ずっと走り続けていたから、体のあちこちが痛む。厩につないできた馬はちゃんとごはんをもらっているだろうかと心配になった。

 一気に疲労感が襲ってきたけれど、胸はじんじん痛むし、寒さで頭ははっきりと冴えてしまっていた。


(助けに来てなんて……言われてなかった)


 またひとりでつっ走ってしまったんだと理解した。

 いつもうじうじと無駄なことをくり返し考えて身じろぎさえしないくせに、なにかひとつ思いつくと、どうして僕は暴走する馬のように勢いよく駆け出してしまうんだろうか。


(セヴランが怖いわけないって思ったら……それだけしか考えられなくなって)


 これが人と関わることを避けて生きてきた弊害だというのなら、その害をがっつり受けていることを実感した。

 思いつくままに馬で駆けてきてしまって、気づいたらあれだけ嫌っていた王都のど真ん中である。

 セヴランが来るまでは、一歩踏み出す勇気なんて持てるわけもなく、一生あの古城で生きていくのだと思っていた。

 でもこうしてこの場所で息をしている自分は、そんな勇気を持とうだなんて思う暇もなかった。


(必死だったからな……)


 でもそんな僕の気持ちなんて、セヴランにとっては必要のないものだった。

 こういうことは今までもよくあって、そのたびに僕は、僕が相手を思いやろうとすること自体がもはやおこがましいことなんじゃないかと思うようになった。

 なにも考えなければ、なにも起きない。

 こそこそと隠れるように過ごしていれば、波風も立たないし、息がしやすくなるような気がしたのだ。


(また間違えちゃった……でも)


 少しでも暖をとりたくて、剥き出しの手を擦り合わせながら思う。

 どんなにそれがセヴランにとって不必要なことであっても、僕にとっては――。


(必要なことだったよね……)


 どこかでここまで来ることができた自分を認めてあげたいような、そんな気持ちになった。それだって、もとをたどればセヴランのおかげだった。

 今までは、思いやった気持ちが相手にとって無駄だったことに傷ついて、そこで諦めてしまっていた。しなければよかったと……自分が相手を思いやったという気持ちごと否定してしまって、ただ口をつぐむことしかできなかった。

 僕は――。


(セヴランに感謝してるんだ……)


 僕と過ごした日々は、彼にとっては所詮取るに足らない偽物でだったのかもしれない。それでも、あの穏やかな美しい日々の中で、彼に「ありがとう」と毎日思っていた気持ちを、なかったことにはできなかった。


(今までとは……違う)


 相手になにかを求めるのとは違う。期待した反応が戻ってこなかったとしても――。

 少しだけ希望を持ちそうになったとき、すれ違ったおじさんにドンッとぶつかってしまって、すぐに心が折れそうになる。

 吹き抜けていく冷たい風にさらされて、今までそうしてきたのように諦めてしまったほうが楽なのではないかと思いかけたとき、ふと、セラフィオスさまの言葉を思い出した。

 セラフィオスさまは、罪を告白したセヴランの言葉に……「感謝を」と言っていたのだ。

 なんだかつじつまの合わない不思議な会話で、おかしいと思った。

 そこまで考えて、ようやく僕は気がついた。


(あ、そうか――……)


 あのとき、セヴランの背後にいた僕は、彼の表情を見ることができなかった。どんな気持ちで彼があの言葉をセラフィオスさまに告げたのかはわからない。

 でも――。


「セヴランさんが、僕のところにいたと言えば……僕が首謀者になるのか」


 小さくつぶやいた僕の息が目の前を真っ白にして、それからさぁっとすぐに消えた。すとんと望んでいた答えが降ってきたような感覚だった。


「僕が、オクターヴさまの甲冑を盗んだ首謀者になるのか」


 混乱していたし焦っていたから、考えつきもしなかった。

 もしもあのとき、セヴランが僕のところに二ヶ月もいたのだと証言していたらどうなっていただろう。

 甲冑を盗んだにせよなんにせよ、そのあと、僕の古城に二ヶ月もセヴランがいたことは事実だった。エルデの町の人に聞けば、すぐにセヴランがいたことを証言するだろう。セヴランがたとえ「ニコラさまをお連れするようにと命を受けて」と言ったところで、二ヶ月そこに滞在してなんの成果もないことは、一体どのように周囲に受け取られるんだろう。

 そもそも、オクターヴさまは明確に「襲われて盗まれた」と証言しているのだから、セヴランを擁護するようなつもりはない気がする。


(……セヴランさんは、僕を悪者にすることもできたはずだ)


 脅されてしかたなくやった……脅されて帰れなかった、相手は精霊士だったから、なんて言い訳をすることもできたかもしれない。

 それでも、セヴランは僕の名前を一度だって口にしなかった。

 まだ自分の身の潔白を主張しているときですら、僕の名前は出さなかった。

 それは、疑いをかけられている自分が、僕と関わりがあったことを洩したくないっていう意志だったんじゃないだろうか。


 ちょうど通りかかった古書店の出窓に、セヴランと一緒に見た精霊騎士の絵本が飾られているのが見えた。思わず曇った窓ガラスに手を滑らせ、手でキュッキュッと擦る。

 だんだん顕になる絵本の中の精霊を守る精霊騎士の優しそうな笑顔に、言葉にならない想いが、涙と一緒に視界に滲んだ。


「まもられて……」


 そう思うのは、自惚れがすぎるだろうか。

 ぐうっと唇を噛みしめながら、セヴランと出会った日のことを思い出す。

 セヴランは百合の紋の入った黒い甲冑をまとっていたから、すぐにオクターヴさまの騎士だと僕は思った。

 オクターヴさまになんて言われてセヴランがあの格好であの場にいたのかはわからない。本人が盗んでいないと言っているのだから、きっとなにかを伝えられて甲冑を受け取ったはずなのだ。


 はじめてセヴランに出会ったときに思ったはずだ。よほどの敬虔けいけんな信者か、出世欲の塊かのどちらかだと。

 聖騎士団に所属している誰だって、一番大精霊士に近いとされる公爵家出身のやんごとなきオクターヴさまから甲冑をいただけば、なんだって言うことを聞いて信用を得ようとするはずだ。


(それで裏切られたなんて……)


 だけど、なにか引っかかる。盲目的に人を信じてしまう僕ならともかく――。


(セヴランさんは……そんな策略に引っかかるだろうか)


 オクターヴさまの甲冑を身につけながらも、セヴランがオクターヴさまと親密な関係なようには一度も見えなかった。留守にして怒られないのかと何度も尋ねた僕にも言葉を濁すばっかりで、王都のことを心配した様子もなかった。

 突然呼び出されて甲冑を渡され、僕を連れてこいと言われて……騎士に選ばれたのだと安易に思うだろうか。

 セヴランはやっぱりなにか理由があって、あの甲冑を着て僕を迎えに来たってことなんだろうか。


 ――「おそらく、五年前の精霊祭からあなたは目をつけられていたんだと思います」――


 あのセラフィオスさまの言葉は、一体どういう意味だったんだろう。

 五年前の精霊祭なんて、僕は自分の祈祷のことでいっぱいいっぱいで、セヴランがその当時どこに所属していてあの行列の中でどの位置にいたのかも知らない。

 いつの間にか涙は引っ込んでいた。

 僕は顎に手を当てて考え出した。

 でも、セラフィオスさまの言葉をそのまま言葉通りに考えるのならば、そのときにセヴランがしたなにかがオクターヴさまの怒りに触れていて――。


(オクターヴさまは……セヴランさんを利用して、僕を王都に来させようと?)


 いや――違うか。

 オクターヴさまは僕が誰になにを言われようとも、どうせ王都には来ないだろうと思っていたはずだ。

 だけどこの機会に、目をつけていたセヴランと一緒に、王都に来ないだけではなく――。


(もう二度と表舞台に立てないような汚名を着せようと考えたってことだ……)


 遠隔で自分の手を汚すこともなく、噂を操り、自分の思い通りにことを運ばせる。

 僕自身だけのことであれば、僕はこのことに気がつきもしなかった。でも、標的になり、利用されたのがセヴランなのだと思うと、オクターヴさまの悪略が手に取るようにわかった。


(……どうしてそうまでして……僕を)


 ここまでくると、もはやオクターヴさまは僕を恐れていると感じるほどだった。ただ引きこもっているだけのしがない一精霊士の僕のことが、どうしてそんなに怖いんだろう。

 オクターヴさまは、なにもかもが僕よりも上で、なんでも持っている人だ。孤児院出身の僕を、そこまで陥れなくてはいけない理由はなんなんだろう。

 こんなことをしなくたって、来年の聖樹の導き手は――。


「きっと、オクターヴさまだったのに……」


 でも、僕がどう思っているかなどは関係がなく、現実としてオクターヴさまが異様なまでに僕を嫌っているということが問題だった。

 セヴランのことだってそうだ。

 本人がどう思っているかに関係なく、僕を陥れたいというオクターヴさまの気持ちがあったから、彼は濡れ衣を着せられてしまったのだ。


「やっぱり……助けなくちゃ」


 でも――。


「僕になにが……できるんだろう」


 それが、問題だった。

 寒い寒いと思っていたけれど、今日はやっぱり王都の中でも冷え込みの厳しい日だったようだ。目の前を白いものがはらりと散るように横切った。


(雪が……?)


 見上げてみると、すでに暗くなってしまった空に白い粉雪が舞っているのが見える。

 あの牢はきっと寒いだろう。セヴランはあの薄い毛布だけでしのげるのだろうか。誰かがあたたかな毛布を差し入れてくれているだろうか。

 断られて引き下がってきたのは自分なのに、やっぱりセヴランのことしか考えられなかった。

 娼館の話をしていたセヴランを思い出し、すごい美女が助けに来たら、結果もまた違ったのかなと少し思った。


 美女でもなく、貴族でもなく、なんの力があるわけでもない。

 そんな僕のことをなぜか恐れているオクターヴさまの気持ちを考えてみたら、それは……もしかしたら、なにも持たないはずの孤児院出身の僕が――そんな僕が聖樹の導き手に選ばれたからかもしれないと思った。


(精霊士としての力……?)


 ずっとずっと、僕はどうして導き手に選ばれたんだろうと思っていた。

 ずっとずっと、なにかの間違いだとしか思えなかった。

 ほかの人たちと交流のない僕は、ほかの精霊士の祈祷のこともよく知らない。


 ――「ニコラのほうが、よっぽど本物だ」――


 なぜかセヴランのつぶやいた声を思い出した。

 いまだに僕は、自分がなにかしらの『本物』だと思ったことは一度もないのだ。

 でも、もしも僕にできることがあるのだとすれば――。


「僕にできること――」


 


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