第21話 文繰り
朱堂家の、埃っぽい小さな道場。
俺と鴉麻神楽は、二人きりで向かい合っていた。
神楽は、これから始まる修行の、最初の手本を見せるという。
「文音。あれ、見えるか?」
彼が指さしたのは、道場に差し込む光の中を、きらきらと舞う、一粒の塵だった。
「あれを、動かしてみぃ」
「塵を……?」
「せや」
俺は、言われるがままに、その塵に呪力を向ける。だが、俺の「大河」は、あまりにも強大すぎた。塵は、俺の呪力が触れる前に、その余波だけで、どこかへ吹き飛んで消えてしまった。
「……次は、僕の番や」
神楽が、すっと指を動かす。
すると、別の、光の中を舞う一粒の塵が、まるで操り人形のように、空中に、流麗な筆跡で「神楽」という文字を描き、そして、俺の鼻先に、ぴたりと静止した。
俺は、息をのんだ。
神楽の指先から、呪力が動いた気配すら感じ取れない。
(見えへん……。糸どころか、呪力が動いた気配すら……。これが、『零』の技……!)
「これが、あんたが最初に目指すもんや。呪力で、一本の『糸』を紡ぐこと」
その日から、俺の、本当の地獄が始まった。
俺は、目を閉じ、自分の内なる「大洋」から、ほんの一筋の流れを引き出そうと試みる。
だが、結果は惨憺たるものだった。
力を抑えようとすれば、指先から放たれたのは「糸」ではなく、黄金の「綱」のような、不安定な呪力の塊。それは、道場の壁に当たり、ドゴォ!と、小さな穴を開けてしまう。
逆に、力を絞りすぎれば、呪力は「糸」として形を成す前に、霧のように拡散して消えてしまう。
(くそ……! なんでや! 俺には、こんなに力があるのに……! たった一本の糸も、作れへんのか……!)
何度繰り返しても、結果は同じ。初めて、自分の思い通りにならない「才能の壁」に、俺は本気で焦りと苛立ちを感じていた。
ぜえぜえと息を切らし、床に手をつく俺の姿を、神楽は、どこか楽しそうに眺めている。
「焦んなや、アホ。あんたが今までやってきたんは、ダムに溜めた水を、ただただ下流にぶちまけるだけの作業や。せやけど、今からやるんは、そのダムから、一本の用水路を引く作業。土木工事や。設計図もなしに、いきなりできるわけないやろ」
「設計図……?」
「せや。頭の中で、まず『設計図』を描くんや。呪力が、体のどこを通って、指先のどこから、どんな細さで出ていくのか。その『道』を、完璧に、寸分たがわず、イメージせえ」
その言葉は、まるで天啓のようだった。
神楽は、続ける。
「この技術体系を、我々陰陽師は『
彼は、俺の顔を見て、悪戯っぽく笑った。
「奇遇やな、文音。あんたの名前、文音。それも、こっからきとる。文繰りの音で文音や。最強の陰陽師にふさわしい、美しい名前やろ?」
(俺の、名前の由来……)
「でも……」俺は、最大の疑問を口にした。「神楽の『琴線』は、なんであんなに強いん? 呪力を薄めたら、威力はその分、弱くなるんやないの?」
「ええ質問やな、文音」
神楽は、楽しそうに言った。
「グラスは、どうやったら割れる?」
「え……? 石でも、ぶつけたら……」
「それがあんたの発想や。『力』で叩き割る。けどな、もっと賢い方法がある。グラスにはな、それぞれ固有の『響く音』があるんや。その音と、寸分たがわず同じ高さの声を当て続けると、グラスは、自らの振動に耐えきれず、内側から勝手に砕け散る。……分かるか?」
「……!」
「僕の『琴線』も、理屈は同じや。僕がやっとるんは、この極細の糸を、あやかしの呪核が持つ、固有の『周波数』と完璧に
その、あまりにも異質で、天才的な理論。
俺は、今度こそ、彼の「最強」の秘密を、完全に理解した。
俺は、再び目を閉じる。そして、今度は、呪力を出すことではなく、自分の呪核から、指先まで続く、髪の毛よりも細い「パイプライン」を、頭の中に、完璧にイメージすることだけに、全神経を集中させた。
そして、その完成した「道」に、ほんの少しだけ、呪力を流してみる。
すると、俺の指先から、一本の、まだ不格好で、ふるふると震えているが、しかし、確かに形を成した、黄金の『琴線』が現れた。
それは、一秒も経たずに、ぷつりと消えてしまったが、紛れもない、成功への第一歩だった。
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