ホメオスタティック | レイディ

えいとら

 隣で眠るイエナの恒温ホメオスタティックボディーが、妙に熱く、目が覚めた。


 やれやれ。故障か? アプデしたばかりだが?


枕元を見る。


マットレスに沈んだホログラム時計には、〈2067/9/4 火 03:07〉と水色の文字が浮かんでいた。


 俺のボロアパートの壁は薄く、反重力バイクのエンジン音が素通りする。


『とにかくタバコを吸って落ち着きたい』


そう思った俺は、枕元をまさぐる。


もちろん、暗くて見えない。


しかし灯りをつけようとは思わなかった。なぜなら……めんどくさかったからだ。


 暗闇の手探りで、シーツを無駄に撫でていると、イエナの銀髪が右手に絡みつく。


彼女のナイロンの髪の毛は、滑らかすぎて何の感触も無く、俺の指の間から滑り落ちた。


「ん……」


 と言いながら、イエナが寝返りをうった。


シーツの衣擦れの音が、狭い寝室をさまよう。


しかし俺はタバコを探し続ける。


『眠る前にここらに置いた記憶なんだが?』


そうしていると、合成音声の眠そうな女の声が、俺の耳に入ってきた。


「……知ってる?」


 もちろんイエナの声だった。


「なにが……?」


「“サケ”っていう魚の卵ってね? メスのお腹から二千個とか五千個も、出るんだって?」


 俺は枕の下もまさぐった。


しかし、やはり目当ての物は無い。


「卵が五千だって……? 知らなかった……。というか、サケって……魚の?」


「そう。サケって……魚の」


 イエナはゆっくり俺の腰を抱いた。


同時にイエナの人工の湿った太ももが、俺のすねを包んだ。その感触は、不自然なまでに柔らかい。


『もしかすると、ダイニングテーブルの上に置いたままなのかもしれない』


そんなことを考えながら“捜索”を続ける俺を他所に、イエナはよく分からない話を続ける。


「それでサケって魚ってさ? ……川魚のくせに、海に出るの……。その時って、どんな気持ちだと思う?」


「……なにが……?」


「だから……サケの気持ち……」


「サケの気持ち……?」


 イエナの声が少しずつはっきりしてきた。


多分、覚醒プログラムに移行したんだと思う。


 少しキーが上がった合成音声が続く。


「川の水から海の水に慣れるのってさ? まじで大変みたいで……サケってやばい覚悟を持って川から海に出るわけ……。だから、ニンゲンで言うならさ? 宇宙に飛び出すような感じじゃ無いかって、あたしいつも思うんだけど……どう思う?」


「どう思うって言われても……分かるはずが無い……」


 サケから宇宙……? なんの話なんだ? 


俺の頭の中に、サケが人工衛星のように地球の軌道を回遊する様子が、浮かんだ。


 ともかく俺は、ダイニングに向かうためにベッドから起きあがろうとした。


 しかしイエナは、裸の脚でさらに絡み付く。


頭と同じナイロンの毛が、俺の尻の肌を撫でた。


「それでサケは、頑張って宇宙に飛び出るわけなんだけど、あるていど大人になって産卵が近づくと、思っちゃうんだ……『そうだ! 生まれ故郷の川に戻ろう!』……って。やばいと思わない? せっかく『宇宙』に出たのにさ? 『大気圏突入』して生まれ故郷にかえっちゃうの。……無茶苦茶だと思わない?」


 そう言いながら、イエナは少し笑った。


 宇宙に出たサケが川上りじゃなく大気圏突入するらしい……。ますます訳がわからない事になって来た……。


しかし俺の思考の中心から、タバコが離れることは無い。


さっさとダイニングテーブルまで行って、タバコに火をつけたい。そうしないと……落ち着かない。


中毒と言えばそうだが……探している物が見つからない事が、気になる。


「そうやって宇宙から大気圏突入して、流星みたいに燃え尽きそうになりながらも、故郷に帰ったらさ? オスが地面に穴掘って……メスはそこに卵を産むの……もちろん、2000とか5000とか……?」


 大気摩擦で黒焦げになったサケが、地面の穴に卵を産む。あまりに過酷な様子に、憐憫の情が湧く。


 だから俺はつい、会話に乗る。


「そんな大変なことをして故郷に帰って、でも穴に卵を産むのか?」


「そう。サケは、卵を穴に産むの……。まじで笑えると思わない?」


「いや、笑えなく……無い」


「そうかな……? 笑えない?」


「笑えない」


 俺は男だが、さすがにサケに同情した。なぜわざわざ苦労して地面の穴に産卵するんだ? 


イエナの会話よりも理不尽だ。


 しかし『サケが黒焦げになる』というイメージで、火が点いたタバコのイメージが蘇り、禁断症状がぶり返したのも事実だった。


 だから再びベッドから抜け出ようとするが、イエナの体毛の無い滑らかな脚が俺に絡み付いて、離れない。


 もぞもぞと蠢く俺を、脚でさらに締め付けながらも、彼女の話は止まらない。


「あなたって穴を掘るの得意? サケのオスは、産卵の為に穴を掘らないといけないからさ? サケのメスにとって、良い穴を掘るオスって魅力的に見えると思うんだ。 ……ちなみに私は、穴掘りは苦手」


「穴掘り……? むしろ得意なやつがいるのか? ていうか『良い穴』ってなんだ?」


「卵を産みやすい穴だよ。卵を産んで……あなたと私のを、かき混ぜやすい穴……。わからないの?」


「残念だが、分かるはずが無い」


「じゃあ無理だね? あたし達サケになったら無理。さようなら」


「ちょっと待て。無理ってなんだ? イエナを買ったのは俺なんだぜ?」


「そんなこと関係ないから。だってサケになったのに穴を掘れない男は、物理的に無理じゃん。……何もかも」


 その時、イエナの脚の拘束が緩んだ。


 一瞬の隙を突いて、俺はベッドから出て立ち上がる。


 布団が落ちて、イエナのシルバーの上半身が薄明かりで輝いた。


彼女は、驚いた顔で不平を漏らす。


「ああー! 立った!!」


「そりゃ、立つさ?」


「どっちも立ってる!!」


「だからなんだって言うんだ。俺は……人間だ。立ったりも勃たせたりもする……」


 そう言いながら俺はダイニングテーブルに向かう。


 イエナの声が背中から追ってくる。


「もっと一緒にサケの気持ちになろうと思ってたのに!!」


 はっきり言って、俺はもう『サケ』になるのは十分だった。


宇宙に行って、黒焦げになって、穴まで掘ったんだ。


十分にサケを満喫したはずだ。


 そうやってサケから人間に進化した俺は、ついに見つけた。


 ——銀色に光るロゴマークが入った小さな箱を。


ダイニングで僅かな光を浴びたそれは、光を鈍く纏っているように見えた。


 箱を開けて、一本取り出して、口に咥えて、横に置いてあったライターで火を点ける。


闇の中のタバコの光が、宇宙を落ちるサケ達の群れのように、赤く散った。


 そして、目覚めてすぐのニコチンが血中を巡る。


深い安堵を感じた。


 ふと気付くと、背中に柔らかい何かが触れる。


 イエナが、俺の背中に抱きついていた。


 アンドロイド用の香水が、タバコの煙に混じり、月桂樹のような香りがした。


「それでさ? ……食べに行かない? ……いくら丼?」


 口から煙を吐きながら俺は言う。


「いくら丼……? なんだそれ?」


「サケの卵をライスに乗せて食べる……東洋のランチらしいよ?」


「さっきのサケ話の続きか? なんでそうなるんだよ」


 イエナの合成音声はやはり安っぽいが、しかし甘くなっていた。


それは俺が好きな、イエナの声だった。


「だってさ……。無駄に卵を潰して、楽しんで……。まるで私たちみたいじゃない?」


「なにが?」


「だから……。いくら丼」


「どこが?」


「体を燃やして削って……慰め合って……。それですぐに死んじゃって……。サケってさ? まるで私たちみたいじゃない?」


「そうか?」


「そうよ? だから私……味わって噛み潰してみたいんだ……。いくら丼を……」


 そう言ったイエナの、機械仕掛けの柔らかな肌は、やはり熱過ぎた。


俺は彼女と同型のアンドロイドの安売りをやっていた店を、なんとなく思いだしていた。


 感情がまた一つイクラのようにどろりと弾け、胸の中で赤く流れた。

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