第1話 招かれざる王
白の王、白亜とダンスを踊る従者・裏柳は、国王の側近中の側近だ。
二人は乳兄弟であり、幼馴染みとして育ってきた。
裏柳の薄い緑の髪に金色の瞳、透き通るような白い肌は、祖父が緑国出身のクォーターであることを示している。
いつも堅苦しそうな眼鏡をかけた彼に、白亜は何度かコンタクトをすすめたが、本人は気に入っているようで、変える気配は全くない。
白亜はそんな堅苦しい側近が、とても好きだった。
「裏柳」
ステップを踏みながら、白亜は大事な側近の名前を耳元で囁く。
「白亜様」
そう小声で名前を呼び返してくれる幼馴染みに、白亜は幸福を感じた。
誰も見ていない二人だけの秘密の時間。
それが白亜は楽しかった。
人前では、もう気軽に名前を呼び合えない。
でも、そんな堅苦しい日々も今日で終わる。
ゴーン、ゴーンと、深夜の十二時を知らせる鐘の音が鳴り響く。
裏柳は白亜に一礼すると、その場を離れた。
白亜は、名残惜しそうに離れていく手を見つめた。
「短い時間でしたが、婚約者を決めることはできましたでしょうか」
進行役である裏柳は、マイクを握る。
「お決まりになりましたら、各王様方は意中の方へ花を差し出してください」
各王は、胸ポケットから自国の色をした薔薇を取り出す。
いよいよ、我が王の想い人がわかる。
裏柳は好奇心に胸をドキドキさせつつ、白亜に視線を向けた。
その時、フッと電気が消え、あたりが暗闇に包まれた。
(何だ!? 停電か?)
裏柳は声には出さず視線を動かすが、何も見えない。
こんな仕掛けはしていないはずだ。
警備から連絡もない。
悲鳴があがり、大広間は騒然となっていた。
「急いでブレーカーを! 各王を護衛せよ!」
裏柳は落ち着いて素早く指示を出す。
自分も白亜の元へと急いだ。
徐々に目に慣れてきた暗闇の中、窓から差し込む月明かりが、白い装束の我が王を浮かび上がらせる。
裏柳は白亜に手を伸ばした。
白亜も裏柳に気づいて手を伸ばす。
(もう少し……)
しかし、その手が白亜に届くことはなかった。
裏柳の腕を誰かが強く掴み、引き寄せたのだ。
誰かの胸元に抱かれている。
「宴に俺を呼ばないとは酷いではないか? 白の王国よ」
地を這うような低い声が大広間に響いた。
漆黒の何かが裏柳を抱きしめている。
やがて、裏柳の指示に従った者がブレーカーにたどり着き、再び電気が点灯した。
大広間は恐怖に支配され、ざわめきが広がった。余計に悲鳴が上がる。
裏柳の腕を掴んでいたのは、鬼のような角と、般若のような恐ろしい顔をした大男だった。
漆黒の髪に血のように赤い瞳、黒いマントに身を包んだその姿は、まるで悪魔のようだった。
裏柳は息を呑む。
「く、黒の国王か?」
胸が詰まるような苦しさを感じつつ、なんとか声を絞り出す。
恐怖で体が震えそうだった。
黒の王国は、幻の王国。
伝承の中だけの存在だと思っていた。
伝承によれば、闇の中で猛獣や魔物を従える魔王の王国。
その国王は凶悪な獣人の国である。
容姿は醜く、見るに堪えない。
気に入った女やオメガを連れ去り、孕ませ、食う。
機嫌を損ねれば国を滅ぼすとされている。
歴史の要所要所に現れ、文献にしか記されていない存在。
「そうだ。俺は黒の国王、漆黒(しっこく)。俺も番が欲しい」
漆黒と名乗る男は、フフフと不敵に笑う。
「お、お誘いできず申し訳ありませんでした。お住まいが分からず……」
裏柳はとっさに頭を下げる。
冷や汗が背中を伝った。
存在すらわからない相手をどうすれば招待できるというのだ。
そう思いながらも、膝をつき、頭を下げるしかない。
相手は黒の王国の魔王。
機嫌を損ねれば、何をされるか分からない。
誠心誠意謝りたいが、漆黒は裏柳を離そうとしなかった。
裏柳は身動きが取れず、無意識に視線を白亜に向けていた。
「黒の王国の王よ、白の国の王として謝罪する。どうか許して欲しい。恨むなら我を恨むが良い。私の大事な従者をどうか離して欲しい」
跪き、頭を下げる白亜。
自分の王が他国の王に跪き、頭を下げるという屈辱を味わわされていると言うのに、裏柳は何も出来ない。
悔しくて歯を食いしばった。
「そうだな。仕方ねぇか。許してやるよ。俺も側室を選ばせてもらうぜ?」
漆黒は黒い薔薇を手にしていた。
「ええ……」
裏柳は引きつった声で頷くしかない。
大広間のオメガ美女とオメガ男性たちは、恐怖に怯え、後ずさりする。
全員が視線を外し、この魔王に選ばれたらどうなるかと、肩を震わせた。
白の王も裏柳も、選ばれた者を助けることはできないだろう。
生贄に捧げるしかないのだ。
「宴に招いてもらえなかったんだ。俺様から選ばせてもらうぜ?」
フッと笑う漆黒に、会場の空気はさらに張り詰める。
「同時に、という決まりですので……」
裏柳は、ルールを口にする。
もし希望者が重なれば、花を受け取った方に軍配が上がる決まりだ。
「わかった。仕方ねぇ」
漆黒はチッと舌を打ちつつ、意外にも素直に頷いた。
裏柳はホッと胸を撫で下ろすが、安堵できる状況ではない。
すぐにまた緊張が走る。
「では、王様方、意中の方へ薔薇を差し出してください」
裏柳の合図で、王たちは薔薇を差し出した。
「えっ……」
裏柳の目に、白と黒の薔薇が飛び込んできた。
白亜と漆黒が、互いを睨み合っている。
「僕は、ずっと君を想っていたんだ。裏柳、受け取ってくれるね?」
白亜は真剣な面持ちだった。
そんな風に想われていたとは、裏柳は全く気づかなかった。
確かに裏柳はオメガだった。
しかし、オメガとしては出来損ない。
子供を孕めるかどうかも怪しい。
発情期もめったに来ないため、ほとんどベータのようなものだ。
「俺の方を受け取った方が身のためだぜ」
フフフと不敵に笑う漆黒。
その言葉は、まるで脅しのようだった。
黒の王国を敵に回せば、白の王国だけの騒ぎでは済まないだろう。
他の国を巻き込んだ戦争に発展しかねない。
黒の王国は獣や魔物を操る、無敵の軍隊を持つと聞く。
歴史を見ても、その恐怖は群を抜いていた。
「裏柳、君が生贄になることなどない。僕は戦う。君を守る。だから僕の薔薇を手に取るんだ。迷う必要なんてない!」
白亜は必死に裏柳の手を掴む。
「白の王国の従者よ、我々も戦う!」
「貴方が犠牲になることはないのですよ!」
「黒の王国など怖くはないぞ!」
側室候補を無事に見つけた他の王たちも声を上げる。
広間に集まった全員が「オー!」と声を上げ、その場は熱気に包まれた。
裏柳は迷った。
震える手は、黒い薔薇を掴んでいた。
「裏柳!!」
白亜が悲鳴のような声を上げる。
「賢明な判断だな、俺の花嫁よ」
フハハハハ!
大広間に魔王の笑い声が響いた。
その瞬間、再び明かりが消えた。
暗闇に乗じて、漆黒は裏柳を抱きかかえる。
そして、誰の目にも止まらぬ速さで、その場から姿を消した。
「裏柳ーーーー!! 必ず助けに行く。待っていてくれ!! 裏柳ーーーー!!!」
残された白亜の悲痛な叫び声が、暗闇に木霊するのだった。
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