EP 10

最初の授業と、最初の敵意

王立魔法学校での生活は、一言で言って退屈だった。

一年生の授業は、魔法史、基礎魔法理論、魔導倫理学といった座学が中心だ。

講師が語る内容は、俺がこのひと月で《万物検索》を使って頭に叩き込んだ知識の、ほんの上澄みに過ぎない。あくびを噛み殺しながら、ノートに当たり障りのないメモを取る。それが俺の日常になった。

俺は『制御不能な魔力を持つが、座学は苦手な田舎者』というキャラクターを完璧に演じていた。

質問されても、わざと少し間を置いてから、的外れな答えを言う。テストでは、常に平均点ギリギリを狙う。そのおかげで、教師たちからは「才能に知識が追いついていない、典型的な原石タイプ」と認識され、過度な期待を寄せられることもなくなった。

問題は、同級生との関係だ。

この学校は、その大半が貴族の子弟で構成されている。彼らは生まれながらの選民意識を隠そうともせず、俺のような平民、特に『測定器を破壊した』という悪目立ちする特待生を、面白く思っていないようだった。

食堂で一人、味の薄いスープをすすっていると、四方八方から突き刺さる視線を感じる。

「あれが例の…」

「田舎者なのに、魔力だけは一級品ですって?」

「まあ、下品ですわ」

(…うるさい)

俺は一切を無視した。相手にするだけ無駄だ。前世で相手にしてきたのは、もっと殺伐とした脅威だった。子供の悪意など、蚊が飛んでいるようなものだ。

しかし、その無視が、一部の生徒のプライドを酷く傷つけたらしい。

その日、俺たちのクラスで初めての実技授業があった。

課題は、ごく簡単な『魔力浮遊』。手のひら大の水晶を、魔力で安定させて浮かせる、というものだ。

生徒たちが順番に課題をこなしていく。

貴族の子供たちは、幼い頃から家庭教師に魔法を習っているのだろう。皆、そつなく水晶を浮かせていた。

中でもひときわ完璧な制御を見せたのが、一人の少年だった。

燃えるような赤い髪に、自信に満ちた翠色の瞳。いかにも高位貴族といった華美な制服を着こなしている。彼の名は、マーカス・フォン・アドラー。有力侯爵家の嫡男で、この学年では首席と目されているエリートだ。

彼は優雅な手つきで水晶を浮かべると、こちらをチラリと見て、勝ち誇ったように鼻を鳴らした。

(…面倒なのが来たな)

俺は内心で、『厄介事リスト』のナンバーワンに彼の名前を書き込んだ。

そして、俺の番が来た。

クラス中の視線が、俺の小さな背中に突き刺さる。

俺はいつも通り、プランを実行した。

体内の膨大な魔力を、わざと乱暴に引き出す。

俺が手をかざした途端、台座の上の水晶はカタカタと激しく震え、周囲の空気がピリピリと帯電するような感覚に陥った。

「うわっ…!」

近くの生徒から、小さな悲鳴が上がる。

俺は「うーん」と唸りながら、必死に制御しようと試みる子供を演じる。

やがて、水晶はまるで嵐の中の小舟のように、激しく揺れながらも、なんとか宙に浮いた。

実技担当の教師が、困ったように、しかしどこか感心したように頷く。

「…むぅ。相変わらず、凄まじいパワーだな、アレン君。だが、もっと繊細に…」

その時だった。

クラス中に響き渡る、嘲笑が聞こえたのは。

「噴飯ものだな。まるでゴブリンに剣を持たせたようだ。それだけの力がありながら、その醜態。平民は、やはりどこまでいっても平民か」

声の主は、マーカスだった。

彼は腕を組み、俺を完全に見下した目でせせら笑っている。

教室の空気が、シンと静まり返った。誰もが、この特待生とエリート貴族の衝突の行方を見守っている。

俺は、浮かせていた水晶を、ことりと台座に戻した。

そして、マーカスの方をゆっくりと振り返る。

怒りも、恐怖もない。あるのは、ただ純粋な面倒くささだけ。まるで、任務中に騒ぎ出した新兵を見るような、そんな目だったかもしれない。

俺は、小さく、しかし全員に聞こえるくらいに、深くため息をついた。

「…そうか」

たった、三文字。

何の感情も乗っていない、平坦な声。

その反応が、マーカスの逆鱗に触れた。

「貴様…! その目はなんだっ!」

顔を真っ赤にして激昂するマーカス。それに対し、俺はもう興味を失っていた。彼に背を向け、自分の席に戻ろうとする。

「こ、こら! 授業中だぞ、お前たち!」

教師が慌てて割って入ることで、その場はなんとか収まった。

しかし、その日を境に、マーカス・フォン・アドラーの俺に対する敵意は、決定的となった。

俺にとっては、ただのスローライフの障害でしかない。

しかし、障害は、いつか必ず排除しなければならない。

俺は自室に戻ると、机の上の木彫りの人形を手に取った。

その滑らかな関節を、指でそっと撫でる。

(…そろそろ、こいつに少し、武装を施しておくか)

面倒事を避けるための力が、新たな面倒事を呼ぶ。

人生とは、どこまでも皮肉なものらしい。

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