第7話【生と死の都合】
でも、僕は──
ルヴァントは革袋を握りしめる。
シエノラは静かに部屋を出た。
ルヴァントがその後を追う。
「本当にありがとうございました」
扉の向こうから、両親の声が聞こえる。
泣き声と、笑い声が混ざり合っている。
「リムスは幸せだったって……」
「私たちも……」
扉が閉まる。
外は夕暮れだった。
◇
西日が石畳を赤銅色に染めている。
家々の影が長く伸び、道を這うように広がっていた。
窓ガラスが夕日を反射し、黄金色に輝く。
二人は無言で石畳を歩く。
村人たちの姿は見えない。
窓のカーテンが、わずかに揺れる。
誰かが見ている。
でも、誰も声をかけない。
遠くで、夕暮れの鐘が鳴った。
一度、二度、三度。
音が石畳に反響し、やがて消える。
シエノラの影が、ルヴァントの足元を横切る。
黒衣が夕日を吸い込み、影よりも濃い闇を纏っている。
村の外れ。
森への小道が始まる場所。
空が、青から橙へと変わり始めていた。
◇
小道を進む。
木々の間から差し込む西日が、地面に細長い影を作る。
光は斜めに、鋭く、まるで刃のように森を切り裂いている。
ルヴァントは何度も口を開きかけては閉じる。
革袋の紐を握りしめ、ほどき、また握りしめる。
夕暮れの鳥が鳴いた。
高く、長く、どこか寂しげな声。
一羽、また一羽と、巣に戻る声が重なる。
シエノラは音もなく歩く。
黒衣の裾が地面を撫で、落ち葉を巻き上げることもない。
ルヴァントの足音だけが、小道に響く。
乾いた土を踏む音。
枯れ葉が砕ける音。
西日が木々の葉を透過し、琥珀色の光が舞う。
やがて、ルヴァントが立ち止まった。
「師匠」
シエノラも立ち止まる。
振り返らない。
沈黙。
遠くで鳥の声が止む。
風が木々を揺らし、夕日が枝の間から漏れる。
「僕は……」
ルヴァントの声が震える。
「僕は、リムスを本当に生き返らせたかった」
風が吹く。
木の葉が揺れ、光が地面で踊る。
「でも師匠がしたのは……別れをさせただけ」
「ええ」
シエノラの声に、何の感情も込められていない。
「それは……蘇生と言えるのですか?」
沈黙。
ルヴァントは拳を握りしめる。
「師匠なら……死後二十四時間を過ぎても、記憶を保持したまま、本当に生き返らせることが可能でしたか?」
風が止まる。
木々が動きを止め、鳥の声も消える。
西日だけが、二人を照らしている。
◇
シエノラの銀髪が、夕日を受けて金色に輝く。
その背中は、どこまでも遠く見えた。
「……それは」
シエノラの声が、わずかに震える。
「不可能であり、不都合です」
「不可能……」
ルヴァントが呟く。
「師匠でも、不可能なんですか?」
「ええ」
即答。
でも──
その声の奥に、何かが隠れている気がした。
「不都合とは?」
沈黙。
西日が、さらに傾く。
影が伸び、木々の幹が赤く染まる。
シエノラは歩き出す。
「ルヴァント」
「はい」
「蘇生とは、何でしょう」
「……ソウルを……魂を肉体に繋ぎ直すことです」
「では、魂とは?」
「個人の物語です」
シエノラは立ち止まる。
西日が彼女の横顔を照らす。
左半身の灰色の痕跡が、夕日の中で浮かび上がる。
「──物語とは、誰が語るのでしょうね」
その問いかけに、ルヴァントは答えられなかった。
シエノラは再び歩き出す。
黒衣の裾が、落ち葉を撫でる。
ルヴァントは、その背中を見つめる。
夕日が、師匠の影を長く伸ばしている。
その影は、まるで夜そのもののようだった。
何かが──何かが、まだ言葉になっていない。
◇
二人は無言で森を進む。
西日がオレンジ色から深紅へと変わっていく。
木々の間から差し込む光が、まるで血のように赤い。
ルヴァントは革袋を見つめる。
シカの血液。
800ミリリットル。
一滴も使われなかった。
師匠は、両親の血液を数滴しか使わなかった。
量ではない。
では、何が違ったのか。
ルヴァントは、まだ理解していない。
遠くで、夕暮れの鐘が再び鳴る。
村からの音。
もう遠い。
◇
やがて、石造りの小屋が見えてくる。
建物全体が西日に照らされ、石の壁が赤く染まっている。
煙突から煙は上がっていない。
窓は閉ざされ、静かに佇んでいる。
シエノラは扉の前で立ち止まる。
西日が彼女の影を、扉に投影する。
長く、細く、まるで夜への入口を示すかのように。
「ルヴァント」
「はい」
「今日、あなたが見たものを忘れないでください」
「……はい」
「そして、考え続けてください」
シエノラは扉を開ける。
「繋術とは、何か。魂とは、何か。そして──」
シエノラは振り返る。
西日が彼女の顔を照らす。
夜の海のような瞳が、夕日を映して深紅に輝く。
「生と死の境界とは、何か」
その瞳の奥に、何かが沈んでいる。
深い、深い、海の底のような──
答えのない問い。
シエノラは小屋の中に消える。
ルヴァントは、夕暮れの中に立ち尽くしていた。
西日が彼の影を長く伸ばし、森へと繋がっている。
◇
空では、雲が赤く染まっている。
西の空がオレンジ色に燃え、東の空はすでに藍色に沈み始めていた。
ルヴァントは革袋を握りしめたまま、動かない。
両親は満足していた。
心から。
でも──
ルヴァントの胸の中に、何かが残っている。
それは疑問なのか、納得できないものなのか、それとも──
言葉にならない。
遠くで、最後の鳥の声が聞こえる。
やがてそれも消え、静寂だけが残った。
ルヴァントは、小屋に入る。
扉が閉まる音が、夕暮れに響いた。
◇
森に、夜が訪れる。
西日が完全に沈み、深藍色の闇が広がっていく。
木々が影になり、星が瞬き始める。
小道には、誰もいない。
ただ風が吹き、葉が揺れ、時が流れていく。
世界は続いている。
生も、死も、すべてを飲み込みながら。
◇
第1章『蘇生』終了
第2章『不死』へ続く
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