第3話【遺されたもの】

 ルヴァントは重い足取りで村に辿り着いた。


 正午を少し過ぎた陽光が石畳を白く照らしている。

 影が家々の足元に縮こまり、息を潜めていた。

 

 小さな家の前でルヴァントは深呼吸をする。

 革袋の重みが、肩に食い込んでいた。


 扉を叩く音が、静寂を破る。


「リムスのご家族の方はいらっしゃいますか」


 扉が開き、目を腫らした女性が現れた。

 虚ろな表情で、ルヴァントを見つめる。


「ルヴァント……来てくれたのね……」


 リムスの母親の声は力なく、今にも消えそうだった。


「はい。リムスのことで、お話が」


「ありがとう……」


 母親は言葉を探すように口を開いては閉じる。


「リムスの最後を……見に来てくれて……」


 母親の目に、また涙が溢れる。


「いえ、それは……」


 ルヴァントは言葉を選ぶ。


「僕は……リムスを生き返らせることができるかもしれません」


 女性の表情が凍りつく。

 理解が追いつかない。


「生き返らせる……?」


「僕は繋術師として、リムスを蘇生できるかもしれません」


「蘇生……生き返る……リムスが……?」


 女性の声が震える。

 希望なのか、恐怖なのか、判別できない感情が声に混じる。


「可能性はあります。ただし──」


「お父さん!お父さん!」


 女性が奥に向かって叫ぶ。


 家の周りに集まっていた村人たちが、ざわめき始めた。

 誰かが息を呑む音。

 誰かが小声で祈りの言葉を洩らす。

 ひそひそとした波が、石畳の上を這っていく。


    ◇


 奥の部屋から、男性が現れた。


 リムスの父親だ。

 赤く腫れた目。

 無精髭。

 握りしめられた拳。


「ルヴァント……」


「こんにちは。リムスのことで──」


「来てくれたのか」


 父親はルヴァントの肩に手を置いた。

 その手は僅かに震えている。


「ありがとうな。こんな時に、わざわざ」


「実は、僕は繋術師として──」


 父親の表情が一変する。


「繋術師としてだと?」


「はい。リムスを蘇生できる可能性があります」


「……やめろ」


 父親の声が低く、重くなる。


「俺の息子を、死霊にする気か?」


「死霊術ではありません。繋術です」


「同じことだろう!死んだ者を弄ぶ邪術だ!」


「違います。繋術は、ソウルを肉体に繋ぎ直す──」


 父親が一歩近づく。

 拳が震えていた。


「なんでそんな真似をする。リムスはもう死んだんだ。安らかに眠らせてやりたい」


「リムスは、まだ完全には死んでいません」


 ルヴァントは冷静に答える。


「死後二十四時間。記憶を保持したままの蘇生が可能な限界まで、あと二時間五十分です」


「やめろと言っている!」


 父親の声が、石畳に跳ね返る。

 村人たちのざわめきが、止まった。


「僕も一度、死にました」


 ルヴァントの言葉に、父親が動きを止めた。


「死の向こう側は、とても静かでした。でも僕は、師匠に生き返らせてもらった」


「それは……」


「僕が今ここにいるのは、繋術のおかげです。リムスにも、同じ奇跡を」


「奇跡だと?」


 父親の声が震える。


「お前は……お前は分かっていない。絶望の淵にいる者に、希望を見せることがどれだけ残酷か」


「でも、可能性はあります」


「可能性だと……?」


 父親が拳を握りしめる。

 爪が皮膚に食い込み、血がにじむ。


「俺だって、リムスに会いたい……あの声をもう一度聞きたい……一緒に畑を耕して……一緒に飯を食って……一緒に笑いたかった……」


 涙が頬を伝い、石畳を濡らす。


「……だけど、もう諦めたんだ。諦めて、受け入れようとしてる。なのに、お前は……」


「諦める必要はありません」


 ルヴァントは革袋に手を当てる。

 袋の中から微かな温もりが伝わる気がした。


「僕には、リムスを救う方法があります」


「やめてくれ」


 父親の肩が震え、声がかすれる。


「もう俺たちに、希望を見せないでくれ。これ以上、苦しませないでくれ」


「でも──」


「頼む。帰ってくれ」


    ◇


 扉が閉まる。


 ルヴァントは石段に腰を下ろした。

 革袋を膝の上に置く。


 ひそひそとしたざわめきが、風のように絶え間なく流れていた。


「ルヴァント、無理するなよ」


 村の一人が声をかけようとして、止まる。

 その目が、何かに気づいたように見開かれた。


 ルヴァントの表情は穏やかだった。

 いつもと同じ、優しい微笑み。

 でも──


 誰も、それ以上声をかけられなかった。


 陽光が傾く。

 影が伸びる。


 ルヴァントは革袋を抱きしめたまま、動かない。


 村人たちのざわめきが、やがて消える。

 一人、また一人と、家の中に戻っていく。


 石畳に、ルヴァントの影だけが残された。


    ◇


 陽光が、さらに傾いた。


 石段の影が、ルヴァントの足元まで伸びている。

 額の汗を拭う。

 革袋の中の血液は、まだ温もりを保っていた。


 残り時間は一時間を切っている。

 ルヴァントは、まだそこにいた。


 扉が開く。


「ルヴァント」


 母親が立っていた。


 ルヴァントを見つめるその瞳には、もう迷いがなかった。

 絶望の底から這い上がってきた者だけが持つ、静かな強さがあった。


「お願いします」


 彼女の声は、もう震えていなかった。


「リムスを……もう一度だけでいい。もう一度、あの子に会わせてください」


「お母さん……」


 奥から父親の声が聞こえる。


「本当にいいのか……?」


「もう一度だけでいい、私はリムスの声が聞きたい」


 母親がルヴァントを見つめる。

 その目に、一筋の涙が光った。


「あなたが生き返ったように……お願い」


 ルヴァントは立ち上がり、深く頭を下げた。


「必ず、リムスのソウルを繋ぎ止めます」

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