第2話【シエノラ・ルミニア】

「重そうな荷物ですね」

 シエノラの声には、問いかけとも諦めともつかない響きがあった。


 ルヴァントは革袋の紐を握りしめる。

 嘘をつくつもりはない。

 シエノラの瞳は、真実も嘘も同じように見抜く。


「師匠、相談があります」


 シエノラの瞳が、わずかに揺らめく。


「村の少年のことでしょう」


 沈黙が部屋を満たす。

 暖炉の薪が崩れ落ちる音だけが、時の流れを刻んでいた。


「見せてください」

 シエノラの声が響く。


 ルヴァントは革袋を開き、小瓶を取り出した。

 深い赤色の液体が、炎の光を受けて鈍く光る。


 シエノラの表情が変わった。

 左半身の灰色の痕跡が、光の中で微かに陰影を変える。


「血は、記憶を宿すものでしょうか?」

 シエノラが静かに問いかける。


「それは──」

 ルヴァントは言葉に詰まる。


「ルヴァント、座ってください」


 二人は暖炉の前の椅子に向かい合って座った。


「21時間という時は、死にとって長いでしょうか、短いでしょうか?」

 シエノラの問いかけは、答えを求めているようには聞こえない。


「でも……あと3時間あれば」


「時は、すべてを変えてしまいます」

 シエノラの声に、深い経験に裏打ちされた重みがあった。

「少年にとって、5年という短い時間で、どれほどの物語が紡がれるでしょうね」


 ルヴァントは拳を握りしめる。


「それでも」

 ルヴァントの声に、静かな決意が込められている。

「それでも、僕は諦められません」


「なぜでしょう?」


 その声の奥に、シエノラ自身も答えを探しているような響きがあった。


「僕も一度、向こう側にいました」

 ルヴァントは師匠の目を見つめる。

「あの静寂から戻ってこられる、奇跡を知っている」


 シエノラの表情に、一瞬の動揺が走る。

 それは驚きでも困惑でもなく──痛みに似た何かだった。


「奇跡?ルヴァント……」

 シエノラが何かを言いかけて、止まる。


「師匠、僕は理解しています」

 ルヴァントは立ち上がる。

「それでも、やらなければならない」


「血とは何でしょう?」

 シエノラの声に、初めて感情らしきものが混じった。

「命でしょうか、それとも記憶でしょうか」


「それは──」

 ルヴァントは言葉に詰まる。


 シエノラは静かに立ち上がった。

 ルヴァントの表情を見つめ、何かを悟ったように小さくため息をつく。


「血に込められた記憶も、命を宿した温もりも──」

 シエノラの声に、諦めにも似た理解があった。

「あなたの決意を変えることはできないのですね」


「はい。リムスは、僕よりずっと短い時間しか生きられなかった。それでも、彼が遺したものは、僕を動かすには十分です」


「ルヴァント──」

 シエノラが呼びかける。


「終わった物語に新しい頁を加えることは難しいでしょう」

 シエノラの瞳に、複雑な光が宿る。

「でも、試みることで生まれる物語もあります」


 ルヴァントは振り返り、深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


 扉が閉まる音が響いた。

 シエノラは窓辺に立ち、ルヴァントの後ろ姿を見送る。


 窓ガラスに、彼女の顔が映る。

 

「どうか──」

 シエノラは小さく呟いた。

 言葉は風に消え、誰にも届かない。

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