邪狐戦記 ~災厄の子の反逆譚~

黒羆屋

英雄開眼 妖狐の章

第1話 災厄の子の目覚め

 ここはどこだ?

 頭を抱えながら田中たなかみのるは立ち上がった。

 ふらつく頭を抱えながら周囲を見回すと、

「何だここ…」

 みのるは唖然とした。

 それも当然だろう。

 周囲はみのるの見慣れない光景、異常な世界へと変貌していた。

 彼にとって見慣れた光景というのは2つ。

 寂れた農村部か首都圏の衛星都市である大きな道路が目立つ平野部かのどちらか。

 ここはそのどちらでもなかった。

 みのるに例える事の出来る風景があるとしたら、それは言うなら、紫禁城、か。

 中国にあるという古代のお城。

 10代であるみのるにとってはその程度の感覚だろう。

 子どもの頃に1人で年末にテレビを観ていた時に、三国志だか何だかの中国ドラマが映っていた。

 とても胡散臭い孔明と、やたらめったら顔の赤い張飛、いや関羽だったか、が喧嘩をしていたような記憶がある。

 その中で出てきた城の雰囲気にそっくりなのだ。

 実際の所は、紫禁城と言うよりは古代中国の城郭都市なのであるが。

 周囲では中華風の音楽、としかみのるには言えない曲が流れ、その中をきらびやかな中国風の服装をした男女が舞い踊っている。

 今自分の着ている高校の制服である詰襟学生服とあまりにも違うにも関わらず、彼らはこちらに全く意識を向けていない。

 その光景に唖然とするみのる

「一体何なんだ…」

 動揺しながらも、ここにいるのは危険だ、という強迫観念にも似た何かに突き動かされ、みのるは歩き出した。


 みのるは歩きながら、ぼんやりする頭を振りながら自分の事を思い出そうとした。

 わさわさと長髪が揺れる。

 正直にいえば自分としても鬱陶しい。

 しかし、これは言ってしまえばみのるにとっての心の鎧だ。

 この鬱陶しい長髪のカーテン越しでないとみのるは他者と会話する事が出来なかった。

 みのるは人が怖い。

 それは彼の今まで生きてきた、その経験からだった。

 飛騨山中にある隠れ里といっても良いような限界集落で彼は生まれた。

 住民は僅か36人。

 主要な産業は農業、といっても、ほとんど自給自足の様な状態であり、みのるはどうやって現金を得ているのか常々疑問であった。

 中学までは飛騨の山奥で暮らし、高校から首都圏の高校へと進学した。

 現在ぴっちぴちの16歳の高校1年生。

 本来ならば地元の高校に通うはずだったが…、まあそれは良いか、みのるは意図的にその事を頭から締めだした。

 中肉中背の体を手で叩き、どこかおかしい所はないか、怪我をしている所はないかと探ってみるが、問題はなさそうだ。

 みのるはほっとした。

 すると安心したせいか足の力が抜け、しゃがみ込みそうになった。

 足元に落ちているボロばふんを踏みそうになって慌てて飛び退いたのだが。

 金銭的な余裕のないみのるにとって、今着ている詰襟の学生服は数少ないフォーマルな服だ、下手に汚す訳にはいかないのである。

 クリーニング代も馬鹿にならないのだからして。


 みのるが歩いていると、周囲の光景が少しずつ変わり始めた。

 寂れた、といっていいだろう、大きな道のど真ん中にみのるは佇んでいた。

「ここは、何処どこだ?」

 後ろを見ると、巨大な城郭がその威容を誇っていた。

「やっぱり紫禁城みたいだ…」

 周囲を見回してみるとかつては煌びやかであっただろう都市の名残りがそこかしこに見受けられた。

 広い道の脇にある建物の朱色に塗られた窓枠や、半分崩れかかった看板にはやはり朱と金色で美しい装飾がなされていた事が見て取れる。

 それも過去の栄光。

 道端には腹だけが膨れた、みのるから見ると餓鬼のような栄養の欠損した子ども達が呆然と宙を眺め、路地裏では死体から髪の毛を引き抜いてかつらの材料として売り払おうとする老婆が若いゴロツキに殴り飛ばされて絶命する。

「なんだここ、なんてひどい…」

 現代の日本に生まれたみのるには、当然と言えば当然だろうか、このようなグロテスクな光景に体勢がある訳ではなかった。

 みのるとて、かつての日本、平安時代などのあたりには火葬が一般的でなかった事は知っている。

 だが、死体がそこかしこに捨てられている状態と言うのは彼の慮外であった。

 映像としてはこういう光景を見たことがあるだろう、しかしその臨場感は感じられる訳もない。

 こと、「匂い」という部分で日本人は過剰に反応する事がある。

 世界でもトップレベルに清潔である日本に暮らしているみのるにとって、腐乱死体や汚物の匂いの混じった瘴気とも言える匂いは耐えられないほどの気持ち悪さを醸すのである。

「う、うぷっ…」

 口元を押さえてその周辺から立ち去ろうとみのるは考えた。

 どうしても耐えられなさそうだ。

 そう思った時である。

 周囲の様子がおかしい。

 周りに居た人々がいなくなっていた。

 みのるが臭気に当てられ、えずいている間に姿をくらませていた。

 なぜなら。


 ばさっ、ばさっ!


 大きな羽ばたきの音。

 みのるは空を見上げ、

「なに…あれ…? フクロウ?」

 そう、呆然とつぶやいた。

 そこに居るのはフクロウの様な鳥、なのであろうか?

 大きさは人と変わらないほど、それが羽を広げているのだ、恐ろしい大きさに見える。

 怪我でもしているのだろうか、足が一本だけついている。

 最も、その付いている個所は胴の真ん中、元々1本足の生き物なのか。

 そして、

「クケカカカカカァァッ!!」

 まるで人の笑い声の様な鳴き声を出している唇、そう、唇である。

 鳥の嘴ではなく、人の唇、鼻、そして眼を持つそれは、まさしく人面鳥。

 嫌らしい嗤いを浮かべた巨大な人面鳥が一羽、空を悠然と飛んでいた。

 みのるに知識があったならば、それが古代中国において「タクヒ」と呼ばれた凶兆を呼ぶ怪鳥だと理解したかもしれない。

 その怪鳥・タクヒは、みのるの頭上を悠然と旋回すると、

 ごうっ!

 風を切る音と共にみのるに向かって急降下してきた。

 嘲りを含んだ表情が、明らかにみのるを狙っていると告げていた。

「ひっ! ぅわあぁっ!?」

 遅まきながらみのるはそれに気付き、手に持っていた学生鞄を両手で抱えて逃げだした。

 放り出すという選択はみのるには出来なかった。

 これにも結構な金額が掛かっている、それをアルバイトで稼ぎ出すにはどれだけかかる事か。

 命を優先し、邪魔なものは放り出すと言った判断の出来ない辺り、みのるも平和ボケした日本と言う国に暮らす者であるという事か。

 しかし平和ボケであろうがなんだろうがみのるは別に自殺志願者ではない。

「殺されてたまるもんか!」

 こけつまろびつもみのるは全力で逃げだした。


「クワケカカカカァァッ!!」

「ひいっ!」

 タクヒはみのるを嬲る様に追いかけ回した。

 タクヒの動きであれば、運動部でもない、調理部所属であるただ一介の高校生を捕え、引き裂くなどとうの昔に出来ている筈だ。

 それがかろうじてとは言えみのるが喰われていないのはタクヒが「遊んで」いるからだった。

 猫がネズミを弄ぶように、みのるを追いかけまわして楽しんでいるのだ。

 タクヒが急降下する。

 その爪がみのるへ向けて振り下ろされ、

「うわぁっ!?」

 制服にその爪が引っ掛けられながらも、みのるが転げまわりながら辛うじてそれを避けると、

「クケ、クエケケケッ、クワケケケケエェェェッ!」

 と、みのるにうれしそうに嗤うのだ。

 さしものみのるも恐怖以外の感情をタクヒに持つようになってきた。

 つまりは、

「こっのおぉ!」

 怒り、である。

 追いかけ回され、恐怖を与えられた怒り。

 制服を傷つけられた怒り。

 疲労感から恐怖心が麻痺してきている、と言うのもある。

 とは言え、みのるは喧嘩もした事がない。

 と言うより、手を出した事がない、殴られた事は無数にあれど。

 そんなみのるにこの状況をどうこうする事など出来はしない。

 そんな事が頭によぎった為だろうか。

 みのるの意識がタクヒから逸れた、それが気に入らなかったのか、

「クワケエェェェ!」

 憤怒の表情を浮かべ、一度上空に舞い上がったタクヒがみのる目掛けて何度目かの急降下をして来たのだ。

「うひぃっ!?」

 咄嗟の事にバランスを崩し、更にはタクヒの起こす風によってみのるは吹き飛ばされた。

 ゴロゴロと転がり、そして、

「げほっ!?」

 岩にぶつかり、そして止まった。

 痛い。

 全身を苛む鈍痛を堪え、立ち上がろうとした時だ。

 手に何かが当たった。

「ん?」

 みのるが見ると、それは「短剣」であった。

 細かな装飾のされた鞘に包まれたそれは、とても実用的なものには見えない。

 舞い上がっていくタクヒを尻目に、みのるは短剣を抜いた。

 そこから漏れ出る光は黄金。

 まるで秋の稲穂を思わせる黄金色こがねいろの刀身がそこから現れた。

 みのるは知らない事だが、その短剣は青銅で造られていた。

 一般的に青銅と言えば緑がかった青色の錆、緑青ろくしょうで覆われている物、と言うのがそのイメージだろう。 

 しかし、酸化していない本来の青銅は錫等の配合比率により黄金色や白銀色の金属光沢を呈する。

 かつての青銅は古代中国において「美金」と称されるほどだったのである。

 その輝きはみのるを照らし、そしてタクヒの目を引いた。


 みのるはそれにも気付かずに短剣の刀身を見続けた。

 光放つ刀身。

 それはみのるの目に突き刺さり、その衝撃はみのるの生を受けての初めての記憶を掘り起こした。

 そう、あれは古めかしい古民家の中。

 土間のある畳部屋での記憶だ。

 その部屋には木製の檻がしつらえてあった。

 そう古くない時代、戦後間もなく辺りまでであろうか、元の地主など、地方の権力者の家には「座敷牢」がある事もままあった。

 座敷牢とは民家の一部屋を改装し、その一族にとって不都合な人間、かつては「狐憑き」などと呼ばれた精神疾患の者、などを隔離する為の軟禁もしくは監禁場所の事だ。

 日中なお薄暗いその一角で、多分母なのだろう、幼いみのるを抱き、涙を流すそのひとみのるにひたすら謝っていた。

「ごめんねぇ、みのる

 ちゃんと生んであげられなくてごめんねぇ。

 こんな『にえ』としてしか生んであげられなくてごめんねぇ。

 ごめんねぇ…」

 日に日に細くなっていく母。

 確かしばらく後に…この人は居なくなったのだったな。

 みのるは人ごとのようにそう思い出した。

 ならばその目に浮かぶものは何か。

 みのるの目から頬に流れ、そしてその雫は短剣の刀身に落ち。

 そして彼に降りてきたものがあった。


 予言。


 そうか。

 僕はそう言う存在なのか。

 みのるは己と言う存在がなんなのか、それを理解した。

 はっと、みのるの意識が現実に帰る。

 今はどういう…!

 みのるが慌てて空を見上げると、

 舌なめずりをしたタクヒが急降下してくる所だった。

 そろそろ遊びに飽きたのだろう、みのるに向かってくるその速度は、今までのものよりもよほど速く、鋭かった。

 どうあがいても逃げられそうにない、みのるはそう感じ、

「うわああぁぁっ!!」

 せめて体を守ろうと、短剣を前に大きく突きだした。

 その時。


 古の盟約に従い、の者を守護せん。

 我ら、妖狐の影なり


 みのるの影、そこから影そのものが立ちあがったような漆黒の四足動物が浮き上がった。

 尖った鼻に細身の体、若干ボリュームのある尻尾。

 漆黒の狐、とでも言うべきそれは宙を駆け、

「ケーンッ!」

 タクヒの速度を凌ぐ勢いでそれに襲いかかった。

 急降下しているタクヒにそれを避ける事は出来ず、

「クケエッ!?」

 タクヒはその影狐に、がっぷりと喉笛を噛み切られた!

 空中に割く、血飛沫と言う名の大輪の真っ赤な花。

 半ば首を食いちぎられたタクヒは飛ぶ力を失い、地面に叩きつけられた。

 ぐしゃりという湿った音がみのるの耳に響く。

 しかしみのるはそれを気にしている余裕はなかった。

 眼の前には漆黒の体を持つ狐。

 光沢はなく、全ての光を飲み込んでいく暗闇の体をしたそれは、眼のみが爛々と赤く妖しく輝いていた。

 だが、それに恐怖を感じはしない。

 昔から傍に居た様な、そこにいて当然といった感じをみのるは持っていた。

 これは多分、僕の傍にずっと居たんだ、そう感じていた。

 その時だ。

“ごめんね、とうとう目覚めちゃったか…”

 そう声が聞こえた。

「誰?」

 周囲を見回しながらみのるはそう問いかけた。

 頭に直接話しかける様なその声は。

“ん~?

 私は狐、狐のウケちゃんだよ。

 君の親神。

 そう、君は目覚めちゃったんだ、神子アマデウスとして、ね”

 神は、みのるにそう告げた。

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