魔少女毒少女/著:みかみてれん、画:夜汽車、監修:桝田省治

エンターブレイン ホビー書籍編集部

プロローグ はじまりの日

 

 嫌になるほど、よく晴れた日だった。

 馬車の前、少女は振り返る。

 売られてゆく彼女を見送る人は、三人ばかり。

 村長と村の顔役のおじさん、そして痩せた母だった。

 母だけは最後まで少女の手を握り、泣きそうな顔で微笑んでいてくれた。

 けれど少女はずっと泣いてばかりで、その笑顔を記憶に焼き付けることができなかった。

 恐らく二度と帰ることはできないであろう村の景色は、もうこのまぶたの中にしか残っていないのだから、もっともっとよく覚えておけばよかったのに。

 乗せられた馬車には、たくさんの少女が詰め込まれていた。

 実験施設へと運ばれる娘たちだ。

 その隅にゆき、彼女は膝を抱いてうずくまる。

 銀髪の少女である。茶や栗や赤毛の中に、ただひとり、異彩を放つ。美しきそれはしかし家族の誰にも似ておらず、姉たちからも不吉だ不吉だと蔑まれたものであった。

 齢十二。三人姉妹の末娘。

 村自慢の黒麦畑を受け継ぐこともできなければ、せいぜい子を産み続けるのが関の山。それも今のご時世、奨励される行ないではない。

 世界を覆った伝染病『滅病ペカトゥム』の余波により、出産は特に危険視された。子を産んで抵抗力の弱った母体は伝染病をも育み、赤子ともども死に至る。そういったことが繰り返され、出産を恐れる風潮が広まった。

 産んだ子が親を殺す。事実は捻じ曲げられ、いつしか農村ではそのような噂が事実として語られることになった。

 伝染病によって死亡した働き手の減少とともに麦の生産量は著しく低下の一途をたどる。

 残った黒麦のほとんどは死病と飢餓にあえぐ都市部へと徴収され、村はますますやせ細った。

 息詰まる現実をとりあえずやり過ごすための策はふたつにひとつ。

 子供を増やすか、――あるいは減らすか。


 十二まで村に置いてもらえたのは幸運だったか、あるいは不運だったのか。上のふたりの姉妹はドブネズミを見るような目で自分を睨んでいたものだ。

 嫁の貰い手がいない姉たちより、少女は遥かに優れた器量をもつ若い娘である。

 仮に世界中の伝染病がある日突然収束したら――根拠もなく収まると信じていたのだろうが――先にもらわれてゆくのは少女かもしれない。そんな思いが嫉妬を駆り立て、姉たちは憂さを晴らすかのように少女を虐げた。血がつながっていようが、お構いなしに。

 殴られずに済んだ日は数えるほどしかなかった。

 花びらをちぎるように容姿の放つ輝きと美貌を少しでも失わせようとしていたのかもしれない。結局その願いはかなわず、されど望みは達成された。

 少女は売り払われたのだ。

 姉たちのいじめから自分をかばってくれたのは、家族の中では母親だけだった。

 だが最低限の食事で三人を育て続けることには、いつしか限界が訪れる。真っ先にやせ細り倒れたのは、自らの食事を削って娘たちに分け与えていた母だった。

 次に倒れたら今度こそ命を落とすということで、家族全員の多数決によって自分が売られることになった。

 自明の理であった。

 姉たちはそれを手放しで喜んだし、父親は年若く不愛想な少女よりも愛嬌のある姉たちのことが大切だったのだ。

 村に出入りしていたマスクをつけた得体の知れない白衣の男は、速やかに交渉を終え、そして自分を含む十数人の娘が研究所クリニックへと送られることになった。

「伝染病の治療に貢献ができるだなんて、名誉なことだよ」

 父はそう言った。そう言うしかなかったのだろうと、少女はのちに思う。

「そうよ、グズでなんの役にも立たないあんたは、せめて人さまのためになりなさいよ」

「麦のひとつも上手に刈り取れないガキが、そんな御大層なことできるとは思えないけれどね。実験動物として開発途中の薬を飲んで無残に苦しみながら死ぬのが落ちよ」

 姉たちにはそう笑われた。

 母だけはなにも言わず。

 ただ自分をそっと、抱きしめてくれていた。

 どんな温もりだっただろう。隙間風が吹きすさぶこの荷馬車の荷台では、もう思い出すことも難しかった。

 これから向かうところへの説明は一切なかった。

 ただ姉たちには「すごく遠いところ」で「絶対に生きては帰れない」と何度もささやかれた。「死ぬほど痛い目に遭う」し、「二度と母にも会えない」と。

 悲しくて、寂しかった。

 できることなら、今ここで死んでしまいたかった。

 そうすれば、怖い思いをせずに済むからだ。

 けれど、そうしたらお母さんたちにお金は届けられないかもしれないから。

 だから、だから。

 少女はつらい気持ちを押し殺すように膝を抱えた。殺しきれない感情がこぼれて小さな嗚咽を漏らす。

 そんなとき――。懐かしい香りがした。

 日なたに干されて乾燥した麦の、太陽のような匂いだった。

 顔をあげた自分の前にはいつの間にか、ひとりの少女がいた。

 自分と同じようにして売られてきたはずの娘。

 同じ十二歳。幼馴染の少女だった。

 粗悪な黒麦などとは違う、黄金色の陽麦ひむぎと同じ色をした髪をもつ彼女は、自分の額に指をつんと当ててきた。

「だめよ、泣いてばかりじゃ。わたしたちは家族のために奉公にいってあげるの。あの人たちはわたしたちのお金でパンが食べられるのよ。だったら、胸を張っているべきだわ」

 生まれたときから一緒にいる彼女は、こんなときにも変わらない。

 散歩中に蛇が出たときだって、怖くて動けなくなった自分をかばうように前に出て、棒を振りまわしていた。

 勇敢なだけではなく、彼女はとても優しかった。

 姉たちにこっぴどくいじめられた日は、母のように頭を撫でて慰めてくれた。

 彼女が本当の姉だったらどれだけよかったことだろうと思って、また泣くこともあったけれど。

 自分は母の次に彼女を、――いや、母と同じぐらいに彼女のことが好きだった。

 本当は彼女と離れずに済んだことが、心から嬉しかったのに。

 だが、母と引き裂かれたことと、これからどんなことをされるのかわからない不安と未知への恐怖に怯えて泣いてしまうぐらい、少女はとても臆病なのだ。

 でも、でも、と声にならない声を上げる少女の前。

 金色の髪の彼女は笑っていた。

「もう、泣き虫なんだから」

「……ごめんなさい。でも、もうママと会えなくて」

「大丈夫よ。心配しないで」

 そう微笑みながら、彼女は抱きしめてくれた。

 子どもをあやすように、とんとんと背中を優しく叩いてくれた。

「これからはわたしが、あなたのママになってあげる。辛いことからも、悲しいことからも、寂しさからも、守ってあげるから。ずっとずっと、一緒だから。――ね、リリス」

 その小さな体から伝わる温もりは、まるで母のようだった。


 それから長い時間が経つ。

 彼女はいなくなり――、リリスもまた母になった。



◆◇◆◇◆


次回更新予定日:3月4日(金曜日)18時

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