よろず屋ゾロイ

何処之どなた

第一章 よろず屋ゾロイ

第一話 依頼者の少女


 この日九人目の客を帰したとき、ゾロイはやっとのことで一息入れることができた。

「おいアジネ、茶を淹れてくれ。疲れが吹っ飛ぶような濃いやつを頼む」

 ゾロイは椅子に深く腰掛け、眉根をもみながら店の奥にいる相棒に言った。別段、目が疲れたというわけではなかったが、疲労を感じるとついそうしてしまう癖がある。

 ここ、カーチムの町でよろず屋を開業した数年前と比べて、幾分疲れやすくなっている自覚もあるが、ゾロイはそれでもまだ二十代後半の健康な男である。

「ほいきた」

 快活に応え、アジネは待ってましたと言わんばかりの速さで注文通りの濃い茶を淹れて、ゾロイの前にある机に置いた。いつものことなので、ゾロイがそろそろ茶を飲みたがる頃合いだろうと予想していたのだろう。

 相棒として働くアジネの年齢は、ゾロイの半分にも満たないというのに、手際の良さはまるで古女房のそれだ。

 礼も述べずに早速茶をすする。うまいと味の感想を言う代わりに、ゾロイは軽く頷いた。

 アジネは旋毛あたりで結った筆のような髪を揺らし、満足げに笑う。

 開け放した店の入り口から通りを見やると、大勢の人々が行き来している様子が窺えた。すでに町は活発に動き出しているらしい。

「まいったな、もう昼だぞ。じいさん連中も話が長いったらありゃしねえ」

 ここのところ客足が遠のいたと、アジネが店の経営の傾きを危ぶんだので、ゾロイはそれを受けて「いつ何時でもご依頼承ります」と書いた看板を軒先に立て掛けた。おかげで日の出前から店にやってきた馴染みの年寄り客ばかりを相手に、ゾロイは愚痴聞き役を長時間演じることになった。

「ゾロイが人気者だから仕方ないよ。それに店が繁盛してるんだから良いことじゃない」

 アジネはゾロイの不満をさらりと受け流す。ゾロイは自分よりも一回り以上も年の離れた幼い子供に窘められて、悔しいような情けないような気分を味わっていた。

「人数はたしかにな。だけどそれにしたって、朝早すぎないか? お日様だって眠っているような時間帯だぞ。年寄りは早起きだっていうけど、せめてもう少し町が明るくなってからでも遅くはないだろう。急を要する依頼ならまだしも、ほとんどがただの話し相手じゃねえか」

 ゾロイはそれでも不満を漏らす。この苦労をアジネに理解してほしいとは思っていないが、吐き出さないことには疲れが抜けないような気がした。

「家で誰も話し相手になってくれないんだから、それくらいゾロイが聞いてあげればいいでしょ。それに、うちの商売が成り立っているのは、そういうおじいちゃんたちがいてこそなんだから、感謝しなくちゃ」

 うちの、というあたり、店もゾロイも掌握している感覚があるのだろう。事実、アジネがいなくては「よろず屋ゾロイ」は成り立たない。炊事や洗濯、掃除や店の経営に至るまで、あらゆることをひとりでこなすやり手の子供である。家事全般はおろか、野生の獣のような暮らしが長かったゾロイだけでは、ひと月と保たずに店を更地に変えてしまうかもしれない。

「そういう小口の客じゃなくってさ、もっと大口の客の依頼を数件こなせば自由な時間が増えるだろう? 外国産の珍しい着物の輸入窓口とか、結構オイシイらしいぜ。俺も手を出してみようかな」

 情報屋のリックから聞いた話では、ここのところ首都オウイコットでの流行りを受けて、この町でもその兆しが見えるらしい。儲かるのがわかっているのなら、多少高額の手数料をリックに支払ってでも、仲介窓口を紹介してもらう価値はある。

 ゾロイが自信を持って話した内容は、しかしアジネによって看破された。

「それ知ってる。リックさんにでも聞いたんだろうけど、あれは隣国との繋がりが強いオウイコットだからこそなせる商売だと思うよ。この町の人口はそこそこあるけど、多くがおじいちゃんおばあちゃんだからね。外国産の珍しい着物なんて欲しがらないんじゃないかな」

 ぐうの音も出ず、ゾロイはただ溜め息をついた。

 流行り物に飛びつくのは若者の特権だ。扱う品がどんな物であれ、新しさに目を向けるには瑞々しい感性が必要だろう。個としてなら必ずしも当てはまらないが、全体としてはそういった傾向がある。商売をするなら、全体の傾向を見過ごすわけにはいかない。

 加えて、特にこの辺りに住む元気な年寄り連中のお眼鏡に適うことは難しい。ゾロイは愚痴聞き役を通して、それを身に沁みて感じていた。話に一区切りつけるだけでも困難なのに、話術を駆使して輸入品への購入意欲を刺激するなど、ゾロイにはできそうにない。

「ちぇっ、良い案だと思ったんだがなあ」

「地道に働けば良いんだよ。愚痴聞き役は危険もあまりないし、労の割には益もそこそこあるし、万々歳じゃない」

 妙案をアジネに一掃され、ゾロイは肩を落とした。

 二人の話の聞き役になっていた互いの腹の虫が、この間を好奇と鳴き始めたので、ゾロイはアジネに遅い朝飯の用意を頼もうと口を開きかけた。

 その時、店の入り口で立ち止まる足音がした。ゾロイとアジネはそちらに顔を向ける。

「あのっ、助けてほしいんです」

 本日十人目の客は、店内にいる二人の飯事情など露知らず、叫ぶように言った。

(こんなことなら戸を閉めておけばよかった。そうしたら飯にもありつけたのに)

 ゾロイはそんな恨めしい思いを視線に込めて、入り口に立つ客に言い放つ。

「いらっしゃい。まあそんなところに突っ立ってないで、中に入ってきなよ」

 客を店内へと促し、ゾロイは入り口に近づいて戸に手をかける。これ以上新たな客で飯の邪魔をされたくなかったのである。

 戸を閉めた途端、ゾロイは爽やかな香りを感じた。違和感を覚え、もう一度客の風貌を確かめる。

 客は、少女だった。

 初めて見る顔だ。緊張しているのか、肩を吊り上げて身を堅くしているのがわかる。

 見たところ、アジネよりも少し上くらいの年頃だろう。早ければどこかに嫁いでいてもおかしくない年齢ではあるが、身に着けた派手な色合いの衣服や装飾品からはそういった暮らしの匂いが感じられない。この辺りではあまり見かけないものの、都市部では青春を謳歌する若者としてよく見られる格好だ。

 よく見てみると髪や着物が乱れている。ゾロイは慌てていたのだろうと推察した。

「そこ、座って。落ち着いて話を聞かせてくれ」

 ゾロイは努めて柔らかい声色で、少女に言った。

 けれど少女は聴こえていないのか座る気がないのか、店内に入って一度ゾロイとアジネに視線を向けた後、俯いて着物の裾をぎゅっと握ったまま微動だにしない。

 普段、年寄りばかりを相手にしているせいか、ゾロイはひどく面食らった。老人たちの長時間の愚痴聞きが好きなわけではないが、今こうして少女を目の前にすると、どう対応したら良いものかわからない。ゾロイは馴染みの客たちの顔が脳裏に浮かび、いつも助けてもらっているのは自分だなと感じた。

「ほら、ゾロイが眉間に皺寄せて怖い顔しているから、お客さん怯えているじゃない。ささ、どうぞ椅子に腰掛けてくださいな。ちゃんとお話を聞かせてもらいますのでご安心をば」

 応対に困っているゾロイを見かねて、アジネが助け船を出してくれた。

「…………は、はい」

 少女は促されるまま、椅子に浅く腰掛ける。

 アジネの言葉には素直に従ってくれたので、幾分ほっとしたゾロイだったが、無視されたようでやや不満が残った。空腹なこともあり、つい言葉にも尖ったものが出てしまう。

「俺はゾロイ、こっちのちっこいのはアジネ。まずはおまえの名前を聞かせてもらおうか」

 すぱん、と音が狭い店内に響きわたる。アジネの平手がゾロイの後頭部に炸裂した。

「だから声にドス効かせないでってば。このおじさんはちょっと柄が悪いけどわたしがついてますんで大丈夫。お名前から聞かせてくださいな」

 にっこりと微笑んで少女の緊張を柔らかく解すアジネ。

 ゾロイが後頭部をさすりながら涙目で少女を見ると、頬を膨らませてなにかを堪えている様子が窺えた。

 我慢できずにぷっと息を吹き出し、少女は年相応の屈託のない笑顔を見せた。

「あっ、ごめんなさい。つい、面白くって。申し遅れました、わたしはイレスです」

 イレスは笑みを浮かべ、座ったまま深く頭を下げる。アジネの平手が功を奏した形で、ゾロイは面白くなかった。

「じゃあ用件を聞こう、イレス。引き受けるかどうかはわからんが」

 ゾロイは早く飯にありつきたい一心で、イレスに話の先を促す。

「友人を探してほしいんです」

 アジネとのやりとりを見て浮かんだ笑顔を引っ込めて、イレスは用件を口にした。

 表情の変化がことの重要さを表しているようだとゾロイは思った。

 愚痴聞きを除いた場合、よろず屋ゾロイの依頼の大半を占めるのが、こういった調査と捜索である。亭主の浮気相手の素性を明らかにしてくれ、行方不明になった誰々を捜索してくれ、という依頼は、ひと月に複数回舞い込んでくる。浮気調査にせよ行方不明の人探しにせよ、この類の仕事依頼は主に中年が多いが、中には前者の依頼に老人という場合もある。少女というのは初めてのことだったが、珍しいというだけで違和感を感じるほどではない。

 さっとそれらのことを踏まえて、ゾロイは話の続きを促すことにした。

「あんたの友人の名前は? それと経緯が知りたい」

 依頼者の中には嘘を吐いている者も多い。大きさは様々だが、皆自分の利に関しては敏感だという点において共通している。

 ゾロイが欲しているのは、経緯は勿論、それを話す依頼者の態度だ。挙動に不自然な点があれば、嘘を吐いている可能性は高い。場合によっては依頼を断るつもりもある。

「オリズスという名前の、わたしと同い年の女の子です。わたしと彼女は隣街のニヒサスムで一緒に暮らしています」

 ニヒサスムはよろず屋ゾロイが店を構えるこの町、カーチムから徒歩で半日ほどかかる距離を隔てた場所に位置する繁華街である。若人の活気が溢れ、この周辺では感じられない熱気がそこかしこに散らばっている。

 ここらで見かけない派手な着物に合点がいった。ゾロイは顎に手をあててイレスの様子を観察し続ける。

「ひと月ほど前のことです。わたしとオリズスは共に、マニグスに働きに出ていました。契約期間を終えて家に戻って来たのですが、先に帰っているはずの彼女は部屋にいませんでした」

 ゾロイはマニグスと聞いて顔をしかめた。

 マニグスはここからニヒサスムを抜けた先にある労働者の町だ。食い扶持を求めて他の地域からやってくる者も多い。人の洗い場とも呼ばれ、暮らしに行き詰まった者たちが集い、戸籍の売り買いまで行われているという。それゆえに人の入れ替わりが激しく、また互いの素性を明らかにしない暗黙の了解があるため、そこでの人探しは困難を極める。

(やれやれ、これは難儀しそうだな)

 ゾロイはイレスに気付かれないようにそっと溜め息をついた。

 話し相手の目を見てすらすらと言葉が出てくるあたり、真実味が増してくる。嘘の成分が多い場合、話している最中に幾度も目を逸らす。イレスは先ほどから視線をゾロイから外していないので、嘘の内容を話しているとは感じられなかった。

「先に、というのはどういうことだ? どんな業種の仕事かは知らないが、共に出稼ぎに行ったのなら契約期間も同じようなものじゃないのか」

 場所は同じでも違う業種で働くことはままある。肝心なのは、作り話ならば出るはずの綻びを見逃さないことだ。そのために、できる限り相手が事前に思いつかないような質問を繰り返し行う。

「同じ工場ではありましたが、部署が違っていたので仕事中にオリズスに会うことはありませんでした。本来は同じ日に契約終了だったのですが、わたしの部署はまだ仕事が残っていたので帰りが数日遅れたんです」

 イレスははきはきと答える。

「なるほどな。ところで同居しているって言ってたけど、あんたたち二人は元々どこかで知り合いだったのか?」

 ニヒサスムは繁華街だ。一見華やかに思える街に暮らす人々だが、その生活水準はばらばらである。カーチムやマニグスにも格差はあるが、概ねその地域の平均に近いところで収束している。ニヒサスムは物価も高いため、仕事に恵まれない場合は見知らぬ人間と寝食を共にすることも珍しくない。同居しているからといって、必ずしも友人とは限らないのである。友人でないのならば、話の内容の見方も変わってくる。

「はい。同じ孤児院出身で、昔から仲が良かったですね。そこを出たのが二年前になりますが、一緒に暮らすことは以前から二人で相談していました。院長先生からはもう少し大きくなってからでも遅くはないと、二人暮らしを止められていたんですが、説得を振り切る形で院を出ました」

 イレスの話にゾロイは頷いて見せた。

「残念なことに、新しく入院する子供は少なくないからな」

 おそらくイレスとオリズスは、孤児院に自分たちが留まると、他の小さな子供らの暮らしが圧迫されると想像したのだろう。皮肉なことに、院長の説得を理解しているからこその行動だった。

「お詳しいんですか?」

 孤児院のことについて述べたゾロイの見解に、イレスは食いつく。

「いや、こういう家業だからたまたま知っていたってだけだ。浅い知識だよ。それよりオリズスを見なくなってから幾日経った?」

 素気なく答え、ゾロイは逸れかけた話を本線に戻す。

「二日です。本当なら昨日こちらへ伺おうと思っていましたが、仕事の疲れもあってやむを得ず一日延ばしました」

 ゾロイはイレスの言葉に驚きを隠せなかった。

「ということはあんたがマニグスから帰ってきてから二日か。それくらいならどこかに遊びに出かけているだけってことはないか?」

 待つ立場としては長い時間だろう。しかし、ゾロイのような第三者からすれば、そのくらいの日数なら家を空けることもあるように思える。趣味や交友範囲はわからないが、仕事明けで気分を一新したいとどこかに出かけることもありそうなことだ。

 しかしイレスはそうは思わなかった。だからこそ、こうしてよろず屋ゾロイに足を運んだのだ。

 ゾロイが驚いた点はここにある。行方不明と断言するのに必要な日数に決まりはない。けれど、捜索に乗り出すのが早すぎる印象ではあった。

 わざわざ自分の住む街から半日もかかる隣町まで足を運ぶことは、さほど気に留める必要はない。この店に訪れる客の中にはそういった者も多く、調査や捜索などはあまりおおっぴらにするようなことでもないため、近所に悪い噂が立つのを避けるべく、遠い町までやってくるようだ。

 ゾロイの質問はイレスの感情に波を立たせたらしく、彼女は眉間に皺を寄せて矢継ぎ早に言った。

「ありません。だってオリズスは帰ったら一緒に新しい着物を見に行こうって言ってたんですよ。書き置きだってなかったし、何も言わずに出かけるなんて彼女は絶対にしません」

 今まで理路整然と話をしていたイレスが初めて感情を露わにした。

「まあまあ、これでも飲んで落ち着いてください。ゾロイは何もイレスさんやお友達のオリズスさんのことを疑っているわけではないんです。ただ、情報が揃わないことには捜索にも支障を来す恐れもあるので、万全の体制を期すためにもご存じのことを教えてくださいまし」

 先ほどから物音ひとつ立てず側にいてイレスの話に耳を傾けていたアジネは、ゾロイも気がつかぬ間に茶を淹れていたようだ。こうして茶を持ってきたということは、イレスを落ち着かせるためでもあるが、良い客だと認めた証でもあった。

 アジネに勧められ、茶を一口啜るイレス。

「わあっ、おいしい。何というお茶ですか?」

 見る間に眉間の皺が取れ、イレスは顔中に笑みを広げた。

「イヒサイの葉で淹れたお茶です。気に入ってもらえましたか。味だけでなく、これには心を落ち着かせる効果も含まれているんですよ。ゾロイにもよく淹れてあげます」

 ゾロイも茶を啜る。先ほど飲んだものとは味が違うことに気付いた。

「おいアジネ、じゃあさっき飲んだのはどんな効果があるんだ?」

 今飲んでいる茶も、先ほどの茶も、ゾロイはうまいとしか表現できない。出会って最初の頃はアジネも喜々として茶の成分の説明をしてくれたものだが、今一理解が追いつかないゾロイの鈍い反応を見て、次第に説明をしなくなっていった。話の流れから好奇と踏んで、ゾロイはアジネに尋ねたのである。

「あれは眠気覚ましの効果。思い切り濃く淹れたから、ゾロイ、今日は眠れないかも」

 アジネはふっふっふと悪い笑みを浮かべた。

 いたずらにしては度が過ぎる。ゾロイはやおら立ち上がり、アジネに文句を言った。

「ふざけんなよおまえ。疲れてんのに眠れないって身体に悪いだろうが。なんてことしてくれてんだよ」

 首根っこを捕まえようとするが、アジネの動きは素早く、ゾロイは店の中にある棚や机をひっくり返すだけだった。

 ちょこまかと逃げ続けるアジネは、イレスの後ろに回り込み、顔だけ横に出してゾロイを見る。

「昨日だって昼間っから眠ってたじゃない。大丈夫だよ、ちょっとくらい。それに夜型よりも朝型の方がおじいちゃんたちの話を存分に聞けるでしょ」

「うるさい。いいかイレス、そこを動くなよ」

 イレスが答える間もなく、ゾロイは後ろのアジネに向かって手を素早く延ばした。

 アジネはその動きを読んでいたらしく、ゾロイの手が届く間際に反対側に横移動する。

 ゾロイも負けじとアジネの動きについていく。今度は反対の手を延ばす。

 二人のやり取りを眺め、ぽかんとしていたイレスは、ゾロイが自分に向かって手を延ばしたと感じたのか、手を避けるために、二人の動きにほんの少し遅れる形で身体を横に逸らし身を庇った。

 ゾロイが自分の手に確かな感触を得て、むんずと一層の力を込めた。

「アジネ、年貢の納め時だぞ」

 しっかりとアジネの首根っこを捕らえたはずが、ゾロイの後ろから声がする。

「残念でした。わたしを捕まえるなんてまだまだ早い、いや遅いぞゾロイ」

 ゾロイが振り向くと、確かに見間違えようもなく、そこに立っているのはアジネだった。

「と、いうことは、俺が掴んでいるのは」

 視線をアジネから自分の手に移動させ、ゾロイは自らが掴んでいるものを見た。

「あ、あの離してください」

 イレスは顔を真っ赤にしてゾロイに抗議する。

 ゾロイは慌ててイレスの胸から手を離した。

「すまん、イレス。それにしても、平らな」

 ゾロイが言い掛けるや否や、すぱん、と音が響く。

「申し訳ありません、うちの恥ずかしい店主がとんでもないことを。この件のお詫びといってはなんですが、お代の方を少し勉強させてもらいますので何卒」

 またしてもアジネに後頭部を叩かれたゾロイは、ばつが悪く、ただ意味もなく入り口に目をやった。

「いえ、平気です。それにしても仲が良い親子ですね。うらやましい」

 イレスはさほど気分を害した様子はない。それどころか、今のゾロイとアジネの立ち回りを見て微笑んでいた。

 わざわざ自らが明かす必要はないとゾロイは思っていたが、イレスがこうして自分の素性を明らかにしていることもあり、事実と違うことを指摘せず黙ったままでいるのは座りが悪いと感じた。その誤解を解こうと、ゾロイは口を開く。

「親子じゃない」「親子じゃないんです」

 アジネも同じことを思っていたのか、二人は同時に言った。

「ゾロイ、どうぞ」

 手を差し出し、アジネはゾロイに話し手を譲る。

 逡巡した後、ゾロイはイレスに向かって、自分とアジネの関係を短く説明した。

「ただの相棒、それだけだ。そういう意味じゃあんたと俺たちは似たようなもんだぜ。だから気負うこたあない。イレスにとっちゃあそれがオリズスなんだろう。胸中を計るなんてできないが、俺たちで良ければ引き受けるよ」

 イレスの顔を見ず、ゾロイはふてくされたように承諾の旨を述べた。アジネは何度も首を縦に振って嬉しそうにしている。

 ややあって、イレスは心の底から滲んだような涙を目に浮かべ、それから満面の笑顔で礼の言葉を口にした。

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 深く頭を下げたまま、イレスは動こうとしなかった。

 まだ依頼者の全てを信じたわけではなかったが、ゾロイは思うところがあり、仕事を引き受けることにした。

「もっと色々聞かせてもらうとするが、その前にやるべきことがある。最優先事項だ」

「な、なんでしょうか」

 承諾が条件付きだと思ったのか、顔を上げ、少し怯えた様子でイレスはゾロイを見た。

「飯だ、飯。朝から何も食ってないんだ。早く仕事を開始してもらいたいだろうが、これだけは譲れん。アジネ、頼むぞ」

 予想していたのかはわからないが、ゾロイの飯の注文に対して間髪を入れず、いつもの明るく元気な声がアジネから返ってきた。

「ほいきた」

「イレスも食ってけ。うまいぞ、アジネの飯は」

 ゾロイは今度こそ食事の邪魔をされないよう、入り口の戸をしっかりと閉める。

「はい、ご相伴にあずかります」

 泣き笑いのイレスの顔を見て、ゾロイは何としても探し出してみせると、心に固く決めた。

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