オカルト・キラー

@elle_miyahara

第1話

 警視庁の科学警察研究所に、今年の春、天才が配属された。

 アメリカ帰りの二十二歳、飛び級でアメリカの大学院を卒業し化学と物理学の博士号を持つその男は、実は誰にも言えない、おおよそ彼の専門分野とはかけ離れた能力を持っていた。

 パソコンに向かい彼が報告書を作成しようとキーボードをカタカタと打っている最中、一人きりのラボで彼は視界の端に入った「それ」を見て眉根を寄せた。

(……ったく、鬱陶しいな)

大きくため息をつき天井を見上げると、先ほどまで煌々と光り照らしていた蛍光灯が急にチカチカと明滅を始めた。チラ、と出入り口のスイッチがある方を見れば、案の定、彼には見慣れたものが気づいてくれる存在が嬉しいのか、楽しそうな表情を浮かべてカチリカチリと部屋の蛍光灯の電源を入り切りしている。

「いい加減にしろよ。ここは僕の職場だぞ」

 ひとりであることをいいことに「それ」に向かって聞こえるくらいの大きな声で声をかけるも、明滅はやまない。ふう、ともう一度大きなため息をつくとイラついた表情で青年は立ち上がった。ジュウ、と何かが焼け焦げたような音がしたが、匂いは全くしなかった。

 すっきりしたような表情でデスクに彼は戻ってくると、再びノートパソコンに向かい細く長い指先で、まるでピアノを弾くかのような手つきでキーボードを叩き始めた。

 時刻は午後十時を少し回った頃だった。



第一話、悲劇のヒロイン霊、除霊します。



「なあ、神谷よぉ」

「何すか」

 東京地方検察庁、立川支部立川区検察庁。

 取り調べがひと段落ついた頃、検察事務官の神谷翔は担当検事におおよそ取って良い態度ではないそれで、面倒そうに調書をまとめながら生返事をした。

「お前、オカルトって信じるか?」

「は?」

 パソコンから目を上げると、検事はうーんと考え込みながらいつもながらの神谷の態度を指摘するわけでもなく今朝の朝刊を読みながら考え込んだ様子で、その表情は至って真剣そのものだった。

「いや、お前も聞いてただろ?自分には記憶がない、起きたら女房が隣で 死んでた、って。ハラワタ引きずりだしてんのに返り血も無い。だけど現場に落ちてた凶器から指紋や外部からの侵入の痕跡はない。こんなのがもうウチの担当だけで三件だぜ?おかしいと思わねぇか?マスコミにもこの一件は報道規制敷いてんのに」

 確かにここ最近、既婚女性が惨殺される事件が多発している。マスコミには一切報道しないようにと箝口令を敷きかつそれは守られているにも拘らず、手口は全て同じで、寝ている間にその家にある刃物でまず喉を裂いてから腹を開き、内臓を引きずり出すというむごいものだった。犯人は全ての件で被害者女性の隣に眠っていた夫が逮捕されていた。アリバイがないこと、凶器に被害者家族の指紋しか検出されなかったこと、どの家も内側から鍵が厳重にかけられ外部からの侵入は不可能であることなどが理由であった。しかし夫たちは全員否認。第一通報者も全員夫でショックで半ば精神に異常をきたしている者もいた。警察の聞き込みでは、夫婦仲が悪かったと言われたところは無く寧ろ円満だった家庭ばかり。しかも大抵、結婚して三か月以内の新婚ばかりだった。確かにおかしいような気がしなくもない。しかし、では他に誰がいると言うのだ。密室に入り込み何の痕跡も残さず新婚の新妻ばかりを惨殺する凶悪殺人犯が近所にうろついているとでも言いたいのか。

 それよりも、現実的に考えれば、夫たちが共謀した可能性の方が神谷には高いだろうと感じられた。

「信じませんよオカルトなんて。よく言うでしょう。生きてる人間が一番怖い、って」

「そうだけどよぉー。それからこれだよこれ、うっす気味悪い事件だぜ、こいつも」

 ぽん、と担当の検事が放り出したその朝刊の、大きな見出し。

『ヴァンパイア殺人事件、ついに五人目の被害者!』

 ここ最近都内で男女問わず血液を一滴残らず抜かれ殺害される事件が後を絶たない。しかも、頸動脈や大腿動脈など大きく主要な血管には、まるで噛みついたような跡が残されていたことと犯人がいまだに検挙されていないこともあってマスコミはこぞってこのセンセーショナルな事件を持ち上げネタにした。聞いたところでは、警察は犯人の目星すらついていないと言う。

「じゃあなんですか、呪いか祟りか、お化けか何かだとでも?」

「ううーん、まあ、あってもおかしくねぇかなあって」

「ちょっとしっかりしてくださいよ、あんた検察官でしょう?くだらない。心神耗弱でも主張しようとしてるんですよ。小賢しい」

神谷は正義感が強く、理詰めで物事を考えるためオカルトの類は一切信じていなかった。この世は善か悪、白か黒、オールオアナッシング、生か死。疑わしきは罰せず、がこの世界の常識だったが、夫以外に犯行可能な人物は見当たらなかった。逆にこれだけ証拠が揃っているのにもかかわらず、オカルトなど明後日なことを言い始めた検察官に苛立ちを通り越して呆れを覚えていた。

 超難関と言われる司法試験を突破し、さらに検察官になれるのはその上位のほんの一握り。そんな選ばれた人間がそんな非科学的なことを言い出すなんて。ノンキャリアと言えど、一応国家公務員の自分でもわかるようなことなのに何を言っているんだ、と。

 ……そう思っていた、その晩までは。




 午後十一時。立川区検察庁を出た神谷は、多摩モノレールで自宅のある万願寺まで戻っていた。万願寺は閑静な住宅街で比較的治安も良い。改札を抜けて駅を出ると、甲州街道沿いを歩きはじめる。駅前から二つ目の角を曲がると、人通りはほとんどない。学生時代から通っているなじみの小料理屋が一件、コンビニエンスストアが一件。それ以外は全て、都会特有のアパートらしく道路に面して玄関がある住居は無い。それらの前を素通りして、汚れた川の上にかけられた橋を渡り終えた時。

「このトワイライト野郎!」

 あまり耳慣れない罵声と、ゴッという鈍く気持ちの悪い音、そしてゴトン、と何かが落ちる音。それは人通りの無い裏通りから聞こえてきた。この辺りは大学生も多く住んでいる。酔った学生が騒いでいるのかと思ったが、それにしては妙だ。足音を消し、夜に紛れてそっと音のした方へ右折して歩いていく。

 そこには男が一人、立っていた。しかも、手には何か、鈍く光る刃物。都心にはおおよそ似つかわしくない……斧、だった。しかもそれには真っ赤な液体が付着している。

 神谷は思わず大声を上げた。

「わああー! 人殺しー!」

 ばっ、とこちらを見た男の顔は見紛う事なき血しぶきが。そして足元には写真でしか見たことがない……人の、生首が転がっていた。

「け、警察……いや、検察だ、お前を殺人の現行犯で逮捕する!」

「え、待って。見てください、僕は人なんて殺してない!」

「よくそんな嘘がつけるな、俺は検察事務官だ。あんまり知られてないけど逮捕権もちゃんと持ってるんだからな!」

「いや待って、ちゃんとよく見てください!」

「見れるかそんなグロいもん!」

 必死に血まみれの男がピクリとも動かなくなった男の体と首を交互に指差す。かろうじて体の方を見ると、神谷は固まった。首を刎ねられた男の身体は、見る見るうちにサラサラと灰のような白い粉へと化してあっという間に風に飛ばされ跡形もなくなっていった。

 残ったのは、神谷と顔の血しぶきをポケットから出したハンカチで拭いている、青年だけ。

 白い彼の肌から赤い鮮血を拭うその様はやけに美しく、肌に映える赤い血しぶきが、怖いほどに美しかった。



 万願寺駅から徒歩1分のところにファミリーレストランがある。二人はそこで向かい合って座っていた。コーヒーを持つ手がカタカタと震えそうになるのを必死で抑えながら、神谷は美味しそうにドリアを平らげる目の前の青年を見ていた。先ほど血しぶきを浴びて何かの首(神谷には人に見えた)を刎ねたにも関わらず、青年は悪びれる様子もなければ罪悪感を抱いている様子もない。

 まだ二十代前半であろう彼は、よく見なくても整った顔立ちであることは神谷にもわかった。色白で線が細く、華奢。黒髪が肌の白さを一層際立たせている。くっきりと綺麗な二重瞼が涼しげだ。すっと通った鼻筋も、薄めの唇も、ドラマに出てきそうな俳優のようだ。

対して自分は、ごく普通か、それより少し容姿には恵まれた程度。小顔なのはどこへ行っても言われる。黒い前髪をツン、と立てているのは童顔であることを隠すため。どんなに眉を手入れしても、襟足を短くし清潔感を出しても、大き目の吊り目は子供のような印象を人に与えてしまうらしい。ぽってりとしたたらこ唇なのもいけないのかもしれない。そんなことを考えながら、神谷はぼうっと目の前の青年を観察する。

こいつは何者なんだろう。人殺しにしか見えなかったが、人間の体は灰になって消えたりしない。

「お前、何者なんだよ」

「僕ですか。岡田と言います」

「名前なんかどうでもいいよ!」

 思わず神谷が大声を出してしまったので、少ない店内の客が一斉にこっちを見る。すみません、の意をこめてぺこりと軽く会釈をしてから青年に向き直る。

「さっきのは何なんだ?」

「あー……」

 岡田、と名乗った青年はオレンジジュースをごくり、と一口飲むと言おうか言うまいか逡巡したような仕草を見せた後、はっきりこう尋ねた。

「オカルトって信じます?」

「は?」

 確か昼間もこんなやり取りをしたような。そうだ、確かあれは担当検事とのやり取りだった。一日に二回もこんな突飛な質問をされるなんて。

「信じない」

「じゃあ、今日から信じてください。でないと、話が進まないので」

 ことん、とグラスを置くと岡田はあっさりとした口調でとんでもないことを言った。

「僕は、簡単に言うとゴーストバスターみたいな仕事をしています。昼間は警察で働いています」

 そう言って、ポケットから取り出したものは警察手帳だった。金の桜田門が入ったそれは神谷は見飽きるほど見ていた。

『科学警察研究所 物理研究室所属 岡田葵』

「はぁ?」

(警官が、ゴーストバスター?)

 神谷は眩暈を感じてしまうが、それはおおよそ偽物とは思えなかった。警察組織の人間であることはこの際置いておこう。問題はもうひとつの方だ。

「ゴーストバスター?」

「一番伝わりやすいのはそれかなって。ざっくり言うとお化け退治をしているんです。人じゃないものというか、まあそんな類のものです」

「お化け退治?」

「うーん……他になんていえば通じるんだろう」

 岡田青年は本気で考え込んでしまったらしい。三十分前の神谷ならば「イカレてる」の一言で片づけてしまっただろう。しかし先ほどの一件を見てしまった以上、彼の言う「人じゃないもの」の存在を明らかに見せつけられてしまったのだからあっさりとそう割り切ることもできない。

 死んだ瞬間灰になるなんて人間ではない証拠だ。でも、あれは確実に人間の形をしていた。実際、目の前の男も真っ赤に染まっていたではないか。

「じゃあさ、さっきのアレは何?」

「アレですか、ヴァンパイアです」

 鼻で笑い飛ばしそうになるのをぐっとこらえる。まだ正直、心のどこかで神谷は岡田を怖いと思っている節も残っていたのだ。うっかり彼の逆鱗に触れようものなら、フォークで目をえぐられるかもしれない。それくらいのことは平気でしそうだ、と思うくらいには、まだ完全に彼の話を信じたわけではなかった。

「吸血鬼ってこと?」

「そうです。ヴァンパイアって聞くと、普通外国人のイメージがあると思うんですけど、奴らは世界中にいて勿論日本にも生息してるんですよ。別にヴァンパイア全員を殺すわけじゃないですけど、人に危害を加えたら司法の代わりに裁くというか、まあそんな感じです。ヴァンパイアも平たく言うとお化けでしょ?」

「えーっと……じゃあ、ヴァンパイア専門ってわけじゃないと?」

「専門ではないです。むしろヴァンパイアなんて稀です。殆どが霊ですね。幽霊。死んだ人の霊魂が悪さしたら、それを除霊する。見つけるたびに除霊してたらきりがないのである程度はほっときますけど」

「それって、見えるってこと?」

「誰でも見えますよ。触ったり除霊したりできる人間は、僕を含めてごく限られてはいますけど」

 さらっと恐ろしいことを言うと、ゴクゴクとまたオレンジジュースを飲んで食事を再開する。神谷はとんでもない男につかまってしまったと後悔し始めていた。話を聞く限り、一言で言えば岡田葵は「サイコ」だ。警察にこんなサイコな人間がいていいのだろうか。

「俺は信じないぞ」

「別にそれならそれでいいですけど。さっきの件はどう説明するんですか。検察事務官なんでしょ、死体は見慣れてますよね。灰になっているものなんて、見たことあります?」

「……ない」

「ヴァンパイアの退治方法は、首を刎ねるのが定石です。ヴァンパイアと人間が違うのは死後灰になるかならないか。灰になって消えてしまったってことは、つまり人間ではなくヴァンパイアであると言う何よりの証拠なんですけどね、僕らの世界では常識です」

「僕等って誰だ」

 思わず神谷は聞いてしまった。こんなサイコ野郎がまだたくさんいるのかと背筋がぞわっとしたからだった。

「ゴーストバスター仲間です。殆どは親戚ですけど」

「ふぅん……殺人鬼一族ってわけか」

「まだ信じてくれないんですか、あれを見た後に」

 岡田青年は何故か不服そうな表情を見せた。俄かには信じがたい話だと言うのに。神谷は肘をついてまるで子供に言い聞かせるかのように岡田に向き直った。

「あのな、こっちは生まれて二十五年、ずっとそう言うのとは無縁で生きてきたんだよ。それをある日いきなり『ボク、お化け退治してるんです』って言われて、ハイそうですかって、信じられるか」

「……もう、頭が固い人だなあ。じゃあ、ヴァンパイア殺人事件の話をしてもいいですけど、せっかくですし今検察に回ってるらしい事件の話をしましょうか。新妻ばかりが惨殺されている事件です」

 あ、と神谷は思い当たった。今ちょうど、自分が担当している案件だった。

「夫が逮捕されていますけど、全員否定していますよね。供述はこうでしょ『ある日朝起きたら隣で妻が死んでいた』」

「お前……何でそれを」

「僕の事件だからです」

「お化け?」

「わかりやすく言うとそうです。見られてしまったものは仕方ないので……とびっきりのオカルト・ツアーにご案内しますよ」




「すみません、神谷事務官はいらっしゃいますか?」

 午後五時過ぎ、岡田が立川区検察庁に現れたのは、翌日のことだった。担当検事が彼の姿を見てびっくりしている。

「こりゃあまぁ、有名人の天才君じゃないか。名前なんだっけ、岡田君?」

「はい、岡田葵です」

 ニコ、と人好きする笑顔を見せて笑いかける。手にはいくつものファイルを抱えていた。神谷は担当検事が定時で帰ろうとしていたところを慌てて捕まえる。

「アンタ、あの人知り合いですか?」

「神谷ぁ、お前よぉ……有名人くらいは知っとこうぜ。あいつはこの春警察に入った超大型新人なんだよ。アメリカの大学で博士号をふたつ、修士号も持ってる飛びっきりの天才君だよ。物理と化学の研究室が取り合いしたなんて噂もある。若いし頭もいいのはお墨付き、おまけにあのルックスだろ。とんでもねぇのが入ってきたって有名だったんだぜ。で、その天才君がお前に何の用だよ。お前こそ知り合いか、名指しで科学警察研究所の天才君が足を運んで会いに来るなんて通常ありえないよなあ」

「知り合い……まあ、知り合いです」

「そうかい、お前と話の共通点があるとは思えねぇんだけど……まあいいや、戸締りよろしくな」

「お疲れ様です」

 クマのような大きな躯体を揺らしながら、年上の上司はさっさと帰ってしまった。神谷が元の取調室に戻ると、岡田は神谷の席に座ってのんびりと手元の資料を見ていた。

「お前、いきなり来るなよ」

「だって、入り口の警備員さんも手帳と神谷さんの名前出したら普通に入れてくれたし……これ、正式な仕事じゃないし」

「じゃあ職場に来るな」

「連絡先知らないし」

「……そうだ、なんで俺の名前知ってるんだ?昨日名乗った記憶ないんだけど」

「調べました」

 名前と職場は調べて連絡先は知らないのか。相変わらず何かが欠けている男だ。妙に開き直っていると言うか何というか。何かあっても、その可愛らしい顔でにっこり笑えばどうにかなると思っている節があるようだ。岡田は持ってきたファイルを広げ始めた。そこには、新聞記事が一枚と、膨大な検死解剖の結果だった。

「まだ一連の事件は報道されてないですよね。だから僕、まず法医学の研究室に行って検死解剖の結果を見せてもらって、それをこっそりコピーしてきました。全員死因は失血性ショック死。毒物、薬物のテストはすべて陰性。凶器は被害者宅にあるそれぞれの刃物と一致」

「知ってる。殺害時刻はいずれも深夜から朝方にかけてで、その時間、一緒にいたのは夫のみ。新婚三か月以内だったからどの家庭も子供はいない。さらに内側から施錠されていて密室状態だった。夫以外に犯行が可能な人間はいない」

「だけど、夫には返り血が一切なかったんですよね。ルミノール反応も陰性。あれは洗い流しても反応しますけど。凶器からは被害者と夫の物しか指紋が検出されなかったのだって、自分の家の包丁くらい使いますよね。指紋が付いていても不思議ではないです」

「じゃあなんだ、お化けの仕業って言いたいのか?」

「そうです」

相変わらずの様子でひらり、と新聞記事を一枚取り出した。それは三年前の日付でここから近所で起きた殺人事件の記事だった。新婚の妻が、夫に刺殺され殺害された事件。理由は望まぬ妊娠だったという。妻の妊娠を知った夫が堕胎を迫り、口論の末に刺殺したと書いてある。犯行時刻は深夜から朝方にかけてだったため、まず声が出ないよう喉を裂いてからとの詳細まで一致していた。

「この女の幽霊だってのか?」

「そうです」

「待て。動機は、証拠は。そもそも幽霊が殺したなんてどうやって証明する。バカバカしい。第一、三年も前の事件と今回の事件とどう関係があるんだ、事件直後なら祟りがどうのって話も百歩譲って頷くとして、何で三年も経って?」

「そう言うと思って、これを持ってきました」

 岡田が持ってきたもう一つのファイルは、近所の大学生のカップル二組が不法侵入で逮捕された事件の供述書だった。新聞にこそ載らなかったものの、記録はしっかり残っていた。先週起きたそれはよくある学生の悪ふざけだった。酔った勢いで殺人事件があった家に肝試しをしに行ってみよう、というもので行って騒いでいたところを近所の住人に通報されて御用になった、ただの馬鹿話だった。これと何の関係があるのか。

「その、大学生たちが不法侵入した家ってのが、この三年前の殺人事件の現場です」

「で?」

「鈍いなぁ、それでも検察の人ですかぁ?」

年下の、頓珍漢なことを言っている人間だけにはこんな表情はされたくない、と神谷は殺意を抱きながらも椅子に座ってキィキィと音を鳴らしている岡田を頭を叩く。

「俺を『とびっきりのオカルト・ツアー』とやらに連れて行ってくれるんだろうが。さっさと案内しろ、サイコ野郎」

「痛っ……だから、先週この事件が起こってからでしょ。一連の殺人事件が起き始めたのは。この馬鹿な学生たちが現場に入っちゃったから、彼女が起きちゃったんですよ。よく考えてみてください。神谷さんが自宅で寝ていたら酔っ払いが四人、家にどかどか入ってきて『うわああぁー住んでる人だぁ!』って騒がれて写メとか撮られたら、どう思います?」

「すっげームカつく。キレる」

「でしょ、霊と言えど元々は人間だったわけです。彼女にとっては殺人現場は『自宅』なわけです。安らかに眠っていたのに土足で踏み込まれれば目も覚めるし怒りもする。引き金はこれでしょうね。そして復讐が始まった。入ってきた四人に行けばいいものを、彼女の矛先はご近所さんに向いてしまった。自分と同じ、新婚の女性に」

「その発想はなかった……けど納得できねぇ。今回の被害者はとばっちりじゃねぇか」

「そうですよ。だから僕の出番」

ストレッチをしながら、岡田は軽くウィンクして見せた。




三年前の事件の被害者宅は、立川区検察庁から車で十五分ほどの距離だった。岡田が乗ってきた車に、さも当たり前のような顔で助手席に座ろうとした神谷に、岡田が声をかけた。

「あのー、僕準備とかあるのでできれば運転してほしいんですけど」

「無理」

即答した神谷に、岡田が不思議そうに細くて長い首を傾げる。

「免許、持ってないんですか?」

「持ってるけど、運転はしない」

「なんで?」

「事故ってもいいならするけど」

諦めたような表情で運転席に座ると、岡田は神谷のことをニヤニヤ笑いながら見てきた。

「運転、下手なんですね」

「うるせえな、うちの検事は自分で運転するのが好きな人で俺はいつも助手席なんだよ。通勤はモノレールで十分だし」

「ふぅーん」

 むす、とした表情の神谷を乗せて車は発進する。確かに神谷は、運転が下手だ。運転免許の試験にも、実技試験で十一回落ちている。圧倒的に車の運転に「不向き」な人間なのだ。自動車学校をなかなか卒業できなかった悔しい思い出がある。アクセルを踏めばまっすぐ走ることはできる。それは知っている。できないのは右折、左折、縦列駐車、減速その他まっすぐ進む、以外の全て。路上での運転には大変不向きだと自分でも感じていて、自分が運転すれば事故を起こす自信があった。だから運転をしないのだ。

 そこまで考えてから、自分の話は良いとばかりに先程担当検事に聞いた話を思い出した。

「お前さ、博士号持ってるんだって?」

「ええ、化学と物理で。犯罪心理学は修士号止まりでしたけど」

「それってオカルトの対極にあるもんじゃねぇの?」

「そうですよ。大抵のオカルト現象って言うのはちゃんとした科学的な証明ができるんです。化学と物理、それから少しの医学と心理学の知識があれば殆どのオカルト現象は証明できます。有名なのは金縛りや火の玉がそうですね。後はいたこやシャーマンのような憑依現象や幽体離脱、悪魔退治なんかも解明できると言われています」

「エクソシストとか?」

「まあ、そうですね。あの映画はちょっと誇張され過ぎてはいますけど。宗教的な価値観や倫理観も土地によって異なるから僕には何とも」

「お前はさ、その……そういうゴーストバスターみたいなことをするきっかけみたいなものとかってやっぱりあったのか。家族が殺されたとか?」

「いえ、逆です。家族みんながやってたから、僕もやってただけです。実家には怪しげな魔術の本だの胡散臭いオカルト本が山ほどあります。そういう図書館みたいになってるくらい……化学や物理を極めようと思った理由は、何でもかんでも見えないもののせいにするオカルトかぶれの奴になりたくなかったから。オカルトに囲まれて育ったからこそ、ある程度の分別はつけるようになりたかったんです。ただ、どんなに証明しようと思っても、説明不可能なもの、科学では解明できないものが存在することも確かです。そういうものは、法律では裁けない。だけど、放っておいたら今回のような悲惨な出来事が次々起こってしまう」

「ふぅーん……あのさ、ずっと気になってたんだけど」

「はい?」

「除霊って、どうやるの。悪霊退散、的なことをやったり?」

 神谷にとってはそれが最も気になるところだった。オカルトや心霊現象の類を全く信じていなかった神谷にとって、お祓いや呪文はただのマヌケにしか見えなかった。もし岡田が同じことをやるつもりならば、帰るつもりだった。

しかし岡田は、神谷の予想斜め上の答えをくれた。いつものように。



「もう一回、殺します」




 先週の不法侵入があったせいで、事件現場となった家にはまだ立ち入り禁止の黄色いテープが引かれていた。近くに車を止めると、岡田は後部座席からスポーツバッグを取り出して、ぽん、と神谷にあるものを手渡した。

「はいこれ、お守りです。これは割と有名だと思うので理解してもらえると思うんですけど」

「塩?」

「そうです。お葬式とかでもよくお清めの塩、とか言って振ったりするでしょ?実際、一時的に遠くに飛ばすということに関しては、塩は相当効果的です。もし神谷さんに襲い掛かってきたら、ひとつかみ投げつけてください。僕は必要ないので」

 そう言って岡田がスポーツバッグから取り出したのは、刃渡り十センチほどのナイフだった。まるで本当の人間を殺しに行くようで神谷はおぞましげに自分で自分の二の腕をさすった。

「さ、とびっきりのオカルト・ツアーの始まりです」

 ナイフを懐にしまいガチャリ、と車を降りると、岡田が向かった先は何故か近所の家だった。

「すいません、警察の者です。先日の不法侵入の件でいくつか現場で確認したいことがありまして、これから捜査員が二名、あの家に入ります。よろしくお願いしまーす」

 手帳と彼の柔らかい笑みで、何軒か回っても全員が笑顔で頷いて了承してくれた。

「お前何やってんだよ?」

「住宅街のど真ん中ですよ、しかも今何時だと思ってるんですか。七時前ですよ、勝手に入ったらまた通報されちゃうでしょ。こういう手回しも大事なことなんですよ」

「真夜中に道のど真ん中で斧振り回してた奴がよく言うよ」

「あれは夜中だったし、逃げられちゃったのを追いかけたんです!」

プンスカと怒りながら、家と対峙する。誰も手入れする人間がいないせいか、庭の草は荒れ放題、家には当然誰も住んでおらず、電気もついていない。辺りが暗くなり始めると同時に、一戸建てのその家だけ鬱蒼とした空気を醸し出していた。近所がもう、温かい電気や夕飯の匂いが漂ってくるからこそ、その冷たい暗い雰囲気はより一層際立って、寂しそうにも、不気味にも見えた。不法侵入した学生たちは庭のガラスを割って入ったと調書には書いてあったが、岡田はちゃんと周到に鍵を持っていた。おそらく三年前の事件の時に保管された保管庫から持ってきたのだろう。勝手に持ってくるのは違法だが。

 キイ、と小さな音を立ててドアが開く。やけにひんやりした空気が家の中に漂っていて、神谷は持っていた塩をぎゅっと握りしめた。恐らく自称「霊感の持ち主」だったら「出る」と身震いするのだろう。玄関先に全身鏡があって、なるべく見ないようにささっと前の岡田にならって靴を脱いで上がる。一階のリビングに、岡田はズカズカと入っていく。慌てて後を追うと、踏み荒らしたような跡がいくつもあった。恐らく大学生がやったものだろう。

「こりゃあ酷いな……」

 自分の家がこんな風に荒らされれば怒りもするだろう。神谷が同情したときだった。

ゴトン

かしゃん

 家のどこかで、二人以外誰もいないはずなのに足音がする。さらに、何かが床に落ちて割れる音。続いて部屋の明かりがいきなり付いた。殺人事件以降、この家は電気もガスも水道も引いていないはずなのに。

「え、ちょっと、おい!」

「神谷さん、うるさい」

 岡田の声が少し棘のあるものになった。ナイフを取り出し真剣そのものの表情で部屋の中を見回している。リビングの先にあるキッチンへと向かった。そこには、凶器となった包丁がしまわれていたはずだ。当然もう何も残ってはいなかった……と思った次の瞬間神谷は目を疑った。

何もないはずのシンクに、真っ赤な血だまり。ぎょっとした瞬間、岡田のきつい声が飛んだ。

「神谷さん後ろ!」

 ばっと神谷が振り返ると、女が立っていた。新聞記事で見た被害者女性に間違いない。白い服も着ていなければ髪も長くない。ただ普通と違うのは、顔が紙のように真っ白なこと、喉と腹から血を流していたこと。

憤怒の表情でこちらを睨みつけていたこと。

「ひいい!」

必死の思いで塩をひとつかみ投げると、女はパッと消えた。シンクを見ると、血だまりも消えていた。心臓がバクバクとものすごい勢いで脈打っている。塩を投げた手はじっとりと汗ばみ、呼吸は自然と早まって行った。大きく呼吸をしながら岡田の方を見ると、意外にも冷静に親指を立てた。

「グッジョブ」

「うるせええぇ、すっげー怖い……何だよ今の」

「こんなの序の口ですよ」

バン!

 開け放していたはずのリビングのドアが、大きな音を立てて閉まった。ぺた、ぺた、と足音が聞こえる。そして、ドンドンドンドン!と急いで階段を駆け上がる音も。

「え、ちょっと待ってマジでマジで。え、嘘だろ?」

今まで体験したことのない恐怖に、神谷は腰が抜けそうになる。岡田が果敢にもリビングのドアの方へと歩いて行こうとしていたのを、慌てて神谷は止めた。

「馬鹿、どこ行くんだよ!」

「追いかけないと」

「こ、殺されるぞ!」

「じゃあ神谷さん、そこに座って待っててください。僕、二階に追いかけに行くので」

「ま、待ておい。一人にするな!」

「じゃあ一緒に行きましょう?」

 階段の手すりをしっかりと握ってゆっくりと音を立てずに登って行く。登りきって最後の一段を踏みしめた瞬間、目の前で岡田がひゅっと何かを振るった。ジュッと焼け焦げるような音がして、またパッと消える残像が見えた。

「上で待ち構えてたんですよ、二人まとめて突き落とされちゃうところでしたね」

「またいたのか!」

「どこにでも現れますよ。けど痛手は負わせたはずです」

二階にゆっくり進んでいくと、トイレが勝手に流れたりドアがバタンバタンと音を立てて開閉したり、怪奇現象のオンパレードだった。

「向こうも殺しに来るんで、こっちも殺すつもりで行かないと」

一番奥の、寝室。惨状が起きた場所だ。部屋のドアを開けた瞬間鉄の錆びたようなにおいが鼻をつく。血の匂いだと一瞬にしてわかる。奥のベッドの上、彼女は座っていた。膝の上に包丁を置き、先ほどは無かった口端からの流血も見られる。表情は、悲しそうだった。

彼女が口を開いた。

『どうして……』

「旦那さんは、罪を償ってるだろ?今、刑務所の中だ」

『私はただ、眠っていただけなのに』

「そうだね、あなたを起こしたのは馬鹿な大学生だ。だけどその後にした行為は許せない。罪もない女性を、三人も殺した」

 岡田がそう言った瞬間、真っ白な顔が見る見るうちに先程までと同じような怒りの表情に変わる。

『そう、許せない……幸せそうに赤ちゃんを作ってイルノガユルセナイ、ニクイ、ユルセナイ!』

包丁がひゅっと空を切る。それを避け岡田がナイフを腕に突き立てると、カランと床に包丁が落ちて音を立てた。

「神谷さん、それに塩かけて、早く!」

 言われるまで固まっていた神谷は弾かれたように慌ててそれに向かって持っていた袋をひっくり返した。女性の悔しそうな表情が見える、こうすると武器を拾えなくなるのだろう。しかし岡田は容赦なくベッドに追い詰めていく。

「同情できるのは無理やり起こされた時までだ」

 とうとうベッドまで追いやると、岡田はその心臓に向かってナイフを突き立てた。

「死後の罪、しっかり償ってもらいます」

 次の瞬間、立っていられないほどの強風と炎のような赤い火花、断末魔のような叫び声とともにその姿は消えた。

「……お、終わったのか?」

 その場の強風に耐えられず床に座り込んでいた神谷がようやく目を開けて恐る恐る尋ねると、非常に晴れやかな表情で岡田がこちらを向いた。

「ええ、これでオカルト・ツアー、終了です」




 万願寺のファミリーレストランで、ひと仕事終えたとばかりに岡田はもぐもぐとピザを頬張っていた。その向かいで神谷はコーヒーを無理やり喉に流し込んでいた。

「食べないんですか?」

「お前こそ、よく食えるな」

「物心ついたときからあんなことやってますからね。流石に慣れますよ」

 しれっと答えながらまたオレンジジュースを一口。神谷はため息をつく。岡田はピザから顔を上げると、口の中のそれを咀嚼して飲み込んだ。

「夫たち、どうするんですか。まさかやってもいない罪で起訴するわけにもいかないでしょう?」

「けど上司に何て言えばいいんだよ、オカルト・ツアーに行って来て、幽霊が犯人でした、起訴はやめましょうってか。頭おかしくなったと思われるだろ」

「疑わしきは罰せず、でしょ。返り血もルミノール反応も出なかったんだから、証拠不十分で不起訴にできませんか。不起訴の理由を明らかにする義務は検察にはない。そういう意味不明な法制度を逆手に取るって方法もありますよ。起訴しちゃったらほぼ有罪になるんですから」

「それもそうだな」

 あまりおいしくないコーヒーを胃に流し込んで、ふと外を見る。家に入ったのは七時前だったのに、出たのは九時を少し過ぎていた。それだけあの家に長居したのかと思うと、なんだか怖くなる。

「神谷さん、僕のこと人でなしって思ってるでしょ」

 突然そう言われて目の前の男に目をやると、真剣な表情でこちらを見ていた。

「死んだ人をもう一回殺すんです、そりゃあ僕だっていい気分じゃないですよ。だけど誰かがやらなきゃ、死ななくて良い人まで死んでしまう。今回は僕が動くのが遅すぎて三人も犠牲者を出してしまった。自責の念がないわけじゃないです。もっと早く動いていれば、犠牲者を減らせたかもしれないと思います」

 黒く、丸みを帯びた目がじっとこっちを見ている。今までふざけてばかりで掴みどころのない奴だと思っていたが、案外そうでもないのかもしれない。

「……殺人事件は、お前のせいじゃねぇだろ。もっと犠牲者が出ていたかもしれない所を、お前が止めた。あの女性は、墓参りにでも行こうぜ。それくらいはしても罰は当たらないだろ」

「だといいんですけど」

 軽く肩を竦めてもぐもぐとまたピザを食べ始める。心なしかペースが遅れたそのピザを一切れ、向かいから神谷は取り上げて口に運んだ。

「あ!」

「うん、うまい」

「ちょっとぉ、横取りしないでくださいよ!」

「うるせえ、ガキ」

「ビビリ!」

「あんなもん初めて見れば誰だってビビるわ!」

「じゃあもうビビりませんよね、一回経験したから!」

「当たり前だろ。何回でも行ってやる、むしろ前を歩かせろ!」

 売り言葉に買い言葉でそう言ったところで、はっと固まる。岡田が整った顔にニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。

「ふふ……神谷さん、言いましたね?」

 オカルト現象を全く信じていなかった検察事務官が、天才ゴーストバスターのパートナーとして巻き込まれた瞬間だった。

 勿論この後同じような事件は全く起こらなくなり、三人の無実の夫たちは揃って証拠不十分で不起訴処分になり、無罪となった。そして真相は闇の中に葬り去られ、迷宮入り扱いとなっている。

「そういやぁさ、お前、ゴーストバスター以外の言葉でどう説明したらいいんだろう、ってバカみたいに悩んで無かったか?」

「あぁ、そう言えば。『バカみたい』ってワードが若干気に入りませんけど、どうしました?」

「オカルト・キラーなんてどうだ」

「……だっさ」

「んだとオモテ出ろコラ!」

 その翌日だった。ヴァンパイア殺人事件の新しい被害者の遺体が上がったことが、新聞、テレビ、ネットニュースの一面すべてを飾ったのは。




第一話 END

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オカルト・キラー @elle_miyahara

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