8:小鳥ファイル解凍その2

 キュッキュッキュッと音を立てて、階段を上がってきた”ルフト”は、開きっぱなしの扉からシルシの部屋の中を覗き込んだ。


 フローリングの6畳部屋の一角に、畳が一枚だけ敷かれ、その上に、寝袋が出しっぱなしになっている。

 壁の一面が収納になっている他は、無骨な作業机が2台並んでいるだけと言うたたずまい。思春期の少年の部屋にしては簡素と言える。


 寝袋の上に体育座りの女性陣に対し、男性陣は、オフィスチェアに陣取っている。

 オフィスチェアの足にはコロコロしたタイヤでは無く、軸が斜めになった複雑な形状の、小さく平たいキャタピラが5個くっ付いている。新しい特許を使用した製品には、特区指定の割引制度が利用できるため、安く購入することが出来る。

 かくして新入生の部屋は、珍妙なモノであふれることになる。


 鋤灼驗スキヤキシルシは、頭の上からネコミミを生やし、震えたような声を発した。

「ざざぁぶぶぅととぉんー、だだぁししぃままぁすすぅかかぁー?」


 笹木環恩ササキワオンは、裸エプロンと言う格好で、開かれた文庫本に指を走らせながら答える。

「コレで良いわよ。キレイみたいだし」

 と寝袋を撫でた。


 文庫本は、本置き台により、床から20センチ浮いた状態で、保持されている。

 その本置き台は、ルフト1/6サイズ・・・・・・・・・だ。基本的に、フルサイズのルフトとは独立しているが、いつでも、同期可能で、住人のサポートだけでなく、副系統サブシステムとして、下宿運用システム保守に一役買っている。


 ちょこまかと動く様が、とてもかわいらしく、環恩ワオンの視界に入ると、事態が進まないので、作業・・に必要なマニュアルを持ってて貰うことにしたのだ。

 シルシの文庫本にDLダウンロードした、マニュアルは、スクランブルが掛けられており、環恩ワオンのメガネでしか読むことはデコード出来ない。当然、シルシ達からは、全部の文字が塗りつぶされた、発禁本にしか見えない。


 補足だが、この”電子ペーパー”を数百枚束ねた、『電子ペーパー・ブックぶんこぼん』は、本来、完全ホログラフィー技術のすいを集めたもので、一度DLした書籍は半永久的に再表示可能だ。

 例外的に無料で”画素表示”出来るが、その演算能力は、電子ブックとしての機能を実現するために必要な最低限に押さえられている。それでも、8量子ビットマシン同等の能力を持つので、ふつうの、旧世代パソコンとして、事務仕事や趣味に使う人も多い。もちろん通常の使用とは言えないので、それなりの手順や、リスクを伴うが、それ自体を趣味ホビーとしている人も多い。


 笹木禍璃ササキマガリは、制服の上着を脱ぎ、両腕に、肉球付のフサフサ長手袋を付けている。

鋤灼スキヤキ、テーブルくらい無いの?」

 禍璃マガリは足を崩し、上半身を起こす。収納スペースが格納された壁を、しきりに猫手で指す。


 刀風曜次カタナカゼヨウジは、制服の上着を脱ぎ、腰のベルトの後ろから、クネクネうごめく長い尻尾を生やしている。

 刀風カタナカゼは器用にも、尻尾で、壁面の横木を突っつく。

「そこ、強めに押すと、作り付けのテーブル、飛び出るぞ」


 禍璃マガリ膝立ひざたちで、壁へにじり寄って行く。

 一枚敷かれた畳の大きさからすると、6畳部屋だが、耐震機構付のはりが渡らせてある下の空間が、多少おまけで広くなっている。その空間に作業机を押し込んでいるので、手狭てぜまな感じはしない。


 シルシが座る作業机から、伸びた2本のアームの先には、””が取り付けられている。夕日に染まりつつある紫色の空を写し込んでいるが、陽炎かげろうのようにうごめいている。

 鏡の表面には、沸騰するお湯の様な、浮かんでは消える泡構造が見て取れ、その激しいむらに呼応するように、強烈な熱を発していた。


笹木ササキ……環恩ワオンサン、階段ノ……入口ニ、コレガ落チテ……イマ……シタ」

 ルフトは、拾った台形オレンジ色”を水平に突き出したまま、背中に4人分の荷物を抱え、キュキュキュと歩いて、入ってくる。


「え? うそぉ!? 」

 環恩ワオンは脱いだ事務服の上着のポケットを探り、―――あら無い! 危なぁい! 無くす所だったぁ! と慌ててルフトへ駆け寄る。

 よく見れば、環恩ワオンは、ブラウスを脱ぎ、キャミソールの上からエプロンを掛けていた。エプロンには『水冷エプロン』と、パイプの中を水が流れていくロゴで描かれている。エプロン生地の表面に浮き出た、迷路のようなモコモコした線モールドは、循環水冷パイプの通り道だろう。くび紐に繋がった水冷パイプは、首の後ろの形にフィットした、スプレー缶のようなモノに繋がっている。


 ああっぶぶねねぇー、とシルシ環恩ワオンに駆け寄る。

 よく見れば、シルシの頭に付いた三角形は、ネコミミではなくて、個人用空調装備のエアインテーク空気取り込み口であり、首の後ろから、洋服の中へと風を送っている。声がブレているのは、襟元から風が断続的に吹き出すため生じる、空気の疎密のせい。襟元をきっちり閉じて置くか、逆に開けて置けば、声がブレる事は無い。

 環恩ワオンは、シルシのタイを、引っ張ってギュッと閉める。

 ぶわぶわぶわっ、ごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。

「わ、涼しい!」


「こら、鋤灼スキヤキ、近づきすぎ!」

 釘を指す禍璃マガリ。指を刺すが、猫手では、迫力がない。

「そうだ、俺と代われ」

 尻尾をクネクネさせ、タイをゆるめる刀風カタナカゼ


「それ、コウベを、圧縮して仕舞しまった積層メモリーやつ?」

 同級生を無視し、話を続けるシルシの宇宙人声が、ふつうの声に戻る。


「そうぅ。『削除反対! 勿体もったいない!』」

 ってしきりにコウベちゃんがぁ、鋤灼スキヤキ君の事ぉ、本気で噛むもんだからぁ、つい仕方なくー、”文書化”しちゃったけどぉ、ホントはしたくなかったんですよぉ、とグチるVR専門家。


「仕方ないですよ。もう、腹一杯で食えないのに、『だい、だい、お化け椎茸は全部アタシのだいっ』って、言い張るんだから」

 シルシはこうべのマネをしているのか、握った両手をぶんぶんと上下させる。


「そうよね~。あのっささで、あんなに、駄々をこねられると、もうカワイくってカワイくって。……お化け椎茸? 盆栽? も、あのままにしとけなかったし……」

 受け取ったオレンジ色の台形カードを、文庫本に挟んで、閉じるVR専門家。

 姿を現した1/6のルフトさんをガシリと掴んで抱き上げるVR専門家。

 小さいルフトさんは環恩ワオンを見上げ、両目を点滅させる。

「小さいルフトさんが出してくれた、防暑グッズ、結構効いてるわよ。ありがとう」

 AR対応メガネの指向性スピーカーから、出ているらしい声と会話して眼を細めている。


「カワイイモノに執着するの、程々にしないと、その内、大ポカするわよ」

 環恩ワオンはテーブルを引き出して設置し、ルフトから荷物を受け取っている。

 その手をよく見ると、毛皮ではなく、放熱効果の有るナノファイバー製長手袋であり、手袋の長いところを折り返しているのは、寒いといって、調節したためだ。


 ウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥュュン!

 熱を発していた、鏡が音を発して、元のコンソール画面へと戻っていく。

 部分的に鏡の部分が円形に残っているので、CGみたいに見える。


「二人とも、今よ!」

 環恩ワオンは、妹の小言を無視して、指示を出した。


「はい! よろこんでぇーっ!」

 シルシから渡された毛布を、満面の笑みで、鏡へ掛ける刀風カタナカゼベルトから生えた尻尾は、よく見れば、それは、気化熱を利用した、熱中症予防機であり、伸ばすと首筋まで届く。冷却効率500%アップと、ゴミ箱に捨てられたパッケージに、記載されている。背中の動きを読みとって、自在に動くが、それ自体に意味は無い。


 シルシも、毛布をもう一つの鏡へ、ばさりと掛けた。

 毛布の中から、ミシミシと何かが収縮するような音が聞こえてくる。


 シルシの作業机に付いた、鏡は、積層パネル搭載のTVモニタである。

 演算と表示の両方を、切り替えなしに、平行して出来る、そこそこ性能の良いもので、VRヘッドセットの代わりに使えるようにと、シルシが最高に調べ抜いてたどり着いた製品だった。空間認識用アダプタドングルをモニタに付けるだけで、量子コンピュータにアクセスできる様になる。


 通常の完全ホログラフィー技術による物体表面表示と、モニタへの表示とで、何が違うのかと言えば、個人使用の際に、料金がかかるかかからないかという一点だけだ。”各種座標指定に関する煩雑さ・・・が、1番お金がかかる部分”と特別講座”VRエンジン概論アウトライン”のテキストにも書かれている。


 今、彼らは、この・・シルシ愛用の、”モニタ端末・・・・・”、をVR技術者ワオンの持つ、権限の一部を譲渡することで、”開発者コンソール化・・・・・・・・・”している真っ最中である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る