ぼくの天職

ヒコロウ

第1話 ぼくと天使と再就職

「この会社ともあと1週間でお別れか‥‥‥」

まだ肌寒さを残した季節にコートも羽織らずに寒空の中、タバコをくわえてビルの屋上で手摺てすりにもたれかかりながら、岡崎哲馬はぼんやりとひとりごちる。

つぶやいた言葉の通り、哲馬はあと一週間でこの会社を辞める。

いや、辞めさせられるという方が正しい。

哲馬の勤める会社は印刷会社で、ここ数年で印刷業界も紙媒体かみばいたいの事業から電子書籍や WEB、映像関連の業務が増え、中小企業である哲馬の会社は徐々に業績が下がりはじめた。

会社は「組織再構築」と称してとして社員のリストアップし、退職金を年齢、勤続年数に応じた額を支払い、対象の社員に早期退職を促したのだ。

ようは程のいいリストラである。

しかも入社5年目の哲馬がもらえる退職金など微々たるものだ。


リストラだけならまだよかった。

悪いことは立て続けに起こるもので、入社当初から付き合っていた彼女にリストラされた旨を伝えたその三日後に別れ話を切り出された。

『私ね…、好きなひとができて…だから…ごめんね……』

それが彼女の最後の言葉だった。

彼女の言葉に嘘があったかは分からないが、どうせふられるのであればいっそのこと「リストラされた、稼ぎのない男とは付き合えない」とはっきり言われた方がまだマシだった。

空へとくゆるタバコの煙を眺めながらその時の彼女の顔を思い浮かべると、どっと暗い気持ちが膨らんでくる。

視線を空から地上に落とせば、豆粒のような大きさの人がせわしなく行き来している。

(なんかもうどうでもよくなってきた……このままここから飛び降りたら、楽になれるのかな‥‥)

ネガティブな状況はネガティブな思考を連想させる。

虚ろな思考でそんなことを考えている哲馬の肩にぽん、と手が置かれた。

吸わずにくわえたままのタバコの灰がポロリと落ちた。

ギクリとした。

自分の今考えていたことを見透かされた気がして、意識が一気に現実に引き戻される。

振り返るのが怖い。

冷たい汗がぶわりと全身に吹き出す。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

同僚だろうか、上司だろうか、とにかくどう取り繕うか、哲馬は動揺した頭の中で算段を繰り返す。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」


「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」


「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

ゆうに3分はたっただろうか、それなのに肩に置かれた手はそのまま動こうとしない。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥?」

(普通は肩に手を置いたら、声かけるなり、ぽんぽんたたくなりするもんじゃないのか?)

哲馬がぐるぐると思考を巡らせてみても、一向に動かないままの手にしびれをきらして、意を決してばっと背後を振り返ると相手と目があった。

そこにいたのは同僚でもなければ、上司でもない、スーツ姿で眼鏡をかけた知らない男だった。

ハーフだろうか、色素が薄く彫りの深い、非常に整った顔をしている。

背も185センチある哲馬とそう変わらない。

外資系でもない自分の会社にこんな目立つ人間がいただろうか、哲馬がひとりごちていると、その男は哲馬をみて珍しいものでも見たような顔をしている。

混乱して相手を言葉を発することもなく観察していると


「あれ‥‥あなた私のこと視えるんですか?いい人なんですねぇ」


間の抜けたような、しかしよく通る声で、にこやかに返される。

「はぁ?」

思いもよらない一言に、哲馬は思わず聞き返す。

訝しげな哲馬の様子に、怯むでもなく再びへら、と笑うと

「いやぁ、まれに私たちのことが視える人がいるっていうのは聞いていましたが、実際にお会いするのは初めてでして、驚かせてしまってすみません、私はこういうものです」

スーツの内ポケットから名刺入れを取り出し、それを両手で持つと丁寧に哲馬に差し出した。

「あ、頂戴いたします」

営業職の悲しいサガか、普通に受け取ってしまう。

受け取った名刺はなんとも不思議な手触りと質感だった。

羽のように軽く、一見紙に見えるそれは角度によって、半透明になる。

素材がガラスなのかアクリルなのかも良く分からない。

怪しい男から受け取った、これまた怪しい名刺をまじまじと読み上げる。


株式会社セラフィム 営業課 アーロン・シノダ


あ、やっぱりハーフだったか。

推理小説の犯人が真相前に当たったかのように、ちょっと嬉しい気持ちになっていた哲馬だったが、はた、と気がついて首を振った。

「…ってなに俺も受け取ってんだよ、なにが『頂戴いたします』だよ!

なんなんだ『私が視える』って!あんた幽霊かよ!」

「幽霊‥‥‥まぁ当たらずとも遠からずでしょうか」

アーロンは再びへらりと笑って見せる。

その整った笑顔に、先ほどまでの自分のネガティブな思考に付け込まれるような一抹の不安を覚えた哲馬は、

「なっ‥‥‥なんだよ、あんた俺のこと殺そうとでも思ってんのか…!」

どもりながら相手を睨み付けるとじりじりと後ずさった。

アーロンはきょとん、と哲馬の顔をみると言葉の意味がわかったのか、突如声をあげて笑い出した。


「それは私の仕事ではありませんし、あなたはまだまだ死ぬ運命にはありません。それより次の職場をお探しならちょっと私の話を聞いてくださいませんか?」


「え……?なっ…なんで俺が職無くすこと知ってんだよ…」


「天使ですから、私」


困惑し続ける哲馬の前でひとしきり笑い終えた自称天使がにそう言ってまたにこやかに笑った。







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