実務開始

 ゴルエの洞窟から、か細く甲高い悲鳴が聞こえてきた。

「マチウス! 行くぞ!」

 言い間違いに気づかず、ディトワは駆け出した。


 遅れないように自分のドゥーリガンをかつぎ、全速力でその後に続いた。

 背後にヒルガーテのものらしき足音を聞く。


 洞窟の入り口にたどり着くと、昼間でもないのに洞窟の奥は煌々と明るい。

 うっすら、焦げ臭い臭いが風に乗って漂ってくる。


「まさか、火竜か!」


 先頭を走るディトワのことばもその風に乗り、はっきり聞こえる。

 洞窟の広場を見下ろす高所の縁で、おれの足は止まった。


 小山のような大きさだ。


 洞窟のあちこちで燃えさかる張りワナの炎に照らされ、その生き物の姿は黒々とした偉容を現していた。

 もたげた首の先にある頭は、伸ばせば、洞窟中央からおれのいる場所に届くほど高い位置にある。

 その長い首を支える肉付きのいい胴体から、人間のような形状を持ち、均整の取れた両腕と、しっかり石床を踏みしめている異形の二本の足が生えていた。


 ぬめる表皮は、赤く妖しく炎の色を反映し、油でも塗ったようにぬらぬらと輝いている。長い尾で石床を打ち叩く音は、大きな残響を洞窟内に響かせた。

 背中には大きな翼状の部位も見てとれる。


 いまはたたまれているそれを使い、きっと、こいつは空も飛ぶのだ。


「マーガル!」

 背後のヒルガーテに呼ばれ、おれは我に返った。

 彼女の声に反応したように、竜はゆっくりとこちらを向く。


「気をつけろ! 火を吐く!」


 ディトワの叫び声を聞いた。


 火竜の顎まわりは獣のように前に突きだしているものの、鼻や目元は人間のようなつくりをしていた。まるで、ノヘゥルメのような……そうか、いずれああなるのか。

 双眸を細め、やつはいきなり大口を開ける。

 しゅう、と空気の漏れるような音を出した。


 口の両端から勢いよく、液体らしきものが二本の筋となって噴出される。


 それは周囲の炎を映し鋭くきらめきながら、大顎のすぐ前方で交差した。

 瞬時、その液体は爆発音とともに猛烈な火炎に変化した。


「あぶない!」

 ヒルガーテは叫び、おれたちは反射的に横っ飛びで身を避けた。


 棒状になった炎が、おれたちを追って洞窟にはいってきたルフ城の衛士を捉え、全身をおおいつくした。


 その断末魔を聞いた火竜の顔は醜怪な笑顔に変わる。

 この生き物の内部に高度な知性の存在を確信させるほど人間くさい表情をする。


「マーガル! いしゆみを!」


 ディトワは火竜の足もとを通り抜けたらしく、祭壇の中央付近に向かっていた。


 転がるようにして石の階段を下る。

 竜の側面から部屋の向こう側まで駆け抜けようとしたとき、思わぬ伏兵に進路を塞がれてしまった。


 三匹のマコロペネスが重なり、群がっていた。

 走る方向を変えようとするも、石床で足を滑らせてしまう。

 ドゥーリガンを杖がわりに、なんとか転倒を避けた。

 石床は一面血の海だった。


 巨蟲の棘状突起の隙間に、先にこの洞窟にはいった衛士のものと思われる槍や甲冑の残骸を見る。

 無惨にも彼らは巨蟲に喰われたのだった。


 火竜の吠え声を斜め上方に聞き、見るとディトワは広場の中央近くに立ち、円状に穿たれたくぼみへ、そいつをおびき寄せようとしていた。


 首を回し右方を見ると、ヒルガーテは壁沿いを走っていた。


 周囲の壁に設置してある上下九基の弩を一度に射出する綱を切りに行ったのだ。

 左方に石を打つような音を聞き、ふたたびマコロペネスに注意を振り向ける。

 中の一匹は口吻を打ち鳴らし、いまにもおれに飛びかかろうと身体を丸めていた。

 勢いよく跳んできたその巨体をかわす。

 着地の衝撃でやつは頭部をおれの目の前にさらけ出した。

 頭上の突起に回転させた剣を振り下ろし、弱点ごと頭部甲殻を貫く。


「いけっ!」


 背後にディトワの合図を聞いたと思う間もなく、周囲の石壁から、つぎつぎと弩の発射音を響かせ、銛のように巨大な矢が火竜に放たれた。

 それはやつの表皮に食い込み、おそらく筋繊維を断裂させ、深々と身体の奥に突き刺さる。

 その衝撃にさしもの巨体もよろけた。


 続けてディトワは地表に設置された三基の弩からも大矢を火竜の下半身に向かい打ち込んだ。

 激しい射出音とともに、それは火竜の足と下腹部に突き立った。


『ムだなコトヲ。我モまたフ死身なり』


 上空から不気味な声が響く。

 鎌首をもたげた火竜のことばは、聞き取りづらい、

 しかしそれは間違いなくふだん、おれたちの使うことばだった。


 二匹目の巨蟲と相対していたおれは、火竜に気をとられ、三匹目の突然の攻撃をかわしきれなかった。

 やつの足についた棘状突起に、ざっくりと胸元を切り裂かれる。

 粘性の高い黒い体液は、血液のように派手な飛び散り方をせず、おれの衣服の内側にしみ出し、身体の表面にべっとりまとわりついた。


「マーガルぅ! たしぇけてくれぇえ」


 聞き覚えのある甲高い声、ヨツラだ。

 ろれつが回っていない。


 いったんマコロペネスから身体を離し、声をたどると、ヨツラとその一味は、例の木箱周辺に身を隠すようにして固まっていた。

「弩を!」

 精一杯の声で怒鳴る。

 胸の傷口から空気の漏れるようなピューという音とともに、黒い体液は逆流し、口と衣服の裂け目から噴き出した。


 二匹のマコロペネスはふたたびおれに肉薄してきており、その片方もまた、いきなり跳躍する。

 腰を落とし、なんとかその下をかいくぐった。

 巨蟲は背中をかすめておれを飛び越え、地響きを立てて背後に着地した。


「死にたくなかったら手伝え! 弩を撃て! おまえたちも死ぬぞ!」


 おれはヨツラたちに再度怒鳴った。何回目かで、ようやくなんらかの動きをとろうとするやつらの姿を目の端に捉えた。

 回復時の強い頭痛で頭の芯から痺れている。


 三匹目のマコロペネスは視界一杯に広がっていた。

 右方から弩の弾ける音を聞き、すかさず目前の巨蟲に大矢が突き立つ。

 巨蟲はその衝撃で横倒しになった。


 射手を確認すると、ヒルガーテだった。


 頭部上面を側面に向けてもがくマコロペネスのもとへ走り寄りながら、横方向に大きくドゥーリガンをまわし、横なぐりで急所へ叩きつける。

 やつの頭部は陥没し、爆散するように白い煙が立ち上った。


 今日二度目の託宣を受けた。


 ――『新たな守護剣士よ、汝はなかなかに強い。しかしふたたび朝日を浴びることはないであろう。今宵、我は汝を討ち滅ぼすからだ……十四』


 ――なに言ってやがる!


 心の奥底からわき上がる反発心は、おれの身体中に広がり、熱くなる。

 最後のマコロペネスをふたたび正面に見据え、ドゥーリガンを腰だめに構えた。


「伏せろ!」ディトワの声だ。


 突如、頭上の一角に赤い光輝と高熱とを感じ、おれは横へと転がる。

 上空から降り注ぐ爆炎は衣服を焦がし、今まで立っていた石床に火柱を現出させた。上空を振り仰ぐと、火竜は長い首の上から真っ直ぐおれを見下げ、にやりと笑った。


『なンじにあスはコない、いま、ソウ言ッたではないか』


 人間と形状の異なる口顎で、人語を発するのは難しいのか、火竜のことばは間近にいても、やはり聞き取りづらい。

 が、朗々たるその声で、呪いの託宣との関連に気づく。


 ――こいつか? こいつが呪いの本体なのか!


 周囲に飛び散った炎は、甲殻の油分に引火したようだった。

 マコロペネスは黒煙を上げて、一気に燃え上がる。

 炎に包まれた巨大甲虫はその高熱をものともせず、こちらに突進してきた。


「マーガルどけーっ!」


 ヨツラの声とともに、大矢が分厚い甲殻をぶち破り、巨蟲の上面に突き刺さった。それを皮切りにして、洞窟の壁上方に設置された弩から次々矢が放たれていく。


 ヨツラ一味がようやく弩にたどり着いたのだ。


 射出された十数本の大矢のうち、結果的にマコロペネスを貫いたのはたった三本ほどにせよ、やつの動きを止めるにはそれで十分だった。


 おれは近づいて、巨蟲にとどめを刺す。

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