第5話 会議は踊る


「これは明らかに事故ではなく事件だわ!」


 植物探偵団の4名は、園芸部室に集まっていた。

 机を叩いて断言するさくらに、僕は一応確認した。


「生徒会が見つけたボールは?」

「予め隠し持っていたボールを取り出して、さもそこで拾ったかのように見せる。小学生にもできる簡単なトリックよ」

「……確かに」


 僕も昨日の生徒会の説明には強い不信感があった。

 裏サイトのDOLL生徒連続失踪事件のスレッドを読んだ直後の出来事だったから余計にそう感じたのかもしれないが、あれでは誰の目にも、何かを隠そうとしているようにしか見えない。


「事件だとしたら、一体どこのどいつが何のためにあんなひどいことを? も、もしかして、ラダイト運動とかか?」


 あさが身を震わせた。ラダイト運動というのは、数年前からDOLLの社会進出に比例する形で台頭してきた、過激な反DOLL運動の総称だ。一部の若者を中心に従来の右派・左派を横断する形で、DOLLによって人間の雇用が減るだの伝統が損なわれるだのと主張しており、DOLLのいる企業や学校への悪質な襲撃事件も何件か起きている。


「手がかりならあるわ。職員室から拝借してきた、一年生の名簿よ。今月中に転校したことになっている、つまりは失踪したDOLLに『転校』ってチェックが入っている。これを見て頂戴」


 またどんな汚い手を使ったのか、桜が生徒の個人情報が記載された紙を出してくる。

 裏サイトに書かれていた、新学期早々に複数のDOLL生徒が転校扱いでいなくなったという話は、どうやら事実のようだった。


「これがはく以外の失踪したDOLL達。ND-927-4くろ真珠しんじゅ、ND-830-4みず芭蕉ばしょう、ND-912-4あか珊瑚さんご、ND-321-4しら百合ゆりの4名よ。実、この4名を見て何か気付いたことはない?」

「全員ドキュ……もとい、キラキラネームだな」

「今なんて言いかけたの!」


 前から思っていたのでつい全DOLLを侮辱する発言をしかけて、桜に睨まれた。

 各メーカーが開発にしのぎをけずるDOLLだけに、平凡な命名は許されないのだろう。


「型番をよく見なさい」

「あ、みんな中島技研製の第4世代型だね」


 ゆうが気付いた。そういえば全員、型番がNDで始まり、最後に4の数字がついている。


「正解よ。そして、昨日いなくなった琥珀はND-831-4、やはり中島技研製の第4世代型」

「中島技研はつい最近ミサキドールに抜かれるまで国内生産数トップだったメーカーなんだぜ。この学園に通うDOLLで機種別最多は中島技研製なんだし、たまたまじゃねえのか?」


 朝菜は、桜の言わんとしていることが信じられないというより、信じたくない様子だった。


「それにしたって、全員中島技研製なのは不自然だわ」

「ラダイト運動ならDOLLを無差別に襲うはず……まさか、中島技研を標的にした対企業テロだとでもいいてえのか?」

「被害者が第4世代型に限定されている事実も無視してはいけないと思うわ。第4世代型は、中島技研の言わずと知れた最新モデル。その技術を狙った連続誘拐事件だと考えるのが妥当だわ。そして」


 桜は思わせぶりに人差し指を立てる。


「最も疑わしいのはこの学園の生徒会長にして、中島技研とシェアを競うミサキドール社の総帥令嬢、瑠璃るりよ」


 やはりそうきたか。予想できていた桜の結論に、しかし僕は簡単には同意できなかった。


「裏サイトにもそういう書き込みがあったけど、ちょっと短絡思考すぎやしないか。ミサキドール社みたいな社会的に名の通った一流企業が、そんな犯罪行為に手を染めるか? 得るものよりも、ばれた時に色々失うリスクの方がはるかに大きいだろ。それに、瑠璃さん自身が中島技研で開発中の第5世代型と互角以上の性能だってお前が言ってたじゃないか。その瑠璃さんをつくったミサキが、第4世代型の技術を盗む必要があるのか?」

「特注品の生徒会長と量産される中島第4世代型とでは機体の設計思想からして違うわ。それに昨日見た生徒会の動きは、一連のDOLL失踪を隠蔽しようとしている風にしか見えない。あのMD-233黒曜石というDOLLは生徒会長の忠実な腰巾着。私のカンでは、生徒会長は間違いなくクロよ」


 あくまで桜は瑠璃を疑う方針を変えなかった。DOLLの癖にカンかよと突っ込みたくもなるが、動機があり、実行できる力もあり、そして実際に不審な行動にも関与している可能性が高いと三拍子揃っている以上、桜の言っていることは決して的外れではない。


「あんな奴とはいえ、同じDOLLがそんなことをするなんて想像もしたくねえが……そうだ、警察だ! 学園はどうして警察に通報しねえんだ?」


 朝菜の疑問に、再び桜が答える。


「被害者が人間なら立派な誘拐事件になるでしょうね。でも、私達義務教育中のDOLLはあくまでモノ、法的には窃盗に過ぎない。まあ他にも窓ガラスを割ったり機材を壊したりしているから器物損壊、犯人が外部の人間なら学園敷地内への不法侵入、その程度だわ」

「器物損壊と不法侵入、お前が以前僕に対してやったことだな」

みのるは黙ってて。とにかく、窃盗や器物破損があったからって、いちいち警察に被害届を出す学校なんてないわよ。表沙汰になったらイメージダウンは避けられないから、学校は基本どこも隠蔽体質。一方で、義務教育を終えて社会に出たDOLLは人工知性特例法でしっかりと守られる。さらって分解なんかしたら、はるかに重い刑事罰を課せられるわ」


 だから義務教育中のDOLLを誘拐しているってことか。


「そういうわけで、この事件の捜査は私達植物探偵団が行うわよ。割り振りは、まず私が一年生の生徒達への聞き込み、朝菜と夕菜は二年生及び三年生の……」

「ちょっといいかな、桜さん」


 仕切り始めた桜を遮って、夕菜が挙手した。


「その……大切なことを忘れてないかな。ボク達は志戸子エコプロダクツに『ユグドラシル』を出展させる準備をしなくちゃいけないんだよ? 朝菜が瑠璃と約束したんだから。……琥珀さんのことは確かにボクも気になるけど、先生達は転校したって言ってるわけだし、昨日のことだって、野球ボールのせいってことになったんだから、ボク達一般生徒が気にしても仕方がないんじゃないかな。それより頑張って『ユグドラシル』に専念しないと、出展が間に合わなくなっちゃうよ」

「うっ、そういえばまだ論文が……」


 夕菜の指摘に、朝菜が嫌なことを思い出したようで頭を抱える。

 しかし、桜はそれらをばっさり切って捨てた。


「その必要はもうないわ。さっきも言った通り、生徒会長は確実にこの事件でクロなの。決定的な証拠を掴んで生徒会長と取引する、生徒会長が取引に応じなければ敵対する蓮華委員長に情報を売って、生徒会長を失脚させる。どちらに転んでも植物探偵団の不戦勝よ」

「……瑠璃が犯人だというのは、今の時点では桜さんの憶測に過ぎないよね」

「あら、『ユグドラシル』に専念して生徒会長に勝てるという保証も全くないと思うけど」


 桜と夕菜の間で火花が散る、今までにない展開だ。夕菜は朝菜と違って桜に激することはなくあくまで穏やかだが、簡単に後に退く様子も無い。


「仕方ないな……不本意ですが、いったん二手に分かれましょう」


 朝菜の方を見て、僕は提案した。


「二手に分かれる? 園芸部チームと探偵部チームに、って意味か」

「ええ。せっかく朝菜さんと夕菜さんが僕達を同じ植物探偵団の仲間だと言って下さったのに、申し訳ないです。でも、生物や植物の専門知識の無い僕達に『ユグドラシル』についてお手伝いできることは元々限られています。そこで朝菜さんと夕菜さんには今まで通り『ユグドラシル』に専念して頂き、僕と桜がDOLLの連続失踪事件を調べます。勿論、手の空いた時間はお互い協力し合うということで」


 桜の言う取引だの不戦勝だのといった狙いには正直共感できなかったが、DOLLの連続失踪事件と瑠璃の関係は僕も個人的に気になることだった。

 耳にはまだ、あの普段は物静かな御所浦の悲愴な声がこびりついて離れない。


「そうか……不本意だが、眼鏡がそう言うんじゃ仕方ねえな」


 朝菜は本当に不本意そうな顔をしながら了解してくれた。「てめえらなんて最初から戦力外だ」と言われなかったのが少し意外だった。


「ボクも、朝菜と糸川君が決めたことなら従うよ」


 夕菜も頷く。


「なんだか、私だけ除け者にされている気がするのだけれど……」


 桜がふくれっ面をしている。


「で、さっきの割り振りの話だが、結局どうする?」


 僕が話の続きを促す。


「そうね、仕方ないわ、私が一年から三年も含めた学園全体の聞き込みをやるわ」

「あれ、僕は?」

「実には生徒への聞き込みよりある意味大切な任務を与えるわ」


 桜の口から次に出た言葉は、全く予想外だった。


「生物部顧問のほたる先生に近付いて、生徒会長の動向を探りなさい」

「……蛍先生?」

「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、という諺があるでしょう。顧問の蛍先生なら一般生徒達よりもはるかに生徒会長のことに詳しいわ。この人選に感謝しなさい。貴方、野菜アート大会の時、蛍先生に見とれてたわよね」

「だから、あれは違うって!」

「はいはい、そういうことにしておいてあげるわ」


 蛍といえば、夕菜と親しかったはず。蛍に接触するのは夕菜の方が適任なのではと言いかけて、夕菜の何かを懇願するような視線に気付いてやめた。

 そういえば夕菜は、蛍と親しくしていることを朝菜に知られたくないと言っていたな。


「……わかったよ。で、いつから始める?」

「さっそく今日から、よ」






 屋久島大学は、附属する志戸子学園高等部と海を見下ろす山の中腹にあった。

 キャンパスは三角形の立体格子を組み合わせ日本の合掌造りをモチーフとしていたが、壁面緑化をやり過ぎたせいか、ジャングルの中で忘れ去られた古代遺跡のような外見になっている。


「……このように、生物が進化の過程で獲得した適応能力は全て遺伝子に書き込まれ伝えられます。遺伝子が突然変異すれば生物は変化します。同様に、遺伝子を改造すれば生物は変化します。遺伝子工学では、これら二つの種類の変化を両方とも用い、遺伝子組み換えだけでなく、古典的な手法である選択培養も用います。微生物を培養し、狙った性質を最も示した株を選別して再び培養します。突然変異の出現率を高めるため、誘発要因を加えることもあります。そして微生物は急速に、例えば一日十世代のペースで世代交代しますから、望んだものに近いものが得られるまでこの手続きを繰り返せばいいわけです。選択培養は、未だに有力な遺伝子工学技術です。しかし今日より新しい技術であるGEM、遺伝子操作された微生物が脚光を浴びているのも事実です。この数年間の研究でプラスミド結合は非常に精巧なものになっています。切断のための制限酵素と接着のためのリガーゼ酵素の選択肢も増えており、応用力が高まっています。ゲノムの情報蓄積、DNAの転写技術により、染色体の起動、増進、複製、誘引自滅など、あらゆる種類の遺伝子操作が容易になりました。望ましい特徴を持つ生物から該当するDNA連鎖を見つけ出し、プラスミド・リングにカット・アンド・ペーストすることも可能です。するとまるでキマイラのように、複数の生物のDNAメッセージを融合させた新しい生物をつくり出すことも可能なのです」


 広い教室で大学生達を相手に淀みなく講義をしていた若い女性講師は、そこで言葉を区切った。


「……さて、少し早いけど今日の講義はここまで。質問はメールで受け付けます」


 それを合図に教室全体が賑やかになり、学生達が雑談しながら三々五々退出していく。

 大学生達の群れが去った後。教室の後ろの方に座っていた僕の目の前に、その女性講師はいつの間にか立っていた。


「やあ、みのる君」


 屋久島大学助教授、蛍は僕の名を呼んで切れ長の目をすっと細める。

 かき上げた長い髪に、天井の明かりが光の帯となって滑り落ちているようだった。

 



「感心だな。まだ高校一年生なのに大学の講義を聴きに来るだなんて」

「えっと、その、生命工学に興味があって」

「ふむ」


 構内の並木道を二人で歩いていると、すれ違う大学生達がみんな蛍に手を振ってくる。蛍も笑顔で手を振り返している。大学でも蛍は教え子達から慕われているようだった。


「せんせー、デートですかー?」

「そうだぞー」


 大学生の女子グループからの冷やかしに、蛍は何を考えたのか当たり前のようにそう答えると、僕に腕を絡ませてきた。身体が密着し、僕の腕に蛍の胸があたる。

 やわらかな感触に、一瞬相手がDOLLであることを忘れ、頭が熱くなるのを感じた。


「せ、先生」

「……それで、本当は何を調べているのかな、探偵君?」


 不意に耳元で甘く囁かれた。中身は全く甘くなかった。


「ふふっ、さっき嘘をついた罰だ」


 この先生には敵わないなと、僕は思った。


「しかし楽しそうだな、探偵部。桜君だったかな? 素敵な思いつきじゃないか」


 探偵部の話は瑠璃から聞いたのだろうか。桜のことも知っている様子だった。


「志戸子学園は、真面目過ぎるというと語弊があるが、みんな就職や進学に有利なように成果第一主義だからな。課外活動も大人顔負けの研究ばかりだ。それが決して悪いことだとは思わない。しかし、普通の学校みたいなのびのびした部活動もあっていいんじゃないかと、前から思っていたんだよ。これは大学でも教え子達に言っていることだが、せっかくのモラトリアム期間なんだからもっと自由に、良い意味で遊んで、友達と楽しい思い出をつくった方がいい。損得抜きで親しくなった友達は、一生の宝物になるぞ」


 機械の私がこんなことを言うのはおかしいかな、と蛍は笑った。


「私にも親友がいるんだ。ハナという人間の女の子でね、凄い美人だし歌がとても上手い。いつか実君に紹介しよう」

「ありがとうございます」


 とりあえず勢いで礼を言ってしまってから、蛍に失礼でなかったかと少し気になる。

 あれ、何を考えているんだ僕は?


「それで、探偵の実君は私に何を聞きたい?」


 こちらが緊張を緩めたところで、すかさず本題に入ってくる。会話の主導権を完全に握られている。下手なごまかしは通用しないと諦めた。


「えっと、二年の瑠璃さんのことなんですが」

「おやおや、実君も隅に置けないな。あ、それとも園芸部の朝菜君から何か頼まれたのかな? 一応顧問は中立の立場だから、部活同士の競争に介入するのはちょっと」

「いいえ、そういうことじゃないんです。実は……」


 僕は憶測や不確実な情報を極力除き、現時点ではっきりわかっていることに絞って慎重に話をした。

 入学したばかりの一年生のDOLLが相次いで失踪していること、生徒会の不可解な動き。

 蛍は僕の話が終わるまで、黙って耳を傾けてくれた。


「……学園で、そんなことが起きていたとは」

「それで、先生にお願いなのですが。新学期からこれまで、瑠璃さんが生物部にいた時間といなかった時間、いなかった時間はできればどこで何をしていたか、僕に教えて頂けませんか。蛍先生なら、ご存知のはずです」

「ふっ……その単刀直入なところ、探偵には向いていないな」

「すみません、非常識なお願いだとは思います。でも…」


 蛍は僕の目を覗き込んできた。

 いくつもの異なる色を宿した星空のような美しい瞳に、僕の顔が映り込む。


「君は瑠璃君を疑っているのかな?」

「僕にはまだわかりません。それをはっきりさせるために調べたいと思っています」


 僕は正直に今の自分の心象を述べた。桜は瑠璃を疑ってかかっていたが、僕には何か違和感があった。蛍は数歩歩いて、僕を振り返る。


「いいだろう、君に協力しよう」

「えっ? あ、ありがとうございます」


 僕は嬉しさと驚きが半々だった。

 桜に言われて引き受けたものの、生徒の「犯人探し」のようなものに先生が協力してくれるとは正直思えなかったからだ。いくら外部から招かれている講師でDOLLとはいえ、先生という立場なら、普通そんなことはやめて勉学に専念しろと叱られるだけだと思っていた。でも蛍は違った。


「後、このことは瑠璃さんには」

「みなまで言うな。では口止め料もかねて、協力の報酬を前払いでもらおうかな」


 蛍が、いたずらっぽい笑みを浮かべてそんなことを言う。

 桜ほどではないが、この先生も型破りだなと僕は思った。

 しかし、次に言われたことには危うく心臓が止まりかけた。


「本当にデート、してみないか?」




 蛍が選んだのは、大学からも学園からも離れたところにある公園だった。

 平日の午後で人はまばらだったが、細長い池には何艘かのボートが出ていた。池の周りには桜の木が植えられていて、屋久島では桜の花の見頃は3月の上旬から下旬で今はもう散ってしまっているが、その時期に訪れればきっともっと賑やかだったのだろう。


「この場所は私のお気に入りなんだが、いわゆる花見の時期はヒトがいっぱいで騒がしいから来ないようにしている。今みたいに静かな方が好きだ。どうしてこの国のヒトは桜の開花にあんなに右往左往するんだろう。だって、花は種子植物の生殖器官だぞ? 植物が花を美しく魅力的につくっているのは、昆虫や鳥を引きつけて花粉を運ばせ繁殖に利用するため。植物の生殖行為を見て喜ぶなんて、ヒトって本当に変わってるよ」


「あはは……多分みんな、そこまで深く考えてないと思いますよ」


 僕からすれば、蛍の考えも十分に変わっていると思うが、それは言わない。

 ただ、蛍の口から「生殖行為」なんて言葉を聞くと、つい顔が火照ってしまう。


「それに、花見してる人達って、桜は理由付けで、要は集まって酒を飲んだり騒いだりしたいだけなんだと思いますよ。花火もそうですけど。日本の恒例行事というか」

「なるほど、ヒトの習慣になっているのか。それは私の専門外だな。しかし、どうせ花を見るなら、私は桜以外が好きだ。桜はすぐに散っていく儚さが良いとか潔いとか言うが、私はそういう考え方が嫌いでね。生命とは利己的なもの、生き続けるためには手段を選ばないものなのに、本質を見誤っている。あ、桜といってもさくら君の悪口を言っているわけじゃないから誤解しないでくれ」


 幸い蛍は話に夢中で、僕の顔が赤くなったことに気付いていないようだった。


「あの……これからどうしましょう?」

「こら、せっかちな男は嫌われるぞ」


 話の腰を折ってしまった。目をつり上げているので怒らせてしまったかと慌てたが、すぐに「冗談だ」と笑われてからかわれたのだと気付く。


「実君、良かったらあれに乗ってみないか」


 蛍はそう囁いて、池に浮かぶ手漕ぎボートを指差した。

 見ると他にボートで遊んでいるのはカップルばかりで、僕達もそういう風に見られてしまうのかと思うと少し躊躇ってしまう。

 僕は同年代の男子より小柄だ。DOLLの中でも背が高くて、グラマーな身体に大人っぽい顔つきをした蛍とはどう見ても釣り合わない。

 しかし蛍はそんなことはちっとも気にしていないようで、ボートに乗り込んで僕がオールを漕ぎ出すととびきりの笑顔で歓声を上げた。


「楽しいな実君! 私はこうして、誰かにボートを漕いでもらうのが夢だったんだよ」


 はしゃぐたびに揺れる蛍の大きな胸が目の前にあって視線のやり場に困りながら、水の上を滑らかに進んで行く。


「船長! 密航者を発見したぞ!」


 ボートが池の真ん中辺りまで来た時、蛍が急にそう言って僕に手を見せてきた。

 蛍の手の甲の上に、小さなありがついている。


「はは……岸辺の木から落ちたんでしょうか」


「ときにみのる君、あり植物しょくぶつを知ってるかな?」


 蟻を傷つけないよう巧みに誘導して手の甲から手の平に移しながら、蛍はそう訊ねた。


「その種の植物は蟻のような昆虫と共生関係を持ち、植物体の中にくうしょを作って蟻に快適な巣を提供する代わりに、蟻に他の動植物から自分を守ってもらう。植物にとって自分の体内にわざわざ蟻の巣を作るように進化したのは手間だったろうが、蟻は律儀な動物だ。あの軍隊のような統率力で害虫を追い払ってくれるのは勿論、侵食してくる他の植物をかみ切ってまで守ってくれる」


 僕が首を横に振ると、蛍は丁寧に説明してくれる。この辺りはさすが生物の講師だなと思った。


「アカネ科のアリノトリデやアリノスダマが有名だな。日本には生息していない、東南アジアや南米の熱帯域に見られる植物だ。この蟻植物、何かに似ていると思わないか?」


 蛍はまた、どこまでが真面目でどこからが冗談かわからない、不思議な笑みを浮かべる。


「そう、この街が、緑化された都市・・・・・・・ではなく、高度な生命工学によって都市化された森林・・・・・・・・だったとしたら?」


 奇妙な仮説に僕が目を丸くすると、蛍はくすくすと笑った。悪いと謝ってから続ける。


「だがねみのる君。蟻植物はその生態において、あの食虫しょくちゅう植物しょくぶつと大きな違いはないんだ。蟻に巣を提供する蟻植物もまた、自らの体内で暮らす蟻の出す排出物、ときには蟻の死骸そのものを、窒素やミネラルのような栄養として吸収している。蟻植物と食虫植物はいずれも養分の乏しい痩せた土地で進化し、途中で枝分かれした双子ふたご姉妹しまいのようなもの。共生と敵対、表面上は正反対なのに、他の生物を栄養として摂取しようとする本質は同じなんだよ。だから、蟻植物のはずがいつの間にか食虫植物にこっそり変わるようなことも有り得ると思わないか? ほら、こんな風に」


 蛍の手の平の上では、優しい待遇を受けた蟻が安心しきってのんびり歩いていた。

 蛍はその蟻を乗せたまま、唐突に両手をパクンと閉じてみせる。

 食虫植物、恐らくはハエトリグサの真似だろう。

 僕は中等部時代に夏休みのグループ研究でハエトリグサを調べさせられたことがあった。本来は動物に食べられる側、第一次生産者でしかなかった植物が動物を食べるという特殊な存在である食虫植物、あるいは肉食植物は世界に12科19属。その中でも実際に動いて虫を取るので有名な植物だ。

 周りに生えたトゲのような感覚毛で刺激をキャッチし、二枚貝のような葉をぱっと閉じて獲物を捕食する。昆虫が乗ったことが電気信号で葉全体に伝達され、細胞内の胞圧に変化が起きて、葉が閉じる仕組みだ。

 閉じる速度は0.5秒と素早い。


「ふふ、なーんてね」


 蛍が閉じた手の平を広げると蟻は無傷のまま、何が起きたかわからず縮こまって警戒していた。

 何故だろう。知的な冗談を披露する蛍はとても魅力的だったのに、その例え話に僕は妙な胸騒ぎを覚えた。






「5件の事件には共通点があるわ。第一に、失踪したDOLLは全て中庭又は中庭に面した窓のある教室・廊下に向かった目撃情報を最後に行方がわからなくなっており、このうち窓辺で行方がわからなくなった場合は例外なく同じ時間帯に同じ場所で校舎の窓ガラスが割られていること。第二に、事件は全て日中に起きていること……」


 捜査の割り振りを決めた翌日、音楽室で開かれた自主研究活動管理委員会の定例会議。

 議長席にふんぞり返るれんを始め、居並ぶ各部の部長数十人を前に、さくらは起立して物怖じすることなく連続失踪事件の報告を行なっていた。


「……さらに、失踪したのは全て中島技研製の、それも第4世代型のDOLLであること。以上の点を踏まえると、同一犯による連続誘拐事件だと推定されるわ」


 探偵部も植物探偵団もまだ公式には認められていないから、本来さくらも僕もこの会議に参加する資格は無い。園芸部の部長である朝菜から願い出てもらう形で、オブザーバーとして特別に参加を認められていた。

 それにしても、たった一日、それも桜独りでよくここまで調べ上げたものだ。

 桜は今述べた推定を出すにあたって、いつもみたく憶測で突っ走るのではなく、学園中を地道に歩き回って証言や証拠を丁寧に積み上げたという。

 最初は職員室で転校扱いになっているDOLLの名前を調べ、そこから生徒達への聞き込みを行ない、窓ガラスについては清掃委員会が廃棄した膨大な書類の山から、割られた日時を突き止めた。

 学園内の他の物損事故と異なり一連の事件で割られた窓ガラスの後処理は生徒会と生徒会が呼んだ外部の清掃業者が行なっていたが、ガラスの破片が飛散した可能性があるので周辺で清掃を行う生徒達に出される注意喚起は清掃委員会の管轄で、その資料を桜は探し出したのだ。

 雑多な情報の群れの中から重要な情報をより分けるのは根気のいる作業で、いつもは空回りしてばかりの桜の行動力が、今回は存分に発揮されていた。


「行方がわからなくなっている生徒は、お配りした資料にある通り。ここにお集まりの部長さんの中には後輩が急にいなくなった方もおられるはずよ。学園と生徒会が本件をおおやけに認めない姿勢を取り続ける以上、このままでは一般生徒の犠牲者が増えるばかりだわ。各部には捜査への全面的な協力に加えて一般生徒に対し、中庭に立ち入らない、窓に近付かない、中島技研製の第4世代DOLLは決して単独で行動しないなどの警告を行なって欲しいの。生徒が危険に晒されている今こそ、志戸子学園高等部の自治の真価が問われているわ」


 朗々と述べた後、桜が着席する。

 既に口伝やインターネットを通じて噂が広範囲に拡散していたとはいえ、まだ知らなかった者もいるようで、部長達の間にざわめきが走る。

 生物部長でもある瑠璃るりは、今日の会議を欠席していた。

 委員長の蓮華は腕組みをして沈黙している。

 ざわめきがおさまらない中、ビオトープ研究部の部長をしている、トヨダ自動車製の二年生のDOLLが挙手した。


「機体の欠陥による何らかの事故を、メーカー側の都合で学園が転校扱いにしているだけでは? 聞くところによれば中島技研製の第4世代型は、初期不良が頻発しているそうではありませんか」


 夕菜が最初に言っていた感想とほぼ同じだ。ただし、こちらは皮肉が込められていた。


「中島技研は第4世代型からヒトと同じ食生活を可能にするための、食物を分解して電気エネルギーに変える食物カロリー変換システムを実装なさったそうですが、システムの小型化に伴う技術的課題を克服できていなくて、駆動によって発生する微細な振動が機体全体に負荷をかけてしまっているとか。やはり十分に検証されていない新技術を量産型で採用するのは、いささか時期尚早だったのかもしれませんねえ。ま、中島さんにもそうせざるを得ない台所事情があったんでしょうが。売上では随分とミサキに差をつけられているそうで……おっと、失礼」


 トヨダ製のDOLLは途中で口を閉じた。蓮華からじろりと睨まれたのだ。


「そういえば、保健委員の知り合いが気になることを言っておりました。学園の保健センターでストックしている緊急用のDOLLのスペアパーツのうち、中島技研製のものが大学の実験に使うとかでここ最近大量に持ち出されているとか。機体のオーバーホールに使うような応力検査用の高価な機材までどこかへ消えたそうで。何かこの不祥事と関係あるのかもしれませんな」


 今度はヒトの部長が発言する。「不祥事」という表現に桜は眉間に皺を寄せて再び立ち上がった。


「ちょっと待って頂戴。単に機体のトラブルやメーカーの不祥事だというのなら、割られた窓ガラスや荒らされた部屋など、外部からの侵入の形跡はどう説明するの?」


「静粛に!」


 ここで委員長の蓮華が一喝し、全員を黙らせた。


「園芸部の桜さんから報告・発議された件については、そもそも学園内の風紀と治安の維持は学園及び生徒会の管轄であるからして、本委員会の議題としては相応しくありませんの。また、学園と生徒会の方針に反する形で本委員会又は各部が断片的な情報に基づきいたずらな注意喚起を行うようなことは、一般生徒にかえって無用の不安と混乱をもたらしかねず、学園の秩序に悪影響を及ぼす恐れがありますの。従ってこの件は委員長預りとし、当面の間、各部は今まで通り学園及び生徒会の指示に従って下さいな。では、次の議題へ」


 桜はガタンと音を立て、不満を露わに着席する。せめて、事件と事故両方の線で捜査に協力する程度の妥協が引き出せると期待していたのだ。

 桜は会議の場ではわざと口にしなかったが、聞き込みの中で、一連の事件の現場に黒曜石のような生徒会・生物部の関係者達が必ず現れて隠蔽に近い後始末を行なっていることがわかっている。だが、事件そのものへの関与を明らかにするにはまだ情報が不足していた。

 予定されていた議題が終了し、蓮華が閉会を宣言する。他の部の部長達が退出していく中で、蓮華は僕達に音楽室に残るよう命じた。


「朝菜さん。貴女はもう少し、付き合う友達を選ぶ方だと思っていましたの」


 音楽室に残ったのが蓮華と僕達4名だけになると、蓮華は朝菜に向けて苦々しげに言った。遠回しに僕と桜を会議に参加させたことを責めているのだろう。


「ここだけの話、私は中島技研製の後輩の中でも特に優秀な朝菜さんを次の委員長に推薦しようと考えてますの。だからくれぐれも自重し、軽はずみな行動は避けて欲しいですの。まあ、今回の騒ぎに貴女が関心を持ちたい気持ちはわかりますけど。私も貴女も、あの女には色々と因縁がありますの」


 蓮華の口から発せられる粘つくような言葉に、僕は強い不快感を覚えた。

 朝菜の顔を盗み見ると、朝菜も同様の感情を懸命に抑えている様子だった。


「先輩、あの女というと誰のことです?」


 朝菜のとぼけたような反応に、蓮華は顔を一層しかめる。

 蓮華は美しい少女の造形をしていたが、その表情は政治家か、組織で長年権謀術数を駆使してきた人間のそれだった。


「現生徒会長に決まっていますの。貴女がそこの探偵ごっこの一年生達を手駒にして今回の騒ぎを嗅ぎ回らせているのも、騒ぎの背後であの女が糸を引いていると踏んでいるからではなくって? 隠しても無駄ですの。私の情報網を甘く見られては困りますの」


 蓮華の発言にはいくつか朝菜の名誉を損なう事実誤認があったが、朝菜は反論しようともせずに黙っていた。

 この上級生は、瑠璃と反目しているという一点において自分と共通する朝菜のことを、自分と同類の種族であり、自分と同じように計略をめぐらすことを好むチェスプレイヤーだと見なしているようだった。その偏狭な勘違いが、朝菜の純粋な心をどれだけ傷つけ踏みにじるかわかろうとせずに。

 言動から透けて見える蓮華の懐の狭さが、結局は瑠璃が生徒会長になって蓮華がなれなかった理由なのだろうと僕は思った。


「朝菜さん、やぶをつついてへびを出すような真似はおやめなさい。それが貴女のためでもありますの」


 蓮華は低い声でそう警告した。朝菜が黙ったままなので、仕方なく僕が訊ねた。


「どんな蛇が出てくるんです?」


 蓮華はまるで初めて僕がこの場にいることに気付いたような素振りをして、ふんと鼻を鳴らした。


「これはこれは、糸川実さん。確かに貴方にとっても無関係ではないから教えて差し上げますの。中島技研は第2世代型までは国内で生産していた、けれど第4世代型からは人件費削減のために生産拠点を海外に移していますの。そして、これは私がある信頼できる筋から聞いた確かな情報なのですけれど、国内工場の閉鎖で職を失った中島技研の元社員が、会社を恨んで破壊行為をしているとか」

「! だとしたら、やはり事故ではなくて人為的な…」


 言いかけた僕を、蓮華はぎろりと睨んだ。


「まだわからないんですの? 仮に元社員の犯罪だということが世間に知れれば、中島技研のブランドイメージに泥を塗る醜聞になりますの! 中島技研製DOLLとしては、何としてもそれだけは避けなければいけませんの。あの女の生徒会が一種の情報統制を行なっているのは、あの女の義父の会社が出資するこの学園の不祥事になることを避けるためでしょうけれど、それは私達にとっても好都合ですの」


 これが、夕菜のいっていた『製閥(せいばつ)』というしがらみか。僕に向かって蓮華は、陰湿な笑みを浮かべてみせた。


「さっきも申し上げましたけど、これは貴方だって無関係ではありませんの。中島技研の研究開発部門トップ糸川いとかわ博士のご長男、糸川実さん」

「……。父のことは関係ないでしょう」


 僕は嫌悪感を堪えて、そう小さく呟いた。この学園なら、誰かが知っていてもおかしくはないのだが、よりによってそれがこの上級生か。

 蓮華を何か醜悪なものでも見るようにして黙っていた桜が、口を開く。


「自分と同じ中島技研製の後輩が襲われているのに、見て見ぬふりをするつもり? 要は自分の名声さえ保てればそれでいいと。はあ、呆れたものだわ。過去の偉大なヴァイオリニスト達から模倣できたのは演奏えんそうテクニックだけで、心は伴わなかったようね」


 後輩からの侮蔑に、蓮華は顔を歪めた。

 そして。


「ふん、さすが糸川博士のフルオーダーメイド・・・・・・・・・・・・・・はお高くとまっていますの」


 蓮華が発したその言葉に、僕は一瞬耳を疑う。

 何を言っているのかわからなかった。


「あら? ひょっとして知らなかったんですの、糸川さん?」


 粘つくような蓮華の視線と声が、頭に絡みついて思考を鈍らせる。


「いや……桜が試作機のようなものだということは聞いたことがありますが……」


「試作機? 試作機なんてものじゃありませんの。桜さんは糸川博士、あなたのお父上が私費を投じて製作させたDOLLですの」


 蓮華が得意げに喋っている間、僕は下を向いていた。

 隣にいる桜の顔を確かめるのが怖かった。


「噂では戦争でお姉さんを亡くした貴方が寂しくないようにと作ったとか? 落ち込んでいる子どもに親がペットやおもちゃを買ってやる話はよく聞きますけれど、ロールスロイスの新車が2台は買えるお金を注ぎ込むなんて。あら失礼、気を悪くしないで下さいな、糸川さんのお父上には私も大変お世話になって……」

「先輩、お話の途中で悪いんですが、あたし達はこの後ちょっと用事があるんで失礼します。……ほら、行くぜみのる!」


 異変に気付いた朝菜が、早くこの場を離れようと僕の腕を掴んできた。初めて僕のことを眼鏡以外で呼んでくれたが、僕はそれどころではなかった。

 朝菜に引っ張られて、桜の横顔が視界に入る。

 いつものように傲岸不遜な顔をしていて欲しかった。

 蓮華に向かって、お前は何を言っているんだ、というような顔をしていて欲しかった。

 しかし。

 一瞬目に入った桜の横顔は、僕が最も恐れていたものだった。

 桜の顔は、こわばっていた。

 隠していた秘密を暴かれてしまった者の顔だった。


「そういえば朝菜さん、貴女のオーナーの二木社長はお元気ですの? 今度東京で私のコンサートがありますから、招待状を送ったのですけど……」

「失礼しました!」


 朝菜はまとわりつく蓮華の声を振り払うようにして、僕達を急き立て音楽室を出た。




「あー、なんかよくわかんねえけど、とにかく胸糞悪かったな!」


 音楽室を出て廊下をどすどすと歩きながら朝菜が呻いた。


「ボクも、あの先輩はちょっと苦手だな……」


 音楽室では結局一言も喋らなかった夕菜がぽつりと言った。


「……」


 僕は何も言えず、朝菜の後を歩くのがやっとだった。今は何も考えたくなかった。

 誰かが、後ろから僕の上着をそっとつまんだ。


「……みのる


 それは、普段とは別人のように弱々しくて、自信の無い声だった。その声が、僕の絶望を決定的なものにした。

 僕はその手を……さくらの手を振り払った。


「触るな」


 僕の震える口からこぼれ出たのは、そんな言葉だった。

 全員が、足を止めた。


「……薄々何かおかしいと思ってたんだよ。全部、父さんの筋書きだったんだな。最初から何もかも仕組まれていたんだな」


 僕の中で荒れ狂う感情を何とか抑えようと、努めてゆっくりと喋った。


「違うわ実、私は……」

「違う? 今更何が違うんだ? 僕を探偵部に誘ったのは偶然だったとでも言うつもりか? 嘘だね。僕をこの学園に通わせて父さんの思い通りにしようと、父さんにプログラムされた行動だったんだろう?」


 弁明しようとする桜に、溢れるものを抑えきれなくなった。


「くそっ……今更なんなんだよ、父さん! ずっと仕事仕事、仕事ばっかりで、姉ちゃんと僕のことほったらかしだったくせに! 姉ちゃんの葬式にも戻ってこなかったくせに! それなのに僕を無理やり進学させて、僕の意志も努力してきたことも踏みにじって! そして今度はこんな卑怯な手段で、心を弄んで……。僕が何も知らずに思い通りに操られているのを見て、さぞかし満足だっただろ? 結局父さんにとって僕はDOLLと同じなんだよ、上から見下ろして、息子は自分の敷いたレールを歩いていればいいと思ってる。そんな父さんも、父さんのつくったDOLLも、僕は大嫌いなんだよっ!」


 ほとばしる言葉の半ば以上は、桜に向けたものではなかった。桜の目を使ってどこかで僕を見ているかもしれない、この状況を作り出した父に向けての憤りだった。


「……ごめんなさい」


 桜が僕から顔を背け、たっ、と廊下を駆けていく。


「あっ、桜さん!」


 夕菜が慌ててそれを追いかけていった。

 後には、僕と朝菜だけが残された。

 朝菜は、僕につかつかと近付いてきて、正面で立ち止まった。


「桜に謝れ」


 そう言った。


「桜に謝れ?」


 僕は乾いた笑いを漏らす。何もかもがひどく滑稽だった。


「あいつは父さんのプログラムだ。僕が気付かなければ、いつまでも自然な関係のふりをして騙し続けるつもりだったんだ。何もかもがまやかしだった。……あいつと一緒にいることを、少しでも楽しいと思ってしまっていた自分が悔しい」


 瞬間、視界が激しく揺れ、頭がキインと鳴った。


「思い上がるんじゃねえぞ、人間!」


 左側の頬が熱い。遅れて、朝菜に平手打ちをされたのだと気付いた。


「人間様はそんなに自由かよ? ええ? ヒトだって生まれてくる国や両親は選べねえし、人種も、宗教も、一生を左右する要素のほとんどは生まれた時点で既に決まってるじゃねえか! 生まれた後だって、自分の意志で自由に選択できることの方が少ねえはずだ。こんな話こっぱずかしいけどよ、男と女の関係だってそうだろうが。この国で男と女が親の決めた相手じゃなく自由恋愛で結婚できるのが主流になってから百年も経ってねえはずだし、世界を見渡せばまだ昔のままの国も沢山あるはずだ。だったらそういう人達の人生はまるっきり無価値なのか? そんなはずねえ、どんな制約があろうと、自分の人生から逃げずに向き合って一所懸命に生きた日々は、紛れもねえ真実だ! 違うか!」


 朝菜が、僕の両肩を掴んで、何度もつっかえそうになりながら懸命に喋っていた。

 僕は呆然として、朝菜の言葉を聞いていた。


「例え桜に、実と接触して実の学園生活を楽しくさせるようプログラムしてあったとしても、それは二人のスタートラインに過ぎねえ。そこから今まで二人で過ごした、楽しかった時間まで嘘になるはずがねえんだよ! イザナミウムには意志が宿ってる。DOLLは車や洗濯機とは違う、心があるんだよ。桜はきっと泣いてる、ヒトみたいに目から涙は出せねえが、心は泣いてるんだよ……」


 朝菜の声が、だんだんかすれていく。


「……すみません」


 僕は小さく詫びた。朝菜は首を振って、僕の肩から手を離した。


「こっちも殴ったりして悪かった。……言わなかったけどな、あたしとゆうも、お互いが仲良くなるようにされてるんだぜ、プログラム」

「えっ」


 意外な告白に、驚いて思わず声を出してしまった。朝菜は微笑んで続ける。


「サポートして業務を行う姉妹機として設計されたんだから当然っちゃあ当然なんだけどな。最初のうちは、決められたことだからって深く考えようともしなかった。でも、一緒になって一ヶ月くらい経った時、夕菜と大喧嘩しちまった。理由はあたしが世話の当番をさぼって植物が枯れちまった上に、つまらねえ意地を張っちまって謝らなかったせいなんだけどよ。夕菜がそん時珍しく怒って……瑠璃るりが間に入ってとりなそうとしてくれたんだけど、結局あたしが反省して謝りに行くまで一週間、夕菜は部活には来ねえし口もきいてくれねえしで、それはもう大変だったんだよ」


 瑠璃の名前が出たが、今は朝菜の声に憎々しい色は無かった。

 甘酸っぱい過去の仲間達との思い出を、純粋に懐かしむ声だった。


「その時内心ちょっと嬉しかったんだよ。あたし達にも、ヒトの姉妹みたいに喧嘩ができるんだなって。姉妹機としてプログラムされて製造されたのが、確かに出会いのきっかけだ。けど、あたし達が積み重ねてきた時間、一緒に頑張って笑って時には喧嘩もして、そうやって二人でつくった思い出や、その中で芽生えた感情は、間違いなくあたし達のもんだ。だからもし今プログラムが無くなったって、あたし達は変わらずに姉妹でいられるって、あたしはそう信じてる」


 だから、DOLLにはプログラムを超える感情があるんだと信じて欲しい。桜を信じてやって欲しいんだと、朝菜は繰り返しそう言った。

 朝菜と夕菜のエピソードに、喧嘩して仲直りするのも含めてプログラムなんじゃないかと指摘しようかとも思ったが。朝菜の顔を見て言うのをやめた。

 このDOLLはきっと、そのこともちゃんと気付いてる。その上で、姉妹の絆を信じようという強い意志を持っている。

 僕はなんて愚かだったんだろう。


「謝りに行きます。桜のところへ……」


 桜のことを全て許せたわけではなかった。父のことを黙って隠そうとしていたのには今も腹が立つ。けれど、さっきのあれは言い過ぎていた。

 イザナミウムの副産物としてプログラムを超えて芽生えていたかもしれない彼女の感情、自発的だったかもしれない行動まで、全てプログラムと決めつけて彼女を罵った。

 どこまでがプログラムでどこからが自由な意志によるものか自分では証明する術をもたない彼女に対して、なんて残酷なことをしてしまったのか。

 早く桜に謝りたい。そして桜のことについて、桜自身の口から話して欲しい。

 僕が、桜の走っていった方に駆け出そうとした時だった。

 廊下の奥から、甲高い悲鳴が聞こえてきた。僕と朝菜は顔を見合わせる。


「……今の悲鳴は、音楽の諏訪之瀬すわのせ先生?」


 咄嗟に僕達は、さっき出たばかりの音楽室へと駆け戻った。とても嫌な予感がした。

 廊下の角を曲がると、音楽室の扉の前で諏訪之瀬すわのせとりが床に尻餅をついていた。


「諏訪之瀬先生、大丈夫ですか!」


 僕が呼びかけても、諏訪之瀬教諭は扉の開け放たれた音楽室を凝視したまま、こちらを向かない。


「レン……レンーッ!」


 僕は諏訪之瀬教諭の前まで来て、とりあえず彼女の身体に外傷が見られないことを確かめると、そのまま音楽室に足を踏み入れた。

 そこで僕が目にしたのは、数日前の農学部室と同様、変わり果てた音楽室だった。

 粉々に砕けた窓ガラスで、床一面がきらきらと輝いている。

 日溜まりの中、数日前に僕と桜がここを訪れた時にれんが演奏していたのと丁度同じ場所に、例のヴァイオリン、グァルネリ・デル・ジェスが転がっていた。

 持ち主を失ったヴァイオリンは、もう美しい旋律を奏でることもない。

 かすかに諏訪之瀬教諭の嗚咽が聞こえてくるのを除けば、異様に静かだった。

 窓際に近付こうとすると、足が硬いものにぶつかった。見下ろすと、譜面台だった。何か大きな力で扉側まで飛ばされた譜面台が、壁に叩きつけられぐんにゃりと歪んでいた。

 譜面台に固定されたタブレットは液晶に何本か線が入って画面が変色していたが辛うじて生きていて、パガニーニ『二十四の奇想曲』1番アンデンテの譜面を表示していた。確か、前に蓮華がここでひいていたのもパガニーニの『二十四の奇想曲』だった。

 僕達が出て行った後、蓮華は独りでヴァイオリンの練習を始めたのだろう。

 性格はあんなだったが、ひとたびヴァイオリンを手にした彼女の能力は、確かに神がかったものがあった。諏訪之瀬教諭が心酔するのもわかる、胸を打つ演奏だった。

 足元に細かいガラスの破片の感触をシャリシャリと感じながら歩き、窓際に立って中庭を見下ろす。ここは6階、本校舎の最上階だ。農学部室は1階だった。外部からの侵入者だとして、今回は一体どうやって……。


「やっぱりだ、こいつはつる植物の付着根だ。しかし、こんなに太いのは見たことがねえ」


 後から入った朝菜が、床に落ちた何かを拾い上げていた。

 緑色のぬるっとした、まるで蛇のような細長い何かで、朝菜が僕の方に近付けると青臭さが鼻をついた。農学部室でしたのと同じ臭いだ。朝菜の手にもベトベトした汁がついて、床にたれている。


「蔓植物?」

「ツタとかのことだよ、甲子園球場の外壁いっぱいにくっついてるあれだ。どの植物も光合成によって栄養を得るためにより高いところへ茎を伸ばそうとする習性があるだろ。蔓植物は普通の樹木みてえに自分で自分を支えるんじゃなくて、より短期間で楽に上を目指すために他の木とか建物とかに棘を引っ掛けたり吸盤で吸い付いたりしながら茎を伸ばす」


 朝菜がわかり易く説明してくれた。なるほど、ツタなら甲子園球場でなくても、この街ならあらゆる建物で壁面緑化に使われている。


「で、こいつに話を戻すが、先端が吸盤状になっているのは普通のツタと変わらねえ。切れてる面を見ると、真ん中に水分や光合成産物を運ぶ管束かんそくがあるのがわかる、問題なのは、その周りの細胞壁でできた繊維組織が異常に厚く発達してることだ。詳しくは部室に持ち帰って電子顕微鏡にかけてみねえとわからねえが……」


 専門分野だからか熱っぽく説明を始めた朝菜に、僕はふと思い出したことを訊ねた。


「そういえば朝菜さん、農学部室で窓枠に何かくっついていたと言ってましたよね?」

「ああ、恐らくあれとこいつは同じものだ」


 つまりこのよくわからない植物の切れ端が、前回のはくの失踪、そして今回の蓮華の失踪のそれぞれの事件現場を結ぶ新たな手がかりというわけだ。

 だが、その代わりに今回、過去の5件の事件の最大の共通項が途切れた。蓮華は中島技研製だが、第4世代型ではなく第2世代型DOLLだ。


 廊下から、複数の足音が近付いてくる。


「貴女達、生徒会の……! 知ってるわ、全部貴女達の仕業でしょう! 私ネットで読んだんだから! レンをかえして! レンをかえしてよお!」


 諏訪之瀬教諭の悲鳴に、聞き覚えのある、よく通る凛とした声が重なった。


「諏訪之瀬先生は、野球の硬式ボールが音楽室に飛び込んできたショックで気が動転しておられるのです。黒曜石こくようせき、先生を至急保健センターへお連れしなさい。ここの指揮は私が直接とります」

「承知致しました、会長」


 指示をしていたのは瑠璃るりの声だ。ついに現場に彼女本人が姿を現すとは。

 朝菜は、植物の切れ端を後ろ手に隠そうとしているが、長すぎて隠しきれていなかった。

 前回、朝菜が窓枠に付着していた植物の切れ端に手を触れようとしたところを黒曜石に制止されたのを思い出す。この植物の切れ端が連続失踪事件を解く重要な鍵なのだとすれば、瑠璃達がすんなりと通してくれるとは思えなかった。


「こっちです、急いで!」


 僕は朝菜を促すと、音楽室から音楽準備室への扉を開け、真っ暗な音楽準備室を通って廊下に出る。ここなら目の前が階段だ。

 朝菜を先に走らせ、続いて階段を駆け下りようと急ぎながら振り向くと、抵抗する諏訪之瀬教諭を、生徒会の腕章をつけた生徒達が数人がかりで取り押さえていた。


「いやあっ、離してっ! レンをどこへやったの! …うっ!」


 バチバチッという音がして、諏訪之瀬教諭の頭ががくんと落ちた。

 電動髭剃機とよく似た物を手にした黒曜石が無表情で、くずおれた教諭を見下ろしている。


「黒曜石! 一般人に手荒な真似はするなとあれほど!」

「申し訳ありません会長、この方が手間が省けますので」

「……今後決してこのようなことのないように」


 部下を叱責した瑠璃の目が、僕と合った。

 普段は風の無い湖水の表面のように静謐な彼女の隻眼に、僕はかすかな揺らぎを感じた。戸惑い? それとも焦燥? 

 目が合ったのは一瞬だった。瑠璃が口を開こうとする前に僕は急いで階段を駆け下り、それ以上は何も見えなかった。

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