QBOOKS1000字バトル(第67回~第77回バトル参加作品)

叶冬姫

ブッシュ・ド・ノエル

 女の子は三回綺麗になった。一番目は好きな人ができた時。二番目は好きな人と両想いになった時。そして、三回目は…。


 必死で自転車を漕いで、逃げるように坂道を登った。山を切り開いて作られた住宅街は、下り坂と登り坂しかない。冬の冷気に心臓が破れてしまいそうだった。 何故こんな時間にコンビニエンスストアに行ってしまったのだろう。少女の家の門限から逆算すれば、鉢合わせすることは容易に想像できたはずなのに。少女を綺麗にした相手に家に送り届けてもらう前、寸暇を惜しんで二人が話をする場所なのだと知っていたのに。

 『デート楽しかったか?』とからかって、そして肉まんが冷めるからという理由をつけて自転車を走らせた。二階に駆け上がり、自分の部屋に飛び込んでベッドに突っ伏した。とにかく誰にも顔を見られたくなかった。


 そりゃあ、クリスマス・イブだからキスぐらいするよな。


 そんな事が判る自分が嫌だった。幼なじみという理由だけで。ぐるぐると少女の笑顔が回る。少女に頼まれるがまま、相手に橋渡しをしていた自分と共に。色々とくだらない相談にも乗った。一番最近の質問は『どんなクリスマスケーキを手作りしたら、彼は喜んでくれるかな…』というものだった。女の子の手作り、ましてや彼女からなんて何でも嬉しいだろうと思った。

 

 母親が『クリスマスケーキを切るわよ』と階下から声をかけてくるのが聞こえる。

 少女が初めて作ったクリスマスケーキは失敗作だった。泣く少女を宥めながら、無い知恵とクリームを絞り、二人で何とかブッシュ・ド・ノエルに仕立てあげた。


 少女はあれから練習して、僕の教えたブッシュ・ド・ノエルも、他の色々なケーキも上手に作れるようになっていた。そして、律儀にこの家に毎年ブッシュ・ド・ノエルを届けてくれた。あの味をこの日に味わえる特権を、知らずのうちに自分で手放していたのだ。あの頃のまま、今後もずっと僕のことを頼ってくれるのだと勝手に思って。


 僕は何て間が抜けているのだろう。これは失恋ですらない。

 いつの間にか綺麗に変わっていた少女が、彼にはどんなケーキを振る舞ったのだろう。

 せめてブッシュ・ド・ノエルでなければ良い。

 あまりの身勝手さに自分でも嫌気がさす。


 母親の呼ぶ声を無視して、冷えた肉まんにかぶりつく。

 何も失っていないはずなのに、何かを失ったと感じている自分の冷えきった心に相応しい味はこっちだと思った。

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