人《エムブラ》
第一章 ゼッハのリリト
第一章
『語り』
生きるという事は思った以上に難しい。そんな事を我々人間は平然と行っているのだ。
私は時に思う。死を超越する事は出来ないのか? もちろんそれが愚か極まりない事であるという事も分かっている。
だが、それでも私はたった一つの願いをかなえる為に人の踏み入れてはいけない領域に入ろうと思う。
何故か? 人間が過ちを犯す場合の理由で上位に来るものはもしかしたらこれかもしれない。
愛する人の為。
『死なない兵隊を作れ』
私の祖国はとんでもない事を過去の大戦で考えた。ゾウ対アリの戦争などと言われたが、実際アリは恐ろしい程の奮闘をつづけた。もちろんその結果待っていた事は敗戦と占領だったわけなのだが……大国に数々の情報を持って行かれた祖国だが一つだけ大国が何処を探しても見つからなかった物がある。
『第三帝国の遺産』
当時各国が核兵器を量産しようとしていた時、日いずる国は人造人間を作る為のベーシックシステムを完成させていた。後はドイツの技術者に提供して試作型を完成させるだけだった。
だがドイツの降伏、ヒトラーは同盟国の為に送られてきたその超技術を全て破棄したとも、密かに実験を行っていたとも言われている。
この実験は絶対に手を出してはいけないものなのかもしれない。命を冒涜した行為である。戦争の為の人間を作ろうとしたのだ。
それだけ極限の状態だったのかもしれない。
私もまた究極の選択をせざる負えない状況なのだ。ただのしがない科学者だと思っていた私に愛する妻とその妻が命を宿した。
問題は妻の身体は生まれつき悪かった事だ。出産に耐えられるか分からない。耐えられたとしてもその後生きられるかも……
嫌だ! こんなささやかな幸せすらも奪うなら私は死を、神を超越した領域に踏み込もう。
痛みも怒りも恨みも呪いも何もかも私が受け止めるから……
★
『現在・日本』
十一才、ここまで生きられたのは奇跡だと言われてきた。
その事は陸緒本人もそれはよく理解していた。
毎日が生死を彷徨うようなそんな中、何年も予約で一杯のドイツの名医が、陸緒の手術をしたいと病院を通じて陸緒の両親に申し出たのである。
両親は、神の奇跡とも思えるその厚意を、喜んで受ける事にした。
しかし、当の陸緒は手術が怖かった。
誰も治せないでいた自分の病を、ドイツなんて、名前くらいしか知らない外国の人が、本当に治せるものなのか、不安でしかたがなかった。
そんな陸緒の病室の扉が開く。
「……ひっ! 魔女」
黒く深い帽子に、黒いサマードレスを着た女性が入室した。彼女は陸緒を見下ろすように見つめている。
「魔女か、随分な褒め言葉だな」
帽子を置くと、その真っ黒な服に身を包んだ女性は少年のように笑った。
「貴女は誰?」
陸緒から自然に出た言葉。
陸緒は先程の恐怖が、女性の屈託のない笑顔で消えていた。
「私か? 私はお前の身体に巣くう悪魔を祓いにきたフロイライン、魔女だ! ははっ! なんてな」
流暢な日本語で冗談を言って笑うその女性に、陸緒もつられて笑った。
「やっと笑ったな! ヤマトナデシコ! 私はナナだ」
ナナと名乗る女性は、自分のネームプレートを指差した。
そこには数字の7が書かれている。
「7って言うの? 変なの! 僕は陸緒! 伊万里陸緒」
「ヤマトナデシコじゃなくて、サムライの方だったか」
陸緒の頭を撫でると、ナナは陸緒の目線に腰を下ろし、優しく言った。
「私がお前の心臓の病気を治してやる。ヴァルハラに行くにはお前は早すぎる」
「ナナさんが、僕の先生?」
ナナはこくりと頷いた。
すると、陸緒は顔を背ける。
「陸緒は手術が怖いか?」
「うん、怖い」
「そうか、じゃあ私が面白い話をしてやろう」
病室にある椅子を持ってくると、それに腰掛け、ナナは陸緒に語り出した。
★
『二十一年前・ドイツ』
ドイツのその日は、普段より暑い日だった。
家に一本の電話が入る。
叔父からであった。
それに気づいた少女は、何気なくそれに出ると、段々血の気が引いていく自分を感じていた。
母を幼くして亡くし、父と二人っきりの生活。
彼女の父は偉大な科学者だった。
忙しいだろうに、彼女の為に、時間をよく潰してくれた。
いつも優しく、面白い、そんな父が、彼女は大好きだった。
しかし、電話の内容は、そんな父との永劫の別れを告げるものであった。
長期出張に出ていた父が乗った飛行機が墜落したと叔父は言う。
生存者は確認できなかったとの事、ゼッハ・ガブリエラ・イマリ、少女の名前。
父は、かの有名な物理学者から名前を取りたかったらしいが、母が女の子らしい名前が良いと、ガブリエラと名付けられた。
ゼッハは験を担ぎ、数字の七とまた別の由来があると教えられ、ゼッハの父は、ゼッハを日本語読みで、ナナという愛称でよく呼んでいた。
信じられず、涙は出なかった。
三年前の、同じような思い出が脳裏を巡る。
それは、ドーベルマンの子犬を、父が貰ってきた時だった。
「子犬、可愛い」
「ナナ、この子は私たちの家族なんだ。だから、しっかり世話をしてあげるんだ。分かるかい?」
「うん! 私、この子がいればお父さんがいなくても寂しくない」
ゼッハは父の言いつけ通り一生懸命世話をして可愛がった。
誰よりも仲良しの友達になった。
学校の発表で、特殊相対性理論を語ると、クラス全員に笑われた事があった。
後で先生がゼッハは特別だから気にするなと言われ、それがゼッハは一番傷ついた。
でも、前とは違い、ゼッハには子犬がいる。
ゼッハは、この子犬をリリトと名付けた。
昔、何処かで読んだ書物で、夜の獣を意味する名前。
漆黒の毛並みは威風堂々としていて、ゼッハは、その名前がぴったりだと思った。
後で父に、リリトは悪魔や魔女を意味する名前と教えられたが、当時のゼッハは、その名前の響きが気に入って、それを通した。
お風呂も、寝るのもずっと一緒だった。
あの日が来るまでは……
「リリト、今日は何処に遊びに行こうか?」
その時、ゼッハは少し気が緩んでいた。
リリトのリードを離してしまったのである。
好奇心旺盛なリリトは、自由になると、道路に飛び込んだ。
そして、最悪の予想は的中した。
「リリトぉ……うわぁあああん。ごめんねぇ。ごめんねぇ」
ゼッハは、血だらけのリリトを抱え、父の所に向かう。
父なら助けてくれる。
そう信じていた。
「ナナ、残念だけど、リリトはもう助からない。これ以上、苦しませずに楽にしてあげよう」
そう言って、ゼッハの父は注射器を取り出した。
「やだ! 治してよ。お父さんなら出来るでしょ?」
「ナナ、お父さんは神様じゃない。リリトを助ける事は出来ないよ」
「やだ……やだぁ! もう私、何もいらない! 玩具も、おやつも、本も! だからリリトを助けてよぉ!」
少し目を瞑り、考えると、父は真剣な顔で言った。
「分かったよゼッハ、最善を尽くしてみる。だけど、リリトが助かっても、もう二度と会えないかもしれない。それでもいいかい?」
ゼッハは、リリトが助かるならと、何度も首を縦に振った。
父は大きなカプセルのような所に、リリトを入れ、そのカプセルのような機械を起動させた。 青い光に包まれるリリト。
それは夢だったのかもしれない。
それから三年、ゼッハはリリトに会っていない。
この年になると、リリトが死んでしまった事くらいは容易に理解できた。
幼かった愚かな自分。
助からない子犬を、娘の我が儘で治療しようとした優しい父。ゼッハはリリトだけでなく、父まで失ってしまった。
叔父は、今は辛いだろうが、一緒に暮らそうと言ってくれた。
叔父の気持ちは嬉しかったが、ゼッハはこの家を出たくなかった。
もしかしたら、父がひょっこり帰ってくるかもしれない。
そんな傷心のゼッハを訪ねてきたのは、リリトと言う名を名乗る褐色の綺麗な女性だった。
叔父から電話があって一日、ゼッハは何もせずにただ、ぼーっと一点を見つめていた。
父はいつも中々帰ってこない。
そして、突然帰ってくる。
父が二度と帰って来ないなんて信じられなかった。
叔父の使いの人が、今日の午後に迎えにくる事になっている。
準備をしなければならないと思いながら、ゼッハは何も出来ないでいた。
喉の渇きを覚えた頃に、インターホンを鳴らす音が聞こえる。
叔父の使いが来るのはもう少し後だと聞いていたので玄関のモニターを確認すると、そこにはスーツ姿の黒髪褐色の美女、旅行鞄を一つ持って、扉が開くのを待っていた。
居留守をしようかと思ったゼッハだったが、叔父の使いなら悪いと思い、パジャマ姿のまま扉を開けた。
「はい、どちら様ですか?」
その女性は本当に綺麗だった。
ミステリアスで、感情を全く感じさせない表情をしていた。
だが、ゼッハを見つめると引き締めていた表情が緩む。
「ゼッハ! 大きくなりましたね! あぁ、ゼッハ! 何て可愛いんでしょう」
自分の事を知っている。
知らない人が、自分の名前を呼ぶ時程、怪しい事はないと父に教わっていた。
「貴女は誰ですか?」
その女性は少し悲しそうな表情をするとすぐに、優しく微笑み、ゼッハの目線の高さまで膝を曲げると言った。
「私はリリト、貴女を守る為にここに来ました。シンゲン様との約束です」
シンゲンとは、父の名前だった。
それでも尚、ゼッハはこの女性を信用できなかった。
「お父さんとはどういう関係ですか?」
「シンゲン様には命を救われました。ゼッハ、貴女にもですよ? 本当に覚えていないんですか? 私に名前をくれたのも貴女ですよ。ゼッハ!」
リリトという名前をつけたのは他でもない、あの死んでしまった子犬にである。
「リリトはもういない! 貴女は犬じゃない! 私のリリトはこんな、小さい子犬ですよ!」
激情したゼッハの頬を撫でると、リリトは笑った。
「その時の子犬が私です。ゼッハ、貴女が私に命をくれたんですよ? あの時、シンゲン様のゴーレムシステム試作機、モックルカールヴィで、私は人造人間、ゴーレムとして蘇りました」
ゼッハは理解できなかった。
目の前の女性が言う事は妄言なのか?
しかし、確かに自分の記憶にも、リリトを治療する為に何かの機械に父はリリトを入れた所を見た。
「ゼッハと遊んだ日々、毎日が幸せでした。私はゼッハにまた会いたかった」
リリトと名乗る女性は、涙を流して笑っていた。
「本当にリリトなの?」
「はい、子犬の姿じゃなくてごめんなさい」
ゼッハはリリトにしがみついた。
「リリトぉ、お父さん、帰って来ない……」
「はい、だから私がここに来ました」
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