第三章 逃亡生活

第三章 ゴーレム

『語り』

覚えているのは青い光でした。なんて優しくて、悲しい光なんだろうって思いました。

 いえ、訂正します。今思えばそうだったんです。あの頃の私は獣でしたから……

「気分はどうだい?」

 この人は知っている。私の大切な人のお父さんだ。

 彼が私に最初に教えてくれた事は歯磨きのしかたでしたね。牙があるんでしっかり磨くように言われたっけ? 人間の教育課程に必要な勉強に三年も時間を要してしまいました。

 私はダメな子だったんです。

「はやく、あの子に会いたいかい?」

 あの人に会う為だけに私は必死で人間のフリをする訓練を行いました。人間社会に出るようになって何度か求婚をされたことがありましたが、どうやって振ったのか覚えてないですね。

 ここだけのお話です。私は私の大切な人のお母さんに嫉妬してました。大切な人もそのお父さんもその女性の事を話す時、優しい顔をするんです。

 嫉妬して、羨ましくて、そんな自分が浅ましく、てこんなんじゃあの人に合わせる顔なんてない!

 そう思って軍に入れてもらいました。私の腐った性根を叩きなおしてもらう為に……軍は規律が正しく私の願った環境でした。女だからといって容赦ない所が気に入りました。

 一つ不思議な事が起きました。鬼のように厳しかった教官がある日泣いて私を評価してくれました。私は軍での教習課程ですら終わってしまった事をその時に気づきます。何人かの部下も懐いてくれましたが……私は何だかこれは違うと思いました。だって私の目的はあの人に会う事なんだから!

 そんな時、不幸な知らせを聞きました。私は軍をすぐに辞めて大切な人のお父さんの遺言通りに元いた家に向かいました。

「あぁ、ダメです。嬉しすぎて変な顔になってます。ふふっ、待っててくださいね! ゼッハ」


                  ★


 『現在・日本』

「ナナ、ゼッハ達は日本に来たの?」

 ホテルの部屋の一室で、大きなポップコーンのバケツに、しがみついて食べる少女が言った。 

 年齢の程は十四才くらいだが、ポップコーンを溢しながら食べる様子と、幼児向けアニメを食い入るように見る姿が、彼女を幼く感じさせる。

「こんなにこぼして、勿体ない」

 床に落ちたポップコーンを拾うと、それを口に入れた。

 ナナが床に落ちたポップコーンを食べるのを見て、少女は落ちたポップコーンを慌ててかき集めると、それを食べる。

「ねぇ、ゼッハ達はここに来れたの?」

 アニメを見ながら、少女はもう一度聞いた。

「いいや、日本には行けなかった」

 ナナは窓の外を見ながら、寂しそうな顔を見せた。

「行けなかったんだ」

 もう一度呟くナナ、ナナの様子がおかしい事に気づき、少女は初めて、アニメから目を離し、ナナの方を向いた。

 綺麗な栗色の髪を後ろで括っただけだが、気品を感じさせる整った顔、ただ一つ違和感を覚える所は、瞳の色が左右で違う事だった。

 琥珀色の左目に、透き通った青い右目、少女は立ち上がると、ナナの胸に顔をうめた。

「まったく、お前はいつまで経っても甘えん坊だな」

 栗色の髪を撫でると、手が髪に吸い込まれるような感覚をナナは覚えた。

「違う、誰かの匂いがする」

「クランケだ。お前より少し年下だが、中々しっかりしている。今度、お前を紹介しようと思うんだ。仲良くしてやってくれ。お前はお姉さんだからな」

 埋めた顔を上げると呟いた。

「例の? 考えとく」

 ナナは床に座ると、後ろから少女を抱きしめるように、自分の膝に座らせた。

「ゼッハはブリジットとリリトと一緒に暮らせればそれだけで良かったんだ。だけど、そうは行かなかったんだよな。続き。聞きたいか?」

「……聞きたい」

 

                    ★


『二十一年前・ドイツ』

「ダメだね。空港も港も完全に話が行ってるみたいだよ」

 ブリジットは、ミネラルウォーターをグビグビと飲みながら、リリトに報告した。

 リリトとブリジットは、誘拐と殺人の容疑をかけられていた。

 確かに誘拐も殺人も半分は当てはまる所があるのでしかたがなかったが、このままここに居座るのは危険すぎた。

「宿は何とか手配しました。宿のように、簡単な偽物文書で空港もごまかせればいいのですが、それ程の物を用意するアテがないのが悔やまれます」

 ブリジットは、水を飲む手を止め少し考えた。

「その辺のアテは私に任せて下さいな。二、三日中には何とか出来そうです」

「全く、どういう繋がりがあるんですか? まぁ、助かりますけど」

 三人が訪れたのは、いかにも訳ありな人間が泊まりそうな、古ぼけた宿だった。

 ブリジットとゼッハは姉妹として、リリトは個人で時間をずらし、宿泊の手配を行った。

 十日分の宿代を先払いするとリリトは、北米なまりの英語で、店主に食事も持ってこなくて良い事を伝えた。

 リリトを怪しませる事で、少しでもゼッハの安全を考えた策であった。

 リリトはゼッハ達の部屋に訪れると、これからの事について話し出した。

「私は今夜、三番街のバーに行きます。ブリジットはゼッハを守って下さい。ゼッハはブリジットの言う事をよく聞いて、ここで大人しくしておいて下さいね?」

 ゼッハの頭を撫でると、リリトは優しく微笑んだ。

 完全にリリトはブリジットを信頼していた。それが嬉しくて、ブリジットは立ち上がると、二人に笑顔を見せて言った。

「じゃあ私は、一仕事してくるついでに、食料でも買ってくるよ」

「お願いします」

「およ? 私が裏切るとか思わないんですか? メイド長?」

 おどけて言うブリジットに、リリトはブリジットを見つめて言った。

「私は友を信じてますから」

 ブリジットの顔が、トマトのように真っ赤になった。

「何いってるのさ! 何か、恥ずかしいじゃないかぁ!」

 頭をかきながら部屋を出るブリジットに、ゼッハが手を繋いだ。

「私も行く」

「お嬢様、今は外は危ないんです。ですから、メイド長とここにいて下さい。そのかわり、美味しいケーキを買ってきます」

 ゼッハを抱きしめると、ブリジットは部屋を出た。

 

                    ★

 

 大きな屋敷の一室で、治療を受ける美女がいた。

「ブリュンヒルデ、お前をここまで負傷させるとは、鉄腕とはそれ程までに強かったのか?」

 初老の男が、ブリュンヒルデに包帯を巻きながら言った。

「違う。もう一人……お父様、あれは、リリトは、第三帝国の遺産。間違いない。あの力が欲しい」

 初老の男は、治療する手を止めて、聞き返した。

「第三帝国の遺産……まさか!」

「私の槍で貫通させた傷が、瞬時に再生していたわ、あれを作る装置が何処かにある。私は、あの力を手に入れて、最強のワルキューレになります」

 また、隣の部室で手に包帯を巻いた少女が横になっていた。

「鉄腕……殺す殺す殺す殺す……」

 呪詛のように、そう呟き続けていた。

 そんな二人の事を知ってか知らずか部屋の外で扉を背に、レギンレイブは座りながら、大量のケーキを食べていた。

「苺のも美味しい。むぐむぐ」

 そんなレギンレイブの前に、仮面を付けた男が現れる。

「美味しいかい?」

「……うん、おいひぃ」

「君は一人だけ怪我をしていないようだね?」

 食べる手を止めると、レギンレイブは仮面の男を見つめて言った。

「ボクは最強のワルキューレだからね」

 そう言うと、再びケーキを食べ始めた。

「欲しい物はあるかい?」

「昔の記憶」

 即答するレギンレイブに、男は返答に困った。

「ボク、ワルキューレになった以前の記憶が全くないんだ。まぁ、別にいいけど、博士は優しいし、美味しい物食べれるしね。でも、たまに夢を見るんだよね」

「それはどんな?」

 少し考えると、レギンレイブは笑った。

「あんまり覚えてない」

「君の記憶を取り戻そう。イマリ・シンゲンの娘、ゼッハ・ガブリエラを、ここに連れてきてくれるならね」

 チーズケーキを食べると、レギンレイブは隣に置いていたポットごと紅茶を飲み干した。

「お安いご用だよ」

 レギンレイブは立ち上がると、ゆっくり階段を下りた。

「甘い物食べたらピザが食べたくなったな」

 

                     ★

 

 ブリジットが食料を持って帰ってきたのは、空が茜色に変わっている頃だった。

「お嬢様、お約束のガトーショコラです。食後に食べましょうね」

 小さなケーキの箱を見せると、ゼッハの笑顔を誘った。

 リリトはその光景を微笑みながら、着替えをしていた。

「メイド長、その格好で行くの? スーツ着てるけど?」

「えぇ、そのつもりですが……」

 ブリジットは頭を抱えながら言った。

「いやいや、私ら今、手配中なんだよ? その格好はないよ?」

「ハイルブロンの怪人とやらがいる可能性があるなら、そこが危険でも……」

 ブリジットはあぐらをかくと、少し目を瞑って、突然目を開くと言った。

「よし、変装だ!」

 持ってきた衣類の中から、黒いドレスを取り出すと、それをリリトに着るように言った。

「メイド長、こっち来て下さい。髪の毛整えます」

 少し濃いめの化粧を施すと、夜の街に似合う、妖艶な姿のリリトが出来上がった。

「まぁ、娼婦なら怪しくないでしょ」

 リリトは鏡を見ながら戸惑っていたが、ゼッハは目を輝かせて、リリトを見つめていた。

「リリト綺麗」

「へっ? 私がですか?」

「うん! すっごい綺麗」

 唇を振るわせて、リリトはブリジットに耳打ちした。

「貸し二ですからね」

 嬉しそうにリリトは、鏡の前で回って見せた。そんなリリトにブリジットは苦笑する。

「それでは行ってきます」

 初めてパーティーに行く少女のような笑顔で、リリトは部屋を出た。

 タクシーを拾うと、運転手に三番街のバーと一言言う。

 運転手は少し嫌な顔をしたが、一礼し車を出す。

 車が走る事三十分、運転手は無言で車を一件のバーの前に停車させる。

「助かりました。お代です」

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