無垢な少女と男の群れ

狐付き

序章 夏の少女は大胆で

「あー、もうっ。うるさいなぁ」


 夏休みは田舎でのんびり過ごしたい。そんな現代っ子らしくないことを思い、親戚のいる千葉の山奥へやってきた少女は憤慨していた。先ほどまで気持ちよく走らせていた借り物の自転車を止め、あからさまに嫌そうな顔を従姉妹に向ける。

 親戚の家は思った通り静かで快適だったのだが、少し離れるとけたたましい高音を放っていたのだ。

だが空気を切り裂いて耳へ届くこの音に似たものを少女は知っていた。


「朝9時だよぉ。こんな時間から暴走族でも走っているのかなぁ」


 高回転のエンジン音だ。少女はこの類の音が嫌いだった。ここへ来た理由は、少しでも耳に入れたくなかったからなのに。


「あぁ、あれはカートの音だよ」

「カート……」


 そう聞いた少女は嫌な顔をした。まるでそれが敵でもあるように。


「行ってみようか」


 少女のことを振り向きもせず、従姉妹は音がする方向へ自転車を走らせる。


「あっ、待ってよぉ」


 見知らぬ土地で迷子になるわけにもいかず、少女は従姉妹についていくしかなかった。

 音はだんだんと近くなり、小高い土手を越えればいよいよ音の正体が見えてくる。

 駆け上がる従姉妹についていき、頂上に到着して少し荒れた息を整え眼下を見渡す。


「うっわぁ……」


 初めて見るカート場は、とても広く大きく感じた。

 そしてそこを走っているものは、パイプフレームにプラスチックのバンパーが付いているだけの代物。それが時速80キロ以上で駆け抜けていくのだ。

 暫く見ていると、2台のマシンが競うように走っているのに気付き、少女はそれがとても気になっていた。

 前を走っているのはいかにも大人の男といったいかつい姿。しかしその後ろを走っているドライバーはとても小柄だった。

 同学年と比べるとやや小さい少女は、いつのまにか心の中で小柄なドライバーを応援していた。そこだ、抜け! と。

 その瞬間は待たずしてやってきた。ヘアピンにさしかかる手前のブレーキング勝負。小柄なドライバーのマシンは減速を遅らせインをつき、マシンを前へ突っ込んだ。


「やった!」


 少女は思わず叫んだ。従姉妹は不思議そうにその姿を見ている。

 注目していたそのマシンは次の周回でピットイン。ドライバーはすぐさまマシンを降り、メットを外した。その姿に少女は目を大きくして驚いた。

 自分と同じくらいの年代の……女の子。

 少し長めの髪をサイドで束ねており、厚手のレーシングスーツ越しからでもなんとなく確認できる胸の膨らみ。普通に見れば女の子でしかない。


「おぉーい!」


 少女は嬉しくなったのか、手を振り叫んだ。その声にカートで走っていた女の子は反応し、少女の方を見る。

 だが女の子はくだらないものを見たといった感じに少女から目を逸らし、ドリンクを飲み干すとメットをかぶりまた走っていった。


「うぅ~、何あの態度!」


 見下された、馬鹿にされたと感じ、少女は憤慨して地面を蹴りつけた。従姉妹はその姿を苦笑いしながら見ている。

 だけど少女の胸には深く刺さっていた。

 小さな女の子が大人の男性とでも互角に戦えるものがあるということが。

 それもゲームなどではなく、競技として。


「ねえ」

「どうしたの?」

「私、カートやる!」

「え……えええ? なんでまた」


 いつも思いつきで何かを行う少女のことを知っている従姉妹だが、まさかこういったきっかけで始めるなどと思わず驚いた。


「えっとね、そんでね、あの子をギャフンと言わせてやる!」

「でもせりちゃん、いいの?」

「うっ……」


 彼女が高回転のエンジン音を嫌う理由、それは亡くなった父親がレーシングドライバーだったからだ。

 レース中の事故で亡くなったわけではない。だからモータースポーツを嫌う必要はないのだが、もし普通のサラリーマンであれば……なんて考えるとどうしてもそれのせいであると思いたかったのだ。


 それでもやはり血は争えないもので、嫌っているようにしていたのは気を紛らわせるためみたいなものだった。現に彼女の心は今、疼きっぱなしなのだ。


「そこをなんとか!」


 再び苦笑いをする従姉妹を尻目に、少女はカート場を再び睨んだ。

 夏に少女が見つけたもの。それは出会い、興味、そして目標だった。

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