ダイバーダウン

猪座布団

 オーディナリホリデー √Ω



 俺がどこかで憧れていた非日常。


 年末の一件で俺はついに受け入れてしまい、雪山でその覚悟を試され、そして年明けにこの世界を確かなものにして、ようやくもって新学期を迎えようとしていた。

 市内初詣ツアーはハルヒ号令のもと開催され、映画撮影のときに大いに迷惑をかけた神社をはじめとし、おそらく今年のギネス記録に手が届くだろう程にお参りしまくって終了した。

 その間のSOS団三人娘の振袖姿は、俺の脳内写真館に一スペースを作って後世まで保管しておくだけの価値があったのだが……。

 そんな一連の忙殺的スケジュール敢行によって、もはや俺はくたくたであった。

 旅行の荷物もようやく片付け終わったところであり、残り少ない冬休みは家でのんびりしたいものだと思っていると、

「キョンくん電話ー」

 そろそろノックを覚えてくれ。雪山から帰ってきてこっち、この小学五年生十一歳の我が妹は疲れたそぶりなど微塵も見せずに、若いっていいなぁなどと意味不明なことを考えていたところで受話器を受け取った。

電話と聞いて最初に想起されるのは、先日の元同級生からのものであり、中河に続いて長門の顔が浮かんだところに声が重なった。

「もしもし」

 外で通話していたら騒音にかき消されてしまいそうなほど小さな声だ。

「長門か。どうしたんだ?」

 俺は落ち着かなかった。こいつは地球上でもっとも意味の無い電話をしそうも無い人物であり、それゆえまた事件が起きるのかという警戒をせずにはいられなかったからだ。

「あなたに頼みがあって電話した」

 五線譜に記したらおたまじゃくしが横一線に並びそうな調子で平坦な声で言った。

「頼みねえ」

「そう」

 長門が人に頼るような用件が果たしてこの世にあるのだろうかと俺は一瞬考え、思い当たらぬままに次の言葉を待った。


「今日の午後、あいてる?」

 珍しく疑問形である。今まで数え切れないほどこいつに質問したが、その逆は両手の指で数え切れないほどしかなかったのではないだろうか。

「あ、あぁ、午後ね。えーっと」

 用事などあろうはずも無いが俺は考えるような口ぶりになってしまい、慌ててこう言った。

「大丈夫だ。何かあるのか?」

 何か、という言葉はただでさえ色々な意味を内包するが、この場合のこの言葉はさらにスケールの大きいものだぜ。何せ相手は宇宙人だ。こっちにだってインスタントブラックホールくらいの吸収力が必要だってことを俺は数々の実体験から学んできている。

「午後一時。いつもの集合場所で」

 一瞬、間があった。

「約束は、そのときに」


 ハルヒ以外に呼ばれてここに来たのは、終わらない夏休みの夜、あの一回きりであり、そのときはハルヒ以外の団員全員が集合していたが、今回はどうも長門と俺の二人だけのようだ。

 俺が呼んで来てもらったことなら、一度ならずあったけどな。それは大抵何か起こったことを解決する過程のことで、始まりではない。だからなおさら謎なのである。

「待ったか?」

「へいき」

約束の十五分前だったが長門はもうそこに居た。珍しく私服姿だったことを申し添えておく。

「ついて来て」

 長門はくるりと反対を向き、駅のデパートの方へと歩き出した。俺は予測を立てる。が、相手が長門である以上、書店以外どこに行き先があるのだろう。

 ――その答えを俺は今まさに突きつけられたわけで、これは一体どうしたことだろうと長門の小さな後頭部を見つめていたが、相手が人間だろうがヒューマノイドインターフェースだろうが、ただの人間である俺にその考えを読めるはずもない。

 長門が俺を伴った先は、女性用ファッションフロアだった。常人の予測範囲内で起こる出来事を軽がる突破するのが長門であるが、今回は方向性が違うんじゃないのか?

「……どう」

 そんなわけで(としか言いようが無い)俺は長門有希ファッションショー・イン・ウィンターなるものの観客になっている。しかも挑戦するジャンルが幅広い。

 清楚なお嬢様ルックに始まり、ボーイッシュなパンツスタイル、冬だというのにやや露出の多い衣装、反対に学生には到底手が届きそうにない値段のコートをまとったりして、そしてそのどれもに何というか趣があって……なんだか混乱してきた。

「いいんじゃないか」

 と俺が言った洋服群全てを、さっきのコートを除いて購入。そのうちの一着、朝比奈さんとはまた毛色の違うお嬢様風の服に長門は着替えて、買い物はようやく終了した。


「楽しかったか?」

 長門は黙って首を縦に振った。どこかぎこちない気がしたのは俺の錯覚かね。

「持ってやるよ」

 三つある大きな袋のうち二つを俺は持ち、次に長門に連れられたのはホームとも言うべき本屋であった。やっぱりここには寄るんだなと俺はホッとした。

 最近の長門はシンプルなファンタジーに凝っているらしく、コーナーに立ち尽くしてめぼしい本を探していた。俺は適当に雑誌でも読もうとしたが、あまり集中できなかったのはなぜだろう。


 ハルヒ消失の一件以降、長門が変わろうとしているのは何ともなしに感じていたことだったが、まさかこれほどとはな。だが、まるで当たり前のように受け入れている俺がいる。以前にもこういうことがあったかのような、そんな既視感めいた感情だ。

 ……やれやれ。

 他に言葉が見つからないのでこう言っておくぜ。


 わざわざデパートを出て、すっかりSOS団ご用達の判を押されたいつもの喫茶店で俺たちはお茶の時間にした。

 今さらになって俺は思い当たり、長門に聞いて見た。

「ひょっとして用ってこれだったのか?」

 こく。と肯定の仕草。長門は表情こそフラットなままだったが、内面はこいつなりの喜びで満たされているのかもしれない。そう思うと俺は和やかな気持ちになった。そして思い出した。

 つかの間の改変世界で薄く微笑んだ、あの長門の表情を。触れる前に溶けて無くなってしまいそうな、雪の結晶のような儚さを。

 この長門に表情があれば、同じように今笑っているんじゃないだろうか。長門はこういう普通の高校生らしい休日とは無縁だったろうからな。

 特に誰かと二人で過ごす一日……なんてものとはさ。

 一瞬、俺は何か変な方に気持ちが動きそうだったが、いかんと思って頬を叩く。

 長門は虚空を見つめながら、こくこくと二杯目のホットオーレを飲んでいてしばらく俺はそれを眺めていた。

前にもこんな光景があったような気がしたが……ついぞ思い出すことは無かった。


「今日は楽しかったか?」

「楽しかった」

 夕方のことである。こんなにはっきりと返事を聞けたのも意外だった。確実にこいつは変ってきている。それもいい方向に。

 別れ際、夕日の方へ向けて歩く長門の後ろ姿を見ていると、そういえばとアメフト観戦の日のことを思いだしていた。

「長門」

 俺は小さな影を呼び止める。長門は振り向かず、ただ足を止めた。

「いつでも呼んでくれ。俺でよければな」

 長門はゆっくりと振り返ったが、逆光で上手く表情が読み取れない。


 …………


 影の揺れ方で長門が肯いたことを確認する。それだけじゃなく、今、何か感じるものがあった。

 数秒の間、長門は動かなかった……気がした。


 そこに俺が見たものは幻だったのだろうか。


 長門が帰った後で、俺は考えていた。


 誰にも分からない答えを、いつまでも考えていた――


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