月影浴2 ノイズ~静寂

naka-motoo

第1話 桜の花、舞い上がる

その1


「透けて見えるよ」

 さつきちゃんは自分が見上げる桜の花びらに向かってなのか、それとも僕に向かってなのか、朗らかな声で語り掛けた。中空の日差しが、桜の花びらを通過する光線となり、さつきちゃんの顔を本当にうっすらと桜色に染めている。

 神社の境内は春を待ちかねた人たちで、さわさわと賑やいでいる。

 4月8日、土曜日。僕の誕生日に、約束していた‘花見’は決行された。僕は、今日、17歳になった。

 今日一緒に来たメンバーも約束どおりのメンバーだ。太一、遠藤さん、脇坂さん、耕太郎、そして、さつきちゃんと僕。

 さつきちゃんと耕太郎は、おばあちゃんが亡くなってまだ喪に服しているけれども来てくれた。これは、おばあちゃんの祭壇の隣にさつきちゃんが掛けていた掛け軸の‘あの人’にお参りする意味もあるからだろう。

 手水に桜の花びらが幾ひらも浮かび、縁にかかって水の流れに小刻みに震えているのがとても美しい。僕らは花びらの手水で手を清め、口を漱ぎ、心を洗った。

 神前に並んで6人で柏手を打ち、頭を垂れる。この時、僕の脳裏にはついこの間まで高1だった1年間の様々な出来事がふっ、と浮かび上がってきた。

 この神社にもぼぼ毎日お参りさせていただいた。その都度、自分の心の薄皮が剥がれていくような感覚。それがここ最近、特に強くなったように思う。

 僕たちは境内の桜の木の下、花びらを受けながら歩いた。

 一番大きな老木は、大きく横に出た立派な枝を支えるために支柱が建てられ、その枝に開いている花は、限りなく白に近い桜色をしている。ふっ、と風に吹かれると、煌めきのように青空の下を舞う。

「そろそろ行こうか」

 太一が皆を促す。僕たちは鳥居をくぐって境内を後にした。


「かおるくん、これ・・・」

 デパート向かいの喫茶店のランチをみんなで食べ、セットのコーヒーを飲んでいる時、さつきちゃんが僕の前に紙袋を差し出した。今日、駅前に集合した時からさつきちゃんの自転車の籠に入っている紙袋が気になってはいたのだけれど・・・・

 僕は事態がよく呑み込めず、紙袋に両手を添えた。そのまま僕とさつきちゃんは、‘卒業証書授与’みたいな態勢のまま何秒か固まっていた。たまらず脇坂さんがフォローした。

「ほら、ひなちゃん。小田くんは鈍いからちゃんと説明しないと駄目みたいだよ」

 ちらっと脇坂さんの方へ顔を向けたさつきちゃんは、また僕の方へ向き直った。

「かおるくん・・・あの・・・誕生日おめでとう」

 それからようやくにこっ、とした顔で僕の顔を見る。成程、確かにこれ以上単純明快な説明はない。

「ありがとう・・・・」

 でも、僕は咄嗟にそれしか言えなかった。まさか、さつきちゃんが僕に誕生プレゼントをくれるとは思わなかったし、皆の見ている目の前でというのも意外な感じがしたからだ。

「開けてみて」

 さつきちゃんに言われ、じゃあ、という感じで紙袋を開けてみる。

 それは、白地に黒とオレンジのアクセントが入った、ウインドブレーカーだった。

「え、こんな高そうなの貰っていいの?」

 僕は皆への照れ隠しもあって、無粋な言い方をし、あ、ちょっとまずかったかなと思った。

「かおるくんにはおばあちゃんのことなんかで心配かけたし・・・フリーサイズだけど、サイズが合わなかったり色が気に入らなかったら言ってね。お店で取り替えてもらうから」

 ううん、すごくいいよ、ありがとう、と僕はウインドブレーカーを手に取りながら改めてお礼を言った。大切にするよ、という一言はちょっと恥ずかしくて言えなかった。

「まあ、形に残る品物の遣り取りは2人に任せて、一応僕らからのプレゼントはかおるちゃんのランチ代はおごり、ということで。よろしいですか?」

 2人に割り込んで申し訳ないという感じで太一がおどけてみせる。

 僕は照れて頭を掻きながら、

「みんな、本当にありがとう」

最敬礼でお礼を言った。


その2


 コーヒーを啜りながら、皆で何やかやと雑談した。僕らは高校2年生となり、5人とも文系で同じクラスとなった。これは、社会と理科の選択科目がなぜか5人ともあまり一般的ではない組み合わせだったために、まとめて同じクラスに配置されたようだ。ということは、3年生になっても同じクラスになる、ということだ。僕としては嬉しい限りだ。

 耕太郎は小学校6年生になった。身長も去年より3cmほど既に伸びている。まだまだ行動や表情はかわいらしいままなのだけれども。

「かおるちゃん、同窓会の話、聞いた?」

 太一は、僕があまり触れたくない話題を振って来た。僕は‘うん’と曖昧に答える。

「え、何、何?」

と遠藤さんが身を乗り出し、残りの女子も興味を示している様子だ。

「いや、ゴールデンウィークに中3のクラス同窓会をやることになって・・・あんまり出たくないんだけど・・・」

 僕がやや声のトーンを落としてぼそぼそ喋ると更に遠藤さんが‘何で、何で?’と質問してくる。

「うーん、中学ではあまりいい思い出が無い、っていうか・・・」

 ‘ふーん’と遠藤さんはそれ以上詮索するのをやめてくれた。

「まあ、確かに。久木田や岡崎も来るかもしれないしね・・・」

 太一が補足する。

 ‘岡崎’という名前を久しぶりに聞いて、僕は後頭部が本当にズキズキするような気がした。久木田の単純な暴力性はともかく、‘末恐ろしい’という表現が本当に似合う人間を僕はこれまでの短い人生の中では岡崎以外に見たことはない。

「何、その久木田とか岡崎って子は不良だったの?」

 脇坂さんがちょっと顔をしかめながら心配そうに聞いて来る。

「いや、久木田はともかく、岡崎は不良と言えるのかな・・・岡崎は西條高校にトップで合格したしね」

「え、凄いじゃない!」

 遠藤さんが声を上げてびっくりするのは実は大げさではない。西條高校は東大合格者数が県内の高校では毎年トップの超進学校だ。岡崎は確かにそういう意味では‘不良’ではなかった。ただし、中学校内でのあらゆる暴力事件の背後に岡崎がいたのは紛れもない事実だ。

 久木田は皆から恐れられてはいたが、僕自身が本当に心底恐怖を抱いていたのは実は岡崎だ。岡崎はその優秀極まりない頭脳で、誰も思いもつかないようなリンチの方法や人間を精神的に追い込む新たな術を次から次へと編み出した。そして、岡崎自身は決して不祥事に関わることのない安全地帯に居ながらにして、久木田のような暴力を得意とする手駒を使い、学校生活の‘ささやかな楽しみ’としていた。

 岡崎が学校の凶事の張本人であると分かっていても誰も手出しできなかった。久木田は‘相手がどうなろうと知ったことか’と、自分の怒りだけに忠実に躊躇なく暴力を振るえる人間だったが、不思議なことに、岡崎が、「はあ?」と久木田に短い疑問形の一言を発するだけで、久木田は負け犬のようにしおらしくなって岡崎の意のままに動いた。岡崎の‘暗黙の命令’のままに学内のあらゆる生徒に嬉々として暴力を振るった。生徒どころか久木田に対する岡崎の暗黙の指示の中では教師すらターゲットとなっていた。もしかしたら久木田は人間の根源に関わるような弱みを岡崎に握られていたのかもしれない。

 サッカー部の副主将で生徒会長だった山根くんが、岡崎の悪事を止めようとしたことがあったが、返り討ちに遭い、完膚なきまでに叩きのめされた。執拗な精神的な追い込みにも遭い、西條高校を目指していた山根くんは3年の受験直前から不登校になった。入試も受けられず、去年1年間、中学浪人していたはずだ。

 ただ、唯一岡崎が触れることのできない例外が1人いた。

 それが、太一だった。

 ‘相手がどうなろうと知ったことか’という岡崎や久木田達に対し、太一は、‘自分がどうなっても、構わない’という正反対の堂々とした人間だ。

 岡崎は太一が毛ほども自分を畏れていないことを感じ取っていたのだろう。

 太一は一度、久木田が面白半分に野球部主将の高木くんにリンチを加えている場面に出くわし、「やめとけよ」と言ったことがある。太一は久木田にではなく、その後ろの方に座って無表情にリンチの様子を見ていた岡崎に言ったのだ。

 久木田が太一を威嚇すると太一は却って一歩前に出て、

「お前と岡崎を見てると気分が悪くなるんだよ」

と言った。教室全体の空気が一瞬にして凍り付き、久木田が我に返って太一に蹴りを入れようとした時、岡崎が面倒臭そうに、

「そいつは、放っといていいよ」

と席を立ってさっさと教室を出て行った。久木田は太一ではなく、太一の立っている隣の机を力任せに蹴り飛ばして教室を出て行った。

 可哀想に、やられていた高木くんは右手小指を骨折していたらしいが、自分で医者に行き、家族にも話さなかったようだ。野球部の監督の先生には「自分の不注意です」とだけ話し、大会直前の怪我にスタメンも外された。主将も自分で辞退した。野球の強豪校への推薦入学の話もあったのだけれど、立ち消えになった。彼はある意味、久木田と岡崎に人生すら変えられたのかもしれない。

 後で太一に訊いたのだけれど、

「いや、久木田が挑発に乗って、警察沙汰になるくらいに僕のことを派手にやってくれたらいいかな、と思って。岡崎は頭がいいから表沙汰にならない程度に計算してるけど、久木田は単純だから。岡崎は何の罪にも問われないだろうけど、久木田がいなくなるだけでもちょっとはましになるかと思って」

 太一は自分が警察沙汰になるくらいの大けがをしても構わないつもりだったのだ。

 けれども、岡崎は更にその太一の‘どうなっても、構わない’という思惑を察知して、久木田を退かせたのだ。恐ろしいくらいの計算能力だ。


その3

 

「かおるちゃん、嫌かもしれないけど、同窓会行ってみない?

 久木田も去年バイクで事故ってから色々とあったみたいだし・・・

 それに、クラスの中に陸上部の子達も何人かいたよね?久しぶりじゃない・・・」

 太一がそう言ってから僕がしばらく考え込んでいると、思わぬ所から声が掛かった。さつきちゃんだ。

「かおるくん、わたしも出たらいいと思う。その久木田くんや岡崎くんは確かに怖いかもしれないけど、それでも同窓会をやろうっ、て話が出てくるのはお互いに‘会いたいな’って思ってる人がいっぱいいるからだと思うよ。陸上部だった人と高校での活動報告をしあうのもきっと楽しいよ・・・・」

 不思議だが、さつきちゃんがそういうとなんだか本当に楽しそうな気がしてくる。僕は迷いが吹っ切れたような気分になった。

「そうだね、出てみるよ。あれこれ悩んでてごめん。ゴールデンウイークの後半だったよね?」

 太一が手帳で確認する。

「うん・・・5月3日だね。まあ、一緒に行ってみようよ」

 そこまで話が来たところでさつきちゃんが、あ、と軽く声を出した。

「じゃあ、かおるくんはゴールデンウイークは結構忙しいんだね?」

 僕が、ん?、という反応をしている間に、さっきと同様、脇坂さんがフォローを入れる。

「小田くん、ひなちゃんの誕生日がいつか、知ってるんでしょ?」

 ああ、そうだった。

「うん、知ってる・・・5月1日だよね。さつきちゃん、今日のお礼じゃないけど、何か欲しいものある?女の子にプレゼントしたことなんてないから、直接聞いてしまうんだけど」

 さつきちゃんは鞄から何やらパンフレットのようなものを取り出した。

「プレゼントじゃなくて、もしスケジュールが空いてたら連れて行って欲しい所があるんだけど、どう?」

 僕はパンフレットを受け取って眺めてみた。

 ‘白井峡谷、ジョギングコース

  峡谷沿いの山道を、初夏の緑の中、ゆったりとジョギングしませんか?

  初級~上級まで、コース設定ができます。

  トロッコ電車の欅が原駅下車。クラブハウスに、更衣室・シャワーもあります。‘


 え、これって、もしかして俗に言う‘デート’の誘いなのだろうか?惚れた腫れたを排除する間柄だと分かっていながらも僕は淡い期待を抱いた。けれども、次の瞬間、完全な勘違いであることを告げられた。

「‘自主トレ系マラソン部’の活動の一環、と思ったんだけど。もし、体を動かすのが嫌じゃなかったら、みんなもどうかな?」

 さつきちゃんの問いかけに対する反応はそれぞれバラバラだった。僕は、そりゃそうだよね、‘部活’だよね、と落胆した。耕太郎はパンフレットの輝くような新緑とトロッコ電車の写真を見て、‘僕行きたい’と口に出しかかっている。太一、遠藤さん、脇坂さんは、顔を見合わせて頷きあい、耕太郎の肩をぽんぽんと叩きながら太一が代表して発言した。

「いや、ちょっとゴールデンウイークにまで走る気分じゃないから。自主トレ系マラソン部の2人に任せるよ。2人で行っておいでよ」

 耕太郎はなんだか太一を恨めしそうに見ている。反対に僕はものすごく太一に感謝している。


 

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