一章・婚約(1)
前に立つスオウが真鍮の取っ手に指を掛ける。幼いころ二人がかりで開けた扉はあっけなく開き、幕家の最奧に座していたイグサが二人を手招いた。イグサの両脇には、スオウとツムギ双方の両親が並んでいる。
(何の集まりなのよこれは)
山羊と羊の世話を一通り終え、一息つこうと思っていたところの呼び出しだった。仰々しい雰囲気に渋面を堪えつつ、ツムギはスオウの背に隠れて髪を軽く整える。
「スオウ、ツムギ、そこに座りなさい」
示されたのは精緻な刺繍が施された座布団。靴を脱ぎ、躊躇いを覚えながらも座布団に正座する。心当たりはないが、叱られる前の子供のような気持ちだ。
様々な血の流れる家系を「山烏の民」として取りまとめる
「火蜥蜴の山が鎮まってじき一年になる。村の状況も落ち着いてきた。——ツムギ。
――綵鳥の里。
山烏の村から馬でおおよそ七日の距離。山の裾野に広がる里。
綵鳥の民は手工芸を得意とする一族だ。なかでも染めと織りの技術は飛び抜けており、染織品には例外なく高値がつく。行商人にとって、綵鳥の作品を扱うことは誉れと耳にするほどだ。
綵鳥の民と織鶴の民は親交が深い——そもそも、綵鳥の里は『
「夏至に合わせて、綵鳥の里で五年に一度の祭が開かれる。先方からぜひ一人でも出席をと打診があった」
五年に一度、各地に散らばった織鶴の民は一族内で最低一人を里につかわせ、綵鳥の民とともに祭を執り行う。祭りに使う服飾品や道具をつくるところからともに作業をすると聞いていた。
綵鳥と織鶴が交友を続ける大きな目的は、両一族の技術の共有。織鶴の民たちは移住先の土地で得た知識や発展させてきた技術を綵鳥の里へと伝え、綵鳥もまた、古くから伝えられてきた染色の技を織鶴へと継承する。
五年前の出席者は姉のマトイだった。一族の中でも飛び抜けて手先が器用で、あらゆる技術にも応用力にも長けた姉。当時の年齢は、今の自分とそう変わらない——
(あたしじゃ、)
心臓が嫌な音を立てる。
(あたしじゃマト姉みたいな仕事はできない)
織鶴の民として手工芸の技術こそ身につけているが、ツムギは姉のマトイや妹のコソデのように誰もが認める優れた技術や感性を持たない。そしてつい最近まで、手芸そのものからも逃げ回っていた身だ。
(どうしよう)
そろと顔をあげると、イグサの虎目石色の瞳が静かにツムギを見据えていた。
「お前が参加できるなら、祭りの神事に携わる二人の若者のうち一人の衣装を任せたいそうだ」
「それって、わりと重要なお役目なのでは……」
「まあ重要だな」
「それを、どうしあたしに?」
「言ってしまえば当番だからだ。今度はこの村の織鶴の民の番が来た。無理にとは言わない。行くか行かないか自分で決めなさい。行かないのならこの村の織鶴からの出席はない。コソデはまだ幼いからな」
コソデが指名を受けたのならば、意気揚々と旅立ったに違いない。なぜよりによって自分に回ってくるのか。断るはたやすいが、綵鳥の一族との間に角が立つ可能性も否めない。返事をできずに固まっていると、イグサの視線がスオウに移った。
「ツムギが参加できずとも――スオウには綵鳥の里に出向いてもらいたい。神事に弓矢を扱えるものが必要とのことでな。名指しで指名があった」
「名指し? 俺――私を、ですか」
「アサギからだ」
ツムギは知らない名前だが、スオウは「あー……」と声を漏らした。乗り気ではないがどうにも断り辛い、といった雰囲気だ。
「細かいことは向こうで説明するそうだが、お前の腕前なら問題ないだろう」
イグサは手早く話をまとめる。言葉の通り、スオウは村一番の弓の使い手だ。特に騎射では二番手のソラトを大きく引き離すほどの腕前を誇る。
スオウはしばし黙考したのち、床に手をつき深く頭を下げた。
「謹んでお受けいたします」
「ああ、頼む。さて、――ツムギはどうする」
今ここで決めなければならないのか。
膝の上で握りしめた手の内側はすっかり汗で湿っていた。それなのに喉は干上がっている。
スオウの方の視線を感じたが、顔を向けることはできなかった。彼のまなざしの中にはもう、幼いころツムギに向けてくれていた無垢な期待はないだろう。むしろ「止めておけ」と諫めているのかもしれない。
けれど、やわらかく幼い声がいまだ耳の奥に残っている。
それがツムギに、ツムギ自身を諦めさせてくれない。
——すごいよ。
——ツムギは今でもすごいし、これから、もっとすごくなるんやね。
イグサに正対し息を吸う。一度目を伏せる。
瞼を持ち上げる。こわばる喉を震わせて、ツムギは宣誓した。
「やります。やらせてください」
「よろしい」
イグサは場を仕切り直すようにぱんと手を叩いた。居住まいを正す両親にならい、ツムギとスオウも背筋を伸ばす。
「これは後々のことになるが、両家に集まってもらった本題でもある。スオウ、ツムギ。祭から戻って準備が整い次第――お前たちには、祝言を挙げてもらいたい」
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