ソラトとハフリ(五章2前)
幾度も夢を見る。紅く燃え上がる火口の縁で細い背中をこの手で押す夢。目を醒せど軽くやわらかい感触が指先に生々しく残っていて吐き気がする。汗ばんだ手のひらをうつろなまなざしで見つめながら、ぽつりと、いっそ俺を殺してくれと誰にともなく思う。
*
本に埋め尽くされ狭苦しく埃臭いお世辞にも人が居るべきとは言えない小屋で、彼女は卓にくったりと突っ伏していた。灯ったままの蝋燭と本に書けられたままの指先から、眠気に抗いきれずまどろみに落ちたのであろうことが察せられる。
短くなった前髪はいまや彼女の顔を覆うことはなく、死人のように白いかんばせと長い睫毛が灯火に照らされている。寝息は耳を澄まさねばきこえないほどに静かで、もとより華奢だった身体はひとまわり小さくなったように感じられた。袖口から覗く手首があまりに細くて――いまにもしんでしまいそうだと、頭の片隅で思った。
傍らに屈み込みしばし悩んだ末、持ちこんだ毛布を少女の肩にかけてやる。獣の皮を裏打ちした毛布だから、くるまっていればそれなりにあたたまるはずだ。
夜は冷えるのに毛布一枚羽織らず、身体を横たえ休むことも厭う。心身ぼろぼろなくせに、なぜ自分のことにここまで無頓着でいられるのだろう。自分を大切にしないでいられるのだろう。大切にしたところで、結末が変わらないからだろうか。
どこに向ければ良いのかわからない苛立ちがただただ募る。唇を噛みしめると、乾いた皮膚が容易く裂けて口のなかに鉄の味が広がった。
言えよ、と。唸るような声は誰にも届くことなく地面に落ちる。
言えばいい。嫌だと、死にたくないと、助けて欲しいと、森に帰りたい、と。
一言でも言ってくれれば――と考えて、喉の奥で嗤う。何を自分勝手な、と胸中で吐き捨てる。後押しなど求めずに腹をくくらねばならない。覚悟を決めねばなるまい。わかっている。
けれど、勝手に手は震えるし膝も笑うのだ。
「……ハフリ」
彼女に自分は弱いのだと伝えられたらどんなに楽だろう。全部見栄なんだはりぼてなんだ俺は空っぽなんだよ、ハフリ。お前が向けてくれるまっすぐなまなざしと裏切られど未だ失せぬ信頼に値する人間ではないんだよ、だから頑張るなよと、言ってしまいたかった。言えないのは、これ以上彼女を裏切りたくないからでもあり、嫌われて憎まれて自分が傷つきたくないからでもあった。
指を伸ばしかけて、やめる。代わりに蝋燭の火をそっと吹き消して立ち上がった。
あと六日。あと六日で全て終わる。成し遂げてみせる。
後ろ手に扉を閉めて、ソラトは小さく呟いた。
「俺はお前に……て欲しいんだよ、ハフリ」
終わらない悪夢なか、一度だけ違う夢を視た。
それは、遠くで誰かがうたっている夢だった。
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