原宿を血に染めて

「またここに来るとはな……」

 ライブハウスの入り口を眺めながら、辰生が独り言のようにぼやく。出演バンドを知らせるブラックボードには『喀血少女冷凍鮪ノ地獄』の名前があった。

 シーナが練習のボイコットを宣言してから約二週間。シーナのいない熊猫パンチドランカーと薫は、再び原宿を訪れていた。

 音信不通になっていたギター・ボーカルから、ライブに出るから観に来るように、と連絡があったのが一昨日。バンド解散の危機と慌てる薫と、シーナの行動に苛立ちを隠そうともしない辰生。そして、まったく動じた様子のないユージ。さっきから頻りに生あくびを繰り返している。

 そんな彼らを宥めすかして、どうにか連れ出した晶良はというと、シーナから直接話しを聞かないうちは、なにも判断しないことに決めていた。

 今日は対バンもいることから、客層は前回よりも中和されていたが、それでもやはりゴスロリファッションの女の子たちが、多く目についた。

「んで、シーナちゃんは何をどーするって?」

 フロアの隅で不貞腐れながら、辰生が晶良に尋ねる。手にしたビールは、既になくなりそうだった。

「いや、詳しいことは訊けてないんですよ」

 晶良もビールに口をつけて、ゴクリと喉を鳴らす。

「ちゃんと訊いとけよアッキーっ!」

「一方的に言うだけ言って、切っちゃったんですよ、シーナがっ!」

 二人が大声を出しはじめたので、近くにいた観客の何人かが、怪訝そうな表情でちらりと見てきた。

「まぁまぁ、二人とも。シーナちゃんが、わざわざ呼んだってことは、今日のライブを観れば答えがわかるんじゃないのか?」

 めずらしくユージが仲裁に入る。その態度には、どこか余裕が感じられた。

「ユージさんは、シーナさんが戻ってくるって確信があるんですか?」

 隣にいた薫が尋ねると、ユージはビールを一口飲んでから答えた。

「いや。シーナちゃんが戻ってこなけりゃ、別のバンドやるだけだからね。オレ、こう見えてもやりたいこと、結構あんだよね」

「うっ、信頼してるのかと思ったら、単にドライなだけでしたよ……」

 薫はがっかりした様子で肩を落とすと、弱々しくため息をついた。

 すると、場内に流れていたSEが鳴り止み、観客の嬌声と絶叫が響き渡った。

 ライブのはじまりだった。

 ベヴィなドラムとベースの掛け合いが、地響きのようにフロアを埋め尽くすと、無秩序にギターのフィードバックがはじまる。そして、不気味で不安定なギターの金属音に乗って小女子が現れた。

「はじめるわよっ」

 例によってテディベアを高々と掲げてみせると、一斉に沸き立つ観客たち。

 小女子が、口づけをするように、ゆっくりとぬいぐるみに噛み付く。勢いよく噴き上がる赤い血糊に、観客たちのボルテージはさらに上昇していく。すると、血塗れの小女子は、ぬいぐるみを隣に立つ人物へと差し出した。

 スポットライトが人影を浮かび上がらせる。

 ――シーナだった。

 シーナは小女子たちのようなゴスロリファッションではなく、彼女たちに仕える執事とでもいうような男装をしていた。

 黒のタイトなスーツに糊の利いた白いシャツ。細身の黒タイにグレーのベスト。頭はウィッグを付けない黒髪で、サイドは垂らして、あとは後ろで編み込んでアップにしていた。そして、メイクは小女子たちと同じく、死者のような青白い肌に、毒々しい紫の唇といった容貌に仕上げられていた。

 そんなシーナは、白い手袋のままぬいぐるみを受け取ると、紫の口を大きく開けて、テディベアに激しく噛み付いた。シーナを目がけて噴き出す赤い血液。たっぷりと返り血を浴びて、頬をテラテラと赤く光らせるシーナは、さながらヴァンパイアのようだった。

 バンドに見知らぬ顔が加わっていても、観客たちにとっては盛り上がるための要素でしかないようで、シーナの様子にもフロアは大盛り上がりの反応をみせた。

 そして、シーナがぬいぐるみをフロアへと投げ込むと、喀血少女冷凍鮪ノ地獄の一曲目がはじまった。

 臓腑を激しく揺さぶる重たいサウンド。ベヴィにうねるタメの効いたグルーヴ。今日もバンドは硬質で重厚な音を繰り出していた。

 さすがのシーナも、バンドと足並みを揃えて、ギターの音を鋭利に歪ませていた。ソリッドでエッジの効いたサウンドは、シーナのプレイにも大きな影響を与えているようで、いつものようなブルージーなフレージングは鳴りを潜め、クラシックを想わせるメロディックな音使いが多かった。

 そして、今日のシーナには、他にもいつもと違う部分があった。自分のプレイや音に周りを追従させるのではなく、周りの音に合わせた的確なプレイをしていた。

 他所のバンドに混ざっている状況を考えれば、至極当たり前なのかもしれないが、これはシーナにとってはめずらしいことだった。

 その違いに、辰生とユージはすぐに気が付いた。

 それはバンドのグルーヴ感に明らかに現れていた。元々、タイトな演奏による一体感に秀でていた喀血少女冷凍鮪ノ地獄なので、シーナが出しゃばって引っ張ろうとすれば、すぐにベヴィさを失ってしまう危険性があった。

 しかし、実際にはベヴィさは失われるどころか、バンドはギター三本による重厚なサウンドを響かせていた。そして重要なことに、それはシーナが自分を殺して実現させている訳ではないということだった。

 確かに、いつもとはプレイスタイルがだいぶ異なってはいたが、シーナの持ち味が損なわれるようなことはまったくなく、むしろ、シーナの別の魅力が引き出されているといっても過言ではなかった。

 ここで賞賛されるべきは、やはり小女子の手腕だろう。シーナをバンドに馴染ませ、それでいて魅力を引き出す。それは他のメンバーについても同じことが言えた。それぞれの良さを最大化しつつ、バンドとしてひとつにまとめあげる。

 小女子は優れたプレーヤーでありながら、同時に、類い稀な実力を持つプロデューサーでもあった。

 ライブはテンポよく次々と進んでいき、観客の盛り上がりは頂点を迎えようとしていた。そして、小女子のMCで演奏はブレイクに入る。

「こんばんわ。喀血少女冷凍鮪ノ地獄のライブへようこそっ。楽しんでもらえてる?」

 小女子の問いかけに、フロアは盛大に声をあげ、手を打ち鳴らし、飛び跳ねて応える。

「ありがとう。まぁ、もうみんな気付いてると思うけど、今日はスペシャルゲストが一緒よ。最高に綺麗な子猫ちゃんなの、いらっしゃい。シーナっ!」

 呼ばれると、シーナは小女子の真横へ歩み寄った。軽く手を挙げた後に、恭しくお辞儀をしてみせる。

「シーナっ! フロム熊猫パンチドランカーっ!」

 沸き起こるような拍手と声援が、フロアに満ち溢れる。観客たちはシーナを歓迎しているようだった。

「フロム熊猫パンチドランカーってことは、カツゴクのメンバーじゃないってことですよねっ!?」

 薫が隣にいる辰生の腕を掴んで、大声で詰め寄る。

「カツゴクってなにっ!?」

 辰生が広げた手を口に添えて、大声で訊き返す。

「喀血少女冷凍鮪ノ地獄の略称ですよっ。ファンの間ではそう言うらしいですっ」

「あっそうっ。しかし、略称も趣味悪いなっ」

「ダメですよっ、そんなこと言っちゃっ!」

 薫はジロリと辰生を睨みつけると、口の前で人差し指を立ててみせた。

 すると、ステージのシーナが喋りだした。

「えっーと、喀血少女冷凍鮪ノ地獄に混ぜてもらってるシーナです。いつもは熊猫パンチドランカーっていうバンドをやってるんだけど、まぁ、いろいろあって、今日はここに立ってるわ。次は、あたしのわがままで、ちょっと毛色の違うのを一曲。気に入ってもらえるといいんだけど、怒んないでね」

 シーナが言い終わると、ジャズマスターを操る金髪の娘が、これまでと打って変わってクランチなトーンでジャングルビートを刻みはじめる。

 すると、すぐにドラムが跳ねたリズムを重ねてきて、小女子がナチュラルにオーバードライブさせた、甘く艶やかなSGのハムバッカーサウンドでリフをはじき出す。

 そして、小女子と一緒に入ったベースのグルーヴィなプレイが、リフをさらに強力なものにしていく。

 喀血少女冷凍鮪ノ地獄らしからぬサウンドが響く中、マイクスタンドを両手で握りしめたシーナが歌いはじめた。

 ――自己紹介をさせて下さい

『悪魔を憐れむ歌』

 ストーンズはシーナのリクエストだった。バンドもこの選曲には乗り気で、すぐにアレンジが決まった。

 シーナが、世界の歴史に自分が如何に関わってきたかを滔々と歌いあげて、ついに、自分の名前を知っているだろうと聴衆に問いかけた。

 その次の瞬間、シーナの声に続くように、小女子が野太いサウンドでギターソロをはじめる。ロングトーンのチョーキングビブラートで一気に流れを掴むと、小気味よく止め跳ねを織り交ぜたフレーズを繰り返し、スリリングに観客をどんどん煽っていく。絡みつくようなエモーショナルなプレイは、バンドが織りなすサウンドに乗って、さらに艶を増していく。そして、焦らすような溜めのブレイクを挟むと、今度はシーナがソロを弾きはじめる。

 シーナのプレイは、これまで押さえ込んでいたものが弾け出すような、ブルージーでソウルフルなフレーズのオンパレードで、まさに圧巻の一言だった。速いパッセージで迫ってみたかと思うと、跳ねるリズムに合わせた連続チョーキングで聴く者を引きずり倒す。シーナは水を得た魚といった様子で、陶酔しながらガンガンと弾きまくる。

 バンドのテンションも異様な盛り上がりをみせ、これまでの喀血少女冷凍鮪ノ地獄にはなかった、むせ返るように熱いグルーヴを醸成していた。

 熱量の高いバンドのパフォーマンスに観客も引き込まれ、目の前で繰り広げられているギターバトルに、すっかり夢中になっていた。

 そんな中、加熱した盛り上がりを一気に凝縮するように、エンディングへ向けてドラムとベースがリズムをまとめていく。そして、いよいよ溜まりに溜まったエネルギーが爆発するように弾けると、ドラムがシンバルからハイタム、フロアタムへと素早く回していき、弦楽器がフリーのアドリブを入れていく。きらびやかなバンドのフィナーレが会場中に響き渡る。

 照明が煌々と輝き、観客の熱気と絶叫が降りかかる中、バンドメンバーの視線が交わされると、最後のキメが打ち鳴らされた。

 熱狂した観客の叫び声、盛大な拍手、鳴らされる指笛、突き上げられる両腕。フロアの興奮は簡単には収まりそうにもなかった。

 ステージ上のシーナも、肩で息をしながらこの光景を眺めていた。

 いままで、こんなにバンドの一体感を生み出そうと集中したことはなかった。今日のライブは最高に興奮する出来だった。

 この名状し難い高揚感が、そう得られるものではないことは、シーナにもよくわかっていた。しかし、シーナは、これを自分のバンドで、いや、自分たちの熊猫パンチドランカーで、いますぐにでも実現したいと強く感じていた。そして、こんなチャンスを自分に与えてくれた、小女子と喀血少女冷凍鮪ノ地獄のメンバーには、素直に感謝の念を禁じ得なかった。

 そんな感慨を胸に、シーナが小女子へと近寄ろうとしたその時、視界の中を勢いよく人影が横切った。一瞬だけ見えたその横顔に、シーナは見覚えがあった。

 ――あれは小女子の部屋で……確か、柚子希といった……。

「こおなっ――」

 シーナが声をあげた瞬間、小女子にも相手がわかった。

「あなた……」

 人影は勢いを緩めることなく小女子にぶつかると、もつれながら一緒にステージからフロアへと落ちた。ステージの高さは50センチもなかったが、落ちた二人は動かないままだった。

 突然の出来事に、周囲の人たちが心配そうにざわめきはじめる。すると、柚子希がゆっくりと上体を起こした。

「あなたが悪いのよ……こおなちゃん」

 彼女の両手はナイフを握り締めたまま、血塗れになっていた。

 観客から悲鳴があがり、大きなどよめきが起こる。

「ゆ、柚子希……なん、なの、これ……」

 小女子の衣装にも、じわじわと赤い染みが拡がりはじめる。

「ねぇ、これも演出なの?」

「いや、ホントっぽいけど……」

「マズいんじゃね、救急車呼べよっ」

 観客たちが騒然としはじめる。シーナはステージから飛び降りると、小女子へと駆け寄った。

「ちょっ、あんた大丈夫っ!?」

「シ、シーナ……柚子希を……」

 小女子は苦痛に顔を歪めると、フッと意識を失った。



「んで、どうだった?」

 辰生が遅れてやって来たシーナに尋ねた。

「んっ、刺された傷は大丈夫みたい。それほど酷くはなかったって。あっ、あたしドリンクバーね。でも、落ちた時に腰を骨折したらしくて、そっちの方が大変みたい。しばらくは入院する必要があるそうよ」

 遊鳴荘からほど近い中野坂上のサイゼリア。そこに熊猫パンチドランカーの面々と薫が集まっていた。次回のライブに向けたミーティングだったのだが、小女子を見舞いに行っていたシーナは、いま合流したところだった。

「やっぱり大怪我なんだね」

 晶良がカプチーノを啜りながら、小女子の容体を心配する。

「まぁ、全治三ヶ月ってとこらしいわ。しばらくは喀血少女冷凍鮪ノ地獄バンドも活動休止みたいね」

「せっかく加入しようと思ってたのに残念だったな?」

 辰生が意地悪く、そんなことを言って口の端を歪める。

「加入しようなんて思ってなかったわよっ。まぁ、小女子はそうしたかったみたいだけどっ」

 言いながらシーナはギュッと握り拳を作ると、辰生の肩を軽くパンチした。

 すると、突然、薫がテーブルを両手で叩いて身を乗り出してきた。

「シーナさんっ! ちょっとハッキリさせたいことがあるんですけどっ!」

「な、なに……かおるん……」

 薫の妙な勢いに、頰を引きつらせながら身体を逸らすシーナ。

「結局、小女子さんとは、いたしたんですか!? いたしてないんですか!? どっちなんですかっ!?」

「ちょっ、かおるん!? いたしたって……」

 シーナが慌てて周囲を伺う。しかし、薫は意に介した様子もなく続ける。

「何日も音信不通でしたし、部屋に帰っていない日もあったみたいですからね。怪しいじゃないですか!?」

「そんなこと、なんで知ってるのっ!?」

 驚愕したシーナは、眼をまん丸に見開く。

「わたしの情報網はかなりのモノですからね。甘く見てもらっては困りますよ」

 そして、薫はふっふっふと不敵に笑うと、シーナに人差し指を突きつけた。

「さぁ、白状してもらいましょうか!?」

 気圧されたシーナが、思わず他の面子に視線を向けると、一同の顔にも下世話な好奇心が興味津々と書かれていた。小女子のアグレッシブさを考えると、何かあってもおかしくない。みんな口にこそ出さなかったが、内心ではそう思っていたのだ。

「そ、そんなことになってたら、あの柚子希って娘に、あの時、あたしも刺されてるわよ」

 小女子を襲った柚子希は、その場で観客たちに取り押さえられて、いまは取り調べのために警察署に拘留されていた。

「怖いねぇ、痴情のもつれ。おまえも時間の問題じゃねぇの?」

 辰生が揶揄するように視線をユージへと向ける。

「オレはそういうヘマはしないよ。小女子ちゃんと違って、アフターフォローは万全」

 猫っ毛を後ろへと梳きながら、ユージは得意そうに鼻を鳴らす。

「まぁ、男女問わず、気に入ったら手当たり次第にツバつけて、飽きたらバッサリと捨ててたみたいだからな、小女子嬢は。そりゃ、恨みも買うわな」

 呆れたようにそう言うと、辰生はシートの背もたれに寄りかかって天井を仰いだ。

「まぁ、今回、学んだことは多かったわ」

 シーナは瞑目しながら腕を組むと、ひとりでウンウンと頷く。

「欲望を追求し過ぎると刺されるってことか?」

 辰生が茶化すようにおどけてみせると、すぐさまシーナの拳が飛んできた。

「違うわ。アプローチというかアティチュードっていうか……バンドに対するスタンスみたいな部分のこと」

 神妙な面持ちで話すシーナへ、懲りずに辰生がレスポンスよく茶々を入れる。

「なに小難しい横文字使っちゃってんの、シーナちゃん? わかるように言ってよ」

「たっちんにはわかんなくてもいいわよっ!」

 またもやシーナの鉄拳が炸裂するかと思われたが、晶良の言葉が先にそれを制した。

「まぁまぁ、その辺はシーナに次のライブで実演してもらうとして、曲をどうするか決めましょうか。屋外なんですよね?」

「そうですよ、みなさん。あっ、わたし、リクエストしてもいいですか!?」

 薫が楽しそうに全員へ問いかけると、話題の中心は次のライブで演奏する曲目へと移っていった。

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