シンクロナイズド職安通り
今日のバンド練習はめずらしく日中に行われていた。そのため、普段は練習に顔を出せない人物が今回はやって来ていた。
連雀薫だった。
もはやすっかりバンドの一員かのような存在になっていて、薫がメンバーと一緒にいることに誰も違和感を感じていなかった。今日の薫はバンドの非公式サイト用のコンテンツを制作すると言って、はじめからずっと動画を撮影していた。
晶良が薫に会うのは、この間、新宿で同級生に鉢合わせて以来のことだった。あの後、薫のことがずっと気にかかっていたのだが、どうやらそれも杞憂のようだった。薫はいつもどおりのハイテンションぶりで、シーナと一緒になってわーきゃーやっていた。晶良やバンドのメンバーも、動画用と言われて変な動きをさせられたりと、薫のそのパワーには、たっぷり振り回されていた。
「なんだか今日の薫ちゃんは気合はいってんな。ちょっと疲れちゃったよ」
休憩時間。シーナと薫がスタジオの外へ出て行くと、ユージがぼそっと洩らした。
「ホント、元気ですよね。でも、ユージさんは女の子がいる方がやる気出るんじゃないんですか?」
ギターのチューニングをしながら晶良が言う。
「――まぁ、ねっ」
「そう言えば、ユージさんは隙あらばナンパしたりするのに、シーナと薫ちゃんには何もしないんですね?」
「俺は身内には手を出さない主義なのよ」
言いながら、ユージは目にかかっていた、ふわふわと柔らかい猫っ毛を右手でかきあげる。
「あ、じゃあ、やっぱり薫ちゃんもユージさんの中では身内なんですね? まぁ、メンバーみたいなもんですからね」
「んー、薫ちゃんは……いい子だけど守備範囲外なんだよなぁ――」
ユージがぼんやり独り言のように呟いた。
「――守備範囲外?」
ユージの言葉に晶良が首を捻っていると、
「そいつはさ、アッキー。ルパン三世でいうところの、不二子ちゃぁぁぁんっ! みたいなのが好みなのよ」
辰生がモノマネをしながら説明をする。
「ウチのお嬢様方はタイプが違うから」
「あ、そういうことなんですね」
予定の練習時間が終わると、ミーティングを兼ねてお茶でもしていこうという話しになり、全員でファミレスに行くことになった。
「ちょっとコンビニで煙草買うから、先に行ってて」
シーナが道の反対側にあるコンビニへと向かおうとすると、
「あっ、俺も用あるから一緒に行くよ」
晶良もシーナの後を付いて行った。
「あぁ、んじゃ、先に行ってるわ」
辰生が返事をすると、晶良が片手をあげて応じた。
辰生、ユージ、薫の三人が先にファミレスに到着すると、広めのソファー席に通された。店が忙しい時間帯にはまだ少し早いらしい。
席につくと、早速カメラを取り出して薫が動画の確認をはじめる。しばらくして、動画を眺めていた薫が、頻りに首を傾げていることに目ざとくユージが気付いた。
「薫ちゃん、どうかしたの?」
「あぁ、いや。今日のシーナさんとアッキーさんは、なんか違う感じがしなかったですか? ちょっと距離が近い感じと言うか……何かあったんですかね? 動画を見てても、やっぱりそんな感じなんですよね……」
「そうだなぁ。でも、俺の長年の経験と勘から言わせてもらうと、あれはまだヤッてないね」
「やって……って、……なにをですか?」
「だからアレをナニってこと」
「――アレをナニ……? えっ!? いや、ちょっ、マジですかっ!? まだですよねっ!?」
「あぁ、まず間違いないね」
「ふぅ、ならいいんですけど……。そんなのまだ困りますからね――そうだ、たっちんさんはどー思います!?」
席につくなりスタジオ代の計算をしていた辰生は、唐突に話しを振られて狼狽える。
「えっ? 俺? んー、あの二人ならいつもどおりだったような……別に変わりはなかったけどなぁ?」
「薫ちゃん、辰生に訊いても無駄だよ」
ユージがやれやれといった感じで薫に忠告する。
「たっちんさん、マジですか!? マジで言ってんですか!?」
薫が心底驚いたという風に辰生に尋ねる。
「あの二人の間に流れる、仲良さげな微妙な雰囲気を感じていないなんて、あり得るんですかっ!?」
「えっ!? そんなことになってた!? 気のせいじゃないの!?」
「いいえ、あの二人、何かあったはずですよ。えぇ、絶対に」
「まぁ、トラブルにならなきゃいいけどな」
ユージが大きなため息をつく。
その後も、遅れてやって来たシーナと晶良の様子を、じぃっと注意深く観察する薫。
「ちょっと、なんか狭いんだけど。スペースあるんだから、あんたもっとあっちにズレてよ」
シーナが晶良の肩をぐいぐいと押す。
「痛い痛い! こっちにはギターが置いてあんだよ。押すなよ」
「真横であたしに発情されても困んのよね」
「しねーよっ!」
「ウソだぁ! さっきからチラチラあたしの太もも見てんじゃん!? 変態!」
「それはだって、見えるんだから仕方ないだろ!? んじゃ、ショーパンなんて履かなきゃいいじゃん!」
「そんなのあたしの勝手でしょ!? 別に、あんたに見せるために履いてんじゃないつーのっ!」
薫がそんな二人のやり取りをつぶさに観察していると、不意に横からの視線を感じた。
視線の方へ顔を向けてみると、辰生が「いつもと変わらないじゃん」と不服そうに目と表情で訴えていた。
んー、確かにいつもと変わらないようにも見えるが、何かが違う。そう思いながら薫がユージの様子を窺うと、ユージは意味ありげに目配せをしてきた。やはり気のせいではないようだ。薫は確信する。
ファミレスでのミーティングと称した雑談が終わると、今日は早めに解散となった。
「じゃ、あたしはちょっと伊勢丹に用があるから、今日はこれで帰るわ。かおるん、ごめんね。今度ご飯食べよ」
「えぇ、ぜひぜひっ! わたしも今日は野暮用があるので、シーナさんも気にしないでください」
よっとギグバッグを担ぐと、シーナは「じゃあね」と言って横断歩道を歩いて行った。
「辰生さん、これからバイトですよね? 直接行きます?」
シーナを見送りながら、晶良が辰生に尋ねた。
「あぁ、そのつもりだよ」
「ベース、俺が先に持って帰りましょうか? 荷物ですよね」
「いや、でも、アッキーは自分のギターもあるし、持って帰るの大変でしょ?」
すると、突然、薫が話に割って入ってきた。
「はいはいっ! わたしが持ちますっ!」
「えっ? いや、薫ちゃん、何か用事あるんじゃなかったっけ?」
さっきのシーナと薫のやり取りを思い出して、辰生が尋ねると、
「大丈夫です。わたしが背負ってアッキーさんと帰りますよ」
薫はそう言って、ベースをくださいと両手を差し出した。
「ホント? じゃあ、悪いけど頼んじゃおうかな」
「任せてください。慎重に運びます」
ギグケースを辰生からしっかり受け取ると、薫はさっと手際よく背負った。そして、先に帰りかけていたユージのところへ、なぜか小走りで向かう。
「先生、二人に何があったかのか調査してきます」
重大な秘密を打ち明けるかのように、声を潜めてユージにそう伝える。
「そんなに気になるの!? 物好きだねぇ、薫ちゃんも」
ユージが呆れたようにため息をつくと、
「わたしはシーナさんのことを知る必要があるんです」
独り言を言うように薫が呟く。その声には妙に真剣な響きがあった。
「ホントに一番のファンだよねぇ。まぁ、ほどほどにね。あんまり度が過ぎると、シーナちゃんもビビっちゃうからさ」
自重を促すように、ユージが薫の肩を軽くぽんっと叩いた。しかし、
「らじゃーです。では、いって参ります」
視野の狭くなっている薫には、ユージの忠告は届いていないようだった。ユージの顔に諦めとも呆れともつかない色が一瞬だけ浮かぶ。
「あぁ、気を付けて」
そして、薫はまた小走りで晶良たちのところへ戻ってくる。
「さぁ、行きましょうか、アッキーさん」
まだ明るい職安通りを歩いて行く。夜は韓国系スーパーの灯りが眩しいほど目につくのに、昼間は店がどこにあるのかすらも、よくわからなくなってしまう。職安通りは、そんな昼と夜の印象が全然違う、捉えどころのない通りだった。
「薫ちゃん、何だか悪かったね。俺が言い出したばっかりに、こんなことになっちゃって」
晶良が申し訳なさそうに頬を掻きながら、横目で薫の顔を窺う。
「いえ、いいんですよ。この間は、あんなみっともないところを見せてしまったので、名誉挽回しないと」
両手を胸の前でぐっと握り締めると、薫は鼻息荒く意気込んでみせる。
「この間と言えば、ちょっと気になってたんだよね……余計な事とは思うんだけど……その、大丈夫?」
晶良はちらりと様子を窺いながら、少しずつ尋ねてみる。
「はい、大丈夫です。アッキーさんの胸の中で泣かせてもらったので……なんて、言ったらドキドキしちゃいます? あ、でも、ああやってバッタリ会っちゃうとキツいですね、やっぱり」
はははっと薫は陽気に笑ってみせる。
「その……なんで、とか訊いても?」
更に一歩、内側に踏み込んでみる。晶良もどこまで尋ねていいのか、図りかねていた。
「えぇ、もちろん。んー、詳しく説明するのは、なかなか難しいんですけど、わたしがみんなと違うからなんだと思います。やっぱり異分子は目立ちますから」
なんでもないことのように、軽い調子で薫が答える。しかし、だからといって、この話題が彼女にとって軽いものになった訳ではない。晶良にもそれは十分にわかっていたので、不用意な言葉をかけることは躊躇われた。
「――そうなんだ」
晶良は曖昧に相槌を打つと、薫の次の言葉を待った。
「でも、そんな中、わたしはシーナさんの存在に救われたんです。あんなかっこいい女の子が世の中にいるだなんて。大袈裟に言えば――笑わないでくださいね? シーナさんの中に希望を見つけたんです。わたしは、シーナさんになりたい」
歩きながら晶良を見上げる薫の瞳には、明るい空の色が映りこんでいた。
「確かにシーナは無茶苦茶で、自分が悪目立ちすることも、逆に利用するようなタフなやつだからね。憧れるのもわかる気がするよ。でもさ、薫ちゃんがシーナみたいになる必用はないんじゃないかな?」
すると一瞬、間が空いてから、薫がそれまでとは違う暗いトーンで訊き返してきた。
「――なんでですか?」
そこには咎めるような、責めるような響きがあった。晶良はそのことに気付いたものの、そのまま言葉を続けた。
「薫ちゃんには薫ちゃんの良さがあって、それで救われてる人もちゃんといるからさ」
すると、急に薫が立ち止まり、睨むような鋭い視線を向けてきた。
「アッキーさんがわたしの何を知ってるって言うんですかっ!」
気色ばんだ薫の様子を見て、晶良は薫が守っているものの片鱗を悟った。
「みんな違ってみんないい、なんて陳腐なセリフは聞き飽きましたっ! よく知りもしないで、わかったようなこと言わないでくださいっ!」
薫の逆鱗に触れたようで、彼女は感情を高ぶらせる。そんな薫に、晶良は努めて冷静に、ゆっくりと話しかける。
「知ってるさ。もちろん全てじゃない。でも、例え俺が知ってることが薫ちゃんの極一部だとしても、それは本当のことだし、間違ってるわけじゃない。全てを知らなきゃ、その人のいいところはわからないの? そんなことないよね?」
晶良は確認するように薫の眼を覗き込む。
「――安易にわたしを肯定しないでくださいっ!」
対する薫は感情的に声を震わせると、身を強ばらせて俯いてしまう。
「確かに、学校の連中みたいに、薫ちゃんを否定する人がいるかもしれない。でも、さっきも言ったけど、薫ちゃんに救われてる人だっているんだ」
優しく諭すように晶良の声が響く。
「そんな人、どこにいるって言うんです!?」
薫が握りしめていた掌にさらに力を込める。
「――シーナだよ。薫ちゃんが憧れるシーナだって人間だ。バンドをはじめて何の評価もない時に、彼女を認め、声援を送り、支えてくれた。薫ちゃんに肯定されることで、シーナがどれだけ救われたと思う?」
俯いたままの薫をじっと見つめながら、晶良はゆっくりと丁寧に語りかけた。
「シーナさんが……救われた? ……わたしに?」
さっと顔を上げた薫の眼は大きく見開かれていた。
「そうだよ。薫ちゃんは独りで歌っているシーナの救いだ」
「ど、どうしてそんなことがわかるんですか!?」
反射的に食ってかかる薫の瞳に、僅かな動揺が走る。
「わかるさ。ステージに立てばね。あの不安と緊張と興奮の中で、自分を理解する誰かが観ていてくれる。それが、どれだけ希望になることか」
「……希望?」
薫の声から怒気が薄れて、徐々にトーンダウンしていく。
「それは薫ちゃんでなければ、できないことなんだ。熊猫パンチドランカーのシーナには連雀薫が必要だ。そして、同じくバンドの俺たちにも」
晶良はハッキリとした口調でそう言うと、薫に微笑んでみせた。
「アッキーさんたちにも……?」
薫が期待を込めるようにして問い返す。揺れる瞳に浮かんでいた僅かな動揺の色は、別のものへと変わっていた。
「そうだよ。みんなに訊いてごらんよ。まぁ、シーナは素直にそうは言えないかも知れないけどね。あいつはひねくれてるから」
晶良は笑って答えると、薫の肩に手を置いた。
「――だからさ、薫ちゃんはそのままでいいんだよ」
すると、薫は俯きながら、何かを思案するような表情を浮かべた。
「あー、これも陳腐なセリフだったかな……」
黙りこむ薫の様子に、晶良は頭をガシガシと掻いて苦笑いを浮かべた。
その後、百人町を過ぎて成子坂下までやって来ても、二人に会話はなかった。薫は黙考したまま、前へと進んでいく脚元を見つめていた。そして、十二社通りに入ったところで、ようやく薫が口を開く。
「――アッキーさんって、訳知り顔でベラベラ喋っちゃって、結構恥ずかしい人ですよね」
薫の声には、冗談めかしたような明るい響きが混じっていた。
「手厳しいね。ダメかな?」
気まずい雰囲気にヒヤヒヤしていた晶良は、薫の声音に安堵する。
「いえ、いいんじゃないですかね。またひとつ、シーナさんがわかりましたから」
そう言って薫は得意気な顔をしてみせる。
「えっ? シーナのこと? なんで?」
ここでシーナの話しが出てくることが、晶良には意外だった。
「自分のアイドルがどんな気持ちでいるのか、やっぱり知りたいじゃないですか」
「いや、余計にわかんないよ」
「いいんです。アッキーさんはわかんなくてっ! わたしには、わかりましたから」
薫が、ふふふっと楽しそうに笑う。晶良には何のことだか、よくわからなかったが、とりあえず嵐が去ったことは理解ができた。
二人が遊鳴荘の前まで来ると、もう日は暮れようとしていた。
「ありがとう。薫ちゃんのおかげで助かったよ」
辰生のベースが入ったギグバッグを受け取る。
「いえいえ、お安いご用です」
「上がっていく? お茶でも出すよ」
「ううん。今日は帰ります。――襲われても困りますからね」
薫はにこりと微笑んだまま、ささっと後退った。
「あー、俺ってそんなに信用ないの……?」
がくっと肩を落として、晶良が頬を引き攣らせる。
「冗談ですってば。また今度おじゃまさせてください。今日は撮った動画を編集する予定なので」
ホントですからね、と薫が首を傾けながら微笑む。
「ははは……そういう冗談はやめてよね。薫ちゃんに嫌われたのかと思って、本気でヘコむところだったよ」
晶良がわざとらしく大げさに安心してみせると、薫は少しだけ目を伏せながら口の中で小さく呟く。
「大丈夫ですよ。――だってアッキーさんは優しいですもん……」
「んっ? なに?」
途中から小声になった薫の言葉が聴き取れず、晶良は少し身を屈めながら尋ねた。
「さぁ? なんでしょね?」
薫はいたずらっぽい表情を作って肩を竦めてみせる。
「あ、意地悪だなぁ。まぁ、いいか。じゃ、新宿駅まで送るよ」
「ふふっ、はい。お願いします。今いる場所はさっぱりわからないんで」
晶良は玄関に荷物を置くと、薫と一緒に新宿駅へと向かった。
細い路地に街灯が灯ると、視界の先いっぱいに広がる高層ビル群がぼんやりと浮かんで見えた。西新宿のうらびれた雰囲気と、新宿都庁の特徴的なシルエットは、その奇妙なアンバランスさが、シュールな騙し絵のようだった。
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