【第三章 ジャード(死)】

世界は、交わる

「伊佐那、おはよう」

「おはよう、伊佐那くん!」

 俺が教室に入って席に着こうとすると、花笈とおしゃべりしていた初瀬が挨拶してきた。花笈もブンブンと手を振りながら満面の笑顔を見せる。

「おはよう初瀬、花笈」

「よう潤、今日は遅かったな」

 猶枝が俺に声を掛ける。

「ああ。少し寝坊した」

 辛うじて遅刻にはならなかったけど、クラスメイトのほとんどが既に席に着いている。目覚めた時は、普段なら家を出ている時間だったから、朝食も取らずに急いで登校してきたところだった。

 突然の異星人エイリアンとの戦闘、人の死、ヴァルカートワさんたちの登場。昨夜ゆうべは色々とあり過ぎた。一介の高校生には衝撃的すぎた。というか正直キツい。充分に睡眠が取れていないのか、朝から体に疲労がまっている。

 黒板の横の壁掛け時計を見ると今は始業五分前。でも担任がまだ来ていないので、クラスメイトのおしゃべりで教室はざわめいていた。猶枝が相変わらずケータイを見ていて、譜久盛も身を乗り出して覗き込んでいた。

「結構可愛いな!」

 譜久盛が何か言っている声が聞こえる。またアイドルでも見てるのだろうな。

「なあ潤、お前はどう思う?」

 猶枝が俺にもケータイの画面を見せてきた。俺は芸能人だとかにあまり興味がない方だけど、「枯れてる」なんてからかわれるよりはマシだと思い、適当に話くらいは合わせることにしている。正直、面倒だと思いながら眼を向けた。


 ミアのバストショットだった。


「この写真どうしたんだ⁉」

 俺の剣幕に二人がひるむ。しまった。俺は自分を落ち着かせようとした。せめて上辺うわべだけでも。

「ど真ん中か?」

「えっ?」

 意味不明な言葉で俺に問うた猶枝は譜久盛と目を合わせると、二人でニヤニヤ笑った。

「ちょっと枯れてるな、とは思ってたけど、まさかこういう娘がタイプか」

 嫌な笑い方をしながら猶枝が言う。

「おい、伊佐那。このムッツリ男」

 と後ろから初瀬の声。振り向くと俺を睨み付けてきた。拗ねてるようにも見える。なんでだよ? そして花笈までが目を輝かせながらこっちを見ていた。

 なるほど、そう誤解させたか。好みのタイプだから飛びついたと思われたみたいだ。普段なら困っているところだけど、今はそれどころじゃない。俺はなるべく平静な口調で猶枝に訊ねた。

「これは何の写真なんだ?」

 俺が聞いているのに、みんな笑うばかりで誰も取り合わない。

「こいつ、一生懸命冷静な振りしてるぞ。バレバレだっての」

 譜久盛はそう言うと俺の肩を叩いた。そして何故か親しみを込め、

「お前も健全な男子だったんだな。俺は嬉しい」

 周囲が勘違いして盛り上がっている中で俺だけが焦っている。しかも盛り上がるばかりで質問に答える様子がない。俺は真実が知りたくて気が気でない。そんな中、猶枝だけは独りでケータイを操作していた。そしてケータイを触っていた手を止めると、俺を見て言った。

「潤、残念だけど今のは芸能人じゃないんだ。写真集とか出ないからな」

 ケータイの画面を俺に向ける。

 それはケータイ用のニュースサイトだった。ニュースの本文ではなく、一連のニュースの見出しだけが並んでいる。一番上には一連のニュース全体の総括として、次のようなタイトルが付けられていた。


【『米国、宇宙人と国交を樹立』関連のニュース一覧】


「宇宙人と国交樹立⁉」

「あれ、伊佐那、今朝ニュースを見なかったの?」

 驚いた俺に初瀬が問い掛ける。

「あたしは最初、違う番組を見ていたんだけどね、急に『米国が宇宙人と国交を結びました』なんてテロップが流れ出したものだから、急いでチャンネル変えたわよ。でも本当かなあ?」

 初瀬が興奮した様子で言う。続けて猶枝も話す。

「俺は深夜のウェブニュースで知ったけどな。個人サイトじゃないからイタい人の妄想とかはあり得ないはずだけど、流石にジョークか? ってテレビを着けたら、テレビでも本当に報道してたからビビったよ」

 つい最近出逢ったばかりの異星人エイリアンの存在。それが現実であっても、俺が日常だと思っている世界と交わることはない、と信じていた。今までの馴染んだこの世界と異星人エイリアンたちの世界、決して交わることのない二つの世界と俺は関わっていくと思い込んでいた。

 だけど異星人エイリアンたちの世界はこちら側に侵食してくるのか?

「見るか?」

 猶枝がケータイを手渡してくれた。とにかく詳しい情報が欲しい。そもそもミアはどういう形でニュースで報道されているのか? 日時順に並んだニュース一覧から、まずは最初の見出しをタップ。読み込みに少し時間が掛かり、やがてニュースが小さな写真と共に表示された。


『ワシントンD.C. 現地時間の昨日午前一〇時(日本時間の昨夜午後一一時)、先日就任したグリフィス米大統領は、宇宙人リイェイッカ星人との国交樹立を発表しました。

 まるで地球人(東洋人)そっくりなリイェイッカ星人。彼等との遭遇(ファーストコンタクト)は国際社会にどのような影響を与えるのか? 全世界が注目しています』


 記事に付いていた写真ではグリフィス米大統領が、どう見ても日本人にしか見えない男性と握手を交わしていた。服装はダークグレイのスーツと同色のネクタイ。異星人エイリアンの文化がどんなものかは知らないけど、流石に地球のものとそっくりな服装は偶然じゃないだろう。わざとか? いや、それを言うなら容姿の偶然の方が不思議か。

 ニュース一覧に戻って、今度は二番目にある『リイェイッカ星人について』という記事を読む。『リイェイッカ星人』は地球から三〇光年離れた『リイェイッカ星』から来訪した、。その『リイェイッカ星』の人類側の呼称はケンタウルス座セントールのLHS 311スリーイレブン。これは確か、ミアが地球に逃げ込む前にいた星だ。ミアたちの説明とニュースは食い違っている。彼等は一つでなく八二億の星の支配者だ。『リイェイッカ』という表現といい、米国アメリカと接触した連中は真実を語っていない。

 続く文章はリイェイッカ星人についての考察で、人間とそっくりの宇宙人というのが本当にあるのか? について様々な人たちからのコメントが記載されている。

 ある生物学者バイオロジストの話では哺乳類マンマリアの祖先は洞窟生活、続いて夜行生活による視覚の退化を補って聴覚と嗅覚を発達させた。これが地球の全生物で哺乳類マンマリアだけ耳と鼻が体外に突出している理由だ。また体色も暗闇の生活と視力低下に伴い、茶色のメラニン以外の色素を捨ててしまった。そのために体色は茶色系、白から黒と、その間の黄色やダークブラウン等の色、或いは血管による赤色しかない(ただし瞳はメラニン色素の濃度が低いと『レイリー散乱』という構造色で青や黄色になる)。だから魚や鳥、昆虫のような色とりどりの容姿にはならない。こういった特徴は哺乳類マンマリアである人類ヒューマン独自のもので、知的生物共通のものじゃない。

 多くの人が『二本腕と二本脚の宇宙人』を想像して、腕や脚が二本でない姿を奇妙に感じるけど、人類が四本の手足を持つ四肢動物テトラポダ両棲類アンフィビア以降の動物)の一種だったというだけで、手足が二本ずつである必要はないらしい。ちなみに鯨の後ろ脚や蛇のように手足が減ることはあっても増えることがないのは、百足むかでのような『繰り返し構造』ならともかく脊椎動物ヴァルテブラータで手足を増やすには骨格や筋肉、神経など体の設計デザインの大幅な変更を必要とし、進化で獲得する確率が低いからだ。だから翼と引き換えに前脚を失った鳥類アヴェスは進化によって『新たな前脚』を獲得する前に『くちばし』を発明してしまった。鳥類アヴェスで『手』を持つのはインコの仲間だけ。もちろん前脚はなくて、人間がクッキーをかじるように木の実を後ろ脚で掴んでかじるのだけど。

 また『宇宙人』というと人間のように左右対称ビラテラル・シンメトリ、ちょっと発想をひねってもシオマネキのような左右非対称ビラテラル・アシンメトリ(ただし左右対称ビラテラル・シンメトリの変形)を想像するけど、実際の生物はクラゲ、ウニ、ヒトデのような放射対称ラディエーション・シンメトリ、対称性のない形、不定形のアメーバ状生物などがある。と言っても高い運動能力を持つにはやっぱり左右対称ビラテラル・シンメトリが最適らしい。まあ乗り物だってそうだよな。逆に不定形というのは(あくまで現代科学の認識としては)恐らく単純な生物であって精密な身体構造を持つとは考えにくいらしい。

 ここで、二つのイラストが掲載されていた。一つは、米国アメリカのH.P.ラブクラフトという作家の考えた『いにしえのもの』という宇宙人だ。樽のような胴体にヒトデみたいな頭部が付いていて、架空フィクションだけど放射対称ラディエーション・シンメトリの例として挙げられていた。こんなの本当にあり得るのか?

 いやいやたよ、デベルナ=ユトマさんだ! 放射対称ラディエーション・シンメトリって異星人エイリアンでも珍しいのか。

 もう一つはタコに似た、最も有名な異星人エイリアン英国イギリスのH.G.ウェルズの『火星人マーシアン』だ。

 要するに様々な姿があり得る。そういった説明を続けた上で、ある程度似ていることもあるだろうけど人類ヒューマンそっくりになる可能性がほぼゼロなのは言うまでもない、と述べている。

 興味深いのはここからの内容、『では何故、人間とそっくりなのか?』だ。自然な進化と同様、人工的に改造した結果でも偶然という可能性はやはりほとんどない。ならば最も可能性が高い、いやむしろ唯一の可能性は、今回の地球訪問のために敢えて人間の姿に『化けた』のだろう、と推測していた。そうした理由として最も考えられるのが、人間の美意識からは醜悪な容姿なのではないか? と科学者は考えていた。

 続く文章は『化けた』方法について、遠隔操作ロボットや『着せ替え』、短期間肉体改造等の想像が続く。列挙された幾つかの例は興味本位としては面白いが、俺は読み飛ばす。限られた情報だけでこの判断は妥当だろう。だけど間違いだと知っている以上、読む価値はない。

 その次はUFO研究家のコメントだ。こちらは正反対の意見で、人類そっくりの宇宙人は存在するとして、過去の宇宙人の目撃例を挙げていた。また、ある政治評論家の意見は『分かる人には言うまでもありませんが、明らかにただの人間ですよ』だ。『彼は中国人か、または日本人か韓国人に見えますが、実際にこれらのいずれかの国家から派遣された代理人エージェントに違いないんです。いくら何でも【宇宙人】だなんて騙せるはずがないけど、バレているのを承知でシラを通さないといけない事情があるわけだ。しかもスーツ姿だなんて、騙し切れないことが分かっているから騙し通す努力すら放棄している』という論調。以下、その理由として陰謀論らしい話が続いたが、ここも飛ばした。その後には一般人への街頭インタビューがあり、例えば『神様が地球だけの神様なんてあり得ない。それだったらどこの星でも同じ人間を創るでしょ?』と答えていた。これ以上は不毛っぽいので、読むのを止めて一覧に戻る。

 他にもめぼしいニュースを片っ端から見ていった。


『メリットとリスク ―― 宇宙人の目論見と人類への影響』

『日本が宇宙人の国交の対象に選ばれない一〇の理由』

『宇宙人はテクノロジーを提供するか? 日本のこの産業が危ない!』


 重要なのは米国アメリカと国交を結んだ存在が敵か味方か? そして何故、ミアの写真が載っていたかだ。無価値のものも含む雑多な情報の全てに目を通しても仕方がないと思い、途中からは一つずつ読むのをやめてとりあえず見出しだけに目を通していく。


『指名手配中の宇宙人犯罪者は美少女だった』


 これだ! クリックして記事本文を表示させる。文章と一緒にいきなりミアの写真が現れた。さっき見ていた写真と同じものだ。俺は花笈の様子をうかがう。一度逢ったはずだけど、覚えてないようだ。画面上の『友達に教える』をクリックした後、俺のケータイを近付けて認識させると赤外線でURLを送った。

「猶枝、ありがとう」

 猶枝にケータイを返して後は自分のケータイで読むことにした。


『リイェイッカ星人の代表クザナラフ氏は指名手配中の犯罪者の捜索を米国政府に要請、これを受けた米国政府はリイェイッカ星人からの要望として、容姿が極似しているために潜伏している可能性の最も高い中国、韓国、そして日本政府に協力を呼び掛けました。日本の小五田こごだ 敬太郎けいたろう首相は警察によって全国に指名手配し、捜索することを約束しました。

 小五田総理はまた、この少女を見掛けたら警察に通報するよう、国民に呼び掛けています。少女の名前や罪状についてはリイェイッカ星人からの情報提供は現在ないようです』


 予想はしていたけど、米国アメリカと接触した勢力はやはり敵だった。レジスタンスを排除する政府側の組織なのだろう。ただ敢えて人類の国家と接触したり、それでいて真実を隠したりしているのは、ミアやヴァルカートワさんたちの発見と無力化だけでなく何か他にも目的があるのか? 大体、昨日の攻撃を考えればミアが日本にいることを知っているはずなのに、はったりブラフで他の国家も列挙して『中国、韓国、日本の政府に要請』なんて、米国アメリカ政府にはあまり情報を与えたくないとしか思えない。

 とりあえず最低限の情報は得られたが、これ以上は家に帰ってからミアやヴァルカートワさんたちと話し合うしかなさそうだ。


    ♦ ♦ ♦


 俺は一年生の崩口くれくち 千丈せんじょうと向かい合う。互いに礼をした後、帯刀たいとう(竹刀を持った左手を左腰に付ける)をして歩み寄る。そして竹刀を右手で持ち直して斜め前に挙げ、二人同時に爪先立ちでしゃがみ込んだ。『蹲踞そんきょ』という姿勢で剣道の礼法れいほうの一つだ。すぐに俺たちは立ち上がり、更に前へ一歩進む。二つの竹刀の先が触れ合いそうになる。剣道部部長の国領こくりょう 広見ひろみ先輩が俺たちを見ていた。剣道の防具を着けるのは崩口には毎日のことだろうが、俺は久し振りだ。

 俺は剣道部員じゃないが、縁があってたまにこうして練習に参加させてもらっている。去年までは公式戦もさっぱりで、部員も少なくなってとうとう男女が統合された弱小部。それを現部長の国領先輩が立て直そうとしているところだ。

 居合のことを『初太刀しょだち(最初の斬撃)を重視した武芸』だと思うかも知れないけど、それは居合の一面でしかなく、しかも本質じゃない。居合は敵の姿を想定して抜刀、或いは巻藁まきわらに向かって刃を振る。どうして実際に人間と向き合わないのかと思うかも知れないけど、居合とは『武器を相手に当てる勝負』じゃなく『人間を斬る武芸』だ。人間と向き合わないのは、本当に斬るわけにはいかないからだ。そのために骨と肉に見立てた巻藁を斬る訓練を行う。

 物騒だろう? だからこそ、居合は他のどの武術とも異なる特殊な本質を持っている。それは他の武術が『戦闘時の技術』なのに対して、居合が『非戦闘時の技術』だということだ。より正確に言うと『戦闘になってから使用する技術』ではなく『非戦闘時から常に備える技術と心構え』、『剣の技術テクニック』でなく『真剣の哲学』だ。『剣を抜く』という行為の重さを知り、それを恐れないといけない。居合は日本の古い武道でよくある精神論の要素が強く、特に武道一般でよく言われる『武という文字はほこを止めることを意味する』という言葉は、居合のためにあるようにさえ思える。剣は抜いてはいけないのだ。そして、どうしても闘いを避けられない時こそ、誰よりも速く抜刀する。初太刀を重視する理由がこれだ。最初の攻撃は非戦闘時から戦闘時に切り替わる瞬間だからだ。それが居合の本質だと思う。俺の個人的解釈かも知れないけど。

 ここで俺だけは二歩下がり、左手を竹刀から離す。右手だけで握った竹刀を左の脇の下を通して剣先を後ろに向けた。右のこぶしを左腰に付ける。

 さやに収まった真剣を想定した抜刀の構えだ。少し腰を下げて両膝を軽く曲げ、腰も少しひねる。脚の力と腰の回転を右腕の速度に上乗せするためだ。

 お互い、相手の動作を伺っている。緊張が高まる。

「始め!」

 国領先輩の号令で俺たちは同時に近付いた。まだお互い攻撃をしない。

 崩口は俺の初太刀を強く警戒している。剣道で居合の初太刀を超えるなら、俺の反撃に対する防御を始めから想定して攻撃をするか、或いは居合よりも速い攻撃をするかだ。お互いに相手の出方をうかがっていたが、

めーんーっ‼」

 一撃に全てを賭けて全速力で来たか?

どうー!」

 だが俺はそれより速く攻撃。やや斜め上から叩き付ける剣道の『胴』ではなく、抜刀(さやから抜く動作)そのものが斬撃なので斜め下から胴へ、やや振り上げる。俺の胴とほぼ同時に、崩口は攻撃をやめてすぐさま防御へと移る。が、それに追い付かれるほど、居合は遅くない。

 俺の胴は崩口の右腹を打ち付けた。

 すぐに俺はやや下がり、残心ざんしんする。『残心ざんしん』とは相手への攻撃が決まった後も相手からの攻撃に備えることだ。例えば面を打って相手の横を駆け抜けた後、相手に背中を見せない方向に反転する。これがないと剣道ではどれほど綺麗に決まっても有効打にならない。譬え審判がいてルールに則っている稽古や試合でも、やはり剣道も実戦を想定しているのだ。だが、この道場に限って残心はそんな形式や精神論だけではない。実際、俺の胴の直後に崩口がすかさず攻撃を仕掛けてきた。まるで胴を打たれたことが無効であるかのように無視して。本来ならここで『一本』となるし、試合でなく真剣を使った闘いでも俺は致命打を与えたはずだ。だけど俺たちは続ける。そういうルールにしているからだ。

 居合の初太刀は、江戸時代の剣豪たちにも怖れられていたらしい。剣道や剣術がそれに対抗するのは困難だ。一方で、それ以降の打ち合いとなれば剣道に分がある。敵の行動を頭で想像して抜刀する居合に対し、実際に人間と打ち合っている剣道の方が(真剣の斬り方の習熟度を除けば)、より実践的で多くの経験を積んでいるからだ。

 でも俺の初太刀が決まるたびに毎回勝負が着いてしまっては俺の初太刀が決まるか相手がそれを防げるか、ただそれだけの訓練になってしまい、お互いに練習にならない。特に俺にとっては初太刀以外の打ち合いがしたい。だからここでは特別ルールにしてもらっているのだ。

 俺と崩口は更に攻防を行う。胴を俺に防がれた崩口が牽制で小手を狙う。俺は崩口の竹刀を弾き、反動で振り上げた竹刀を間髪入れず打ち下ろす。脚は竹刀と同時に素早く踏み込む。

めーんーっ‼」

 二度目の一本が決まった。

 勝負は終わり、審判の国領部長に礼をして下がる。別の部員たちと交代して面を脱いだ。

「くっそう、やっぱり強い。まだ伊佐那先輩には勝てないのか」

 笑いながら崩口は言うものの、その表情は本当に悔しそうだ。

「でも崩口はかなり強くなったな。正直、驚いた」

「本当ですか!」

 俺の賞賛を受けた崩口は途端に嬉しそうな顔になった。

「先輩。俺、絶対に一年の間に先輩を超えてみせますよ」

 そんな台詞セリフくのは生意気に聞こえるかも知れないが、こいつは礼儀をわきまえているし、言えるだけ気心が知れている間柄だ。実は俺は今まで剣道部に在籍したことがない。もちろん剣道で未経験者が経験者と互角以上に闘えることはあり得ない。だけど俺は小学生の頃から中学生までの間、彼等のOGに当たる元剣道部部長と共に町の剣道場に入門し、散々シゴかれたので未経験者ではないんだ。とは言え高校に入ってからはたまに剣道部の彼等に誘われて練習する程度なので腕が鈍りつつある。

 対して国領部長の元で生まれ変わって練習も厳しくなった新生剣道部では、会うたびに部員が上達しているのが分かる。剣道未経験者の顧問の指導力不足を補うために、他校との練習試合や合同練習を積極的に行っているらしい。



「何か考え事?」

 気付けば、国領先輩が俺の顔を覗き込んでいた。練習が終わって帰ろうとしていたところだ。

「伊佐那くんがぼうっとしてるなんて珍しいわね」

 そう言って部長が笑う。

「……いくら剣が強くても、異星人エイリアンには勝てないか」

 考えていたことが思わず口を突いて出てしまった。ヤバい。

「伊佐那くん、そんなこと考えてたの? まさか宇宙人と剣道したいの?」

 国領先輩は驚いていた。そりゃそうだろう。

「今朝のニュースの話でしょ? 私のクラスでも話題になってたわよ」

「先輩たちもですか? 私のクラスも。やっぱりどこも同じですよね」

 一年の潤住うるすみ 明日あけびも会話に入ってきた。

「でも宇宙人と勝負なんて考えるのは伊佐那先輩くらいですよ。おっかしい」

 潤住に笑われてしまう。

「だけど、宇宙人だって武術とか剣術だってきっとあるでしょ? 西洋風の剣だったら面白そうだな。俺も伊佐那先輩の気持ち分かります」

 崩口も俺に同意した、つもりだろうが俺は試合がしたいと言ってるんじゃない。というか俺たちは既に戦争しているわけだが、そんな物騒な真実を知られるくらいなら喜んで誤解を受けよう。

「もう、男子って本当に闘うとか好きね」

 国領先輩が呆れている。

「剣道部に入って部長やってる先輩も大して変わりませんよ」

 崩口が言い返して国領部長と笑い合う。

 男子が闘いが好きなのか俺には分からない。まあ剣術の試合なら崩口の言うように、やってみたい気持ちはある。だが少なくとも殺し合いは流石にしたくない。もし避けられるなら。

「宇宙人って、映画とかだと侵略してくるけど、平和主義の人たちみたいで良かったですね」

 潤住がニコニコしながら言った。


 その通りだったら、どれだけ良かっただろう。


    ♦ ♦ ♦


 剣道部との練習を終えて俺はようやく帰路についた。今日は剣道部の練習に出る約束をしていたから仕方ないけど、ミアが指名手配されたことについてミアやヴァルカートワさんたちと早く話し合いたくて、剣道をしていた時もずっとれていた。街の中心にある学校を出て南へ、海辺にある俺の家まで自転車で三〇分、玄関をくぐると自分の部屋に入る前に客間を覗く。

 誰もいない。

「母さん、ヴァルカートワさんたちは?」

 テレビを見ていたらしい母さんが隣の部屋から出てきた。

「ヴァルカートワさんは朝から不動産屋さんに行っていたけど、新居が見付かったからって、昼過ぎに全員で越していったわよ」

 行動が早い人なんだな。じゃあ、ミアとだけでも話をしよう。一旦俺の部屋で私服に着替えてから姉さんの部屋をノックした。

「姉さん、ミア、入ってもいい?」

「いいわよ」

 姉さんの声を聞いてドアを開ける。部屋では姉さんが一人でベッドに腰掛けていた。

「姉さん、ミアは?」

「あれ、聞いてなかったの? ヴァルカートワさんたちと引っ越していったわよ」

 ミアも一緒に行ったのか。

 考えてみれば確かに仲間といるのは当然だし、逆に俺たちとこれ以上一緒にいる理由はない。いつかは俺たちから離れていくのは分かっているつもりだったけど、本当に突然だったな。

「潤、あんた『ミアちゃんと離れて淋しい』って、顔に書いてるわよ」

 姉さんが俺の顔を指差して言った。その声にからかう響きはない。俺は淋しがっているのか? 正直、自分でも分からない。

「まあ、近くなんだし、これからだって会えるわよ。でも自分から会いにいく勇気はない?」

 姉さんが俺の顔を覗き込んで訊ねる。俺はどうしたい? 自分でも気持ちが分からない。

 ん? 『近く』だって?

「姉さん、ミアの引っ越し先を知ってるの?」

「メールが来てたでしょ?」

 気付かなかった。でもメールじゃなくて直接会って挨拶をして欲しかった。

 自分の部屋へケータイを取りに戻る。まさか俺にだけ連絡なしってことはないよな、なんて悲観的なことを思いながらメールチェックをする。一件のメールが届いている。『引っ越ししました』とタイトルに書かれている。あった。ホッとしながら俺はメールを開いた。

 絵はがき風のHTML形式の可愛らしいメールだった。背景イラストは左上に『引っ越ししました』の文字、他にピンクの空の中にデフォルメされた犬と犬小屋がほのぼのと描かれている。俺の中ではミアは『飾り気のない素朴ナイーヴな性格』という印象イメージだったから、こういうったメールを使うというのは意外な気がしたけど、やっぱり女の子なんだな。

 メールを下の端までスクロールすると、やっと文章が現れた。丸っこい可愛い文字フォント


『いつでも遊びに来てくださいね♡                  ヴァルカートワ』


 あんたかよ‼

 よく考えればミアよりもヴァルカートワさんの方がこういうことをやりそうだ。レジスタンスとして政府と闘っているんだよな? あの人からそういうシリアスさが感じられないんだけど。

 メールには新住所とケータイの番号、メアドが書かれている。いつの間に契約したんだ? 場所は近いので今から自転車で行くことにした。とにかく例のニュースについてミアやヴァルカートワさんたちと話し合わないといけない。

『俺はミアと離れたくないのか?』

 問題を先送りしている、そう思う自分の心にふたをして、俺は家を出た。


    ♦ ♦ ♦


 辿り着いた場所は町の外れの古い民家だった。家の裏手は森になっている。玄関の前に立つと、いきなり電灯ライトが点灯した。防犯用だろう。インターホンを押すとかなり明瞭な音声でカティヴェ・ウェインスレイさんが応対し、ドアが自動で開いたのには驚いた。

 俺が通されたのは居間だ。ヴァルカートワさんとミアがいた。

 そこに、リュキスヴェトリイェさんが濡れた髪を拭きながら現れたのでドキッとした。風呂上がりなのか? って入浴するのか? 不機嫌そうな地顔(?)が、ちょっと照れたような表情になって「コンニチハ」と挨拶してくれる。残りの一人+一台?もすぐにやってきた。

 この家は中も外も普通に見えるけど色々改造しているそうだ。例えばさっきのインターホンやドアのセキュリティーその他が自動化され、無線でカティヴェ・ウェインスレイさんの制御コントロール下にある。俺の目の前の和風のテーブルも普通に木の手触りだけど、表面がマイクロメートルレベルの厚さで合成有機素材でコーティングされているという話だ。座っている座布団も違和感がないけど繊維一本ずつコーティングされていて、通気性や質感をそのままで酸素に触れないことで燃焼や腐敗を防止していると言う。ヴァルカートワさんわく『可燃物だらけの家とか運動神経に頼った乗り物とか、俺はそんな自殺願望ねえぞ』とのことだ。危険で原始的な文明で悪かったな。二一世紀の俺たちから見れば数世紀前の人々は病気や栄養失調なんかで簡単に人は死んでいたけど、ヴァルカートワさんから見た人類の現代文明もそんなものかも知れない。

 また、三人の部屋はそれぞれ異なる設定になっているそうだ。彼等はそれぞれ『快適な気温、湿度、気圧、重力、明るさ』が違う。例えばリュキスヴェトリイェさんの場合は少し薄暗い程度の明るさで高湿度、高気圧を好む。カティヴェ・ウェインスレイさんの話では、彼女の故郷の惑星の海面上の重力は地球の二.七倍で、速く泳げる強力な筋力を持つ。そしてやっぱり水中が心地良いらしい。だからリュキスヴェトリイェさんの部屋は大浴場のようになっている。風呂上がりみたいに見えたのは、そういうわけだ。水温は摂氏約三〇度、かなり高湿度なので完全に閉め切った上で新鮮な空気が入るような空調設備がある。地球より酸素濃度が高くなっているので、人間はあまり長く部屋にいない方がいいと言われた。でも泳ぐなら、やっぱり人間型よりも魚の形の方が適していると思うけど。

 そう言えば『水棲類人猿仮説アクアティック・エイプ・ハイポセス』という学説があったな。人類には水棲生物に向いた特徴があるとして、進化の過程で水中生活をしていた時期があったと考える説だ。以前に読んだジェイムズ・P・ホーガンのSF『星を継ぐ者』にも採用されていた。現在はほとんど否定されている仮説だけど、彼女の種族の進化で、この仮説のようなことが起こったのだろうか?

「なるほど、ジュンもニュースを見たんだな」

 俺の話を聞いてヴァルカートワさんが考え込む。

「米国との国交樹立は、この星を支配するための足掛かりにするつもりでしょう」

 カティヴェ・ウェインスレイさんが憶測を述べる。

「地球に手を出すとは愚かな連中だな。『眠れる巨神』の怒りを呼び起こしたいのか?」

 ヴァルカートワさんが溜め息をついて言った。『眠れる巨神』? 俺たち人類の知らない地球の秘密をリイェイッカたちは知っているのか?

「『眠れる巨神』って何ですか?」

 俺の問いにカティヴェ・ウェインスレイさんが答えた。

「ヴァルカートワ様が昼間鑑賞していたブルーレイのアニメ『天翔機神メタトロン Zweiツヴァイ』のロボットでございます」

 虚構フィクションかよ⁉ というか、あんた何しに地球に来てんだ?

「とにかくプミアィエニは当分出歩かない方がいいな。そろそろ暗くなって目立ちにくくなったし、二人共『ハンドル動かしてないのに右折左折も思いのまま‼』なマイカーで送ろう」

 あれ?

「ミアもこっちに住むんじゃなかったのか?」

 俺の問いにミアは首を振った。

「ジュンとリカと一緒がいい」

 その答えは予想外だった。姉さんの勘違いだったのか。

「お前ら姉弟、懐かれたな」

 そう言うヴァルカートワさんは、どことなく楽しそうだった。

「じゃあミア、そろそろ帰ろうか」

 俺の言葉にミアが頷いて立ち上がった。


 俺とミアは、カティヴェ・ウェインスレイさんが運転席に座った(運転している振りの)、自動車そっくりの乗り物で家に帰った。


 今更だが、本当に今更だが、俺ははっきりと自覚した。

 俺はミアと一緒にいたいと思っている。

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